アイゼナハ

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紋章 地図
Wappen Eisenachs Lage der kreisfreien Stadt Eisenach in Deutschland
基本情報
連邦州: テューリンゲン州
郡: 郡独立市
緯度経度: 北緯 50度58分34秒
東経 10度19分14秒
標高: 海抜 220 m
面積: 103.84 km²
人口:

41,744人(2012年12月31日現在) [1]

人口密度: 402 人/km²
郵便番号: 99801 - 99817
市外局番: 03691
ナンバープレート: EA
自治体コード: 16 0 56 000
市の構成: 11 市区
市庁舎の住所: Markt 2
99817 Eisenach
行政
上級市長: マティアス・ドート (Matthias Doht) (SPD)
市長: ウテ・リースケ (Ute Lieske)(無党派)
ヴァルトブルク城
城内のルターの部屋(1900年)

アイゼナハEisenach)はドイツ連邦共和国の都市。テューリンゲン州に属する。音楽家、ヨハン・ゼバスティアン・バッハの出生地としても知られる。同都市のヴァルトブルク城は、ユネスコ世界遺産に登録されている。人口は約4万4千人。(2004年9月)

地勢・産業[編集]

ネッセ川とヘーゼル川の合流地付近に位置し、古くより交通の要所であった。現在も、フランクフルト・アム・マインライプツィヒを結ぶ鉄道網・アウトバーン網の中継地点に位置している。街の背後には、テューリンゲンの森(チューリンガーヴァルト)と称される山岳地帯が広がる。ドイツの他の森と同様、酸性雨などにより大きな被害を受けている。近隣の都市としては、約50キロ東にエアフルト、70キロ北西にカッセル、65キロ南西にフルダが位置する。

アイゼナハには、工業都市としての顔もある。旧東ドイツ時代には、高級車ヴァルトブルクの生産地であり、東西ドイツの統一後は、オペル社の自動車工場が置かれている。街には自動車博物館があり、こうした歴史を知ることができる。

歴史[編集]

1067年、当時「王の道」と称された街道沿いに、ヴァルトブルク城が建てられた。13世紀初頭、この城の「歌人の広間」でミンネジンガー(吟遊詩人)による歌合戦が行われたとされ、リヒャルト・ヴァーグナーのオペラ「タンホイザー」の題材にもなっている。1283年、都市特権を獲得した。

歴史上、アイゼナハは宗教改革の推進者マルティン・ルターと関係が深い。1498年より、ラテン語を学ぶため学生としてアイゼナハに留まった。この時にルターが住んでいた家は、現在も保存されており、ルターの生涯と業績をたどる展示がある。1521年ヴォルムス帝国議会の決定により帝国追放となったルターは、ザクセン公フリードリヒの保護を受け、ヴァルトブルク城で新約聖書ドイツ語訳を行った。

1685年、この地でJ.S.バッハが生まれた。彼はリューネブルクに移り住むまで、少年期をアイゼナハで過ごしていた。現在も、J.S.バッハの実際の生家ではないが、バッハ一族が過ごしていた家が保存されている。1741年、アイゼナハ一帯はヴァイマル周辺を領土とするザクセン=ヴァイマル公国の君主であったエルンスト・アウグスト1世の領地となり、ザクセン=ヴァイマル=アイゼナハ大公国の一部となった。

1817年ウィーン体制下で結成されていた学生組織であるブルシェンシャフトが、この地で宗教改革300年を祝った祭典を開いた。この祭典自体は、開催当初より政治的主張があったわけではなかったが、祭典中にドイツ・ナショナリズムに否定的な書物を焼き捨てるなど、一部の勢力が急進化した。こうした動きを懸念したオーストリアメッテルニヒは、1819年カルロヴィ・ヴァリ(チェコの都市、独語でカールスバート)でブルシェンシャフト弾圧の方針を固めた。

1869年アウグスト・ベーベルらがマルクス主義的なドイツ社会民主労働党を結成した。この地で結成されたことからアイゼナハ派とも称される。1875年、約25キロ東のゴータ全ドイツ労働者協会(ラサール派)と合同してドイツ社会主義労働者党となった。この党が、1890年に改称してドイツ社会民主党となった。

文化[編集]

ヴァルトブルク城以外の代表的な建造物としては、ロマネスク建築のニコライ教会、後期ゴシック様式のゲオルグ教会が挙げられる。19世紀に活躍したアイゼナハ出身の詩人、フリッツ・ロイターの住居が、ヴァーグナーの博物館として利用されている(ロイター・ヴァーグナー博物館)。

姉妹都市[編集]

引用[編集]

関連項目[編集]

外部リンク[編集]