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ザ・ブッシュワッカーズ

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
ザ・ブッシュワッカーズ
 
ルーク(左)&ブッチ(右)
(2015年、WWE殿堂入り式典にて)
タッグチーム
メンバー ブッチ・ミラー
ルーク・ウィリアムス
名称
  • ザ・キウィズ
  • ザ・シープハーダーズ
  • ザ・ブッシュワッカーズ
デビュー 1966年
解散 2001年
団体

ザ・ブッシュワッカーズThe Bushwhackers)は、プロレスラーブッチ・ミラールーク・ウィリアムスによって結成されたプロレスタッグチームである。

1980年代まではNWA圏を主戦場に、両者ともニュージーランド出身であることから初期はザ・キウィズThe Kiwis)、後にザ・シープハーダーズThe Sheepherders)のチーム名を用い、狂乱ファイトを主体とするヒールのポジションで活動[1]1988年末からのWWF登場を機にザ・ブッシュワッカーズと改名し、コミカルなベビーフェイスに転じて前座戦線を沸かせた[1]

来歴

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ザ・キウィズ

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コンビ結成はNWAニュージーランド(後のオールスター・プロレスリング)時代の1966年に遡る[2]。当時、ブッチ・ミラーはザ・ブルート、ルーク・ウィリアムスはスウィート・ウィリアムと名乗っていた。オーストラリア東南アジアを経て1972年カナダモントリオール地区に参戦後、1973年スチュ・ハートの主宰するアルバータ州カルガリースタンピード・レスリングに進出[2]。ミラーはリングネームをニック・カーターと改名し、チーム名もニュージーランド出身であることをアピールするために、ザ・キウィズThe Kiwis)と名付けられた[2]

1974年1月にはカルガリー版のインターナショナル・タッグ王座を獲得、トーキョー・ジョー&グレート・サキの日本人チームとも同王座を争った[3]。同年9月には揃って国際プロレスに参戦、9月16日に館山にてラッシャー木村&グレート草津IWA世界タッグ王座に挑戦している[1][4]。国際プロレスでは、スーパースター・ビリー・グラハムバロン・フォン・ラシクと組んでの6人タッグマッチにも出場し、彼らの露払い役も務めた[5]

その後、1975年末に揃ってニュージーランドに帰国し、しばらくリングを離れていた(ウィリアムスは1976年7月、単独で国際プロレスに再来日している[6])。

ザ・シープハーダーズ

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復帰後の1979年5月、それぞれボブ・ミラー、スウィート・ウィリアムスのリングネームで全日本プロレスに来日[7]。空位となっていたアジアタッグ王座の王者チーム決定戦でグレート小鹿&大熊元司極道コンビと対戦したが敗退している[8]。6月10日の北海道倶知安町大会ではビル・ロビンソンと異色トリオを組み、ジャイアント馬場ジャンボ鶴田石川隆士組と6人タッグマッチで対戦した[7]

同年よりチーム名をザ・シープハーダーズThe Sheepherders)に改め、太平洋岸北西部のPNW(パシフィック・ノースウエスト・レスリング)に進出。翌1980年にかけて、ロン・スター&アドリアン・アドニススタン・スタージャック&ダッチ・サベージロディ・パイパー&リック・マーテルなどのチームを破り、NWAパシフィック・ノースウエスト・タッグ王座を通算3回獲得した[9]。以降もヒールタッグチームとして各地を転戦し、それぞれのリングネームもブッチ・ミラーとルーク・ウィリアムスで定着[10][11]1980年9月28日にはノースカロライナ州シャーロットにて、バズ・ソイヤー&マット・ボーンからNWAミッドアトランティック・タッグ王座を奪取[12]プエルトリコWWCではアブドーラ・ザ・ブッチャーとも共闘した[13]

