国勢調査 (日本)
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国勢調査(こくせいちょうさ[1])は、統計法(平成19年5月23日法律第53号)に基づき、総務大臣が国勢統計を作成するために、「日本国内の外国籍[注釈 1]を含むすべての人及び世帯」を対象として実施される、日本国の最も重要かつ基本的な統計調査で、唯一の全数調査である。国勢調査では、国内の市区町村ごとの人口、世帯の数・内訳・就業状況・交通手段、年齢別男女比、産業構造、産業別・職業別の就業者数、昼間と夜間の人口の違い、居住の位置・期間・建築・種類などについて調査が行われる。調査の結果は、国や地方公共団体における福祉施策・生活環境整備・被災者数予測を含む災害対策、地方交付税の配分や民間の出店計画・統計利用など生活に関わる様々な場面で使われている。衆議院選挙小選挙区の区割り、村町が市への移行の必要要件の一つとなる人口5万人以上も国勢調査結果の法定人口に基づいており、少子高齢化対策や防災対策、都市計画など多くの政策を策定する上での基礎資料となっている[2][3]。
国勢調査は統計法第5条を根拠とする「基幹統計調査」と位置付けられており、基本的には5年ごとに、なおかつ「西暦が5の倍数の年」に実施される(後述)が、総務大臣が必要があると認めるときは臨時の国勢調査を行うこともできると規定されている(第5条第3項)。大災害以降初調査など例外はあるものの西暦の末尾が0の年は「大規模調査」として20項目を調査し、末尾が5の年には「簡易調査」として17項目を調査されている[4]。
国勢調査は統計法に基づいていることで個人情報保護法の適応外で回答義務のある基幹統計調査として実施されているため[5]、国勢調査拒否、または虚偽報告が発覚した者に対する『50万円以下の罰金』という罰則が規定されている(同法第61条)。
第1回国勢調査は1920年(大正9年)10月1日に実施され、2020年(令和2年)に実施された令和2年国勢調査で、第21回目(100周年)の調査となった[2]。
諸外国及び日本も含めた国勢調査(Census、人口センサスとも呼ばれる)全般については国勢調査を、また「緑の国勢調査」については自然環境保全基礎調査を参照。
概要
現行の国勢調査は統計法(平成19年5月23日法律第53号)、国勢調査令(昭和55年4月15日政令第98号)、国勢調査施行規則(昭和55年総理府令第21号)等の法令を根拠として実施されている。なお、国勢調査について定めた法律として、大日本帝国では国勢調査ニ関スル法律(明治35年12月1日法律第49号)、戦後は旧統計法(昭和22年法律第18号)が定められていた。
調査は基本的に5年ごとに行われ、西暦年の末尾が「0」の年は大規模調査として、また西暦年の末尾が「5」の年には簡易調査として行われる(統計法第5条第2項)。いずれの場合も、調査は10月1日現在の状況に関して行われ、同日の前後それぞれ半月程度の期間に調査員による実地調査が行われる。大規模調査と簡易調査の違いは調査項目数にあり、従来から、大規模調査は22項目、簡易調査は17項目を調査している(調査年により変遷がある)。平成22年国勢調査(大規模調査)の調査事項は20項目である。なお、総務大臣が必要があると認めるときは臨時の国勢調査を行うこともできる(統計法第5条第3項)。
調査は世帯単位で行われる。「世帯」とは、住居と生計をともにする個人の集まりであり、典型的には、一つの住宅に居住して共同生活を営む親族がその例である。しかし、たとえば友人同士や恋人同士がアパートを借りて「ルームシェア生活」「同棲生活」をしている場合など、互いに親族関係のない者の集まりであっても、住居と生計をともにしていれば「世帯」とされる。また、一つの住宅に独立して居住している一人の個人は、それ自体で一つの「世帯」とされる。
- 第五条 総務大臣は、本邦に居住している者として政令で定める者について、人及び世帯に関する全数調査を行い、これに基づく統計(以下この条において「国勢統計」という。)を作成しなければならない。
- 2 総務大臣は、前項に規定する全数調査(以下「国勢調査」という。)を十年ごとに行い、国勢統計を作成しなければならない。ただし、当該国勢調査を行った年から五年目に当たる年には簡易な方法による国勢調査を行い、国勢統計を作成するものとする。(統計法第5条 平成19年法律第53号)
なお、新統計法(平成19年5月23日法律第53号)による最初の国勢調査は平成22年に行うものとすると定められている(附則第4条)。
目的
国勢調査の基本的な目的は、日本国内(ただし、北方領土及び竹島は除かれている[注釈 2])の人口・世帯の実態を把握し、各種行政施策の基本資料を得ることとされているが、国勢調査の利用は政治や行政などの公的な目的にとどまらず、民間企業の経営判断や研究活動などにも広く活用されている。
国勢調査の主な目的・意義を挙げると、およそ次の3点に整理することができる。
一つは、政治や行政など公的な目的での基準となる統計数字を与えることである。国勢調査では、人口数だけではなく、年齢別、配偶関係別、就業状態別、産業・職業別などの詳細な人口や、世帯構成別の世帯数など様々な人口・世帯の統計結果が得られ、様々な目的で広く活用されている。国勢調査の人口の代表的な利用目的には、法律に基づいて地方交付税の配分や衆議院議員選挙区の画定などの基準を与えることなどがあり、このため国勢調査の人口は「法定人口」とも呼ばれる。
二つ目は、民間・研究部門における利用である。民間企業では、市場の規模や需要の動向を見積もったり、出店戦略を立てたりする場合に、国勢調査から得られる人口構成や人口の地域分布に関する統計データが用いられる。また、大学や学術研究機関では、社会や経済の動向を分析する目的で国勢調査の統計データが用いられる。また、国勢調査のデータは、学校教育においてもしばしば引用される。
三つ目の利用としては、他の様々な統計を作成する基盤となる基礎データを与えることである。国勢調査の各種の統計は、労働力調査、家計調査、国民生活基礎調査など様々な世帯を単位とする標本調査を設計する上での「フレーム」としても用いられている。また、将来人口推計の基礎データとして用いられており、日本の統計体系の基盤を与えることも国勢調査の重要な目的とされている。
このように、国勢調査の統計は官民ともに広く用いられているほか、統計の推計・分析の体系の基礎となっている。また、国際的にみても、国勢調査は少なくとも10年ごとに実施することとされており、日本のように5年ごとに実施する国も多く見られる。これは、国際連合が、世界の人口・経済の動向を一斉に把握することを目的として、西暦の末尾が「0」の年を中心に「世界人口・住宅センサス計画」The 2010 World Population and Housing Census Programmeを提唱し、世界各国に国勢調査を実施することを勧告しているためである。日本の国勢調査もその一環として位置付けられている。
統計法の第1条(目的)では、公的統計(行政機関等の作成する統計の総称)を「国民にとって合理的な意思決定を行うための基盤となる重要な情報である」と位置付けており、「公的統計の体系的かつ効率的な整備及びその有用性の確保を図り、もって国民経済の健全な発展及び国民生活の向上に寄与する」ことを目指すとされている。国勢調査は、このような統計法の目的を達成するために行われるものといえる。
