曽我部道夫
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曽我部 道夫(そがべ みちお、1849年(嘉永2年1月)- 1923年(大正12年)3月13日)は、日本の内務官僚・政治家。官選県知事、衆議院議員。
経歴[編集]
阿波国美馬郡で生まれる。明治政府に出仕し、1883年、東京府一等属となる。1884年3月、秋田県少書記官に転じ、以後、群馬県書記官、宮城県書記官、北海道庁書記官などを歴任。1892年2月、第2回衆議院議員総選挙で徳島県第五区に中央交渉部から出馬し当選した。
1893年3月、岐阜県知事に就任。県会と対立し、1894年12月に県会解散を行った。1895年3月、島根県知事に転じ、殖産十年計画を推進し、1897年4月に退任した。1898年5月、福岡県知事に就任し、1899年4月まで在任し退官した。
栄典[編集]
著作[編集]
- 『煙里遺稿』曽我部光晴、1924年。
脚注[編集]
参考文献[編集]
- 歴代知事編纂会編『新編日本の歴代知事』歴代知事編纂会、1991年。
- 衆議院・参議院『議会制度百年史 衆議院議員名鑑』大蔵省印刷局、1990年。
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