交響曲第1番 (ハイドン)

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交響曲第1番ニ長調 Hob.I:1は、フランツ・ヨーゼフ・ハイドンが作曲した交響曲。伝承によればハイドンが最初に作曲した交響曲であり、1757年ごろの作品と推定されている。初期のハイドンに多い3楽章形式を持つ。

概要[編集]

19世紀はじめのハイドン伝の作者であるグリージンガーは、ハイドン本人の記憶にもとづいて、本曲をボヘミアのモルツィン伯爵に仕えていた時期のハイドンが最初に作曲した交響曲とした[1]。ハイドンがモルツィン伯爵に仕えたのは1959年とされていたが[2]、その後チェコチェスキー・クルムロフ交響曲第37番の1758年の筆写譜が発見されたためにこの説に疑問が持たれるようになった[1]。最近ではモルツィン伯爵に仕えるようになった年を引き上げ、交響曲第1番や交響曲第37番の作曲年を1757年ごろとする説が有力になっている[3]

自筆楽譜は残っていないが、フュルンベルク・コレクションに信頼性の高い筆写譜が残っており、このコレクションの同じグループに属する他の交響曲(2番4番5番10番11番18番27番32番33番37番交響曲「A」(107番))はすべてモルツィン伯爵に仕えていた時代(1757年-1760年ごろ)の作品とされる[3]

後の時代のハイドンの交響曲はほとんどが4楽章であるが、初期の交響曲では急-緩-急(または急-緩-メヌエット)の3楽章形式が多く、とくにモルツィン家時代にはその方が普通だった(1番、2番4番9番10番12番16番17番19番27番交響曲「A」(107番)。初期以外では26番30番のみ。なお、この形式以外の3楽章の交響曲には18番25番がある)。これらの交響曲の多くは第2楽章がアンダンテで弦楽器のみで演奏され、第3楽章は通常38拍子になる。

編成[編集]

ランドンは1960年代の交響曲全集において、1-49番の交響曲の「低音」にはチェロとコントラバス以外にファゴットを加え、また40番までの交響曲とそれ以降のいくつかの初期の交響曲はチェンバロによる通奏低音が必要と考えた[4]。しかし現代のハイドン学者は、ハイドンの交響曲にはチェンバロによる通奏低音は存在しなかったと考えている[5]。上記の低音の構成はランドンに従ったもので、エステルハージ家時代の音楽では適当と思われるが、モルツィン家の楽団構成は不明である。

曲の構成[編集]

第1楽章 Presto[編集]

4分の4拍子、ソナタ形式。第1主題は音高を上げながらクレッシェンドを伴い、フォルテに至った後にホルンファンファーレを鳴らす印象的なものである。このクレッシェンドについてランドンは「マンハイム・クレッシェンド」としたが、ジェームズ・ウェブスターによると長い時間をかけて大きくなるマンハイム・クレッシェンドとは異なっている[3]。ホルンのファンファーレはその後も要所要所に出現する。イ長調に転調した後、8分音符による第2主題が出る。その後いったんイ短調に転じた後、長調に戻って盛り上がる。

展開部は第2主題にもとづくが、ごく短く、派手なホルンのファンファーレにつづいて再現部にはいる。全体に提示部より縮められているが、主要なモチーフは再現されている。

第2楽章 Andante[編集]

ト長調、4分の2拍子、ソナタ形式。当時のハイドンの他の交響曲と同様、緩徐楽章では編成が弦楽器のみになる。

主題は3連符ではじまり、第1ヴァイオリンと第2ヴァイオリンによる掛け合いが特徴的である。展開部と再現部がはっきり分かれていないが、再現部では提示部の冒頭から数えて10小節め以降が再現される。

第3楽章 Finale: Presto[編集]

8分の3拍子、ソナタ形式。上昇分散和音で始まる溌剌とした主題を持ち、単一主題的な単純な曲である。

脚注[編集]

  1. ^ a b 大宮(1981) p.49
  2. ^ 大宮(1981) p.47
  3. ^ a b c デッカ・レコードのホグウッドによるハイドン交響曲全集第1巻、ウェブスターによる解説。1993年
  4. ^ 音楽之友社ミニスコア、ランドンによる「全体への序」
  5. ^ 大崎(1993) pp.29-30

参考文献[編集]

  • 大崎滋生『音楽演奏の社会史』東京書籍、1993年。ISBN 4487791049
  • 大宮真琴『新版 ハイドン』音楽之友社〈大作曲家 人と作品〉、1981年。ISBN 4276220025
  • 『ハイドン 交響曲集I(1-12番, "A", "B") OGT 1589』音楽之友社、1981年。(ミニスコア、ランドンによる序文の原文は1965年のもの)

外部リンク[編集]