統計についての利用ニーズは、時代とともに変化する。日本では、戸籍の制度が国勢調査創設以前の明治時代初期にすでに整備され、人口統計としての機能を相当程度果たしていた。このため、政治・政策上の主要なニーズに応える程度の人口の静態・動態についての情報は戸籍からえられる、というのが国家指導者たちの認識であった[6]。これは宗教及び人種に関して比較的均質であるという日本の事情によるものであり、外国とは異なる点であった。人口学者が人口動態の詳細な分析をおこなうとか、保険会社が保険料率算定のために死亡率の精確なデータを必要とするとかいった特殊なニーズをのぞけば、戸籍で事足りていたのである[7]。このような事情から、国勢調査に関する提言が明治時代に幾度もおこなわれたにもかかわらず、実際に実施されるのは大正時代をまたなければならなかったと考えられる。
今日の社会では、統計に対するニーズは官民ともに多様化しており、また、客観的なデータに基づいて公平・公正な行政を行わなければならないことから、正確な総人口の数字はもちろんのこと、個人や世帯の属性の別に詳細に分類集計した統計が必要とされている。国勢調査は、そのようなニーズに応えることが期待されている。
国勢調査の意義・役割等の詳細については、『平成22年国勢調査実施計画』[8] を参照のこと。
歴史
国勢調査の起源と名称について
日本の国勢調査の萌芽は、統計学者・杉亨二が駿河国(現在の静岡県)でおこなった調査に基づいて作成した「沼津政表」「原政表」(明治2年(1869年)実施)や、甲斐国現在人別調(明治12年(1879年)実施)に見ることができる(横山雅男『統計学』[9] 22, 260-261頁)。特に、現在の山梨県で行われた甲斐国現在人別調は、本格的な全国規模人口センサスに向けた試験調査として行われたもので、調査実施のノウハウを得る貴重な機会であった。そこで調査を経験した呉文聰、高橋二郎、寺田勇吉、岡松徑らが、後の国勢調査実施の中心的役割を担うことになる[6]。もっとも、当時の社会情勢では、全国調査実施の機運は十分に高まらなかった。
日清戦争(明治27年(1894年)8月 - 28年(1895年)4月)の終わった明治28年(1895年)9月21日、欧米諸国の統計局長及び著名な統計学者により構成される国際団体である国際統計協会 (International Statistical Institute) から日本政府に対して「1900年世界人口センサス」への参加の働きかけがあった[注釈 3]。これを契機として国勢調査の実施の機運が高まることとなった[7]。明治29年(1896年)、貴族院及び衆議院では「国勢調査ニ関スル建議」が可決された。日本の公的な資料において国勢調査の語が登場したのはこれが最初である。この建議では、国勢調査について、「国勢調査ハ全国人民ノ現状即チ男女年齢職業…(中略)…家別人別ニ就キ精細ニ現実ノ状況ヲ調査スルモノニシテ一タビ此ノ調査ヲ行フトキハ全国ノ情勢之ヲ掌上ニ見ルヲ得ベシ、…」[11] との記述があり、このことから、「国勢調査」という名称は「国の情勢」を調査するという意味で名付けられたものと考えられている。
国勢調査を実施するための根拠となる「国勢調査ニ関スル法律」[12] は、この建議から6年後の明治35(1902年)12月2日に成立し、公布された。これに基づき、第1回国勢調査は明治38年(1905年)に行われることになっていたが、日露戦争(明治37年(1904年) - 38年(1905年))のため、実施は見送られた。さらにその10年後の大正4年(1915年)にも、その前年から日本も参戦した第一次世界大戦の影響などで実施が見送られ、最初の国勢調査の実施は大正9年(1920年)10月1日を「調査時」とするものとなった。
「国勢調査」の語源については諸説ある。論文に登場する最も古い用例は、臼井喜之作が明治26年(1893年)に『統計学雑誌』86号に掲載した「国庫剰余金より国勢大調査費を支出すべきの議」である。その中には、「彼の日本新聞は客年既に国勢調査の必要性を論じて曰く…」との記述があることから、すでに「国勢調査」が当時の新聞に登場していた可能性がある。ただし、当時の『日本新聞』を探索した奥積雅彦[13] によれば、該当する新聞記事は発見できていないという。
なお、「国勢」という語は、国勢調査以前にも大隈重信などにより用いられている。大隈重信は、明治14年(1881年)に建議した「統計院設置の件」の冒頭で、「現在ノ国勢ヲ詳明セサレハ 政府則チ施政ノ便ヲ失フ 過去施政ノ結果ヲ鑑照セサレハ 政府其政策ノ利弊ヲ知ルニ由ナシ …(中略)…現在ノ国勢ヲ一目ニ明瞭ナラシムル者ハ統計ニ若クハ莫シ」[14] [15] と述べている(大意:現在の国の情勢を詳しく明らかにしなければ、政府は施政の手段を失う。過去の施政の結果を詳しく調べなければ、政府はその政策の利点や弊害を知る方法がない。…現在の国の情勢を一目で明瞭にするものとして統計に並ぶものはない)。「国勢」という語は、statistics(語源はstate=国)の訳語に充てられていた「国勢学」にも用いられていたことからも分かるように、明治初期以降、一般に用いられていたものと推定される。
しかし、1895年に国際統計協会から「世界人口センサス」への参加の働きかけがあった際には、日本の統計学者間に、「センサス」を日本語でどう呼ぶかについての統一見解はなかった。「人別調査」「人口調査」「民勢調査」「国民調査」など、いろいろな訳語案が共存していた[13]。第16回帝国議会に「国勢調査ニ関スル法律案」[12] を提出した際の主唱者、内藤守三衆議院議員によれば、当時の有力な統計学者のなかで杉亨二は「人別調査」、呉文聰は「民勢調査」という名称を推していた。内藤はそれに対して「理屈は兎に角日本帝国の調査は国勢調査と称ふるのなら文句の通りが好い」(『日本国勢調査記念録』[注釈 4] (1922年) 第1巻より「国勢調査法律案提出に関する前後の状況」41頁)と答えて「国勢調査」で押し通したのだという。内藤はこれ以上のことを述べていないが、「国勢」は「国家の勢力」だと解釈できるため、当時の「国の力を増し、欧米に追いつき追い越せ」という風潮に乗り、「国の勢力を調べる調査」というイメージを含ませることによって国家指導者の調査への賛同を得るという思惑があったと見ることもできる[6]。
他方、統計学者の一部には、経済状況をふくめて幅広い調査項目を調べるセンサスを実施したいという野望を持つ勢力があり、彼らにとっては「人別調査」「人口調査」のような用語で調査項目を限定してしまうのは不都合であった[7]。やはり当時の有力な統計学者であり、第1回国勢調査の中心メンバーでもあった横山雅男は、後に出版した『統計学』[9] において、ヨーロッパでのセンサスが人口中心の狭義的調査であるのに対して米国・カナダ・メキシコ・オーストラリアのセンサスは「人口と殆ど同じ大切さを以て経済事項を調べる」広義的なものと述べたうえで、「成るべく多方面に参考となるべき事項を調べることこそ得策なりと決定して斯く意訳して国勢調査とした」(255頁)と説明している。
