ル・コルビュジエ

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ル・コルビュジエ
Le Corbusier 1933.JPG
1933年撮影
人物情報
国籍 スイスの旗 スイス / フランスの旗 フランス
生誕 1887年10月6日
スイス、ラ・ショー=ド=フォン
死没 1965年8月27日(満77歳没)
フランスロクブリュヌ=カップ=マルタン
業績
建築物 サヴォア邸
ロンシャンの礼拝堂
ラ・トゥーレット修道院
プロジェクト チャンディーガル都市計画

ル・コルビュジエLe Corbusier1887年10月6日 - 1965年8月27日)はスイスで生まれ、フランスで主に活躍した建築家。本名はシャルル=エドゥアール・ジャンヌレ=グリ(Charles-Edouard Jeanneret-Gris)。

フランク・ロイド・ライト および ミース・ファン・デル・ローエ と共に「近代建築の三大巨匠」として位置づけられる(ヴァルター・グロピウスを加えて四大巨匠とみなすこともある)。

目次

[編集] 人物・来歴

スイスラ・ショー=ド=フォンに時計の文字盤職人の父エデゥアールとピアノ教師の母マリーの次男として生まれた。家業を継ぐために時計職人を養成する地元の装飾美術学校に学んだが、専門的な大学教育は受けていない。

美術学校在学中の1907年に、ル・コルビュジェの才能を見いだした校長のシャルル・レプラトゥニエの勧めで、建築家のルネ・シャパラと共に最初の住宅『ファレ邸』の設計を手がけている。1908年パリへ行き、鉄筋コンクリート建築の先駆者であるオーギュスト・ペレの事務所に、1910年にはドイツ工作連盟の中心人物であったペーター・ベーレンスの事務所に籍を置き、短期間ではあったが実地で建築を学んだ。

1911年から半年かけてベルリンから東欧、トルコ、ギリシャ、イタリアを巡る東方への旅へ出た。ラ・ショー=ド=フォンの美術学校で教鞭を執った後、1914年に鉄筋コンクリートによる住宅建設方法である「ドミノシステム」を発表。1917年にパリへ行き、2年ほど鉄筋コンクリート会社に勤めた。1920年ダダの詩人のポール・デルメ、ピュリスムの画家のアメデ・オザンファンと共に雑誌『レスプリ・ヌーヴォー』(L'esprit Nouveau)を創刊。この頃からル・コルビュジエというペンネームを用いた。(このペンネームは、祖先の名からつけたもの。)

1922年にペレの下で働いていた従兄弟のピエール・ジャンヌレとともに事務所を構えた。1923年に『レスプリ・ヌーヴォー』に掲載された自らの記事をまとめた著作『建築をめざして』を発表し、世界中の建築家から注目を集めた。この著作の中の「住宅は住むための機械である(machines à habiter)」という言葉は彼の建築思想の代表的なものとしてよく引用される。

1925年パリ万国博覧会(いわゆるアールデコ博)では装飾のない『レスプリ・ヌーヴォー館』を設計し、アール・デコ装飾の展示館が並ぶ中、異彩を放った。また1922年のサロンドートンヌでは『300万人の現代都市』を、1925年にはパリ市街を超高層ビルで建て替える都市改造案『ヴォアザン計画』を、そして1930年には『輝く都市』を発表した。これらは低層過密な都市よりも、超高層ビルを建て、周囲に緑地を作ったほうが合理的であるとするもので、パリでは実現しなかったが、以降の都市計画の考え方に影響を与えた。1927年ミース・ファン・デル・ローエが中心となり、ヴァイセンホーフで開かれたドイツ工作連盟主催の住宅展(ヴァイセンホーフ・ジードルンク)に参加し、2棟の住宅を設計した。

1928年以降に開催されたCIAMCongrès International d'Architecture Moderne、シアム、近代建築国際会議)では、ヴァルター・グロピウスミース・ファン・デル・ローエジークフリード・ギーディオンらとともに参加し、中心メンバーとして活躍した。CIAMは国際的な近代建築運動の拠点になった。1931年竣工の『サヴォア邸』はル・コルビュジエの主張する「近代建築の五原則」を典型的に示し、代表作として知られる。1936年にはルシオ・コスタの招聘を受け、ブラジルに滞在し、オスカー・ニーマイヤーと共に旧教育保健省庁舎の設計に携わった。第二次世界大戦の際、ル・コルビュジエはドイツに協力的なヴィシー政権に与し、ピエール・ジャンヌレはフランスのレジスタンス運動に参加したため、2人は袂を分かつことになったが、戦後再び、チャンディーガルのプロジェクトで協働した。

第二次世界大戦後、かねてよりの主張の実践である「ドミノシステム」に基づく集合住宅『マルセイユのユニテ・ダビタシオン』(L'unité d'habitation de Marseille)を建設(1947年-1952年)。また1951年からはインドの新興都市チャンディーガルの顧問として都市計画および主要建築物(議会・裁判所・行政庁舎など)の設計に携わった。

