マルセル・デサイー

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マルセル・デサイー
2011年
名前
愛称 モンスター、ザ・ロック (The Rock[1], Le Roc)
ラテン文字 Marcel Desailly
基本情報
国籍 フランスの旗 フランス
ガーナの旗 ガーナ
生年月日 (1968-09-07) 1968年9月7日(55歳)
出身地 ガーナの旗 ガーナ アクラ
身長 185cm
体重 80kg
選手情報
ポジション DF (CB), MF (DH, CH)
利き足 右足
クラブ1
クラブ 出場 (得点)
1986-1992 フランスの旗 FCナント 164 (5)
1992-1993 フランスの旗 マルセイユ 47 (1)
1993-1998 イタリアの旗 ACミラン 137 (5)
1998-2004 イングランドの旗 チェルシーFC 158 (6)
2004-2005 カタールの旗 アル・ガラファ 28 (6)
2005-2006 カタールの旗 カタールSC 7 (0)
代表歴
1983-1984  フランス U-16 11 (0)
1984-1985  フランス U-17 8 (0)
1985-1986  フランス U-18 2 (0)
1989-1990  フランス U-21 9 (0)
1993-2004 フランスの旗 フランス[2] 116 (3)
獲得メダル
男子 サッカー
 フランス
FIFAワールドカップ
1998 フランス
FIFAコンフェデレーションズカップ
2001 日本・韓国
2003 フランス
UEFA EURO
2000 ベルギー・オランダ
1. 国内リーグ戦に限る。
■テンプレート■ノート ■解説■サッカー選手pj

マルセル・デサイー(Marcel Desailly, 1968年9月7日 - )は、ガーナアクラ出身の元フランス代表サッカー選手。ポジションはDF(センターバック)、MF(ボランチ)。 日本語表記としては「デサイー」「ドゥサイー」「ドゥサイイー」などもメディアで使用される。

略歴[編集]

アクラにて、ガーナ人の両親のあいだにオデンケ・アベイ (Odenke Abbey) という名前で生まれる。 彼の母親がフランスの外交官と結婚して子供たちを養子とした際にマルセルと改められた[3]。一家は1972年にフランスのナントへ移る。彼は12歳からFCナントのユースチームで育ち[4]、1986年にプロ選手となった。1992年にマルセイユに移籍。バジール・ボリと鉄壁のディフェンコンビを組み[5]、1992-93シーズンにUEFAチャンピオンズリーグ優勝と国内リーグ優勝を果たすが、国内リーグ戦での八百長が発覚したためリーグ優勝は剥奪された。

チャンピオンズリーグ決勝で対戦したACミランがそのプレーに注目し[5]、1993年11月に冬の移籍市場でフランク・ライカールトの後継者的選手を探していた[5]、ミランへ移籍した[6]。すぐにレギュラーのポジションを確保し、1993-1994年のチャンピオンズリーグでは準決勝、ASモナコとの対戦で決勝ゴールを挙げ[7]、決勝のFCバルセロナ戦ではミランの4点目を決め、優勝に貢献、異なるクラブで2年連続優勝を経験した最初の選手になった[8]。1993-94と1995-96シーズンの2度リーグ優勝を果たした。ミラン加入以前はDFとしてプレーしていたため[9]、 彼自身はセントラルディフェンダーとしてのプレーを好んだが、ミランでは専らミッドフィールダーで起用された[5][8]

1998年、イングランドのチェルシーへ移籍金460万ポンドで移籍し[10]、2001年からはキャプテンを務めていた[11]。2002-03シーズン度重なる負傷により僅か16試合の出場に留まり、キャプテンはジョン・テリーが務めることとなった[11]。チェルシーにおいて彼はフランク・ルブーフと堅固なパートナーシップを築き、チェルシーでの222試合のうち94試合をキャプテンとしてプレーした[11]。2004年ジョゼ・モウリーニョが新監督に就任することになり、チームを離れた[11]

2004年にカタールのアル・ガラファに移籍。クラブキャプテンを任され、2004-05シーズンのカタールリーグに優勝した。翌シーズンはカタールSCに移籍したが、2005年11月に退団した。その後はどこのクラブにも所属せず、2006年5月7日に現役引退を表明した[12]