もっとも実際には、初回から大量の項目を盛り込むことはできず、第1回国勢調査は、ほぼ人口関連事項だけを調べる狭い内容のものになった。この点について、統計学者でもあり政治家でもあった柳澤保恵は、国勢調査員に向けた講演でつぎのように語っている:米国のセンサスにくらべると「今回の国勢調査の範囲は尚ほヅット狭い」「英吉利風の『センサス』即ち……人口静態調査(ポピュレーションセンサス)である」「然し是は第一回の調査項目であります」「第二回の場合には少しく他の要目が加わるかも知れぬ」(『日本国勢調査記念録』[注釈 4](1922年)第2巻より「調査講演」196-199頁)。
彼らは、ただの人口調査ではなく、今日であれば経済構造統計や労働力調査で知るような事柄をふくめ、社会の全体像を映す全数統計としてのセンサスを目指していたのである。事実、第1回調査以降、統計学者は国勢調査の対象を工場や商店にまで拡張して経済構造調査にしようとしばしば画策した。だが、それはほとんど実現しなかった[注釈 5]。経済や労働に関する統計は、全数を対象とするセンサスではなく、その一部を抜き出す方法(典型調査あるいは裾切調査)で作成する方向に進化していく。1950年代になると、人口のセンサス(国勢調査)と事業所・企業のセンサス(事業所・企業統計調査)で得た情報で母集団を設定し、確率論に基づいた無作為抽出で調査対象を選ぶ標本調査が全面的に導入される。
沿革
国勢調査ニ関スル法律[12] は1902年(明治35年)成立し、国勢調査はいったん1905年に実施予定となった。しかし日露戦争(1904-1905年)で延期された後、大正政変(1913年)前後の政情不安定と第一次世界大戦(1914-1918年)などのため実施がさらに先送りとなり、結局1920年(大正9年)に第1回の調査が行われた(横山『統計学』[9] 262-264頁)。
以後の国勢調査は、基本的に5年に一度、10月1日を調査時として行われてきた。ただし、1945年実施予定であった調査は、太平洋戦争の戦況悪化のため中止された[20]。その代わりに、戦後の1947年に臨時の国勢調査が実施された。
各回の実施年は以下のとおり。西暦で下一桁が0の年が大規模調査、5の年が簡易調査となっている。
回 | 実施年 | 調査方法 | 調査人数 |
---|---|---|---|
第1回 | 1920年 | 大規模調査 | 55,963,053 |
第2回 | 1925年 | 簡易調査 | 59,736,822 |
第3回 | 1930年 | 大規模調査 | 64,450,005 |
第4回 | 1935年 | 簡易調査 | 69,254,148 |
第5回 | 1940年 | 大規模調査 | 73,114,308 |
第6回 | 1947年 | 臨時調査 | 78,101,473 |
第7回 | 1950年 | 大規模調査 | 83,199,637 |
第8回 | 1955年 | 簡易調査 | 89,275,529 |
第9回 | 1960年 | 大規模調査 | 93,418,501 |
第10回 | 1965年 | 簡易調査 | 98,274,961 |
第11回 | 1970年 | 大規模調査 | 103,720,060 |
第12回 | 1975年 | 簡易調査 | 111,939,643 |
第13回 | 1980年 | 大規模調査 | 117,060,396 |
第14回 | 1985年 | 簡易調査 | 121,048,923 |
第15回 | 1990年 | 大規模調査 | 123,611,167 |
第16回 | 1995年 | 簡易調査 | 125,570,246 |
第17回 | 2000年 | 大規模調査 | 126,925,843 |
第18回 | 2005年 | 簡易調査 | 127,767,994 |
第19回 | 2010年 | 大規模調査 | 128,057,352 |
第20回 | 2015年 | 簡易調査 | 127,094,745 |
第21回 | 2020年 | 大規模調査 | 126,226,568 |
第22回 | 2025年 | 簡易調査 | 予定 |
このほか、戦中には、軍需関連に要する人員の確保や必需物資の配給統制の確立を目的とした人口調査が実施された。「国勢調査」とは称されなかったが、人口及び世帯に関する銃後人口の全数調査を実施しており、不完全ながらもセンサスである。戦後にも、衆議院議員総選挙の準備などの目的で、やはり「人口調査」がおこなわれている。
実施年月日 | 調査方法 | 調査人数 |
---|---|---|
1944年2月22日 | 人口調査 | 73,456,141 |
1945年11月1日 | 71,998,104 | |
1946年4月26日 | 73,114,136 | |
1948年8月1日 | 常住人口調査 | 80,216,896 |
米軍占領下の沖縄でも独自に国勢調査が実施された。
実施年月日 | 調査方法 | 調査人数 |
---|---|---|
1950年12月1日 | 大規模調査 | 917,875(奄美群島を含む) |
1955年12月1日 | 臨時国勢調査(簡易調査) | 801,065 |
1960年12月1日 | 大規模調査 | 883,122 |
1965年10月1日 | 臨時国勢調査(簡易調査) | 934,176 |
1970年10月1日 | 大規模調査 | 944,111 |
2005年の国勢調査では、国民の個人情報保護に対する意識の高まりや、オートロックマンションの増加などによって調査実施の困難度が高まってきたことから、調査方法の見直しが行われてきた[21]。その検討結果を踏まえ、2010年の国勢調査では、調査票の封入提出方式、郵送提出方式など新たな調査方法が導入されることとなった。その詳細については、『平成22年国勢調査実施計画』(総務省統計局)を参照のこと。
調査の内容
調査の基準
国勢調査は実施年の10月1日午前0時現在を基準として行われる(国勢調査令第3条)。なお、この基準となる時刻を「調査時」と呼ぶ。
調査の対象
国勢調査は全数調査であり、国籍を問わず、原則として日本に普段居住している(することになっている者)人と世帯全てが対象である[22]。
国勢調査は、住民基本台帳で届出が出されている住所にかかわらず、国勢調査令第2条で定められる「住居」(同一の場所に継続的に起居した期間及び継続的に起居しようとする期間を通算した期間が三月以上にわたる者についてはその場所、三月に満たない者についてはその者の現にある場所)を基準として行われる。これは、居住の実態をできるだけ正確に反映した統計を作成するためである。ホームレスや県境など市区町村境が未確定で、住居・住所が定まっていない人に対しては、実際に居る場所で国勢調査員あるいは国勢調査指導員が調査を行なう。
具体的には次に掲げる者が対象者となる(国勢調査令第4条第1項)。
- 調査時において本邦にある者で、本邦にある期間が引き続き三月以上にわたることとなるもの
- 本邦に生活の本拠を有する者(前号に掲げる者及び調査時において本邦外にある者(船舶に乗り組んでいる者を除く。)で本邦外にある期間が引き続き三月以上にわたることとなるものを除く。)
- 本邦の港を発し、途中本邦の港以外の港に寄港しないで本邦の港に入つた船舶(調査時において本邦の港にある船舶又は調査時後五日以内に本邦の港に入つた船舶に限る。)に乗り組んでいる者(前二号に掲げる者及び本邦外に生活の本拠を有する者を除く。)
