マールブルク・アン・デア・ラーン

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紋章 地図
Stadtwappen Marburg Karte Marburg in Deutschland
基本情報
連邦州: ヘッセン州
行政管区: ギーセン行政管区
郡: マールブルク=ビーデンコプフ郡
緯度経度: 北緯50度49分 東経08度46分
標高: 海抜 173-412 m
面積: 124.5 km²
人口:

80,656人(2010年12月31日現在) [1]

人口密度: 648 人/km²
郵便番号: 35001–35043
市外局番: 06421
ナンバープレート: MR
自治体コード: 06 5 34 014
市庁舎の住所: Markt 1
35037 Marburg
ウェブサイト: www.marburg.de
行政
上級市長: エーゴン・ファウペル (Egon Vaupel) (SPD)

マールブルク(Marburg an der Lahn)は、ドイツヘッセン州ラーン川の岸辺にある都市。マールブルクは、ヘッセン州マールブルク=ビーデンコプフ郡の郡庁所在都市。中部ヘッセン地方の上位中核都市(Oberzentrums)をなす。

マールブルク・フィリップス大学は現存する最古のプロテスタントの大学であり、今日でも街の風景を創り出している。街はラーン川の両岸に広がっており、西側はグラーデンバッハ山地の中、東側はラーン山地を越えてアメーネブルク盆地の際まで領域としている。

「マールブルク」の名前は、かつてこの地がテューリンゲン方伯領とマインツ大司教領の境界(mar(c))であったことに由来している。

目次

[編集] 歴史

旧市街ヴェッター通り

マールブルクは長く波乱に富んだ歴史を持つ。「聖女エリーザベトが暮らし、亡くなり、眠る古い街は、山の麓、古城の下の曲がりくねった斜面に波打つようにある」。200年以上前にマールブルク大学の教授であったヨハン=ハインリッヒ・ユング=シュティリンクはラーン川のほとりの街をこのように評し、同時にこの街の環境が「美しく、とても喜ばしい」と賞賛している。

この街のラーン渓谷に築かれたマールブルク城、エリーザベト教会、旧市街の町並みといった基本的な構成は、数世紀を隔ててもほとんど変わりなく貫かれている。こうした古い町並みはマールブルクに魅力的な風景を与え、観光地にもなっている。

マールブルクは1972年に750周年を祝ったが、城や商市が置かれたのはもっと以前のことである。1140年頃のコイン「マールブルク・プフェニッヒ」がその証拠となる。

[編集] 街の形成と中世(9世紀から1500年頃)

最近の研究によると、城が築かれた時代は9世紀あるいは10世紀に遡る。しかし、この街が重要視されるようになったのは、テューリンゲン方伯ルートヴィヒ4世の未亡人エリザベートがその居住地として定めた1228年以後のことである。彼女は病院を建て、自ら看病に当たり、死者を看取った。1231年に24歳で亡くなったが、今日に至るまでマールブルクの最も偉大な人物として讃えられ、様々な伝説が語られている。1235年には既に彼女の聖性が語られ、同年ドイツ騎士団は彼女の墓の上に、ドイツで最も美しいゴシック建築となるエリザベート教会を建立し始めた。ヨーロッパ全土から巡礼者が聖女の墓を訪れ、マールブルクの繁栄に寄与したのだった。

[編集] 中世後期

1248年から1604年まで、たびたび移動はあったものの、マールブルクはヘッセン方伯の宮廷所在地であった。1248年、聖エリーザベトの娘であるゾフィー・フォン・ブラバントとその3歳の息子ハインリヒ(初代ヘッセン方伯ハインリヒ1世)は、ヘッセンに国家の基盤を築いた。

1527年宗教改革に際して、フィリップ1世は最初のプロテスタント系の大学(マールブルク大学)を創設し、これ以後この街の最も重要な経済拠点となり、今日まで存続している。

北西側から見たマールブルク城

1529年フィリップ1世はマールブルク城でマールブルク宗教会議を開催する。この会議は、ヴォルムスの勅令以後、宗教改革家が共同して活動することを確認するのが目的であった。しかし、議論の過程で、マルティン・ルターフルドリッヒ・ツヴィングリとの間で聖餐の考えに違いがあることが明らかとなり物別れに終わってしまった。

1605年以降、地方都市となったマールブルクは衰退し始め、その後の1618年から1648年三十年戦争では人口の2/3以上を失う甚大な打撃(これはその後の二度の世界大戦より大きな打撃であった)を受け、2世紀の間表舞台から姿を消すことになる。

