バジール・ボリ

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
バジール・ボリ
名前
ラテン文字 Basile Boli
基本情報
国籍 フランスの旗 フランス
生年月日 (1967-01-02) 1967年1月2日(57歳)
出身地 コートジボワールの旗 コートジボワールアビジャン
身長 180cm
体重 83kg
選手情報
ポジション DF
利き足
クラブ1
クラブ 出場 (得点)
1983-1990 フランスの旗 オセール 252 (4)
1990-1994 フランスの旗 マルセイユ 163 (27)
1994-1995 スコットランドの旗 レンジャーズ 28 (2)
1995-1996 モナコの旗 モナコ 11 (0)
1996-1997 日本の旗 浦和レッズ 31 (2)
代表歴
1984-1986  フランス U-21 3 (0)
1986-1993 フランスの旗 フランス 45 (1)
1. 国内リーグ戦に限る。
■テンプレート■ノート ■解説■サッカー選手pj

バジール・ボリBasile Boli, 1967年1月2日 - )は、コートジボワールアビジャン出身でフランス国籍の元同国代表サッカー選手。ポジションはディフェンダー。現在はスポーツキャスター。1984年にはフランス最優秀若手選手賞を受賞した[1]。弟のロジェール・ボリ英語版は、リーグ・アン得点王を獲得したことのあるサッカー選手であった。

経歴[編集]

「ゴール前の殺し屋」の異名を取り、ハードタックルを武器としたフランス代表経験を持つストッパー。ワールドカップ予選では、1990年大会、1994年大会とも予選で敗退したため、ワールドカップ出場は無かった。1992年のUEFA EURO '92では、グループリーグの3試合に出場したが、決勝トーナメントには進出出来なかった[2]

マルセイユでは4シーズンプレー[3]、1990-91、1991-92シーズンにはリーグ・アンを制し、1992-93シーズンには、移籍してきたマルセル・デサイーと強固なセンターバックコンビを組んで[4]チャンピオンズカップ決勝ではACミランを相手にヘディングによるゴールを上げ、これが決勝点となりマルセイユは欧州の頂点に立った[5]。またこの試合で、負傷から復帰したばかりのマルコ・ファンバステンに後方からスライディングタックルを見舞い、ファンバステンは再度負傷し、途中交代を強いられ、この試合を最後に引退に至った[6]。チームが八百長で2部降格となるため、1994-95シーズン、グラスゴー・レンジャーズに移籍、このシーズン中に大阪のJリーグのチーム(ガンバ大阪セレッソ大阪かは不明)からオファーを受けていたが、この時はオファーを断った[7]。1995年、ジャン・ティガナが監督に就任したASモナコが守備の要にとの期待をかけて獲得したが、クラブの会長との関係が契約の問題でぎくしゃくするなど、出場機会も多くなかった[7]

モナコをシーズン途中で退団し、1996年浦和レッドダイヤモンズ入りすると、ギド・ブッフバルト田口禎則と共に強力なバックラインを形成[2]、ブッフバルトが攻撃に出たときはDFラインに残り、自身が攻撃に出たときはブッフバルトがDFラインに残るなど、積極的に攻撃にも参加した[7]。1996年4月27日の横浜フリューゲルス戦でJリーグ初ゴールを決めた[8]。このシーズンは浦和のリーグ最少失点に貢献、週刊サッカーダイジェストの同年度における平均採点では第3位にランクインしていた[9]1997年は膝の故障で試合出場もままならず、この年限りで引退した。

その他[編集]

  • ユルゲン・クリンスマンに大怪我をさせたことがあり、浦和レッズにはクリンスマンの親友であるギド・ブッフバルトが在籍していたため、関係が上手くいかないのではないかとの憶測があったが、ブッフバルトからは生活上のアドバイスを受けたり、一緒に食事に行くなど、プレー以外でも良好な関係を築いていた[7]
  • レッズからのオファーを受けると、マルセイユ時代からの友人であるドラガン・ストイコビッチに相談し、「日本でプレーするのは悪くない。」とストイコビッチに言われて移籍を決めたという[7]

個人成績[編集]

国内大会個人成績
年度クラブ背番号リーグ リーグ戦 リーグ杯オープン杯 期間通算
出場得点 出場得点出場得点 出場得点
フランス リーグ戦 F・リーグ杯フランス杯 期間通算
1982-83 オセール アン 1 0
1983-84 35 0
1984-85 36 1
1985-86 36 2
1986-87 38 0
1987-88 35 0
1988-89 37 1
1989-90 36 0
1990-91 マルセイユ 38 8
1991-92 34 5
1992-93 32 4
1993-94 27 3
スコットランド リーグ戦 S・リーグ杯スコティッシュ杯 期間通算
1994-95 レンジャーズ プレミア 28 2
フランス リーグ戦 F・リーグ杯フランス杯 期間通算
1995-96 モナコ アン 11 0
日本 リーグ戦 リーグ杯天皇杯 期間通算
1996 浦和 - J 22 2 10 3 0 0 32 5
1997 4 9 0 3 0 - 12 0
通算 フランス 396 24
スコットランド 28 2
日本 J 31 2 13 3 0 0 44 5
総通算 455 28

代表歴[編集]

試合数[編集]


フランス代表国際Aマッチ
出場得点
1986 4 0
1987 5 0
1988 7 0
1989 1 0
1990 8 1
1991 6 0
1992 11 0
1993 3 0
通算 45 1

タイトル[編集]

選手時代[編集]

オリンピック・マルセイユ
レンジャーズFC
  • スコティッシュ・フットボールリーグ・プレミア・ディビジョン:1回(1994-95)
個人
  • リーグ・アン年間最優秀新人(1984)
  • エトワール・ドール:1回(1989)
  • オリンピック・マルセイユ110年のドリームチーム(2010)

栄誉[編集]

脚注[編集]

  1. ^ France - Footballer of the Year”. RSSSF. 2020年4月16日閲覧。
  2. ^ a b “ラウドルップ、ストイコヴィッチ、リュングベリ…ユーロでプレーした歴代外国人Jリーガーを振り返る ボリ2”. excite.co.jp. https://www.excite.co.jp/news/article/Soccerking_460658/?p=2 2020年4月16日閲覧。 
  3. ^ “Basile Boli”. national-football-teams.com. https://www.national-football-teams.com/player/14200/Basile_Boli.html 2020年4月16日閲覧。 
  4. ^ エプソンカップ 1994 ヴェルディ川崎 vs ACミラン 大会公式パンフ p. 25
  5. ^ “ラウドルップ、ストイコヴィッチ、リュングベリ…ユーロでプレーした歴代外国人Jリーガーを振り返る ボリ1”. excite.co.jp. https://www.excite.co.jp/news/article/Soccerking_460658/?p=9 2020年4月16日閲覧。 
  6. ^ Marco van Basten reveals Rangers stars' role in recovery from injury trauma that caused doctor 'half a heart attack'”. www.dailyrecord.co.uk (2020年2月28日). 2020年8月20日閲覧。
  7. ^ a b c d e 週刊サッカーダイジェスト 1996/7/17 67-69ページ
  8. ^ ボリ”. data.j-league. 2020年4月16日閲覧。
  9. ^ 週刊サッカーダイジェスト 1996/11/27日号 p.29

関連項目[編集]

外部リンク[編集]