このように、自国民だけではなく外国人の居住者も調査されることは、諸外国の国勢調査でも同様である。
ただし次に掲げる者は、調査の対象から除外される(国勢調査令第4条第2項)。
- 日本国政府が接受する外国政府の外交使節団又は領事機関の構成員並びに条約又は国際慣行により外交使節と同様の特権及び免除を受ける者であって、日本国民でないもの(外交官等)、外交官等と同一の世帯に属する家族の構成員並びに外交官等の個人的使用人で日本国民でないもの
- 日本国政府の承認した外国政府又は国際機関の公務に従事する者で日本国民でないもの及びその者と同一の世帯に属する家族の構成員(前号に掲げる者を除く。)
なお、北方領土及び竹島については、日本の実効支配が及んでいない状況にあるため国勢調査の対象地域から除外されている(国勢調査施行規則第1条)。
調査区
国勢調査令第8条第1項により調査区が設定される。国勢調査の調査区の設定の基準等に関する省令(昭和59年総理府令第24号)により、以下の区分が行われる。
- 一般調査区 - 市町村の区域
- 特別調査区 -
- 相当規模の山林、原野等の区域で居住者の存しないもの又は著しく少ないもの
- 工場、教育文化施設、交通施設その他人の居住の用に供されない施設で相当規模のものの存する区域
- 生活保護法第三十八条第二項に規定する救護施設及び同条第三項に規定する更生施設、病院(おおむね患者二百人以上の収容施設を有するものに限る。)、刑務所、自衛隊の営舎その他これらに類する施設の存する区域
- おおむね五十人以上の単身者が居住している寄宿舎、寮等の存する区域
- 水面調査区 - 水上生活者の把握のために設けられた区分。
- 港湾法(昭和二十五年法律第二百十八号)第二条第二項に規定する国際戦略港湾、国際拠点港湾又は重要港湾の同条第三項に規定する港湾区域
- 港湾法第二条第二項に規定する地方港湾の同条第三項に規定する港湾区域又は漁港漁場整備法(昭和二十五年法律第百三十七号)第二条に規定する漁港の水域(前号の国際戦略港湾、国際拠点港湾又は重要港湾に指定されている漁港の水域にあつては港湾区域に該当する水域を除いた水域)で居住者の存するもの
- 河川又は運河の河口及びその周辺水域で居住者の存するもの(前二号に該当するものを除く。)
報告義務
国勢調査を始めとする基幹統計調査では、調査対象となる個人又は法人その他の団体に対し報告が義務づけられており、これを拒み、又は虚偽の報告をしてはならないと定められている(統計法第13条第2項)。
また、報告を求められた者が、未成年者又は成年被後見人である場合においては、その法定代理人が本人に代わって報告する義務を負う(統計法第13条第3項)。
国勢調査を始めとする、基幹統計調査に係る調査票情報に含まれる個人情報については、行政機関の保有する個人情報の保護に関する法律や独立行政法人等の保有する個人情報の保護に関する法律の例外扱いとされており、調査対象者となる者すべてが回答する義務を有する(統計法第52条、統計法第13条)。統計法第13条の規定に違反して、報告を拒み、又は虚偽の報告をした者は50万円以下の罰金に処される(統計法第61条)。このほか、統計法第13条に規定する基幹統計調査の報告を求められた者の報告を妨げた者は6か月以下の懲役または50万円以下の罰金に処される(統計法第60条)。
なお、この報告義務を悪用し、国勢調査その他の基幹統計調査の報告の求めであると人を誤認させるような表示又は説明をすることにより、個人又は法人その他の団体の情報を取得した者は2年以下の懲役又は100万円以下の罰金に処される(統計法第57条第1項)。
情報の利用制限と守秘義務
国勢調査は統計法に基づいて行われる統計調査であり、調査員を含め調査に携わる者すべてに対して、統計法により、調査対象者の秘密を保護する義務が課せられており、違反した場合の罰則も設けられている。たとえば、調査員が守秘義務に違反した場合、罰則が適用されることとなる。また、国勢調査の調査票に記載された情報は、統計法に定める統計上の目的以外に使用することは禁止されている。たとえば税務、警察など他の行政に用いられることは禁止されている。ただし個人情報が含まれない統計データは様々な分野に活用されている[23]。
統計法では、国勢調査を始めとする基幹統計調査について、個人情報保護法と同等以上の個人情報保護に関する規定が設けられている。
調査票とともに配布される冊子に記述はないが、得られた個別のデータは統計処理された後に消去される[23]。
調査事項等
国勢調査の調査事項は次に掲げる事項である。
(1)世帯員に関する事項
- 氏名
- 男女の別
- 出生の年月
- 世帯主との続柄
- 配偶の関係
- 国籍
- 現在の住居における居住期間
- 五年前の住居の所在地
- 在学、卒業等教育の状況
- 就業状態
- 所属の事業所の名称及び事業の種類
- 仕事の種類 - 日本標準産業分類に従って記入するが、電気店を「電気業」と回答する例があり(本来は小売業)、正確性に疑問が残る[23]。
- 従業上の地位
- 従業地又は通学地
- 従業地又は通学地までの利用交通手段
(2)世帯に関する事項
- 世帯の種類
- 世帯員の数
- 住居の種類 - 集合住宅の場合は居住している階数と総階数[23]。
- 住宅の床面積 - 2015年に臨時的に除外され、2020年に廃止された。廃止理由は、2015年に追加された2項目「現在の住居における居住期間」「五年前の住居の所在地」に伴う負担減少と、元来、記入状況が最も悪い項目であるため、オンライン回答による途中棄権を減らす目的である[24]。2005年までは「坪」で記入することができたが、2010年には平方メートルのみの記入となり、「坪」で記入することは無くなった[25][26])
- 住宅の建て方 - 2015年から記入項目から除外された。調査員が調査票を配布する際に、住宅の外見から判断して、調査票の各世帯の固有記号に合わせて調査員が別途記録している[27])
調査員
国勢調査員
国勢調査員は総務大臣の任命による非常勤の国家公務員という位置づけである。
戦前においては地域の名士や有力者が推薦されるなど、調査員になること自体がステータスであった。第1回国勢調査の2年前に公布された国勢調査施行令(大正7年勅令第358号)[28] は、「国勢調査員ハ府県知事ノ推薦ニ依リ内閣ニ於テ之ヲ命ス」「国勢調査員ハ名誉職トス」(13条)と規定する。第1回調査終了後に発刊された『日本国勢調査記念録』[注釈 4] には、紳士録としての性質もあった。多くの調査員が、寄付を行ってこの『記念録』に氏名・写真を掲載した[6][22][注釈 6]。また、実施記念の表彰として第一回国勢調査記念章が制定され(大正10年6月17日勅令第272号「第一回国勢調査記念章制定ノ件」[29] 第1条)、国勢調査事業に直接関与した者やそれに伴う要務に関与した者に授与された(同第3条)。
-
第一回国勢調査記念章(表面)
-
第一回国勢調査記念章(裏面)
