コンテンツにスキップ

選挙干渉

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

選挙干渉(せんきょかんしょう)とは、政治体制の支配勢力(たとえば明治憲法下の天皇制の軍・官僚勢力)や政権をもっている勢力が、選挙に際して自己のためになる候補者の当選、あるいは対立候補者の落選を図って、本来、公正に運用しなければならない警察・検察の取締り規定や行政上の権限を政略的に、党派的に行使することをいう[1]

戦前日本の選挙干渉[編集]

日本において、明治憲法下で行われた選挙干渉として、以下のものがよく知られている。

第2回衆議院議員選挙[編集]

1892年(明治25年)の第2回衆議院議員総選挙において、松方正義内閣内務大臣品川弥二郎が行ったもの。

用いられた手法: 政府の候補擁立・資金提供、警察の選挙運動妨害・暴行・脅迫、言論規制、買収、開票不正

2月12日には、民党吏党の対立が激化し、選挙の応援演説のため兵庫県神戸市三宮を訪れた板垣退助を拳銃で狙撃しようとする「明治25年板垣退助暗殺未遂事件」が起きている[2]

第12回衆議院議員選挙[編集]

1915年(大正4年)の第12回衆議院議員総選挙において、大隈重信内閣内務大臣大浦兼武が行ったもの[要出典]

第16回衆議院議員選挙[編集]

1928年(昭和3年)の第16回衆議院議員総選挙において、田中義一内閣内務大臣鈴木喜三郎が行ったもの[要出典]

第21回衆議院議員選挙[編集]

1942年(昭和17年)の第21回衆議院議員総選挙において、軍部や大日本翼賛壮年団(翼壮)などが翼賛政治体制協議会(翼協)非推薦候補(「自由候補」と呼ばれた)に対して行ったもの。

作為と不作為[編集]

大日本帝国憲法下の選挙では、この体制擁護と政権擁護の二種の選挙干渉がしばしば行われたが、それには反対派の選挙運動を過度にきびしく取り締まる「作為」の干渉と自派の選挙運動に対して取締りの手をゆるめたり、選挙違反を見のがしたりする「不作為」のそれと二様の方法がある[1]

ただし、これ以外の選挙でも、内務大臣が府県知事警察幹部の人事を握っていた事を利用して、人事権を盾に地方の官吏や警察を動員して公然・非公然の圧力をかけるケースがあった。特に政党内閣期にはその弊害が強く、政権交代が起きるたびに予め来るべき選挙に備えて反対党の前政権が任命した知事や警察幹部を更迭して、自党を支持する内務官僚を任命する人事が横行し、こうした人事は「党弊」と呼ばれて非難を浴びた[要出典]

戦後日本の選挙干渉[編集]

日本国憲法下の2014年第47回衆議院議員総選挙の為の衆議院解散前日の11月20日付でNHK在京民放テレビ局に対し、与党自由民主党筆頭副幹事長萩生田光一・報道局長福井照の連名で

  • 出演者の発言回数や時間:「出演者の発言回数や時間などは公平を期す」
  • ゲスト出演者の選定:「ゲスト出演者などの選定についても公平中立、公正を期す」
  • テーマ選び:「テーマについて特定政党出演者への意見の集中などがないようにする」
  • 街頭インタビューや資料映像の使い方:「街頭インタビュー、資料映像などでも一方的な意見に偏らない」

と、4項目について「公平中立、公正」の確保を要望する内容の文書が渡されていた[3][4][5]。公正中立を求める要望自体は以前から、また今回の野党からもなされているが[6]、毎日新聞によれば、公示前に細かに注意を求める内容の要望が行われるのは異例であるという[4]。またこの要望に対し、報道の編集権に介入するのは選挙干渉であるとして、日本民間放送労働組合連合会が抗議した[7][8]

脚注[編集]

参考文献[編集]

  • 前田英昭編著『選挙法・資料』高文堂出版社、2002年。
  • 末木孝典『選挙干渉と立憲政治』慶應義塾大学出版会、2018年。

関連項目[編集]