鶴林寺 (加古川市)

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鶴林寺
Kakurinji Temple Main Hall 20150725.JPG
本堂(国宝)
所在地 兵庫県加古川市加古川町北在家424
位置 北緯34度45分8.2秒
東経134度49分57.3秒
座標: 北緯34度45分8.2秒 東経134度49分57.3秒
山号 刀田山(とたさん)
宗派 天台宗
本尊 薬師如来(重要文化財)
創建年 伝・崇峻天皇2年(589年
開基 伝・聖徳太子
札所等 新西国三十三箇所27番
西国薬師四十九霊場22番
聖徳太子霊跡27番
播州薬師霊場9番
関西花の寺二十五霊場9番
文化財 本堂、太子堂(国宝)
常行堂、絹本著色聖徳太子像、銅造聖観音立像他(重要文化財)等
地図
鶴林寺 (加古川市)の位置(兵庫県内)
鶴林寺 (加古川市)
法人番号 5140005009646
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鶴林寺(かくりんじ)は兵庫県加古川市にある仏教寺院山号を刀田山(とたさん)と称する。宗派は天台宗、本尊は薬師如来である。

概要[編集]

近畿地方に数多くある聖徳太子開基伝承をもつ寺院の1つで、太子建立七大寺の一つともいうが、創建の詳しい事情は不明である。平安時代建築の太子堂(国宝)をはじめ、多くの文化財を有し、「西の法隆寺」とも称されている播磨地方有数の古寺である。

境内および塔頭の周囲三方が鶴林寺公園として整備されC11形蒸気機関車なども展示され休日には親子連れの遊び場になっている。

歴史[編集]

伝承では創建は崇峻天皇2年(589年)にさかのぼり、聖徳太子が当時播磨の地にいた高麗僧・恵便(えべん)のために建立した。養老2年(718年)身人部春則(むとべのはるのり/みとべのはるのり)なる人物が七堂伽藍を整備したというが、伝承の域を出ない。

ただし、推古天皇14年(606年)、聖徳太子が法華経を講義し、その功で天皇から播磨国の水田百町を得たことは史実とされ、聖徳太子と播磨には何らかの関連があったとみられている。創建時は四天王寺聖霊院という寺号であったものを、天永3年(1112年)に鳥羽天皇によって勅願所に定められたのを期に「鶴林寺」と改めたという。

鶴林寺には飛鳥時代後期(白鳳期)の銅造聖観音像があり、本堂本尊の薬師三尊像は平安時代前期・10世紀にさかのぼる古像である。

戦国時代には近隣の書写山が戦火に巻き込まれたが、播磨姫路領主だった黒田職隆黒田孝高親子の説得で信長派となり戦に巻き込まれず、当時の建築物が多数現存している。のちに福岡藩の大封を得た黒田家は鶴林寺にて大規模な法要を行い、礼として金銀を寄進した。寺には職隆、孝高と交わした書状が多数残っている。

現在も主要な堂塔だけで16棟の大伽藍を有するが、鎌倉・室町期には寺坊だけで30以上を有する規模であった。

文化財[編集]

本堂細部 扉は桟唐戸。組物は肘木を前方に2段持ち出した「二手先」とし、組物間に置く中備(なかぞなえ)は蟇股(かえるまた)と双斗(ふたつと)を組み合わせたものである。
太子堂

国宝[編集]