戦後については、20歳以上の者となっている。一般に公募が行われており、市報や自治体のウェブサイトで募集をする。このほか、自治体によっては、以前調査員だった経験者に応募を呼びかけたり、町内会に推薦を依頼している例も多くある。調査員は、調査対象地域をよく知っている必要があることから、その地域に居住する者を任命する場合が多く、その結果、調査員と調査対象者が顔見知りとなる場合もあり、「知り合いとはいえども個人情報は見られたくない」という苦情が出ることもある。他方、地域によっては、見ず知らずの人が調査に来るのを好まない場合もある。そのため、調査員は、地域の実情に合わせて顔見知りでない者を選任するなど、自治体ごとに配置に配慮がされている。
近年は、調査実施の困難性の増大や調査対象世帯との接触の難しさなどから、調査員の確保は回を追うごとに難しくなる傾向があり、調査員の人数をそろえることに苦心する自治体も多い。調査員の中には経験の浅い人も含まれることから、任命後に、「個人情報の厳正な取り扱い」や「接遇」について指導が行われている。
2005年10月の国勢調査では、仙台市青葉区で80人を超える調査員が期間中に大量辞退した。市では、高齢者が多いためと説明しているが、被調査者側の協力が得られなかったりすることによる精神的な負担のためともいわれる。市は市職員を調査員として動員して対処した。
調査員の遭遇する事故
調査員は不特定多数の世帯を訪ねなければならない必要上、事故や事件に遭遇する場合がある。事故の多くは、犬に咬まれたり、階段などで転倒したりするものである。過去には1990年の国勢調査では女性調査員が被害に遭う殺人事件が1件あった(国勢調査員殺害事件)。調査活動に関連する事故・事件を予防するために、調査員に対しては事前に安全対策マニュアルなどによって指導が行われている。また、調査員の家族などが、調査上の秘密に触れないことを前提として、調査員に同行する制度も設けられている。調査員が調査活動中に事故に遭遇した場合には、公務災害補償の対象となる。
国勢調査指導員
国勢調査調査員を指導する役職である。非常勤の国家公務員である。自治体によっては公募しているところもある。25歳以上。自治体職員が引き受ける場合が多い。
調査の手順
調査票の配布・回収
2010年の国勢調査では、従来の国勢調査と同様、国勢調査員が各家庭に調査票を配布する。これは、居住の実態をできるだけ正確にとらえる必要があるためである。原則として手渡しなので不在の場合であっても郵便受けに入れていくことは行わず、連絡メモを置いて再訪することになっている。ただし、どうしても面会できない場合には、郵便受けに調査票、記入方法の解説資料、返信用封筒をセットにして入れる。東京都では「インターネット回答の利用案内」の用紙が同時に配布され、インターネットを利用した調査票の回答が可能である[30]。2015年の国勢調査では希望者に対して、全国でインターネット回答が実施された。
回収も原則として国勢調査員が各家庭を訪問して回収するが、2010年国勢調査では、プライバシー意識に配慮して、調査票を封入して提出することとされている。提出に用いる封筒は、調査票の配布時に資料と一緒に配布される。封入して提出された調査票は、調査員が開封することなく市区町村に届けられ、市区町村で開封・整理される。また、2020年の国勢調査では、希望する世帯は郵送による提出もできることとされており、すべての世帯に料金受取人払の郵送用封筒が配布される。封筒の宛先は市区町村役所とされている。
先行社会実験として東京都限定でインターネット回答実験実施。[いつ?]利用する場合は調査票に同封されている調査対象者IDと確認コード(パスワード)を利用して回答する。調査対象者IDか確認コードを紛失してしまった場合は、紙の調査票を記入する必要がある。利用率は想定では5%程度が見込まれていたが、実際は8.3%の利用率であったため[31]、2015年の簡易国勢調査では日本全国に拡大された。
2020年の国勢調査では新型コロナウイルスの感染拡大を防止する観点から、ポスト投函の実施やオンライン回答を推奨することとなった[32]。
記入法
調査票は機械で読み取られることから、黒の鉛筆(シャープペンシルでも可)で記入する。ボールペンのような消せないものでは記入しない。
集計
集計は調査票から光学文字認識での集計の他、住民基本台帳などの行政データを用いて行われる。 それでも得られなかった未回収・未回答に関しては、不詳に分類する以外に、補定と呼ばれる推計類似の手法を使って、全体の数の算出が行われる。
集計は独立行政法人統計センターでコンピュータ処理により行う。
なお、集計後の調査票用紙は熔かしたあと、再生紙としてリサイクルされる。
調査の意義・Q&A
本調査の意義に関する主な質問と質問は以下のとおりである。
(国勢調査に関する各種の疑問に対する総務省統計局の回答については、平成22年国勢調査に関するQ&Aを参照)
- 住民基本台帳で人口を把握しているのだからその値を使えばいいのではないか
- →これは明確な誤解であり、住民票を移さない人口の多さと統計結果でその地域の施策が変わることを全く理解していない[2]。さらに住民基本台帳で得られるのは男女別等基本的な属性および家族構成のみで、就業状況等の詳細な属性が把握できない。さらに就学や単身赴任、入院などによる期間が限定的な人口移動は住民票の転入転出届を出さずに行われることが多く住民票からは把握できない。実際、大学の多い大都市地域では、住民基本台帳に基づく若年人口が、国勢調査に基づく若年人口を大幅に下回っており、大学生の中には、住居移動をしても住民票の変更手続きをしないまま、大学に通っている者が多いという事情をうかがわせる。この様に、住民基本台帳に基づく統計では利用面で限界があることから、日本では定期的に国勢調査を行い、正確な実態を把握することとされている。例えば市内に大学が数多くある東京・八王子市だけでも2015年の国勢調査で判明した市内の人口は57万8000人で、住民票に基づいた人口56万3000人より、1万5000人多い結果となっていた。佐藤正広東京外国語大学大学院教授は、「住民票は移していないものの、ゴミも出すし、上下水道も使う。さまざまな社会的なインフラに負荷がかかるため、行政としては、そこまで計算に入れて中長期的な計画を立てなければならない。このほか、コンビニの出店計画などにも影響が出るだろう」と指摘している[2]。
- 何のために調査を行うのかそもそも知られていない。
- →国勢調査で提出された人口は人口分析だけではなく、法定人口として地域行政の規模(議員定数の決定、市や指定都市などの設定要件、地方交付税交付金の配分、都市計画の策定、過疎地域の要件、衆議院議員選挙区の画定)を決定したり社会福祉・まちづくり・経済政策・災害対策など、行政上、欠かせない役割を担っている。また、国勢調査の結果から、日本の将来人口推計や地域ごとの人口や雇用の実態などが明らかにされ、それを通じて国民が国や地域の実態や将来像を正しく理解するために広く活用されている。このように国勢調査は、その結果が様々な政策に用いられるほか、国民が国や地域の実情を知ることを通じて、国民生活に役立っている。
- 調査員が訪問する時間帯は多くの会社等の勤務時間と同じ昼間であり、共働き等で昼間家にいない場合、調査員と調査対象者が会うことが難しい。
