ポーランド料理

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
移動先: 案内検索

ポーランド料理(Polish cuisin)は、家庭料理である。ポーランド固有の料理は少ないが、中世から近世ポーランド王国ポーランド人のほかに東欧系ユダヤ人チェコ人ハンガリー人ドイツ人リトアニア人ラトビア人ベラルーシ人ウクライナ人スコットランド人アルメニア人タタール人リプカ・タタール人)などで構成される多民族国家だったため、周辺のあらゆる民族の食習慣を取り入れて独自の食文化を構築しており、伝統料理のバラエティは非常に豊かである[1]19世紀に現在のポーランド料理の原型ができたと言われている[1]。 歴史的に多くの民族からの影響があり、類似する料理は主に東欧、その他にドイツ、オーストリアとユダヤ料理となる[2]

過去には、ポーランドでは一日に4回の食事をとっていたが、近年は3回の家庭が多い。基本的には昼食を正餐とし朝食夕食は軽く済ますのが伝統だが[3]、都市部では男女とも外に出て働くことが多いことから、昼食を軽くし夕食を正餐とする場合も多くなっている。

大抵のポーランド人は自分の母親の作る料理こそ世界で一番おいしいと考えているが、近年は徐々に外食の習慣も広まり、レストランで食事を取ることも多くなってきている[注 1]。レストランで出されるポーランド料理には田舎風やフランス料理風にしたものがある。食糧配給制の共産主義時代に非共産主義国の様な外食文化は存在せず[4]、西洋の娯楽品の入手は非常に厳しく[5]、外食は労働者が行く大衆食堂やパブぐらいであった。EU加盟後、西洋文化の流入と西欧投資により外食産業(主にレストランやファーストフード)がゆっくりと発達してきている。しかし今も家庭料理が中心の食文化で、EU諸外国と比べるとレストラン数は少ない。


概要[編集]

ライ麦パン
白パン

ポーランドには、肉料理を中心に長時間煮込む料理が多い[1]中世の昔、ポーランド王国ではアルメニア人商人による東方陸上交易により当時としては他のヨーロッパ諸国に比べてコショウが非常に安く手に入った。そのため肉料理にはコショウが使われている。ポーランド料理でハーブは、基本の4種類(ディルマジョラムクミンシードケシの実)が主に使用される。寒冷地方特有の脂肪分が高く、味は淡白だが高塩分の料理となる。

ジャガイモは、主食の位置を占めている。またライ麦の栽培は寒冷な気候に適していることから、ライ麦粉と小麦粉を混ぜて使った、香りと少々の酸味があるパンがあり、よく食べられる。精白した小麦粉で作る白パンも多彩であるが、フレプほど頻繁には食べられていない。ソバの実(カーシャ・グリチャナ )や)を茹でたもの、ジャガイモのダンプリング/団子

ポーランド人の食べ物[編集]

キェウバーサとシンカ
焼きピエロギ(ピエロギ・スマジョネ)
ビゴス
ズラズィ・ザヴィヤネ


太字の料理名は画像あり'

料理[編集]

代表的な料理
発祥は中国の餃子で、ロシア経由で伝わったとされる。具は、肉、野菜(ジャガイモやザワークラウト)やチーズ、果物など。デザートの甘いピェロギがある。主に東欧地域から北アメリカへの移民者により持ち込まれ、現代のアメリカ合衆国カナダに伝わったとされる。
サワトカは素材に火を通してから和えたサラダを指し、生野菜のサラダはスルフカと呼んで区別する。
  • シレチ・ポ・ヤポンスク
タイセイヨウニシンの酢漬けをゆで卵入りのマヨネーズで和えた、マリネの一種。「日本人はニシンの卵(数の子)が好きだ」というのが、「日本人はニシンと卵が好きだ」と誤ってポーランドに伝わったため、実際の日本ではあまり馴染みのないニシンと鶏卵を合わせた料理が「日本風」と呼ばれるようになった、と言われている。

また、このほかに(ヴィエルコポルスカ地方)、マゾフシェ地方マズールィ地方ポモージェ地方シロンスク地方、小ポーランド地方(マウォポルスカ地方)、ポドハレ地方ガリツヤ地方、東部国境地方(クレスィ・フスホドニェ地方)、ポドラシェ地方といった国内の各地方によって独特の郷土料理がある。ソーセージ(キェウバーサ)も地方により異なる。

スープ[編集]

伝統的なスープ

など。

ポーランド料理の中でも、スープの評価は高い[6]。具の種類も多く、ポーランド語ではメインディッシュが「第二の食事」と言われるのに対してスープは「第一の食事」と言われている[7]。具材はさまざまな肉、魚(ルィバ ryba)、野菜、キノコ、果物のほか、ソーセージ、ジャガイモの団子ピズィあるいはクルスキ)、ジャガイモ、ゆで卵、パスタなど。食べる直前にサワークリーム)やヨーグルトを入れることも多い。