代表[編集]

フランス代表には、1993年8月22日のスウェーデン戦でデビュー。以降も守備の要として1998年のフランスW杯、2000年のEURO2000でそれぞれフランスの優勝に貢献。EURO2000後は殆どの試合でキャプテンを務めた。

1998年のフランスワールドカップでは7試合全てに出場して優勝を果たしたが、決勝のブラジル戦で後半2枚目のイエローカードを受けて退場処分となったが[13]、チームは勝利した。日韓W杯EURO2004ではそれぞれ出場を果たすが敗退、EURO2004後に代表からの引退を表明した。通算116キャップは2006年にリリアン・テュラムに破られるまでフランス代表の最多記録だった[14][15]

引退後[編集]

2007年3月、古巣のACミランのフロントに就任。主としてアフリカの新人発掘スカウトの業務を担っている。

2007年にガーナ人として初めてとなるUNICEF親善大使に任命され、主に子供たちへの教育や福祉の問題に取り組んでいる[16]

エピソード[編集]

  • 対戦して一番面白い選手はロマーリオとのこと。
  • 「引退後は自らのルーツであるガーナ代表監督を務めたい」と発言している[17]
  • 一時期、インサイドキックが世界一速いといわれていた。また、インサイドキックでサイドチェンジが出来るとも言われていた。

個人成績[編集]

代表での成績[編集]

出典[2]


フランス代表国際Aマッチ
出場得点
1993 4 0
1994 7 0
1995 7 1
1996 12 0
1997 7 0
1998 13 1
1999 11 0
2000 16 0
2001 12 1
2002 13 0
2003 9 0
2004 5 0
合計 116 3

獲得タイトル[編集]

マルセイユ

ミラン

チェルシー

アル・ガラファ

代表

脚注[編集]

  1. ^ Desailly ends his Chelsea contract” (英語). CNN.com (2004年7月6日). 2009年2月6日閲覧。
  2. ^ a b “Marcel Desailly - Century of International Appearances” (英語). The Rec.Sport.Soccer Statistics Foundation. http://www.rsssf.com/miscellaneous/desailly-intl.html 
  3. ^ Desailly's appointment to open doors into Star's future - Arday” (英語). Ghana HomePage (2004年9月16日). 2009年2月6日閲覧。
  4. ^ France's Desailly retires from national team” (英語). SI.com (2004年7月4日). 2009年2月6日閲覧。
  5. ^ a b c d エプソンカップ 1994 ヴェルディ川崎 vs ACミラン 大会公式パンフ p. 25
  6. ^ Marcel Desailly” (ドイツ語). SPOX.com. 2009年2月6日閲覧。
  7. ^ Milan - Monaco 1993/94UEFA Champions Legaue”. UEFAコム. 2022年2月5日閲覧。
  8. ^ a b Marcel Desailly” (英語). BBC SPORT. 2009年2月6日閲覧。
  9. ^ The five players Fabio Capello made superstars-BBC,
  10. ^ Chelsea squad guide” (英語). BBC NEWS (2000年5月13日). 2009年2月6日閲覧。
  11. ^ a b c d Marcel Desailly Biography”. SPORTSMOB. 2023年7月22日閲覧。
  12. ^ Desailly confirms his retirement” (英語). BBC (2006年5月7日). 2009年2月6日閲覧。
  13. ^ France 1998 World Cup squad - Who were Les Bleus heroes and where are they now?”. GOAL. 2023年6月30日閲覧。
  14. ^ Togo 0-2 France” (英語). BBC SPORT (2006年6月23日). 2009年2月6日閲覧。
  15. ^ France - Record International Players” (英語). RSSSF (2009年1月29日). 2009年2月6日閲覧。
  16. ^ Marcel Desailly Is UNICEF First Goodwill Ambassador For Ghana” (英語). Government of Ghana Official Website (2007年8月21日). 2009年2月6日閲覧。
  17. ^ INTERVIEW-Soccer-Desailly confirms intention to coach Ghana” (英語). REUTERS (2007年12月2日). 2009年2月6日閲覧。

関連項目[編集]

外部リンク[編集]