[編集] 近代

マールブルク・フィリップス大学

マールブルクは、その大学で学び、あるいは教鞭を執った多くの優れた人物を輩出していることで知られている。教授では、蒸気機関を発明したデニス・パピン、当時の最も重要な法律家でドイツにおけるローマ法の父と呼ばれるフリードリヒ・カール・フォン・サヴィニー、化学者のローベルト・ブンゼン、そして物理学者エミール・アドルフ・フォン・ベーリング。学生ではロシアの科学者で作家でもあるミハイル・ロモノーソフ、ロシアの詩人ボリス・パステルナーク、詩人で哲学者の Gertrud von Le Fort、スペインの哲学者で社会学者ホセ・オルテガ・イ・ガセト、哲学者で社会学者で政治学者でもあるハンナ・アレント、ドイツの大統領になったグスタフ・ハイネマンがいる。しかし、中でも最も有名なのは、グリム兄弟であろう。彼らは、サヴィニーやアヒム・フォン・アルニム、その妻でサヴィニーの妹であるベッティーナ・フォン・アルニムあるいはクレメンス・ブレンターノらが大学で開いていた文学・民話サークルに多大な影響を受けた。

1866年プロイセンによるカッセルの併合後、新たな占領地であるヘッセン地域の指令本部が置かれたことにより、街は隆盛し、大学は飛躍を経験する。1866年には人口7,718人、学生数264人であったのが、1907年には人口20,137人、学生数1,954人にまで増加している。(2002年現在の学生数は18,540人)

[編集] 第二次世界大戦

マールブルクは第二次世界大戦では、ほとんど無傷で残された。ただし中央駅だけは爆撃の標的とされ、ラーン山地には空爆でクレーターができた。1945年の攻撃では大きな被害を受け、駅周辺は古い建物ばかりではなくなったが、終戦後に旧態に倣って復興がなされた。マールブルクは、ドイツの他のほとんどの中都市がそうであったように、多くの避難民を受け入れた。この時代になってやっと中小の企業がこの街で操業されるようになった。

[編集] 第二次大戦後、現在まで

現在のマールブルク・フィリップス大学(社会科学部と大学図書館)

現在でも大学は、6,000人の雇用を生み出し17,000人の学生が学ぶ、この街で最も重要な存在である。

マールブルクはSonderstatusstädten (ヘッセン州に7つある特別市。de: Liste der kreisangehörigen Städte mit Sonderstatus in Deutschland参照。)の一つであり、マールブルク=ビーデンコプフ郡の郡庁所在都市であると同時に、中部ヘッセン地方の3つの上位中核都市の一つとなっている。

商業中心、経済都市としての街を活性化する現在最も重要な仕事は、未来技術に立脚した企業である。大学と街との共生が実り豊かな物となる。マールブルク・フィリップス大学の研究・技術能力は、わずかな例外を除けば、重要な技術領域のほぼ全てをカバーしている。

1972年に公式な都心再開発事業が始まり、現在も続いている。旧市街の歴史的建造物は、注意深く修繕がなされている。現在も増えている半木組みの建築により街の風景の特徴はきちんと保たれている。

[編集] 地理

マールブルクの町並み

マールブルクは、マールブルク=ギーセン・ラーン渓谷の北方の低山地域に位置し、フランクフルト・アム・マインカッセルのほぼ中間で、いずれの街までも約100kmの距離にある。近接する大学都市ギーセンは、マールブルクの南、約30kmに位置している。

最高地点は東方のラーン山地にあり、標高413m、最も低い地点はラーン川の173mである。市域の広さは南北約9km、東西約6km(大学附属病院からオッカースハイム(Ockersheim)地区までの直線距離)である。マールブルクを貫いてラーン川が流れている。

マールブルク市街図

歴史的な旧市街 (Altstadt) は、現在の市中心部の西方、伯爵の城趾の下に位置している。また、ラーン川の別の川岸にある、かつて皮革加工業者の村であったヴァイデンハウゼン (Weidenhausen)地区にも別の旧市街の風景が遺されている。マールブルクは城趾下の旧市街から2世紀をかけてラーン渓谷沿いに拡大してきた。城の南側は西のオッカースハイムまでユーゲントシュティールビーダーマイヤー様式が点在する南地区 (Südviertel)である。東側は、鉄道の路線が内部市街地とオルテンベルク(Ortenberg)地区を分けており、第二次世界大戦後に北側のヴェールダー(Wehrda)地区とカペル(Cappel)地区を併合した。