近年、スープがインスタント化された。麺は日本のインスタントラーメンの様で、味はキノコ、ジュルなど何種類かある。

[編集]

ポークフィレのハム

日常的に牛肉)、仔牛肉豚肉鶏肉)、アヒル肉や脂身を食べることが多く、マトンラムウサギ七面鳥などの肉も売られている。また、ポーランドは自然が豊かで、地方によってはジビエ(野生の鳥や獣)の肉を好んで食べ、レストランでもジビエが供される[8]。一般的には牛肉よりも豚肉が好まれており、市場の肉屋には豚の頭から豚足まで並べられている[9][10]。豚の骨はスープの出汁、豚足はガラレタというゼリー寄せ(アスピック)、血はカシャンカというブラッドソーセージの材料に使われる[10]

これら多様な肉を使って作ったハム(シンカ)やソーセージ(キェウバーサ)は、種類が色々あり、地方により異なり、ポーランド独特な食べ方をすることもある。肉やレバーのペーストもよく食べる。

肉に添えるつけ合わせは茹でたジャガイモザワークラウト、ジャガイモ粉の団子(ピズィあるいはクルスキ)が多い。

[編集]

魚のギリシャ風
大西洋ニシンのポーランド風マリネ

他の欧州の国同様に、タイセイヨウニシンは一般的な魚の酢漬け・オイル漬けである。そのほかにタラウナギも食べるようだ。地方により、素揚げ料理や燻製にした物が売られている。

バルト海に近い地方ではカレイシタビラメフライムニエルにし食べる様である。グダニスクソポトといったバルト海に近い地方の街や漁村では新鮮な魚のフライを屋台などがある。

復活祭の前夜は肉食が禁じられている四旬節期間中であるため、ニシンをよく食べ、クリスマスには、市場で川で釣れたが売られ、フライにし主菜とする。

隣国の東欧と同様に共産主義時代の公害汚染のため、現在も、川、海、山、大気などの環境汚染は深刻な問題となっている[11][12]

野菜[編集]

キャベツの漬物
きゅうりの漬物

野菜ホウレンソウピューレのほかには緑黄色の葉野菜はあまり摂らず、代わりにキャベツ(カプスタ)ときゅうり(オグレック)を大量に食べる習慣がある。ザワークラウトと同様のキャベツの漬物(カプスタ・クファショナまたはカプスタ・キショナ)ときゅうりの漬物(オグレック・クファショヌィまたはオグレック・キショヌィ)はほぼ毎日食べる。ポーランド系アメリカ人の女性は他の民族グループに比べて乳癌の罹患率が特に低く、キャベツを大量に食べる習慣と関連付けられている[13]

はポーランド人にとってアスパラガス(シュパラク szparag)の季節で、軟白したアスパラガスを好むとされ、皮をむき、ゆでたものにバターマヨネーズをベースにしたソースをかけたり、独特のクリームスープの具にしたりして食べる。最近はイタリア料理中華料理など外国料理の影響で緑のアスパラガスも好まれるようになった。またポーランド国内では、すでに西ヨーロッパ諸国で見ることのできなくなった野生のアスパラガスがいまだ大量に自生していると言われている。

ポルチーニ

スラヴ民族の特徴として、さまざまなキノコを愛好する習慣があり、特にポルチーニマッシュルームは普段から頻繁に食べる。そのほかに多くの種類のキノコが店で売られている。秋には森へキノコ狩りに出かけ、大量のキノコを採取する習慣がある。ポーランド人はキノコのクリームスープを特に好む。また家庭では大量のキノコをピクルスや焦がして燻製にし冬の保存食とする。

果物[編集]

ポジェチュカ・チェルヴォナ(赤スグリ)

果物ベリーの種類がいくつかある。

などの種類がある。旬になると店にはたくさんのベリー類が並び、夏には森へ野生のベリーを摘みに行く習慣がある。

それ以外にも、

などを食べる習慣がある。

セイヨウナナカマド(イェジェンビナ jarzębina)やローズヒップ(ルジャ・ヂカ róża dzika)など、生食できない果物も、ジャムなどにする。また、地方により「バラの花弁」をジャムにする。ポーランドのドーナツ「ポンチキ」の中に入れるフィリングは、一般的には真赤なジェリー、運がよければイチゴジャムである。

ポーランドでは、果物は肉料理やスープにも頻繁に使われる。ベリー類のジャムはグリルした羊乳スモークチーズ(オスツィペック)につけて食べる(お祭りなどの屋台ではたいがいこの羊乳スモークチーズのグリルが売られていて、ポーランド名物となっている)。またピエロギやジャガイモの団子(ピズィ)の具にもする。

