キルギス

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キルギス共和国
Кыргыз Республикасы (キルギス語)
Киргизская Республика (ロシア語)
キルギスの国旗 キルギスの国章
国旗 国章
国の標語:なし
国歌キルギス共和国国歌
キルギスの位置
公用語 キルギス語ロシア語
首都 ビシュケク
最大の都市 ビシュケク
政府
大統領 アルマズベク・アタンバエフ
首相 オムルベク・ババノフ
面積
総計 198,500km284位
水面積率 3.6%
人口
総計(2008年 5,482,000人(111位
人口密度 26人/km2
GDP(自国通貨表示)
合計(2008年 1,850億[1]ソム
GDP(MER
合計(2008年50億[1]ドル(146位
1人あたり xxxドル
GDP(PPP
合計(2008年115億[1]ドル(139位
1人あたり 2,180[1]ドル
独立
 - 日付
ソビエト連邦より
1991年8月31日
通貨 ソムKGS
時間帯 UTC(+5) (DST:(+6))
ISO 3166-1 KG / KGZ
ccTLD .kg
国際電話番号 996

キルギス共和国(キルギスきょうわこく)、通称キルギスは、中央アジアにある旧ソビエト連邦共和国。首都はビシュケク(旧名フルンゼ)。かつてはキルギスタン(黠戞斯坦)という通称が用いられたこともある。

北から時計回りにカザフスタン中華人民共和国タジキスタンウズベキスタンと国境を接する。ソビエト連邦から独立したウズベキスタン、カザフスタン、トルクメニスタン、タジキスタンとともに中央アジアを形成し、独立国家共同体 (CIS) の加盟国となっている。

国名

正式名称はキルギス語では Кыргыз Республикасы(Kyrgyz Respublikasy; クルグズ・レスプブリカス)、ロシア語では Киргизская Республика(Kyrgyzskaia Respublika; キルギースカヤ・リスプーブリカ)。通称は Кыргызстан(Kyrgyzstan; クルグズスタン)。

1991年の独立時にキルギス語の国名を Кыргызстан РеспубликасыKyrgyzstan Respublikasy; クルグズスタン・レスプブリカス)としたが、1993年に憲法を改正して正式国名を現行の Кыргыз Республикасы に改めた。ただし、国名変更以降も Кыргызстан の呼称が公式の通称として認められている。

公式の英語表記は Kyrgyz Republic。通称 Kyrgyzstan。

日本語の表記はキルギス共和国。通称キルギス。漢字による当て字は黠戞斯

クルグズ(キルギス)の語源は「кырк(クィールク)」が40の意味で、40の民族を指し、また中国人にかつて「гунны(グンヌィ、匈奴)」と呼ばれていた背景から、それらを合わせてクルグズとなったと言われている。 ちなみに、テュルク系言語で40を意味する「クゥルク」に、娘や女の子を意味する「クゥズ」をあわせた「クゥルク・クゥズ」は、“40人の娘”という意味になり、中央アジアに広く伝えられるアマゾネス伝承との関連をうかがわせる。したがって、「40の民族」というよりも、「40の部族」ないし「40の氏族」という意味のほうが適切である。

日本語名のキルギスは、ロシア語表記の「Киргиз」に由来する。

独立時に、キルギスのロシア語表記・英語表記は、キルギス語の自称に基づいた Кыргыз・Kyrgyz に改められたが、日本語ではそのままキルギスと呼びつづけ、正式国名の日本語名はもっぱらキルギスタン共和国と表記された。その後のキルギス共和国への国名変更によって、現在ではキルギスが通称として通用されている。タジキスタンやカザフスタンなどにみられる「~スタン」とは、モンゴル語の氏族等を意味するヤスタンに由来する[要出典]

