ヴァイマル共和国軍

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「Reichswehr」旗(1921–1935)

ヴァイマル共和国軍(ヴァイマルきょうわこくぐん、Reichswehr)は、1919年から1935年までドイツが保有した軍隊の名称である。共和国軍は陸軍(Reichsheer)と海軍(Reichsmarine)から成り、空軍は禁止されていた。

「Reichswehr」は「国(ライヒ)の防衛」を意味し、日本語では「国軍」「国防軍」などと訳される他、存在した時期がほぼヴァイマル共和政時代と一致するので「ヴァイマル共和国軍」や「ドイツ共和国軍」とも訳される。ただし、「ドイツ国防軍」という語はドイツ再軍備宣言後の軍隊、すなわち「Wehrmacht」を指す事が多い。

概要[編集]

第一次世界大戦敗戦の後、ドイツ帝国ではドイツ帝国陸軍(Deutsches Heer)及びドイツ帝国海軍(Kaiserliche Marine)を解散した。将兵は故郷へ帰るか義勇軍(フライコール)に入った。フライコールは1918年から1923年にかけてドイツ革命に対する反革命行動や国境で武力衝突していた。不穏な情勢であったため、ヴァイマル共和国も軍隊を欲した。そこで1919年3月6日、国軍省de:Reichswehrministerium)の下にヴァイマル共和国軍が発足した。皇帝に忠誠を誓ったドイツ帝国軍に対しヴァイマル共和国軍はヴァイマル憲法に忠誠を誓うものとされた。

当初40万人の人員があった共和国軍だったが、1919年6月28日に連合国との間に締結されたヴェルサイユ条約により陸軍兵力が10万人(将校は1400人)に制限され、大量の軍人の解雇を迫られた。この人員制限から共和国軍は「10万人陸軍」とも呼ばれる。ヴェルサイユ条約はその他にも共和国軍に様々な制約を課した。戦車、装甲戦闘車両、航空機、航空母艦、潜水艦、毒ガス、重火器など近代兵器はすべて保有を禁止された(ただこれにより「怪我の功名」として条約の枠外で重機関銃と軽機関銃を兼ねる名作汎用機関銃MG-34/42や世界初の弾道ミサイルV-2(A-4)等が誕生した)。徴兵制を実施することも禁止され、参謀本部を置くことさえも禁止された。

あまりに過酷な制限により共和国軍は英仏はおろかポーランド軍にもはるかに劣る状態となった。そのため共和国軍はヴェルサイユ条約から隠れて軍拡する道を模索し続けた。それは条約すれすれの方法から、完全に非合法の方法まで様々であった。1919年には「兵務局(Truppen amt)」と名前を偽装し、事実上参謀本部を復活させた[1]スペインオランダスウェーデン日本など比較的中立的かつ生産設備が整った外国で航空機や戦車や潜水艦Uボートの建造を行った[2]。武装民兵集団に大量の武器を提供して名目上、軍の武器にならぬように工作した[3]。軍事演習をソ連でおこなったこともある[4]

だが、そうした苦労も1935年には必要なくなった。アドルフ・ヒトラー総統は一方的にヴェルサイユ条約の破棄とドイツの再軍備を宣言したのである。以後、軍は名称をドイツ国防軍(Wehrmacht)と変更した。

脚注[編集]

  1. ^ 「ヒトラーの戦士たち 6人の将帥」グイド・クノップ著、原書房。P116。ISBN 4562034823 ISBN 978-4562034826
  2. ^ 同上P117
  3. ^ 同上P116
  4. ^ 同上P117

関連項目[編集]

外部リンク[編集]