ポーランド国内ではあまり栽培がされていないが、ブドウはポーランド人の好物で、たくさんの種類が輸入されて店頭に並んでいる。近年はマンゴードリアンマンゴスチンなどのトロピカルフルーツなどが、EU加盟後に出店してきた西欧スーパーにある。

乳製品[編集]

店の棚に並ぶさまざまなトゥファルク
トゥファルク

ポーランド人は乳製品、特にフレッシュチーズをよく食べる。共産主義時代には新鮮な乳製品の入手は産地でなければ非常に困難であったが、1989年に体制が変わってからは生産や流通が活発化して手軽に手に入るようになった。体制変革後に成長期を経たポーランド人は、体制変革前に成長期を過ぎたポーランド人と比べて極端に背が高く、牛乳や乳製品の摂取量の違いが指摘されている。

セル・ヴェンゾヌィ(スモークチーズ)

数種類あるフレッシュチーズでは、生乳を軽く発酵して作る軽い酸味のあるクワルクの一種が一般的である。見た目はカッテージチーズ、製法はカッテージチーズとは異なる。味は淡白。北東部の広大な湿地帯では、ポーランド固有の赤牛の乳を使ったトゥファルクが各農家の家内工業で生産される。ヤギの乳で作った一種のクワルクは南部の山岳地帯でよく食べられている。「ブリンザ」はヨーロッパ連合(EU)でポーランドのこの地域のこのチーズのみに使用が許されている名称[4]である。フレッシュチーズはそのまま食べたり、ディルネギなど香味野菜と一緒にパンに乗せたり、サラダに使ったり、ケーキの材料に使用する。

オスツィペック

南部のマウォポルスカ地方やその周辺の農家ではヤギの生乳から作った非常にクセの強いスモークチーズが各農家の家内工業で生産されており、このチーズはポーランド人の間でも好き嫌いが分かれる。地域よって製法・見た目・味が微妙に異なり、オスツィペック、オシュチペック、ゴルカ、レディコルカ、ブンツなどと呼ばれている。これらは一般に紡錘のような形をしており、独特の紋様がつけられている。数日間から14日間ほどかけてゆっくりと燻煙する。

外国製チーズは、ゴーダチーズクリームチーズが特に好まれるようだ。

他の欧州と同様に、ヨーグルトをよく食べる。料理には、スメタナを使うことが多い。ケフィアを飲む習慣がある。バターに、薄く切ったライ麦パン(フレプ)に塗り、ハムやチーズなどの具を乗せて食べたりもする。

デザート・菓子[編集]

代表的なデザートや菓子は、

など。甘味や香料などが強めなデザートが多い。

復活祭前に肉食を絶つ期間(四旬節)直前の木曜日にあたる「脂の木曜日」)という祭日に、ポンチェックとファヴォルキを満腹になるまで食べる習慣がある[15]。ポーランド式クリームケーキは前ローマ教皇ヨハネ・パウロ2世が若いころからの大好物で、これが知られるとポーランド国内でクレムフカが流行したことがある[16]クラクフにはユダヤ系のパン(オブヴァジャネック)を売る屋台がある。

ワルシャワに、ドイツ人菓子職人が1851年に創業したE・ヴェーデルがある。

ポーランド人の飲み物[編集]

ソフトドリンク[編集]

ポーランド人は紅茶をよく飲む。東方正教会の信者が多い北東部ではロシアから伝わったサモワールも使用されている。ハーブティーを薬としてよく飲む。

家庭では果物のソフトドリンク(コーンポト )を作る習慣があり、冷たいまま、あるいは暖めて飲む。共産主義終了後、1990年代コーラなどの清涼飲料水が普及すると、家庭の手作りの飲み物であるコーンポトはあまり飲まれなくなったが、近年は材料であるベリー類などの果物に含まれる果糖による体にやさしい甘みのほか、ビタミンミネラル酵素抗酸化物質クエン酸ペクチンなどを多く含む健康的な飲み物として急速に見直され、再び多くの一般家庭で見られるようになってきた。

コーヒー(ポーランド語でカヴァ)もよく飲む。近年は西欧文化が流入しエスプレッソが1部では人気となっているが、伝統的なものはカップに直接コーヒー豆とお湯を入れて飲むトルココーヒー式である。ウィーンにてヨーロッパ大陸最初のカフェを開店し、カフェ文化を広めたのが第二次ウィーン包囲の際にオスマン帝国からウィーンを救ったポーランド王ヤン3世配下の将校フランチシェク・クルチツキ(Jerzy Franciszek Kulczycki)で、ウィーンには彼の名前にちなんだ「コルシツキー通り(Kolschitzky gasse)」と銅像がある。