本項では「キルギス」の国名を使用するが、中央アジアの研究者には正確な発音に近い「クルグズ」と呼ぶべき、との声もある。

歴史

政治

議会(ジョゴルク・ケネシと呼ばれる)は120議席の一院制。2005年に新憲法が発布される以前、1994年10月から2005年1月までは二院制であり、上院に相当する立法議会(定数60議席)と下院に相当する国民代表議会(45議席)に分かれていた。共和制であり、国民による直接選挙で大統領と議員を選ぶ。大統領の任期は6年で、再選は禁じられている。大統領は議会の承認に基づき首相を任命する。大統領は議会の承認があれば閣僚を任免できる。大統領が不在の場合は議会の議長が代行する。政党の活動は自由であり、キルギスタン民主運動、キルギスタン共産主義者党、農民党など約40の政党が存在する。

2005年2月および3月の総選挙の腐敗が欧州安全保障会議により指摘されたことを直接のきっかけとして、2005年3月24日にアカエフの辞任を求める大規模な抗議行動が行われた。政権は崩壊し、大統領が逃亡した後、議会の議長が代行を務める暫定政権が樹立された(チューリップ革命)。

2005年7月10日に行われた大統領選挙で、「国民のために働く質の高い政府を作る」と訴えたクルマンベク・バキエフが大統領に当選した。民主化を目指す人物が大統領に就任したことで、中央アジアの他の長期独裁政権にも影響を与える可能性もあるといわれたが、「民主化の希望の星」だったバキエフも、プーチン流独裁に陥ったとされた。政敵やジャーナリスト襲撃が相次ぎ、暗殺事件は次々と迷宮入りになっている。景気が停滞していたことや、政府によりメディア報道が閉鎖されるなどが起こり[2]、バキエフ大統領に対して不満が高まっていた。

2010年4月7日、首都ビシュケクを中心に野党勢力による数千人規模の反大統領デモが勃発。政府軍側の発砲により大規模な武力衝突となり、死者は少なくとも75人、負傷者は1000人以上に達した。野党勢力は内務省や国家治安局、国営テレビ局などを占拠した。翌日8日、バキエフは南部オシュへ逃亡、北部を中心に実権を掌握した野党勢力は元外相のローザ・オトゥンバエヴァを首班に臨時政府樹立を宣言した。バキエフ政権が事実上崩壊したことで臨時政府による新政権作りが進むとみられたものの、バキエフの辞任が確定していない上、野党も一枚岩ではないことから、政権樹立の行方は混沌としている。

2010年6月11日、南部オシュで起こった若者グループ間の対立をきっかけとして、キルギス人ウズベク人の民族抗争が激化して略奪や放火、殺人が相次ぎ、事態収集不可能な状態に陥る[3]。暫定政府は騒乱の沈静化を図るため、オシュやジャラルアバドなど南部に非常事態宣言を発令し、治安部隊を投入した。12日には、ロシアに平和維持部隊の派遣を要請したが、ロシアは介入する状況ではないとして人道支援のみ表明[3]、13日にはキルギス国内にあるカント空軍基地に輸送機3機を派遣し、空挺部隊を強化した。基地に勤務する兵士の家族の保護が目的で南部の治安維持には投入しないとしている[4]。一方、民族抗争の死者は13日の時点で100人以上に達し、ロシア通信の報道によると国内少数民族のウズベク人75000人が隣国ウズベキスタンに避難してきていると報じた。ウズベクの人権団体は数千人との見方を示していたが[5]、独立系通信社の報道によると少なくともウズベク人500人が殺害され、赤十字国際委員会(ICRC)によれば、この騒乱で推定8万人のウズベク人がキルギス国境を越えてウズベキスタンに避難してきており、国境近くの避難民キャンプには子供を連れた女性を中心に3万人が身を寄せ、ICRCによれば避難民さらに流入してきている状況だとしている[6]。14日のキルギス保健省の公式発表では死者は124人、負傷者は1700人としている。ジャラルアバドのウズベク人団体は、ウズベク人700人が殺害されたと主張している。

