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イバン・サモラーノ

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
イバン・サモラーノ
名前
本名 イバン・ルイス・サモラーノ・サモラ
Iván Luis Zamorano Zamora
愛称 ヘリコプター、バンバン雷帝
ラテン文字 Iván ZAMORANO
基本情報
国籍  チリ
生年月日 (1967-01-18) 1967年1月18日(57歳)
出身地 サンティアゴ
身長 178cm
体重 73kg
選手情報
ポジション FW(CF)
クラブ1
クラブ 出場 (得点)
1985-1988 チリの旗 CDコブレサル 31 (8)
1985-1986 スイスの旗 コブレアンディーノ (loan) 29 (27)
1988-1990 スイスの旗 FCザンクト・ガレン 56 (34)
1990-1992 スペインの旗 セビージャFC 59 (21)
1992-1996 スペインの旗 レアル・マドリード 137 (77)
1996-2001 イタリアの旗 インテル 101 (25)
2001-2002 メキシコの旗 クラブ・アメリカ 63 (33)
2002-2003 チリの旗 CSDコロコロ 14 (8)
通算 490 (233)
代表歴
1987-2001 チリの旗 チリ 69 (34)
獲得メダル
男子サッカー
オリンピック
2000 サッカー
1. 国内リーグ戦に限る。
■テンプレート■ノート ■解説■サッカー選手pj

イバン・ルイス・サモラーノ・サモラIván Luis Zamorano Zamora1967年1月18日 - )は、チリサンティアゴ県サンティアゴ出身の元サッカー選手、現サッカー解説者。ポジションはフォワード。元チリ代表

空中戦に強かった事から、「ヘリコプター」の異名を持つ。

経歴

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地元のクラブチーム、CDコブレサルでデビュー。1987年には、カップ戦も制して名を挙げた[1]。その後1988年には同じチリの、ウーゴ・ルビオと共にボローニャの入団テストを受けたが、ルビオのみ契約を勝ち取った[1]。そこでスイスのFCザンクト・ガレンへ移籍して、23得点を挙げて得点王になるなど、頭角を現した[1]。翌年セビージャFCへ移籍。1990-91シーズン、第2節のレアル・マドリード戦で移籍後初ゴールを決めた。2シーズンで、61試合で37得点を決めるなど、ここでも得点能力の高さを証明し、1992-1993シーズンには500万ドルでレアル・マドリードへ移籍を果たす[1]

レアル・マドリードに所属した4年間でリーグ戦137試合に出場し、77得点を記録。リーグカップスーパーカップを獲得した。移籍初年度の1992-93シーズン、第34節のセヴィージャ戦でのハットトリックなど[2]26得点を挙げた。1993-94シーズンのスーパーカップ、バルセロナ戦では1stレグ、2ndレグで共に1ゴールを挙げて[2]優勝に貢献した。1994-1995シーズン、最終的に28得点を挙げて得点王に輝くなど[3]、ラウドルップと並びリーグ制覇に最も大きな役割を果たした[4]。同シーズン、第16節のFCバルセロナとのクラシコではハットトリックの活躍で[5]ライバルからの勝利に大きく貢献した。

1996-1997シーズンにはセリエAインテルへ移籍、リーグ7節のパルマ戦で移籍後初得点と2点目を決めた。1997-98シーズンのUEFAカップ決勝では、ラツィオ相手に決勝ゴールを決めて、優勝に貢献した[1]。インテルではそれ程多くの得点を奪えなかったが、常に全力でプレーするプレースタイルはファンの支持を集めた[1]2001年にはメキシコのクラブ・アメリカへ移籍し、初戦でハットトリックを達成するなどの活躍でリーグ優勝に貢献。キャリアの最後のシーズンを母国のクラブチーム・CSDコロコロで過ごし、2003年に現役を退いた。同12月23日にはサンティアゴで引退試合が行われ、5万の観衆が引退を惜しんだ。

1987年6月19日ペルー戦で代表デビューを果たす。コパ・アメリカ1991では6得点を挙げたガブリエル・バティストゥータに次ぐ5得点を記録した。同年に創設されたFIFA年間MVP投票でヨーロッパ人以外で最高の7位を記録した。1995年も同じく自己最高タイの7位に入った。チリの4大会ぶりの出場となったフランスW杯に出場し、マルセロ・サラスとの「Za-Sa(サ・サ)コンビ」で同国をベスト16へと導いた。また2000年シドニー五輪にはオーバーエイジ枠で出場し銅メダルをもたらす原動力となり、自身は6得点を挙げて大会得点王となった。2001年9月1日のフランス戦を最後に代表を引退した。