アルコール飲料[編集]

ポーランド人にはアルコール好きが多い。一方で20%程度が禁酒家でもある[17][18]

ウォッカ(ポーランド語ではヴートゥカ)を代表として蜂蜜酒ビールの種類が豊富。家庭ではさまざまなリキュールを作る習慣がある。

ポーランド原産のウォッカとして、アルコール度数世界一の「スピリタス、香草ウォッカのズブロッカ、果物で香りをつけたチェリーウォッカ」、香木で香りをつけたバルサム、ベルヴェデーレやショパンなどのウォッカ、オークの木ので長期間熟成させた古酒スタルカなど多数の種類がある。近年は健康上の理由などから、極端に度数の強いアルコール飲料が敬遠される傾向にある。そのため国内のウォッカ消費量は減少の一途をたどっているが[8]、逆に西ヨーロッパ北アメリカ日本などへの輸出は好調で、生産量は大幅に増加している。

近ごろのポーランド人の主要なアルコール飲料はむしろビールで、消費量も急拡大している。かつてはチェコやドイツ同様、ポーランドでもビールの醸造が伝統的に行われていたが、一時期ビール産業は衰退する[8]。近年になってビール産業に活力が戻り、多くの生ビールと地ビールが出回っている[19]

ワインは西部ルブシュ県ジェロナ・グラと中東部マゾフシェ県ヴァルカWarka)の2ヶ所で造られており、いずれも白ワインである。この2ヵ所には、ワイン用のブドウ畑がある。国産ブランデーも造られている。 またクワスシリヴォヴィツァウィスキーも作られる。

脚注[編集]

注釈[編集]

  1. ^ 1996年2月に刊行された 沼野充義監修『中欧 ポーランド・チェコ スロヴァキア・ハンガリー』、p300 には、外食産業が未発達であると書かれている。

出典[編集]

  1. ^ a b c 渡辺『ポーランドを知るための60章』、p162
  2. ^ "the%20garlicky%20kielbasa%20%28or%20kolbasz%29"&f=false Eve Zibart, The Ethnic Food Lover's Companion, p. 114 Polish cuisine displays its German-Austrian history in its sausages, particularly the garlicky kielbasa (or kolbasz), and its smoked meats." (p. 108.)] 
  3. ^ 『ポーランド料理』、p26
  4. ^ CIAs Historical Review (24 October 1997). "Cold War era analysis" (PDF file, direct download 12.2 MB). Soviet East European Military Relations in Historical Perspective Sources and Reassessments (The Historical Collections Division (HCD) of the Office of Information Management Services) 1 (1): 18 of 44. Retrieved 26 May 2014.配給制と長蛇の列は日常化 Karolina Szamańska (2008). "Sklepy w czasach PRL" (PDF file, direct download). Portal Naukowy Wiedza i Edukacja. pp. 13, 22 23 / 25. Retrieved 15 October 2014.
  5. ^ Neier, Aryeh (2003). Taking Liberties: Four Decades in the Struggle for Rights. Public Affairs. pp. p. 251. ISBN 1-891620-82-7.
  6. ^ 沼野『中欧 ポーランド・チェコ スロヴァキア・ハンガリー』、p298
  7. ^ 渡辺『ポーランドを知るための60章』、p163
  8. ^ a b c 沼野『中欧 ポーランド・チェコ スロヴァキア・ハンガリー』、p300
  9. ^ 『ポーランド料理』、p30
  10. ^ a b 渡辺『ポーランドを知るための60章』、p164
  11. ^ http://www.countriesquest.com/europe/poland/land_and_resources/environmental_issues.htm
  12. ^ http://reference.allrefer.com/country-guide-study/poland/poland70.html
  13. ^ New study touts sauerkraut's cancer fighting strength
  14. ^ 渡辺『ポーランドを知るための60章』、p165
  15. ^ 『ポーランド料理』、p29
  16. ^ [1](2012年2月閲覧)
  17. ^ [2]
  18. ^ [3]
  19. ^ 沼野『中欧 ポーランド・チェコ スロヴァキア・ハンガリー』、pp300-301

参考文献[編集]

  • 沼野充義監修『中欧 ポーランド・チェコ スロヴァキア・ハンガリー』(読んで旅する世界の歴史と文化, 新潮社, 1996年2月)
  • 藤井朋子、八木めぐみ、吉岡則子編『ポーランド料理』(日本ポーランド協会関西センター, 2000年3月)
  • 渡辺克義編著『ポーランドを知るための60章』(エリア・スタディーズ, 明石書店, 2001年9月)