この事態を受けて14日、モスクワで開かれている集団安全保障条約機構(CSTO)の会議では、キルギスへの平和維持部隊の派遣が検討された。ニコライ・パトルシェフ露安全保障会議書記は「情勢次第で何らかの措置を取ることを排除しない」と派兵の可能性を示唆していた[7]。しかし、CSTOは17日、キルギスの混乱を憂慮するとしつつも「国内問題」として軍派遣の見送りを決めた。インテルファクス通信によると、ニコライ・ボルジュジャCSTO事務局長は、軍派遣の代わりに暴動の予防措置などについての専門家派遣や軍用ヘリコプターの提供を検討しているという。ロシアが軍の派遣を断念した理由については、ロシア軍に死者が出ることを恐れたことや、キルギス南部で衝突を起こしたキルギス人とウズベク人の居住区域が曖昧で、治安回復後でも平和維持が難しいと判断したとみられる[8]

一方、国連と欧州安全保障協力機構も現地に特別代表を送ることを決定。キルギスに到着したミロスラヴ・エンチャ国連特使は、ウズベキスタン当局からウズベクに集まった難民の数が7万5000人との報告を受けたことを明らかにし、「この数は増加しており、すぐに10万人に達する可能性がある」と説明。キルギス側国境の治安が悪いため、難民の数を把握するのは困難な状況だと述べた[9]。また、ウズベキスタン非常事態省は15日、ウズベク国内に流入した難民の数が、8万3000人に達したことを明らかにした[10]。国境のキルギス側にはまだ3000人以上のウズベク難民が取り残されているものの、ウズベキスタンのアリポフ副首相は「さらに難民を収容する余地は無い」として国境を閉鎖すると発表し、国際機関の支援を求めた。キルギスのオトゥンバエヴァ暫定大統領は15日、衝突が減少傾向にあるとする一方、死傷者が公表されている数の数倍に上る可能性があると語った。また、警察機能が十分では無いとして、ロシアの平和維持要員の派遣を改めて求めた。南部では商店や公共施設、病院も放火、略奪されており、食糧や水、医薬品の不足が伝えられる。ICRCは「8万人が自宅を追われた」とし、880万ドル(8億円)の財政支援を訴えている[11]

16日、キルギス暫定政府は、南部で起きた民族対立について「バキエフ前大統領派が計画的に実施した破壊工作」と断定した。暫定政府の声明によれば、バキエフ前大統領の一族が武装工作員を雇い、自国民を殺害してキルギス人とウズベク人住民の民族対立を装ったと指摘した。また、暫定政府のベクナザロフ司法・検察担当副代表は17日、南部で民族対立を計画し、実行した複数以上の当事者を逮捕したと発表した。この中には外国籍の狙撃手も含まれているという。また、首都ビシケクの市警察は16日、市内で騒乱を企てた疑いがあるとして、100人以上の関係者を拘束したことを明かした。暫定政府は一連の騒乱について、バキエフ前大統領の次男マクシムが1000万ドル(9億1300万円)相当の資金をつぎ込んで、衝突に関与したとみている。マクシムが叔父であるジャヌィベク・バキエフ前国家警護庁長官との電話で、破壊工作について相談していたと思われる音声記録も明らかにされ、2人の関与が疑われている。マクシムは4月の政変後に国外逃亡していたが、横領容疑で国際刑事警察機構から指名手配され、イギリス当局が14日に逮捕した。キルギス最高検察庁はマクシムの身柄の引き渡しを求めている。キルギス保健省の発表によると、衝突発生以来の死者数が191人、負傷者1971人となった[12]。一方で、今回の衝突にキルギス軍の一部が関与しているとの証言もある。

国連難民高等弁務官事務所によると、キルギスの民族衝突で国内外へ移動を余儀なくされた住民が18日までに約40万人に達したとして、7115万ドル(65億円)の緊急支援を呼びかけた。キルギス南部からウズベキスタンへ避難した住民は約10万人に上るが、ウズベク政府は女性や子供、高齢者しか受け入れておらず、家族と離れ離れの生活が強いられているとされる。キルギス国内の避難民は30万人となった[13]