1981年下期から1983年にかけてはミラーが一時的にニュージーランドに帰国したため、ウィリアムスは同じ南半球オーストラリア出身のジョナサン・ボイドを新パートナーに活動[14][15]。ミラーがアメリカに戻ると、1983年11月よりチームを再結成[16]。迷彩ズボンにタンクトップ、ボロボロのアーミーキャップという入場コスチュームもこの時期に確立された。1984年3月4日にはサンアントニオファビュラス・ワンズスティーブ・カーン&スタン・レーン)からSCW世界タッグ王座を奪取[17]1985年はプエルトリコを主戦場に、ジ・インベーダーズ(ホセ・ゴンザレス&ロベルト・ソト)とWWC北米タッグ王座を争った[18]

1986年3月16日にはビル・ワットUWFにてテッド・デビアス&スティーブ・ウィリアムスからUWF世界タッグ王座を奪取[19]、10月7日にはフロリダでファビュラス・ワンズを破りNWA USタッグ王座を獲得[20]。翌1987年1月10日にはテネシー州メンフィスCWAにてバッド・カンパニー(ポール・ダイヤモンド&パット・タナカ)を下しCWAインターナショナル・タッグ王座にも戴冠[21]。日本では「タッグ泥棒」なる異名を付けられた[1]

1987年2月には新日本プロレスに来日して、IWGPタッグ王座の決定リーグ戦に出場[22]。国際、全日本、新日本と、タッグチームとして昭和の3団体への登場を果たした[23]。シリーズ中は、アントニオ猪木&坂口征二の黄金コンビや前田日明&高田伸彦UWF勢とも対戦している[24]

同年下期にはジム・クロケット・プロモーションズのフロリダでの興行に参戦。7月31日にマイアミ・オレンジボウルにて行われた『グレート・アメリカン・バッシュ』にもNWAフロリダ・タッグ王者チームとして出場し、ロニー・ガービン&ジミー・ガービンの挑戦を受けた[25]。8月28日にはデイトナビーチにおいて、ロード・ウォリアーズスチール・ケージ・マッチで対戦した[26]1988年4月に開催されたタッグチーム・トーナメント "Crockett Cup '88" にも出場したが、2回戦でミッドナイト・エクスプレスビューティフル・ボビー・イートン&スウィート・スタン・レーン)に敗退している[27]

同トーナメントには1986年4月19日開催の第1回大会 "Crockett Cup '86" にも出場しており、1回戦でロス・ゲレロス(チャボ・ゲレロ&ヘクター・ゲレロ)、2回戦でロックンロール・エクスプレスリッキー・モートン&ロバート・ギブソン)を破って勝ち進んだ後、準決勝でザ・ファンタスティックスボビー・フルトン&トミー・ロジャース)と両チーム反則の裁定を下されるなど、アイドル系タッグチームの敵役としての役割を担った[2][28][29]

ザ・ブッシュワッカーズ

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1988年末、チーム名をブッチ&ルークのザ・ブッシュワッカーズThe Bushwhackers)に変更し、従兄弟同士という設定でWWFに登場。同年12月30日、ニューヨークマディソン・スクエア・ガーデンにおいて、ニコライ・ボルコフボリス・ズーコフのザ・ボルシェビクスを破りデビュー戦を飾った[30]

ラフファイト主体のヒールだったシープハーダーズ時代とは異なり、コミック・リリーフを担当するベビーフェイスのベテラン・チームとして売り出され、ファビュラス・ルージョー・ブラザーズ(ジャック・ルージョー&レイモンド・ルージョー)、リズム&ブルース(ホンキー・トンク・マン&グレッグ・バレンタイン)、オリエント・エクスプレス(サトー&タナカ)など、主にBクラスのチームを抗争相手にミッドカード戦線で活動、そのコミカルなキャラクターで子供たちの人気を集めた[1]。目を剥いて口を歪曲させたユーモラスな表情に、腕を頭上まで高く振り上げながらリングへ行進していく入場シーンがトレードマークとなり、彼らのフィギュアもこれを模したポーズで製作されている。1990年12月には、当時WWFと提携していたSWSに来日した[31]

WWFではタイトル戦線に絡むことはなく、大きな活躍の舞台は与えられなかったものの、1991年8月の『サマースラム'91』ではアンドレ・ザ・ジャイアントセコンドに迎え、ナチュラル・ディザスターズアースクエイク&タイフーン)と対戦している[32]。以降、WWFには1996年まで長期間に渡って在籍。レッスルマニアなどのビッグイベントではオープニング・アクトダーク・マッチに出場して会場の「温め役」を担い、同じく会場人気の高かったハクソー・ジム・ドゥガンとトリオを組むことも多かった。