また、「モデュロール(仏:Modulor)」の理論を提案し、建築の実践の場において機能性あるいは美学の達成への応用とした。

後期の代表作『ロンシャンの礼拝堂』(1955年竣工)はカニの甲羅を形どったとされる独特な形態で、シェル構造の採用など鉄筋コンクリートで可能になった自由な造形を示している。ここでは従来主張していた近代建築の指標である機能性・合理性を超える新たな表現に達した。ドミニコ会派のカトリック信者であるル・コルビュジエは、引き続き『ラ・トゥーレット修道院』の設計についても依頼を受けた(1960年竣工)。この間に『国立西洋美術館』の基本設計のために一度来日している。

1965年、南フランスのカプ・マルタンで海水浴中に心臓発作で死去。78歳没。
妻イヴォンヌ(1957年)、愛する母(1960年)が相次ぎ他界。また、自身の公的記録を完成させた直後であり、自殺説もある。

[編集] 評価

画家から出発し、建築家として活動をはじめた後も画家としての制作活動を続けていた。

歴史上の功績は、鉄筋コンクリートを利用し、装飾のない平滑な壁面処理、伝統から切り離された合理性をモットーとしたモダニズム建築の提唱者ということになる。ル・コルビュジエの思想は世界中に浸透したが、1920年代の近代主義建築の成立過程において建設技術の進歩にも支えられて、とくに造形上に果たした功績が大きい。彼の造形手法はモダニズムの一つの規範ともなり、世界に広がって1960年代に一つのピークを極めた(その反動から1980年代には装飾過多、伝統回帰的なポストモダン建築も主張された)。

西洋では組積造(石積み・レンガ積み)による建築が伝統的だったが、ル・コルビュジエはスラブ、柱、階段のみが建築の主要要素だとするドミノシステムを考案した。その後の代表作サヴォア邸は、ル・コルビュジエの主張する「新しい建築の5つの要点(ピロティ、屋上庭園、自由な平面、水平連続窓、自由な立面)」(近代建築の五原則)を体現している。クック邸が5つの要点を体現した最初の作品であり、サヴォア邸でより完成度の高い実例を示した。

都市計画の分野でもパリ改造計画案を発表したほか、CIAM 第4回会議でル・コルビュジエらが提案したアテネ憲章(1933年)は、公開空地など、以後の都市計画理論に多大な影響を与えた。後にはチャンディーガルなどで実践している。 終始モダニズムの論客として、新しいビジョンを示す論陣を張ってきた彼は、実作においては自由な芸術家としての立場を貫き、必ずしも常に論理性を重視しているとはいえない。しかし、作品の独創性や新規性により、そうした矛盾を問題視させない。晩年のロンシャンの礼拝堂(ノートルダム・デュ・オー礼拝堂)は造形を特に強調し、それまで主張していたモダニズム建築からかけ離れた作品として注目される。

ル・コルビュジエの建築模型や図面、家具は、20点以上がニューヨーク近代美術館に収蔵されている。コルビュジエの代表作であるLC2 Grand Confort(大いなる快適)は、デザイン家具の歴史上、最も大きな功績を残した作品である。 1997年4月から発行されている、現行の第8次紙幣の10スイス・フランにはル・コルビュジエの肖像と作品が描かれている。

[編集] 都市計画・構想

  • 1932年アルジェA計画。工業都市を念頭にロシア構成主義の理論と、ギンズバーグの線状都市理論の影響を受けて計画立案した。
  • サンディエ小都市復興計画
  • 第6区不良宅地再開発計画ラ・ロッシェルに参画。高層建築群の案でまとめた。
  • 北アフリカ・ヌムール
  • バルセロナ再整備
  • ブラジル大学都市
  • 小農場ラ・フェルム・ラジエゥーズ
  • リオデジャネイロ計画
  • モンテヴィデオ概略都市
  • チャンディーガル

[編集] 建築作品

国立西洋美術館、東京(1959年・基本設計)
議事堂、チャンディーガル(1962年)
フランスからの松方コレクション返還に際して建設。実施設計は弟子の前川國男坂倉準三吉阪隆正らが担当。