- →2010年以降の国勢調査では、提出をより容易にするために、世帯が希望すれば調査票を郵送により提出できることとしており、そのために全世帯に郵送提出用封筒(郵送料は国が負担)を配布することとされている。2015年には回答者の36.9%はインターネットで回答している。2020年には総務省はコロナ感染予防のため、対面式の方の調査を説明などをインターフォン越しに行ったうえで、書類は郵便受けに入れるなどとした方針に変えた[2]。
- 調査票の回収方法に関して、2005年調査においては、調査員を装った者が調査票を回収する事件が発生したり、また調査票を調査員に渡すことに抵抗を感じる世帯も多くなっている。
- →2010年国勢調査では、調査員をより正確に識別できるよう、調査員が、写真入りの身分証明書、腕章、国勢調査のネーム入りの手提げ袋を携行することとしており、これによって従来よりも識別性が高まるとされている。また、調査票を調査員に提出する場合には、すべての世帯で、予め配布された封筒に調査票を封入して提出することとされている。また、希望する世帯は郵送によって調査票を提出することも可能とされている。
- 過去の国勢調査結果を参照する場合、従前、統計局のウェブサイトでは、1980年以降の国勢調査結果を公開していたが、それより前のものは載せていなかった。民間のサイトでも同様であり、そのため、戦後高度経済成長期の日本の実態を調べるには、わざわざ図書館などで国勢調査報告書を閲覧しなければならなかった。
- →2008年からは政府統計共同利用サイト (政府統計の総合窓口 e-Stat) の開設などを通じて、インターネットによる統計提供の拡充・改善が進められている。国勢調査の結果を始めとする各種統計が、より長期間の系列インターネットで従来よりも使いやすい形で提供されるようになっている。
なお、国勢調査の過去のデータを利用する場合には、総務省統計局の次のサイトの情報が便利である。
- 平成7年国勢調査結果
- 平成12年国勢調査結果
- 平成17年国勢調査結果
- 統計局ホームページ/第2章 人口・世帯 /人口統計の長期時系列データ 02.htm(2009年1月13日アーカイブ) - 国立国会図書館Web Archiving Project(明治、大正期も含み、国勢調査のほか人口動態統計なども収録)
政府統計の総合窓口 (e-Stat) も国勢調査の「時系列データ」を提供している:
- “国勢調査 時系列データ”. 政府統計の総合窓口. 総務省統計局; 統計センター. 2023年6月25日閲覧。
国立社会保障・人口問題研究所が毎年刊行する『人口統計資料集』でも、国勢調査をふくめ、日本の人口に関する長期の統計情報を得ることができる:
- “I. 人口および人口増加率”. www.ipss.go.jp. 人口統計資料集. 国立社会保障・人口問題研究所. 2023年6月25日閲覧。
各調査について
第18回国勢調査
2005年(平成17年)10月1日現在で行われた。9月23日から調査員が調査票の配布を行い、10月10日までに回収した。
第19回国勢調査
2010年(平成22年)10月1日現在で行われた。原則的に調査員のチェックを受けずに回収する方式に転換したため記入漏れなども多い。10月16日の河北新報1面では「酷勢調査」と題する記事で、宮城県色麻町の担当者の「完全な調査票は50枚に1枚くらい」との発言を伝えている。
第20回国勢調査
2015年(平成27年)10月1日現在で行われた。今回より全国規模でインターネット回答が始まり、9月10日から調査員がインターネット回答の案内を配布を行い、調査票の配布に先行して行われた。回答は20日に一度締め切られ、回答しなかった世帯には26日から調査員が改めて調査票を配布する(この日より10月20日まで再度インターネット回答が可能になった)。
第21回国勢調査
2020年(令和2年)10月現在での調査。
新型コロナウイルスの流行に伴い、対面調査を控え調査書類のポスト投函やオンライン回答の推奨を呼びかけた。
住宅床面積の項目は廃止された。
回答率が10月1日の時点で36.2%にとどまっていることから、武田良太総務大臣が記者会見で協力の呼びかけを行った[33]。
当初の締め切りは10月7日であったが、6日時点で回答率が35.1%と低かったため、オンラインでの回答締め切りを2週間延長した[34]。2020年10月19日という郵送回答締切一日前時点で郵送+インターネット回答合算が80.8%で前回より回答率が高まっている[35]。
その他
広報
第1回の調査では、国勢調査により先進国の仲間入りを果たしたという宣伝ポスターが多数制作された[36]。
国勢調査のイメージキャラクターとして、男の赤ちゃんのセンサスくんが1990年の国勢調査から使用されている。センサスくんの名前は、英語で国勢調査を意味する、人口センサスに由来する。2015年には女の赤ちゃんのみらいちゃんが加わる[37]。
記念品
1920年に行われた第一回の調査員に対しては、内閣からの任命書のほか様々な記念品が贈られた。記念のプレートのほか[38]、表面に大化年間の国司が戸籍の巻き物を手に立っている姿[39]、裏面に「国勢調査記念章」の文字が刻まれたメダルの存在が確認されている[40]。
費用について
当初1905年に予定されていた調査は、約300万円(当時の農商務省の単年度予算に匹敵)と試算されていた。後の第1回調査(1920年)の費用は、295万7000円である[6]。
第18回調査(2005年)では、調査費用は約650億円が予算計上された(他に、前年の予備調査等に約20億円。市等地方自治体職員の労働時間等は除外)。
日本の国勢調査の経費(人口1人当たり)は、他の主要先進国と比べてかなり低いとされている。[要出典]
報告時期について
第1回調査(1920年)の最終報告書刊行は1932年6月であった。調査から実に12年の歳月が経過しており、この間に第2回、第3回の調査も行われている。これだけ遅くなった背景には、
といった事情がある[6]。なお、この機械破損による集計の遅れに直面した内閣府統計局は、回収した調査票を無作為に1/1000抽出しての推計(亀田豊治朗による)を急遽おこない、1924年に発表している[41]。標本抽出についても誤差の推測についても、今日とほぼ同等の方法[42] を使っており、数理統計学の先駆的な応用例といえる[43] [44]。さらに、この1/1000抽出票(の写し)の二次利用成果として、戸田貞三(家族社会学者)による世帯構成の研究[45] が生まれた[46]。
近年の国勢調査では、情報技術の活用により、公表の早期化が図られている。また、早期に必要とされる統計表は最優先の日程で集計・公表され、その後、より詳細な統計表が予め定められた日程により段階的に順次公表されている。第18回調査(2005年)では、最初の速報人口は調査基準日から3カ月足らず後の2005年12月27日に公表された。最終的な結果表がすべて出るのは、調査基準日から約4年後となっている[6]。
『(平成22年国勢調査の実施に向けて(検討状況報告))』には、結果公表のスケジュールについて外国との比較が掲載されているが、これによると日本では結果公表が比較的早期に行われている。
外地・租借地・委任統治領での各種センサス
戦前、台湾は日本が統治していたため、台湾の人口センサスは台湾総督府が行っていた。調査の実施は日本よりも早く、1905年の「臨時台湾戸口調査」である。調査項目は日本よりも多く、人種、使用言語、アヘン経験などについても調査していた。ここには(ほぼ)単一民族であり統治に労力がかからなかった日本と、多民族であったため統治に労力がかかった台湾との差を見て取ることができる[47]。