マールブルクは以下の街や自治体と境界を接している。(北から時計回りに記す):ラーンタール(Lahntal)、ケルベ(Cölbe)、ヴェッター(Wetter)、キルヒハイン(Kirchhain)、エプスドルファーグルント(Ebsdorfergrund)、ヴァイマール(Weimar)、グラーデンバッハ(Gladenbach)、ダウトフェタール(Dautphetal)。

[編集] 自然と余暇

マールブルクの中核地域の東側はうっそうとしたラーン山地を境界としている。城が建造され人が暮らす旧市街を挟んで西側には、里山の森やヴェールダーの森が広がる山が控えている。北側と南側はラーン渓谷となっており主に農耕に利用されている。マールブルクを貫いて流れるラーン川であるが、マールブルクでは航行不能である。市の中心部ではラーン川の分流がヴェールダー防壁から分岐し、市内を流れ、ウーファー通りで再び本流に合流する。市中心部の南側でラーン川は再び分岐し中州の小島(牧草地であった)を形成している。都市部では、自然景観回復事業が数年前から行われ、ラーン川の牧草地の一部を草地に返そうという試みがなされている。ラーン川には多くの小川が流れ込んでいるが、中でもよく知られているのがケッツァーバッハとゲフェーレバッハである。ラーン山地にはハイキング路のネットワークが広がっている。市の北側と南側にはラーン川の近くに人造湖が作られており、市民が泳げるよう解放されている。

[編集] 教育と研究

この町の最大の雇用先は、1527年にフィリップ伯爵が創設したマールブルク・フィリップス大学である。学生と関係者(17,500人の学生と7,500人の雇用者)はこの街の人口の大きな部分を占めている。大学は多くの学問分野で高い水準の教育を提供している。経済誌「キャピタル」はこの大学を優れた10カ所の1つに挙げている。

大学の他に、Blindenstudienanstalt Marburg(マールブルク盲人教育研究所、Blistaと略称で呼ばれる)や、マックス=プランク地球微生物研究所、かつてのベーリンググループから生まれた製薬企業の研究所といった研究機関がマールブルクにはある。

[編集] 文化財建造物、観光資源

ラートハウス(市庁舎)
カイザー・ヴィルヘルムの塔
  • エリザベート教会:地元の人が通常「E教会」と呼ぶこの教会は、ドイツ国内で最も初期のゴチック様式の教会建築であり、マールブルクで最も有名な建造物である。この教会は、聖女チューリゲンのエリザベートを称えてドイツ騎士団によって創建された。彼女の墓はこの教会の中にある。教会堂は彼女が列聖された年(1235年)に着工され、1283年に完成した。
  • マールブルク城:11世紀に建造され、ヘッセン伯爵の第一の居城として歴史的意義の高い、文化的あるいは建築史の上からも興味深い建造物である。石器時代に至る歴史的な遺物の膨大なコレクションを有している。この城では時に演劇やコンサートが催されている。
  • マールブルクでは多くの木組み建築が、1527年建造のラートハウス(市庁舎)を中心に建ち並び、保守・修復されている。
  • マルクト広場の上部には中世のシナゴーグの跡がガラスの箱の中に遺されており、外から見ることができる。
  • キリアン礼拝堂:1180年から1200年に建てられたロマネスク様式の建築。ナチス時代のゲシュタポ支局を経て、現在は普通の賃貸事務所。マールブルク市街に残る最古の建築物。
  • エリーザベト教会からピルグリムシュタイ通り沿いに数百m南にマールブルク大学の古い植物園がある。1811年に創設され、「科学的な造園術」と「イギリス式造園術」とを融合させた記念碑的な庭園としてその独自性を誇っている。今日もその歴史の重要な痕跡を残している。 カール・フォン・リンネによれば、これは造園の歴史上、また自然科学の歴史上「唯一の」庭である。
  • シュピーゲルスルスト:かつては「炭焼きの場所」と呼ばれていたが、19世紀にマールブルクで学んだシュピーゲルのヴェルナー男爵がハイキングのゴールとして開発したことからこの名が付いた。最初に館が作られ、後にホテルとなった。シュピーゲルスルストはカイザー・ヴィルヘルムの塔から200mほどの場所である。
  • カイザー・ヴィルヘルムの塔:ドイツ皇帝ヴィルヘルム1世がラーン山地の上に築かせた見張り塔。ロマン派の時代以降、ハイキングの目的地として人気の観光地である。1870-71年の普仏戦争ドイツ帝国の成立を記念して1872年に基金を募集し、建造が始まった。1876年3月12日から13日にかけての夜に完成間際の塔を嵐が破壊した。結局高さ34mの塔が完成したのは、14年後のことであった。荘重な落成式が1890年9月2日に挙行された。