WWF退団後もブッシュワッカーズの名義でインディー団体を転戦し、1999年10月にミシシッピ州で行われたリユニオン・イベント "Heroes of Wrestling" では、ボルコフとアイアン・シークの往年の反米コンビと対戦。2001年4月1日には『レッスルマニアX-Seven』のギミックバトルロイヤルに出場し、久々のWWE登場を果たした。

解散後

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チームを解散し引退してからは、ミラーはニュージーランドに帰国し、首都ウェリントンのプロレス団体KPW(キーウィ・プロ・レスリング)のコミッショナーやレスリング・ウェブサイト "NZPWI" のコラムニストとして活動[33]

ウィリアムスは、かつて主戦場としていたプエルトリコにてIWAプエルトリコのブッカーを担当する一方、TNAROH、カナダ・ノバスコシア州のUCWなど、各地のインディー団体にスポット参戦[34]2010年11月にはSMASHへの参戦でSWS以来となる20年ぶりの来日を果たした[35]

2015年、チームとしてWWE殿堂に迎えられた[36]。3月28日にカリフォルニア州サンノゼSAPセンター・アット・サンノゼにて行われた殿堂入り式典では、かつてNWAフロリダ地区で彼らのマネージャーを務めていたジョニー・エースことジョン・ロウリネイティスがインダクターを担当した[37]

2023年4月3日、ウィリアムスの娘からのSNS投稿により、ミラーの死去が報じられた[38]

合体攻撃

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獲得タイトル

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スタンピード・レスリング
パシフィック・ノースウエスト・レスリング
  • NWAパシフィック・ノースウエスト・タッグ王座:3回 [9]
NWAオールスター・レスリング
ミッドアトランティック・チャンピオンシップ・レスリング
  • NWAミッドアトランティック・タッグ王座:1回 [12]
ワールド・レスリング・カウンシル
  • WWC北米タッグ王座:4回 [18]
  • WWC世界タッグ王座:2回 [40]
ユニバーサル・レスリング・フェデレーション
  • UWF世界タッグ王座:2回 [19]
チャンピオンシップ・レスリング・フロム・フロリダ
  • NWA USタッグ王座(フロリダ版):1回 [20]
  • NWAフロリダ・タッグ王座:1回 [41]
コンチネンタル・レスリング・アソシエーション
  • CWAインターナショナル・タッグ王座:1回 [21]
サウスウエスト・チャンピオンシップ・レスリング
  • SCW世界タッグ王座:1回 [17]
ワールド・レスリング・エンターテインメント