このほか、日本統治時代の朝鮮、樺太庁などの外地、関東州や満鉄附属地などの租借地、南洋群島などの委任統治領、青島守備軍管内などの軍管轄地区でも国勢調査、人口調査、臨時戸口調査が実施された。以下に外地、租借地、委任統治領などで実施された各種センサスをまとめる。なお1920年の国勢調査は外地では「臨時戸口調査」と称され、南洋群島で実施された国勢調査は「島勢調査」と称された。また朝鮮では1920年に国勢調査が実施されず、下の表中の1920年の朝鮮の人口は公簿調査に基づく現住人口である。
実施年月日 | 回 | 調査形態 | 調査人数 | |||||||
---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
台湾 | 樺太庁 | 朝鮮 | 関東州 | 満鉄附属地 | 領事館管内 | 南洋群島 | 青島守備軍管内 | |||
明治38年(1905年)10月1日 | 第1次 | 臨時戸口調査 | 3,039,751 | |||||||
大正4年(1915年)10月1日 | 第2次 | 3,479,922 | ||||||||
大正8年(1919年)9月30日 | 208,139 | |||||||||
大正9年(1920年)10月1日 | 第1回 | 国勢調査・ 臨時戸口調査 |
3,655,308 | 105,899 | 17,264,119 | 688,130 | 231,438 | 20,384 | 52,222 | 248,209 |
大正14年(1925年)10月1日 | 第2回 | 国勢調査 | 3,993,408 | 203,754 | 19,522,945 | 765,776 | 288,298 | 36,316 | 56,294 | |
昭和5年(1930年)10月1日 | 第3回 | 4,592,537 | 295,196 | 21,058,305 | 955,741 | 372,270 | 69,626 | |||
昭和10年(1935年)10月1日 | 第4回 | 5,212,426 | 331,943 | 22,899,038 | 1,134,081 | 522,645 | 102,537 | |||
昭和15年(1940年)10月1日 | 第5回 | 5,872,084 | 414,891 | 24,326,327 | 1,367,334 | 131,258 | ||||
昭和19年(1944年)2月22日 | 人口調査 | 391,825 | ||||||||
昭和19年(1944年)5月1日 | 25,917,881 | |||||||||
昭和19年(1944年)7月15日 | 6,269,949 |
事件・問題点
「かたり調査」などの事件の発生
第18回調査(2005年)の調査では、調査員を装って調査票をだまし取る事件が全国で発生した。個人情報の収集が目的と見られる。そのほか、大阪府堺市では調査員を名乗って家に入り現金65万円を奪う犯罪も起きた。総務省では、国勢調査員が自宅に来訪したときには調査員であることの証明書(総務省統計局交付の身分証を必ず持っている)を確認するよう国民に呼びかけている。また、この問題を契機として、2007年に全面改正された統計法においては、「かたり調査」の禁止の規定(第17条)が設けられた。
茨城県では2005年10月8日、同県坂東市の国勢調査員が、担当地域の調査票を燃やすという事件が起きている。その地域では地元住民による持ち回りで調査員を選出しており、本人が調査員になることを望んだものではなかった。調査員を引き受けたものの、調査対象者から協力が得られなかった結果の行動だったという。そのため、国は同市職員を急遽調査員に任命し、担当地域を再調査した。なお、公文書である調査票を焼くことは犯罪であり、公文書毀棄罪に該当する。
島根県松江市の国立病院機構松江医療センターでは、国勢調査の様式が届いたことを筋ジストロフィー患者たちに知らせず、また承諾も得ないまま、病院が勝手に記入を代行しようとした事件が発生した。
奈良県大和郡山市では、2010年に行われた国勢調査で、調査員が、自治会が集会を行う際に、調査票を持参させた上で一括回収していたことが発覚した。この調査員は、手間を省けることを理由として挙げており、同市は、回収分は有効としたものの、個人情報漏洩に繋がりかねないとして、議論となっている[48]。
千葉県船橋市では、2015年に行われた国勢調査で、調査員に任命されたマンション管理人が、自分が管理するマンションの住民情報を、住民の同意が無いまま調査票に無断で記載していたことが判明している[49]。
人口の水増し
前述の通り、国勢調査の結果に基づく法定人口により市や指定都市への移行などが決定されるため、市制施行を目指す自治体が故意に人口の水増しを行ったことがある。
1970年に行われた国勢調査で北海道羽幌町の人口は2万8000人余であったが、翌1971年になって同町町議の告発がきっかけとなり約5,900人もの人口の水増しが行われていたことが発覚した。同町では前回の1965年の国勢調査で当時の市制施行要件を上回る3万人余の人口を記録し、新庁舎の建設に着手するなど市制施行に向けた動きが活発になっていたが、町の経済を支えていた羽幌炭鉱の経営が悪化したことで人口の流出が進み、調査時には3万人を大幅に割り込んでいた。警察の捜査の結果、町長ら幹部を含む83人が統計法違反や公文書偽造の容疑で送検された[50][51]。
また、2010年に行われた国勢調査において愛知県知多郡東浦町の人口は、速報値では50,082人であったが、総務省統計局が再調査した後の確定値は49,800人であった。東浦町は市制施行の要件の1つである「人口5万人」の突破を目前に控え市制施行を準備していたが、5万人に足らなかったため、2011年10月、市制施行を断念した[52]。
これに先立つ2010年12月、国勢調査に関わる町の不正を告発する匿名の文書が、総務省統計局に届き[53]、2012年2月、総務省が現地調査を行った結果、居住実態のない国勢調査票が303人分見つかり、この国勢調査で人口の「水増し」が行われた可能性があることが指摘された[54]。
居住実態のない国勢調査票について東浦町側は当初、平成22年国勢調査から調査票に記入漏れがあった場合は、地方公共団体の担当職員が書き加える、という新制度が設けられたことを受けて、町職員が居住実態を確認することを怠ったまま、住民票に基づいて調査票に居住者を書き加えた事務的失態であった、と説明していた。これに基づき、調査監督責任者である幹部職員を含む町職員4名に対し減給・戒告などの処分を行い[55]、町長が「新制度に関する認識不足、勉強不足によるもの」であるとして謝罪した[56]。
一方愛知県警察は、組織ぐるみで人口を水増しする違法行為が行われたと判断し、強制捜査に踏み切った。2013年2月、町長の釈明とは異なり、東浦町が故意且つ組織的に人口を水増しした疑いが強まり、統計法違反の容疑で前副町長を逮捕した[57]。また前副町長の指示に基づき調査票を偽造した容疑で町幹部や町職員らも共犯として任意捜査を受けており、書類送検された[58]。