  • 本堂(附:宮殿棟札2枚)
室町時代。入母屋造、本瓦葺き。桁行(正面)7間、梁間(側面)6間(「間」は長さの単位ではなく柱間の数を意味する)。堂内の宮殿(くうでん、厨子)の棟札(むなふだ)銘から応永4年(1397年)の建築とわかる。和様に禅宗様を加味した折衷様建築の代表作で、桟唐戸(縦横に桟を組んだ扉)を多用する点が特色である。内部の宮殿には秘仏の薬師三尊像と二天像(各重要文化財)を安置する。[1]
  • 太子堂
平安時代。本堂の手前右方に建つ。堂内に壁画の聖徳太子像があることから太子堂と呼ばれているが、元来は「法華堂」と称された堂で、本堂手前左方に建つ常行堂と対をなしている(「法華堂」「常行堂」という同形の堂を並べて建てるのは天台宗特有の伽藍配置で、延暦寺、日光の輪王寺などに例がある)。屋根は宝形造(四角錐形の屋根)、檜皮葺き。桁行(正面)、梁間(側面)とも3間の主屋の前面に梁間1間の孫庇(礼堂)を付した形式になり、側面から見ると、主屋と孫庇の境で軒先の線が折れ曲がる「縋破風」(すがるはふ)の形になる。屋根板の鎌倉時代の墨書から天永3年(1112年)の建築と分かる。堂内には本尊釈迦三尊像(重文)を安置する。[2]
建築とともに、堂内の壁画も平安時代絵画の稀少な遺品として重要である。東側壁面に描かれた聖徳太子像は、中世から厨子で覆われ、秘仏扱いとされている(1977年に重要文化財に指定されたが、写真は公開されていない)[3]。来迎壁(本尊背後の壁)の表裏には九品来迎図と仏涅槃図が描かれているが、黒ずんでいて肉眼では図柄を確認できず、赤外線写真で全貌が確認された。

重要文化財[編集]

建造物
  • 常行堂 - 平安時代
  • 鐘楼 - 室町時代、応永14年(1407年)
  • 行者堂 - 室町時代、応永13年(1406年)
  • 護摩堂 - 室町時代、永禄6年(1563年)
絵画
阿弥陀三尊像(高麗)
  • 絹本著色聖徳太子像 - 鎌倉時代
  • 絹本著色慈恵大師像 - 鎌倉時代
  • 絹本著色阿弥陀三尊像 - 高麗時代
この高麗仏画は、2002年に宝物館から盗難に遭い、2004年に韓国大邱広域市内の寺院で発見されたが、盗品と知らずに寄進を受けたものであったため、返還は困難といわれている[4][5]朝鮮王室儀軌の引き渡しに関連して、2011年4月に日本外務省は韓国外交通商部に対し、1994年に長崎県の安国寺から盗まれた「高麗版大般若経 (安国寺)」と、2002年に鶴林寺から盗まれた「阿弥陀三尊像」について、韓国内流入の事実確認や詳しい経緯の再調査を要請した[6]
  • 絹本著色聖徳太子絵伝 8幅 - 鎌倉時代
2002年に韓国人犯行グループによって盗難に遭い、その翌年には取り戻されたが、損傷していたため、5年の歳月と5000万円を掛けて修復が行われた[7]
  • 太子堂壁画
    • 板絵著色聖徳太子像 - 平安時代
    • 附 板絵著色仏涅槃図 - 平安時代
    • 附 板絵著色九品来迎図 - 平安時代
彫刻
  • 銅造聖観音立像 - 飛鳥時代後期(白鳳期)
1963年に盗難に遭い、後に発見されたが、天衣(てんね)の一部が切断されるなどの損害があった。その後、原状どおりに修復されている。
  • 木造釈迦三尊像 - 鎌倉時代(中尊)・平安時代(脇侍)、太子堂本尊。
  • 木造十一面観音立像 - 平安時代
  • 木造天蓋 - 平安時代
  • 木造薬師如来及び両脇侍像・木造二天王像(持国天、多聞天) - 平安時代。本堂本尊
工芸
  • だ太鼓縁[8] - 室町時代
  • 木造鶴林寺扁額 - 室町時代
  • 銅鐘(梵鐘) - 高麗時代
  • 木造髹漆厨子(きゅうしつずし、「きゅう」は「かみがしら」の下に「休」) - 鎌倉時代

県指定文化財[編集]

建造物
  • 三重塔 - 室町時代。1976年に放火で内部を焼損したが、1980年に修理が完成している。
  • 仁王門 - 江戸時代、寛文12年(1672年)。
  • 石造宝篋印塔 - 南北朝時代。
彫刻
  • 木造阿弥陀如来坐像 - 平安時代。
  • 木造僧形坐像(伝恵便法師像) - 平安中期。
  • 二臂如意輪観音半跏思惟像 - 平安後期。
  • 行道面 12面 - 作風や法量の違いから12面は同時期に作られたものではなく、鎌倉時代から室町時代にかけて逐次制作されたと推測される。
  • 木造獅子頭 2面 - 鎌倉後期頃
工芸
  • 懸仏(聖観音・如意輪観音) 2面 - 南北朝時代、如意輪観音台座下に康暦元年(1379年)銘(附:懸仏(如意輪観音)鏡板 1面 観応3年(1352年)〉。
  • 机 - 天正4年(1576年)2月高砂城主・梶原景行が寄進。