オトゥンバエヴァ暫定政府大統領は19日、露紙コメルサントとの会見において、騒乱の死者がキルギス保健省が発表した191人から、10倍の2000人に達するとの見方を示し、深刻な虐殺が起きたとの見解を述べた[14]

欧州安全保障機構は7月16日、キルギスに警察員を52人派遣すると発表した。派遣規模は、102人まで拡大する用意があるという[15]

国際関係

アメリカ合衆国ロシアの基地がある。それぞれ支援を受けている。

地理

キルギスの衛星写真
キルギスの地図

国土全体の40%が標高3000mを超える山国。国土は東西に長く、中国との国境には天山山脈が延びる。南に位置するタジキスタンに向かってパミール高原が広がる。

国土の中央など東西に山脈が走り、国土を数多くの峡谷に分断している。最高峰は、中国国境にそびえるポベティ山(Pobeda または Jengish もしくは 勝利峰、7439m)、ついでハン・テングリKhan-Tängri または Kan-Too、6995m)である。4000m級の峰は珍しくない。

主な河川は、シルダリア川支流のナルイン川。主な湖は国内北東部に位置するイシク湖 (Isik-Köl)。東西180km、南北60km、周囲長700kmに及ぶ。湖面の標高は1600m。イシク湖とナルイン川は水系が異なる。

隣国のカザフスタンや中国とは異なり、国内に砂漠は存在せず、この地方の中では気候に恵まれている。人の居住に適した東西に伸びる渓谷部分はケッペンの気候区分では、夏季に雨が少ない温帯の地中海性気候 (Cs) に相当する。これは、イタリアローマアメリカ合衆国サンフランシスコと同じ気候区である。山地は亜寒帯湿潤気候 (Df) 、特に高地は高山気候 (H) となる。天山山脈をはさんで南方の中華人民共和国と、テスケイ・アラ・トー山脈をはさんで北方のカザフスタンには、ステップ気候 (BS) と砂漠気候 (BW) が広がる。

実際に降水量を比較すると、天山山脈の100km南方に位置する中国新疆ウイグル自治区喀什(カシ(カシュガル))の年降水量は60mmだが、ビシュケク(北緯43度、標高800m)の降水量は450mmに達する。これはローマやサンフランシスコと同水準である。ビシュケクの平均気温は、1月に-3度、7月に25度である。

ビシュケクと第2の都市オシュ、中央部のナルインにはソ連共和国時代に大規模な灌漑施設が敷設されているため、綿花を中心とした耕作に向く。これらの灌漑地はシルダリア川、ナルイン川の支流から水を得ている。

地方行政区分

キルギスの地図

キルギスは7つの州 (oblast) と1つの特別市 (shaar) から成り立つ。州はさらに地方 (raion) に分かれる。地方長官は中央政府が任命する。aiyl okmotu と呼ばれる自治体は、最大で20程度の集落から構成されており、選挙で選ばれた村長のほか議会が設置されている。

  1. ビシュケク特別市
  2. バトケン州
  3. チュイ州
  4. ジャララバード州
  5. ナルイン州
  6. オシ州
  7. タラス州
  8. イシク・クル州

経済

農業および牧畜、鉱業が主である。農業は主として輸出品目にもなっている綿花タバコの栽培が活発に行われている。鉱業は水銀アンチモンなど。1997年に採掘がはじまったクムトール鉱山は、世界屈指の金鉱山である。また水銀(ハイダルカン鉱山)は2002年のデータで世界第3位の産出量を誇っている。

ソ連から独立後は、観光産業に早くから注力を行う。旧ソ連邦でも先駆けてヨーロッパや日本からの観光目的の入国に際し、査証不要を打ち出した。

キルギスは石油製品、天然ガスを輸入し、水力発電による電力、葉タバコ、綿を輸出している。ただし、金の輸出が急速に伸びている。2000年における輸入相手国は、ロシア、ウズベキスタン、カザフスタン、アメリカ合衆国、中華人民共和国の順。輸出相手国は、ドイツ、ウズベキスタン、ロシア、中華人民共和国、スイス。日本への輸出は水銀と希土類元素放射性元素が50%を占める。日本からの輸出は機械、軽工業品の2品目で90%以上を占める。

