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安場保和

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安場保和
やすば やすかず
安場保和
生年月日 天保6年4月17日1835年5月14日
出生地 日本肥後国熊本藩
没年月日 (1899-05-23) 1899年5月23日(64歳没)
親族 後藤新平(娘婿)
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安場 保和(やすば やすかず、天保6年4月17日1835年5月14日) - 明治32年(1899年5月23日)は、近代日本草創期の官僚政治家明治維新に功があり華族に列して男爵となる。

肥後細川藩出身で薩摩長州藩閥政府と微妙な距離を保ちつつ、東北北海道地方の開発と近代化、人材発掘に尽力する。福島県安積疏水オランダの技師、ファン・ドールンの招聘によって進めたのはその典型。当初の構想(東北地方を横貫して阿武隈川から猪苗代湖にいたり阿賀野川に抜ける大運河構想)を破棄し鉄道建設に取って代わらせ、疏水方式による通航が出来ない通水のみの機能に絞って実現した。それにより、現在の郡山地方周辺の開発に土台を築いた。また、十綱橋の福島県費を使った建設をも行うなど、人心の慰留に務めた。

略歴

栄典

位階
勲章等

家族

エピソード

  • 安場は、租税権頭に就任後、岩倉使節団の一員として米国を視察中に、自身の英語が通じないことがわかったため、「自分が同行するのは税金の無駄遣いだ」として使節団への同行を中止し日本に帰国したとされる[9]

脚注

  1. ^ 安場保吉編「安場保和伝」(2006年)
  2. ^ 『貴族院要覧(丙)』昭和21年12月増訂、貴族院事務局、1947年、5頁。
  3. ^ 『官報』第3880号、明治29年6月6日。
  4. ^ 『官報』第1018号「叙任」1886年11月19日。
  5. ^ 『官報』第2207号「叙任及辞令」1890年11月6日。
  6. ^ 『官報』第1476号「叙任及辞令」1888年6月2日。
  7. ^ 『官報』第1929号「叙任及辞令」1889年12月2日。
  8. ^ 『日本の有名一族』、179頁。
  9. ^ 鶴見, 加藤 & 黒川 (2006, pp. 90–91)、『久米博士90年回顧録』下巻からの引用として。このため、日本史家のマリウス・B・ジャンセンの著書の中で安場は「岩倉使節団の中でただ1人の落第生」と評されている(同)。

参考文献

  • 安場保吉 編 『安場保和伝 1835-99 - 豪傑・無私の政治家』藤原書店、2006年。
  • 鶴見, 俊輔加藤, 典洋黒川, 創『日米交換船』新潮社、2006年3月。ISBN 4103018518 
  • 小谷野, 敦『日本の有名一族‐近代エスタブリッシュメントの系図集』幻冬舎幻冬舎新書〉、2007年9月30日。ISBN 978-4-3449-8055-6 
  • 越澤明 『後藤新平 -大震災と帝都復興』ちくま新書、2011年。ISBN 978-4-480-06639-8
公職
先代
武田敬孝
権知事
胆沢県大参事
1870年
次代
嘉悦氏房
日本の爵位
先代
叙爵
男爵
安場(保和)家初代
1896年 - 1899年
次代
安場末喜