愛知県警によると、調査票偽造は平成22年国勢調査から設けられた新制度を悪用したものと見られ、東浦町の住民基本台帳や外国人登録の情報を基に、既に町が転出を確認している元町民について、国勢調査当時も東浦町に居住していたように偽装し、町職員が元町民の情報を調査票に記入していたという。
聞き取り調査の実施
国勢調査の回収率は非常に高く、ほとんど全ての世帯から回収している。調査期間内に世帯に面会することがどうしても困難な場合には、大家や近隣の住民からの情報を元に自治体が住民票のデータで補う「聞き取り調査」が行われている[36]。2000年の調査では、「聞き取り調査」を行った世帯の割合は、わずか1.7%にすぎなかったが、大都市を中心にオートロックマンション、不在がちな世帯、ベルを鳴らしても出てこない家も少なくなく、悪質な訪問販売や手渡し型の特殊詐欺に対する警戒心によりドアを開けてもらうことが困難な場合も多い。東京都で聞き取り調査によった世帯の割合は5.9%となっている。
2005年調査では、聞き取り調査の割合は4.4%となっている。
円滑に調査を行うためマンション管理者への協力を要請している[59]。
住民基本台帳からのデータ転用
2015年に実施された国勢調査で、大阪市など8市町において、集計ルールに違反する形で住民基本台帳からデータの転用が行われていたことが、2020年8月に判明。調査への信頼性に懸念が示されかねない状況となっている[60]。
統計データからの同性カップルの排除
2020年の国勢調査の時点では 国勢調査の記入用紙で「世帯主との続き柄」を選択する際、異性同士のカップルならば婚姻届を出していなくても「配偶者」と記入すればそのまま集計されるが、相手が同性の場合はそれが認められない。すなわち 「生計を一にする同性カップル」が「ありのままの姿」、すなわち、世帯主と世帯員の一人が同性で続き柄が配偶者であると回答しても誤記または「他の親族」に「修正」されてしまう。実態を調査する目的の国勢調査が「修正」されて同性カップルの実態が把握できなくなるのは国勢調査の趣旨と矛盾しており、国勢調査の意味をなさなくなるとの指摘がある[61][62]。
今後
国民生活や社会環境の変化に伴って、統計調査において調査員が世帯と接触することが従来よりも困難度を増してきている[63][36]が、これが社会や生活様式の変化によるものである以上、単一の決定的な解決方法は容易には見当たらず、様々な対策が検討されている。
このような中で、総務省統計局は2006年7月9日、国勢調査の実施方法を大幅に見直す方針を明らかにした。その結果は、『平成22年国勢調査の実施に向けて(検討状況報告)』(2009年4月)に公表されている。
このような検討を踏まえて、2010年4月に総務省統計局から『平成22年国勢調査実施計画』が公表され、2015年の国勢調査からは、初めて全国でのインターネットによる回答を導入した。
ヨーロッパ諸国も日本と同様の問題で調査に支障が出ているため、全数調査自体を諦め、国が保有する各種のデータを社会保障番号等で結合して個人単位の統計を作る「レジスター方式」に移行しているが、全数調査に比べ正確性は劣るとされる[36]。
発行物
- 1920年(大正9年)9月25日:第一回国勢調査記念の切手が二種類(1銭5厘、3銭)発行された。
- 1930年(昭和5年)9月25日:第二回国勢調査記念の切手が二種類(1銭5厘、3銭)発行された。
- 1965年(昭和40年)9月25日:第十回国勢調査記念の切手(10円)が発行された。
- 2020年(令和2年)9月1日:第一回国勢調査から百年を迎えることを記念して、特殊切手「国勢調査100年」(84円)が発行された[64]。
脚注
注釈
- ^ 3ヶ月以上滞在予定がある、または永住権がある外国籍
- ^ 国勢調査令(昭和55年政令第98号)第4条第1項第1号の規定により、調査対象から、総務省令で定める島を除くとされており、国勢調査施行規則(昭和55年総理府令第21号)第1条の規定によりこれらの除外が規定されている。
- ^ 『総理府統計局百年史資料集成』第2巻(人口)上巻[10] 201-205頁「万国統計協会報告委員瑞西聯邦統計局長ギュイヨーム発日本帝国内閣統計課長宛廻章」とそれに対する日本政府の対応の公文書を参照。
- ^ a b c 『日本国勢調査記念録』は、日本国勢調査記念出版協会が第1回国勢調査の翌々年(1922年)に地域別の箱入り3巻本として刊行した。ただし第1巻と第2巻は全国共通の内容であり、調査員個別の氏名・写真等を収めた第3巻のみが地域によって異なる。翌1923年には1, 2巻だけの版も出た。第1巻は調査の意義、日本と世界各国の統計調査の現状のほか、第1回国勢調査の実行組織、調査票様式、結果集計方法などを収めている。第2巻は調査に関連する法令や規則、調査結果(各市町村で作成した要約表によるもの)、各国の人口統計との比較、調査員向け講演の記録、調査実施に関する質疑応答、大衆向け広告、調査上の美談逸話などからなる。第3巻は、府県ごとに調査員の名簿や写真を掲載している。調査の実態を記録した重要な資料である。
- 『日本國勢調査記念録』日本国勢調査記念出版協会、1922年。 NCID BN05643772。
- 国立国会図書館デジタルコレクションによる愛知県版3巻セット: 国立国会図書館書誌ID:000000582232
- ^ 例外として、第5回国勢調査の前年(1939年)に、「昭和一四年臨時国勢調査」が実現している。農業、製造業と商業の事業所を対象とした流通の調査で、「物の国勢調査」と称していたという[16]。これは人口調査ではないので、「国勢調査」として数えないのがふつうである[17]
- ^ また、調査録には、「調査員は国の名誉職である」といったくだりもある。
出典
- ^ 総務省統計局. “統計用語辞典 か行|なるほど統計学園”. 2020年9月23日閲覧。
- ^ a b c d e “国勢調査が「存亡の危機」に!?”. NHK NEWS WEB. 2020年10月6日閲覧。
- ^ “「国勢調査、無視しよう」はダメ。避難者の数を予測しづらくなったり、企業があなたの街に出店をやめるかも? | ハフポスト”. www.huffingtonpost.jp. 2020年10月6日閲覧。
- ^ 平成27年国勢調査の調査項目について(調査項目の意味、記入方法) 総務省
- ^ 統計法(平成十九年法律第五十三号)
- ^ a b c d e f g 佐藤正広 著「第5章 日本における人口センサス」、安元稔 編『近代統計制度の国際比較: ヨーロッパとアジアにおける社会統計の成立と展開』日本経済評論社、2007年12月、179-212頁。ISBN 9784818819665。 NCID BA84316237。
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参考文献
- 横山雅男『統計学』時事新報出版部〈慶應義塾大学教授講師執筆 経済学講義〉、1921-1925年頃。doi:10.11501/1082681。 NCID BN15410704 。2018年7月26日閲覧。
関連項目
外部リンク
- 統計局ホームページ/令和2年国勢調査
- 国勢調査 - 政府統計の総合窓口 (e-Stat)