キルギスに対する2000年における主要援助国(団体)は、日本、アジア開発銀行世界銀行、アメリカ合衆国、国際通貨基金の順である。日本の援助額は5500万米ドル。

交通

国内はバス航空網が敷かれており、外国との間にはフラッグキャリアキルギスタン航空が、ビシュケクのマナス国際空港からアジアとヨーロッパ各国に就航しているほか、同空港には各国の航空会社が乗り入れている。

国民

民族構成(キルギス)
キルギス人
  
70.9%
ウズベク人
  
14.3%
ロシア人
  
7.8%
その他
  
7%

2009年の調査によると、キルギス人が70.9%、ウズベク人が14.3%、ロシア人が7.8%、その他が7%であり、その他にはドンガン人ウイグル人タジク人トルコ人カザフ人タタール人ウクライナ人高麗人アゼルバイジャン人などが含まれる多民族国家である。

地域による民族分布差も大きく、首都ビシュケクと周辺のチュイ州イシク・クル州のカラコルを中心とした東部にはロシア人、ウクライナ人などスラブ系住民が多く、オシ州やジャララバード州、バトケン州などの西部、南部にはウズベク人やタジク人が、中国国境付近にはドンガン人やウイグル人が住む。一方、ナルイン州の住民はほとんどがキルギス人である。

独立前の1989年にはロシア人は全人口の21.5%を占めていたが、国外流出が続き、現在は7.8%にまでに減少した。

言語

母語話者(キルギス)
キルギス語
  
65.2%
ウズベク語
  
14.7%
ロシア語
  
14.0%
その他
  
6.1%

キルギス語が国家語、ロシア語が公用語とされている (憲法第10条第1項、第2項[16])。

1999年の国勢調査によると、キルギス語が65.2%、ウズベク語が14.7%、ロシア語が14.0%となっている。ウズベク語はオシ州ジャララバード州を中心にウズベク系住民の間で使われている。

ロシア語は独立以降公用語から除外されたウズベキスタンなどと違い、引き続き公用語に制定されている。これは、国の中枢を占めていたロシア人などのロシア語系住民の国外流出(頭脳流出)を防ぐためであり、現在でも山岳部を除く全土で通用し、教育、ビジネスや政府機関で幅広く使用される。特に首都ビシュケクとその周辺では多くの住民はロシア語を使って生活しており、キルギス語があまり上手に話せないキルギス人も少なくない。

その他、ドンガン語なども使われている。

宗教

宗教は、イスラム教が75%、正教が20%、その他が5%である。

文化

敦煌で南北に分かれた「シルクロード」は喀什で合流後、再び南北に分かれる。南の道はタジキスタンに向かうが、北の道はキルギスの南部を通過する。

ビジュケク近郊のトクマムの町には、バラサグン遺跡が残る。ここには砂漠を進む商隊の灯台として使われたと推定されているブラナの塔が残る。また周囲にはキルギス各地から集められた石人があり有名。

キルギス人の民族楽器は三弦のコムズが知られる。キュと呼ばれる器楽独奏曲ごとに伝説が残されており、伝統的な作法では、伝説を語った後、キュを演奏していた。

祝祭日

日付 日本語表記 現地語表記 備考
1月1日 元日
1月7日 クリスマス正教会
2月1日 犠牲祭 移動祝日
3月8日 国際女性デー
3月21日 ノールーズ
5月1日 メーデー
5月5日 憲法記念日
5月9日 戦勝記念日
6月1日 子供の日
8月31日 独立記念日
11月7日 同意と和解の日
11月25日 断食明けの日 移動記念日

キルギス旅行を取り扱っている旅行会社

シルクロードトラベルインフォメーションセンター[[2]]が、キルギスへの個人旅行から団体旅行を取り扱っている。

キルギス出身の有名人

脚注

関連項目

外部リンク

座標: 北緯41度 東経75度 / 北緯41度 東経75度 / 41; 75

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