サポートメンバー

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脚注

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  1. ^ a b c d e 『THE WRESTLER BEST 1000』P172(1996年、日本スポーツ出版社
  2. ^ a b c d Luke Williams Wrestling Bio”. Bushwhacker Luke.net. 2010年10月12日閲覧。
  3. ^ a b Stampede International Tag Team Title”. Wrestling-Titles.com. 2010年10月12日閲覧。
  4. ^ The IWE matches fought by Butch Miller in 1974”. Wrestlingdata.com. 2014年11月27日閲覧。
  5. ^ IWE 1974 IWA Title Match Series / Super Wide Series”. Puroresu.com. 2021年1月23日閲覧。
  6. ^ IWE 1976 Big Summer Series”. Puroresu.com. 2023年6月11日閲覧。
  7. ^ a b AJPW 1979 Super Power Series”. Puroresu.com. 2021年1月23日閲覧。
  8. ^ All Asia Tag Team Title”. Wrestling-Titles.com. 2014年11月27日閲覧。
  9. ^ a b NWA Pacific Northwest Tag Team Title”. Wrestling-Titles.com. 2010年10月12日閲覧。
  10. ^ Butch Miller”. Wrestlingdata.com. 2021年2月12日閲覧。
  11. ^ Luke Williams”. Wrestlingdata.com. 2021年2月12日閲覧。
  12. ^ a b NWA Mid-Atlantic Tag Team Title”. Wrestling-Titles.com. 2010年10月12日閲覧。
  13. ^ Abdullah with The Sheepherders”. Online World of Wrestling. 2010年10月12日閲覧。
  14. ^ Jonathan Boyd”. Online World of Wrestling. 2010年10月12日閲覧。
  15. ^ ウィリアムスとボイドのチームは便宜上「ニュー・シープハーダーズ」とも呼ばれる。ボイドはオリジナルのシープハーダーズ再結成後、サンアントニオ地区で彼らのマネージャーを務めたが、1985年から1986年にかけてはニュージーランド出身のリップ・モーガンをパートナーに、シープハーダーズ名義での活動を独自に続けた。
  16. ^ The SWCW matches fought by Butch Miller in 1983”. Wrestlingdata.com. 2021年2月12日閲覧。
  17. ^ a b SCW World Tag Team Title”. Wrestling-Titles.com. 2010年10月12日閲覧。
  18. ^ a b WWC North American Tag Team Title”. Wrestling-Titles.com. 2010年10月12日閲覧。
  19. ^ a b UWF World Tag Team Title”. Wrestling-Titles.com. 2010年10月12日閲覧。
  20. ^ a b NWA United States Tag Team Title [Florida]”. Wrestling-Titles.com. 2010年10月12日閲覧。
  21. ^ a b CWA International Tag Team Title”. Wrestling-Titles.com. 2010年10月12日閲覧。
  22. ^ The NJPW matches fought by Butch Miller in 1987”. Wrestlingdata.com. 2014年11月27日閲覧。
  23. ^ タッグチームでは、ダスティ・ローデスディック・マードックテキサス・アウトローズも国際、全日本、新日本の3団体参戦を果たしている。
  24. ^ The NJPW matches fought by Luke Williams in 1987”. Wrestlingdata.com. 2021年2月2日閲覧。
  25. ^ NWA The Great American Bash Tour 1987 - Tag 27”. Cagematch.net. 2021年1月29日閲覧。
  26. ^ JCP/CWF at Daytona Beach”. Wrestlingdata.com. 2021年1月29日閲覧。
  27. ^ 3rd Annual Jim Crockett, Sr. Memorial Tag Team Tournament Cup”. ProWrestling History.com. 2010年10月12日閲覧。
  28. ^ NWA Jim Crockett Sr. Memorial Cup 1986 - Show 1”. Cagematch.net. 2023年9月18日閲覧。
  29. ^ NWA Jim Crockett Sr. Memorial Cup 1986 - Show 2”. Cagematch.net. 2023年9月18日閲覧。
  30. ^ WWE Yearly Results 1988”. The History of WWE. 2010年10月12日閲覧。
  31. ^ The SWS matches fought by Butch Miller in 1990”. Wrestlingdata.com. 2014年11月27日閲覧。
  32. ^ WWF Summer Slam 1991”. ProWrestling History.com. 2010年10月12日閲覧。
  33. ^ Butch Miller”. Online World of Wrestling. 2010年10月12日閲覧。
  34. ^ Luke Williams”. Online World of Wrestling. 2010年10月12日閲覧。
  35. ^ The SMASH match fought by Luke Williams in 2010”. Wrestlingdata.com. 2014年11月27日閲覧。
  36. ^ a b The Bushwhackers”. WWE.com. 2015年3月25日閲覧。
  37. ^ WWE Hall Of Fame 2015 TV Report”. Wrestling Observer (2015年3月29日). 2016年4月7日閲覧。
  38. ^ 猪木と対戦のブッチ・ミラーさん死去 ルーク・ウィリアムスと「ザ・ブッシュワッカーズ」で活躍”. 日刊スポーツ新聞社 (2023年4月4日). 2023年4月4日閲覧。
  39. ^ NWA Canadian Tag Team Title”. Wrestling-Titles.com. 2010年10月12日閲覧。
  40. ^ WWC World Tag Team Title”. Wrestling-Titles.com. 2010年10月12日閲覧。
  41. ^ NWA Florida Tag Team Title”. Wrestling-Titles.com. 2010年10月12日閲覧。

外部リンク

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