日帰り旅行者がまず見るべきものは、エリザベート教会である。ラートハウス周辺の木組み住宅が建ち並ぶ市街地の雰囲気を味わったり、マールブルク城からの眺望を楽しんだりするには観光バスではなく、足で歩くのがよい。1.5-2時間程度のガイダンス(童話やロマンティックな逸話などといったトピックスも含まれている)があり、ツーリスト・インフォメーションで予約できる。4月から10月の毎土曜日には城の地下の防城施設を見学する城塞ツアーもある。

[編集] 交通

マールブルクは、インターシティの停車する駅があり、フランクフルト・アム・マインとカッセルとを結ぶマイン=ヴェーザー線が利用できる。近郊鉄道のクアヘッセン鉄道もここからフランケンベルクを結んでおり(ブルクヴァルト線)、2008年までにはコールバッハまで延長され、ビエンコプフ – バート・ラースフェ – エルントエブリュックを結ぶオベーレ・ラーンタール線とつながる予定である。自動車ならば、連邦道路B3、B62、B252、B255がある。B3は州道路(B3a)につながりマールブルクの都心まで通じている。B3aはニーダーヴァイマールからヴォルフハウゼンを通り、再びB3に接続するよう改修が行われている。

公共の都心交通は約10本のバス路線が担っている。昼間は、市内中心部や郊外へ密な間隔で便がある。晩は生活のために4本の路線があるが、それ以外は、小型バス型の乗り合いタクシー(Anrufsammeltaxis)を利用する。2004年からは週末に4時まで運行する夜間バス路線(N8エクスプレス)が導入されている。前世紀には、市電が運行していたが徐々にトロリーバスでの操業に切り替えられた。現在ではディーゼルバスが、さらには2005年の初頭からは天然ガスのバスが運行している。マールブルクとそのランドクライスは、1995年からライン=マイン交通連合の構成員となっている。

[編集] 姉妹都市

[編集] 文化

[編集] スポーツ

スポーツの分野で最も注目されるのは、女子バスケットボールチームの BCマールブルクである。このチームは、女子バスケットボール・ブンデスリーグ1部に定着している。

さらに高い知名度を誇るのが、アメリカン・フットボールMarburg Mercenariesである。

サッカーで最も成功したチームはVfBマールブルク(2004/05年シーズンまでオーバーリーガ・ヘッセンにいた)である。 テニスクラブ・マールブルクは男女ともにヘッセンリーガにいる。

ラート

ラートTSVマールブルク=オッカースハウゼンはその女子選手がドイツ選手権を何度も征し、9度の世界選手権を勝ち得たチームでドイツのレーンラートチームの中で最も成功したチームである。

大学のソフトボールチームは、2004年のドイツの大学選手権で第2位となった。

[編集] メディア

大きな地方紙としてはオーバーヘッシーシェ・プレス (Oberhessische Press)があるが、より身近な話題の新聞として、10年弱前からマールブルガー・ノイエ・ツァイトゥング (Marburger Neue Zeitung)がある。このほかにもかなりの数のフリー・ペパーがある。

  • マールブルガー・エクスプレス (Marburger Express):週間のシティ・マガジン
  • ラジオ・ユナーヘルト・マールブルク (Radio Unerhört Marburg, RUM):自由ラジオ放送
  • キルヒェ・イン・マールブルク (Kirche in Marburg, KIM):プロテスタントおよびカトリックの月間プログラム
  • ノイエス・マールブルク (Neues Marburg):「マールブルガー・リンケン (Marburger Linken)」の季刊の政治情報誌

[編集] 映画

周辺地域を含めて30万人の人口に対して、年間150万枚の映画のチケットが売られており、マールブルクのレジャーとして高い比率を占めていることがわかる。独立系の非商業系映画館(カルチャーセンター G-ヴェルク)と、1つのシネマコンプレックスを含め、3つの地域に合わせて9つの商業系映画館がある。夏には、城址公園で大型スクリーンによる野外映写会も開かれている。

[編集] 音楽とダンス

音楽のライブ上演は頻繁に行われている。特に3つのカルチャーセンターでは、ロックポップスヒップホップア・カペラタンゴスカパンクレゲエワールドミュージックと、若者向けだけではなく幅広いジャンルのコンサートが開催されている。ジャズフォーククラブもある。クラシック音楽では、2つの若いシンフォニック・オーケストラや多くの合唱団体が積極的な活動を行っている。