[編集] ギャラリー

[編集] 著作

  • 建築をめざして』 1923年(吉阪隆正訳、鹿島出版会SD選書
  • 『今日の装飾芸術』 1925年(前川國男訳、鹿島出版会:SD選書) 
  • 『住宅と宮殿』 1928年(井田安弘訳:同上)
  • 輝く都市』 1935年(坂倉準三訳:同上)
  • 伽藍が白かったとき』 1937年(生田勉・樋口清訳、岩波書店岩波文庫
  • 『モデュロール1』 1948年(吉阪隆正訳、鹿島出版会:SD選書)
  • 『モデュロール2』 1955年(同上)
    • 『エスプリ・ヌーヴォー 近代建築名鑑』 以下も全て「SD選書」
    • 『プレシジョン 新世界を拓く 建築と都市計画 (上.下)』  
    • 『四つの交通路』/『ユルバニスム』/『建築と都市』/『アテネ憲章
    • 『三つの人間機構』/『東方への旅』/『人間の家』(F・ド・ピエールフウ共著)
  • 『建築十字軍 アカデミーの黄昏』 井田安弘訳、東海大学出版会 1978年→SD選書、2011年 
  • 『ムンダネウム』 ポール・オトレ共著 山名善之・桑田光平訳 筑摩書房 2009年
  • 『建築家の講義 ル・コルビュジエ』 岸田省吾監訳、桜木直美訳 丸善 2006年-小著
  • 『マルセイユのユニテ・ダビタシオン』 山名善之・戸田穣訳、ちくま学芸文庫、2010年

[編集] 関連書籍

[編集] 入門書

  • ユリイカ 「特集 ル・コルビュジエ」--生誕120年記念特集』 2007年5月号、青土社
  • 『建築家ル・コルビュジエの教科書』 マガジンハウス・ムック、2009年
  • 安藤忠雄 『ル・コルビュジエの勇気ある住宅』 新潮社〈とんぼの本〉、2004年
  • 市川智子 『愛と哀しみのル・コルビュジエ』 彰国社〈建築文化シナジー〉、2007年
  • 越後島研一 『ル・コルビュジエを見る-20世紀最高の建築家、創造の軌跡』 中央公論新社〈中公新書〉、2007年
  • 暮沢剛巳 『ル・コルビュジエ-近代建築を広報した男』 朝日新聞出版〈朝日選書〉、2009年
  • ジャン・ジャンジェ 『ル・コルビュジエ 終わりなき挑戦の日々』 藤森照信監修 遠藤ゆかり訳、創元社「知の再発見」双書126〉、2006年
  • 吉野弘 『ル・コルビュジエを歩こう 現存36作品完全ガイド-フランス編』 エクスナレッジ〈エクスナレッジムック〉、2002年

[編集] 専門書

  • 磯崎新 『ル・コルビュジエとはだれか』王国社、2000年 
  • アンドレ・ヴォジャンスキー 『ル・コルビュジエの手』 白井秀和訳、中央公論美術出版、2006年
  • 越後島研一 『ル・コルビュジエ/創作を支えた九つの原型』 彰国社、2002年
  • 越後島研一文・写真 『建築形態の世界 ル・コルビュジエへ』 建築巡礼28・丸善、1996年
  • ウイリアム・カーティス 『ル・コルビュジエ:理念と形態』 中村研一訳、鹿島出版会、1992年
  • デボラ・ガンス(Deborah Gans) 『ル・コルビュジエ全作品ガイドブック』 加藤道夫監訳、丸善、2008年
  • ビアトリス・コロミーナ 『マスメディアとしての近代建築:アドルフ・ロースとル・コルビュジエ』 松畑強訳、鹿島出版会、1996年
  • 佐々木宏 『巨匠への憧憬:ル・コルビュジエに魅せられた日本の建築家たち』 相模書房、2000年
  • 佐々木宏 『知られざるル・コルビュジエを求めて』 王国社、2005年
  • フローラ・サミュエル(Flora Samuel) 『ディテールから探るル・コルビュジエの建築思想』 加藤道夫監訳、丸善、2009年
  • 彰国社編 『ル・コルビュジエのインド』 北田英治写真、彰国社〈建築文化シナジー〉、2005年
  • 高階秀爾ほか編 『ル・コルビュジエと日本』 鹿島出版会、1999年
  • アレグザンダー・ツォニス(Alexander Tzonis) 『ル・コルビュジエ:機械とメタファーの詩学』 繁昌朗訳、鹿島出版会、2007年
  • 東京大学工学部建築学科・安藤忠雄研究室編 『ル・コルビュジエの全住宅』 TOTO出版、2001年
  • 富永譲 『ル・コルビュジエ建築の詩:12の住宅の空間構成』 鹿島出版会、2003年
  • 八束はじめ伊東豊雄ほか4名、ギャラリー間企画・編集 『リアリテル・コルビュジエ:「建築の枠組」と「身体の枠組」』 TOTO出版、2002年
  • 林美佐 『再発見/ル・コルビュジエの絵画と建築』 彰国社、2000年
  • 『吉阪隆正集 第8巻 ル・コルビュジエと私』 勁草書房、1984年、直弟子の回想ほか

[編集] 図録・写真集

[編集] 大著

  • 千代章一郎 『ル・コルビュジエの宗教建築と「建築的景観」の生成』 中央公論美術出版、2004年
  • ジェフリー・ベイカー 『ル・コルビュジエの建築-その形態分析』 中田節子訳 、鹿島出版会、1991年
  • ジャック・リュカン監修 『ル・コルビュジエ事典』 加藤邦男監訳、中央公論美術出版 2007年

[編集] 関連項目

[編集] 外部リンク

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