その他の建築物・文化財など[編集]

  • 観音堂 - 江戸時代、宝永2年(1705年)
  • 新薬師堂
  • 講堂
  • 西門
  • 東門
  • 宝物館 - 2012年に太子堂創建900年を記念して新宝物館が開館した。
  • 石風呂
塔頭
  • 浄心院
  • 宝生院
  • 真光院

年中行事[編集]

  • 1月1日 - 初詣
  • 1月8日 - 修正会(鬼追い)
  • 2月15日 - 涅槃会
  • 3月21日 - 春彼岸法要(太子会式)
  • 3月22日 - 太子法要(太子会式)
  • 3月23日 - 柴灯大護摩供(太子会式)
  • 5月8日 - 花祭り(納骨・納髪・塔婆回向)
  • 7月下旬 - 早朝坐禅会
  • 8月7日 - 盆施餓鬼会
  • 9月 - 秋坐禅会
  • 十三夜 - 観月会
  • 12月31日 - 除夜の鐘

月例行事

  • 毎月8日 - 写経と法話の会
  • 毎月18日 - 観音講

所在地・見学情報[編集]

交通アクセス[編集]

  • JR加古川駅 から加古川市ゾーンバス・別府ルートで8分、「鶴林寺」下車、徒歩すぐ
  • JR加古川駅 から加古川市ゾーンバス・東加古川ルートおよび神姫バス・安田東行きで7分、「北在家東口」下車、徒歩5分
    • どちらも1時間あたり1 - 2本程度運行されている。
  • 山陽電鉄本線尾上の松駅下車、徒歩15分

かつては国鉄高砂線鶴林寺駅が至近距離に立地していたが、1984年に廃止された。

脚注[編集]

  1. ^ 『週刊朝日百科 日本の国宝』32号、朝日新聞社、1997
  2. ^ 『週刊朝日百科 日本の国宝』32号、朝日新聞社、1997
  3. ^ 毎日新聞社編『重要文化財』、同社編『国宝・重要文化財大全』にはこの聖徳太子像の写真が掲載されていない。『鶴林寺太子堂とその美』(鶴林寺叢書)には写真が掲載された。
  4. ^ 韓日が高麗仏画で所有争い 中央日報日本語版 2004年11月10日
  5. ^ 菅野朋子 【特別リポート】消えた「重要文化財を追え!」壱岐・安国寺の寺宝は「韓国の国宝」になっていた! 週刊新潮 2005年10月13日号
  6. ^ “盗難文化財の再調査を韓国に要請 外務省”. 朝日新聞. (2011年5月9日). オリジナル2011年5月11日時点によるアーカイブ。. http://web.archive.org/20110511233327/www.asahi.com/culture/update/0509/TKY201105090365.html 2011年7月15日閲覧。 
  7. ^ “聖徳太子、よみがえった! 盗難仏画の修復が完成”. 産経新聞. (2008年3月19日). オリジナル2008年3月26日時点によるアーカイブ。. http://megalodon.jp/2008-0326-1740-07/sankei.jp.msn.com/life/trend/080319/trd0803192357017-n1.htm 2015年8月16日閲覧。 
  8. ^ 「だ」の漢字は「口」を横に2つ並べ、その下に「田」「一」「黽」。

参考文献[編集]

  • 井上靖、佐和隆研監修、野口武彦、幹覚盛『古寺巡礼西国4 鶴林寺』、淡交社、1981年
  • 『週刊朝日百科 日本の国宝』32号(姫路城、鶴林寺、浄土寺、朝光寺)、朝日新聞社、1997年
  • 兵庫県立歴史博物館編集 『特別展 鶴林寺太子堂 ~聖徳太子と御法の花のみほとけ~』、「鶴林寺太子堂」実行委員会、2012年4月14日
  • 『日本歴史地名大系 兵庫県の地名』、平凡社
  • 『角川日本地名大辞典 兵庫県』、角川書店
  • 『国史大辞典』、吉川弘文館

関連項目[編集]

外部リンク[編集]