ザンクト・ガレンの親善試合に参加したサモラーノ(2012年)

引退後は一時期、チリのユース年代の代表チームでアシスタントコーチを務めた。また、チリで事業を行っていたが、結果大きな負債を抱える事となった[3]。現在は、アメリカのスペイン語スポーツチャンネル「TUDN」のサッカー解説者を務めている。

エピソード

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サッカーの世界でエースストライカーの代名詞とされる背番号「9」に特別なこだわりを持っていたことで知られる。インテル在籍時の1997-98シーズン、サモラーノが背番号9、そしてロナウドが10をつけていたが、翌1998-99シーズンにロベルト・バッジョが加入すると、バッジョが背番号10、ロナウドが9となり、サモラーノはクラブから背番号の明渡しを命じられた。一旦は拒否したが認められず、サモラーノは背番号18のユニフォームの1と8の間に小さな「+」を加えて(1+8=9)着用していた[6]

現役時代は空中戦に強くヘディングの名手として知られたが、サモラーノ自身もヘディングでの得点については「ヘディングでのゴールはその選手がオールラウンドで、より完全な選手であることの証明となる」と独自の哲学を持っている[7]

2003年に現役を引退した後は、ユニセフの親善大使となったことでも知られている。

個人成績

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クラブ リーグ シーズン リーグ戦 カップ戦 国際試合 期間通算
出場 得点 出場 得点 出場 得点 出場 得点
CDコブレサル プリメーラ・ディビシオン 1987 31 8 14 14 - - 45 22
通算 31 8 14 14 - - 45 22
FCザンクト・ガレン ナツィォナール・リーガA 1988-89 17 10 1 0 - - 18 10
1989-90 33 23 3 2 - - 36 25
1990-91 6 1 - - 4 2 10 3
通算 56 34 4 2 4 2 64 38
セビージャCF プリメーラ・ディビシオン 1990-91 29 9 2 1 - - 31 10
1991-92 30 12 2 1 - - 32 13
通算 59 21 4 2 - - 63 23
レアル・マドリード 1992-93 34 26 4 6 7 5 45 37
1993-94 36 11 6 4 4 2 46 17
1994-95 38 28 3 0 5 3 46 31
1995-96 29 12 2 0 5 4 36 16
通算 137 77 15 10 21 14 173 101
インテル セリエA 1996-97 31 7 6 4 10 2 47 13
1997-98 13 1 2 0 5 2 20 3
1998-99 25 9 3 2 10 3 38 14
1990-00 30 7 5 1 - - 35 8
2000-01 2 1 2 0 4 0 8 1
通算 101 25 18 7 29 7 148 39
クラブ・アメリカ プリメーラ・ディビシオン 2000-01 17 11 - - - - 17 11
2001-02 35 18 - - 9 4 44 22
2002-03 11 4 - - - - 11 4
通算 63 33 - - 15 5 72 37
CSDコロコロ プリメーラ・ディビシオン 2003 14 8 - - 4 0 18 8
通算 14 8 - - 4 0 18 8
総通算 490 233 73 50 58 25 621 349

獲得タイトル

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チームタイトル

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チリ代表

チリ

スペイン

イタリア

メキシコ

個人タイトル

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脚注

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  1. ^ a b c d e f Bam-Bam Zamorano: gli anni magici tra Inter e Real Madrid, la storica maglia 1+8”. GOAL (2023年1月8日). 20238-2閲覧。
  2. ^ a b Zamorano All goals Real Madird”. transfermarket.com. 2020年11月7日閲覧。
  3. ^ a b サモラーノ氏、負債で苦境も「乗り越えられる」
  4. ^ ワールドサッカーダイジェスト 1996年3月号 日本スポーツ企画出版社 P.9-10
  5. ^ Real Madird - FC Barcelona Jan7 1995”. transfermarket.com. 2020年11月7日閲覧。
  6. ^ Why did certain players wear strange shirt numbers?
  7. ^ サモラーノ氏:「C・ロナウドは正真正銘の怪物」Goal.com 2011年11月9日

外部リンク

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