市内には6つのディスコがあり、アフター・ワーク・パーティなどでにぎわっている。

[編集] 劇場

時折、ボウレファルトビューネのゲスト公演やシュタットホールでの音楽アンサンブルが行われる他に、学生の演劇グループやヴァルドルフ学園のプロダクションが、ヘッセン州立劇場や3つある自由劇場(市が援助している)で開催されている。

  • ヘッセン州立劇場マールブルク
  • シュナップス&ポエジー劇場
  • テアター・ゲーゲンシュタント、ヴァゴーンホール
  • マールブルガー・テアターヴェルクシュタット「ジャーマン・ステージ・サービス」

[編集] 博物館、美術館

マールブルクには6つの博物館と、2つの私的な博物館、その他にいくつかのスタジオなどがある。

  • マールブルク大学造形芸術博物館 (Universitätsmuseum für Bildende Kunst)
  • マールブルク大学歴史文化博物館 (Universitätsmuseum für Kulturgeschichte)
  • マールブルク文化協会文化ホール (Kunsthalle des Marburger Kunstvereins)
  • 解剖学博物館 (Museum Anatomicum)
  • 鉱物博物館 (Mineralogisches Museum)
  • 子供と教育の博物館 (Kindheits- und Schulmuseum)
  • ドイツパトカー博物館 (1. Deutsches Polizeioldtimer Museum)
  • 郷土文化博物館 (Religionskundliche Sammlung)

[編集] 資料館

  • マールブルク・ヘッセン公文書館 (Hessisches Staatsarchiv Marburg)
  • マールブルク写真資料館 (Bildarchiv Foto Marburg)
  • ドイツ貴族資料館 (Deutsches Adelsarchiv)
  • フィリップス大学カント研究資料館 (Kant-Forschungsarchiv der Philipps-Universität)
  • ゲオルク・ビュヒナー研究資料館 (Forschungsstelle Georg Büchner, FGB)
  • ドイツ・ゲーム資料館 (Deutsches Spiele-Archiv)
  • サーカス、ミュージックホール、大道芸資料館 (Circus-, Varieté- und Artisten archiv)
  • マールブルク資料館 (Archivschule Marburg)

[編集] 催し物

  • 1月の最終金曜日:ラートハウス広場での大型画面による映画上映会「Die Feuerzangenbowle」
  • 2月末から3月初め:マールブルク音楽協会主催による「Marburg Northampton Poitiers Festival」(3日間、60グループ)
  • 3月:「Marburger Kameragespräche」(マールブルク・カメラ会議)授賞式と受賞者による講演
  • 3月:マールブルク・ヘッセン州立劇場主催の「Kinder- und Jugendtheaterwoche (子供と若者の演劇週間)」
  • 4月の最後の週末から9日間:メッセ広場にて「Frühjahrsmesse (春の市)」
  • 4月30日の夜:伝統的な「Maieinsingen (5月の歌の練習)」
  • 5月1日の午前:労働組合のデモと集会。午後には式典。
  • 聖体の祝日:マールブルク城野外劇場でのア・カペラ・フェスティバル「Nacht der Stimmen」
  • 6月第1週:マールブルク文化部主催の子供の祭り「Ramba Zamba」
  • 6月の最後の週末:市の中心部を通行禁止にしての「Uni-Sommerfest」(5ステージ)
  • 7月の最初の週末:「Marktfrühschoppen (マルクト広場での朝酒の会)」
  • 7月の第2週末:市祭り「3 Tage Marburg (マールブルクの3日間)」10ステージ、ドラゴン・ボート・レース、花火大会)
  • 7月13日から16日:「OpenEyes Kurzfilmfestival」映画祭、一部はG-ヴェルク、一部はアメーネブルガーの城趾で行われる
  • 7月から8月:マールブルク・サマー・アカデミー(芸術、演劇、音楽に関する講演)
  • 8月の初め:サマー・イン・ザ・シティ(カルチャーセンターの路上での祭り、音楽ライブなど)
  • 10月の第2週末:エリザベートの市、日曜日は営業期間が延長される。
  • 11月の最初の週末:マールブルクのシュタットホールでの職人市
  • 待降節の直前の土曜日から:エリザベート教会周辺でのクリスマス市、ラートハウス周辺での待降節市

注)年により日付・日程は変わることがあります。

[編集] 人物

[編集] 引用

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