「大谷翔平」の版間の差分
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'''大谷 翔平'''(おおたに しょうへい、[[1994年]][[7月5日]] - )は、[[北海道日本ハムファイターズ]]に所属する[[プロ野球選手]]([[投手]]、[[外野手]])。 |
'''大谷 翔平'''(おおたに しょうへい、[[1994年]][[7月5日]] - )は、[[北海道日本ハムファイターズ]]に所属する[[プロ野球選手]]([[投手]]、[[外野手]])。 |
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[[日本プロ野球|プロ野球]]では非常に珍しい投手と[[打者]]の「[[二刀流#野球における二刀流|二刀流]]」選手として |
[[日本プロ野球|プロ野球]]では非常に珍しい投手と[[打者]]の「[[二刀流#野球における二刀流|二刀流]]」選手として注目をされており、NPBタイ記録の球速162km/hを投げる歴代日本人最速投手である。 |
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== 経歴 == |
== 経歴 == |
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姉体小学校3年時に水沢[[リトルリーグ]]で野球を始め全国大会に出場し、[[奥州市立水沢南中学校|水沢南中学校]]時代に一関[[リトルシニア]]に所属し、ここでも全国大会に出場した。 |
姉体小学校3年時に水沢[[リトルリーグ]]で野球を始め全国大会に出場し、[[奥州市立水沢南中学校|水沢南中学校]]時代に一関[[リトルシニア]]に所属し、ここでも全国大会に出場した。 |
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[[菊池雄星]]に憧れ、彼の出身校の[[花巻東高等学校|花巻東高校]]へ進学。「日本一になる」「日本人最速となる163km/hを記録する」「ドラフトで菊池雄星を越える8球団から1位指名を受ける選手になる」ことを目標に掲げた<ref name="ay">{{Cite book|和書|author=|year=2012|title=アマチュア野球 vol.33|publisher=日刊スポーツ出版社|pages=12-14頁|id=ISBN 978-4-8172-5526-6}}</ref>。入部後は監督の佐々木洋の「まだ骨が成長段階にある。1年夏までは[[野手]]として起用して、ゆっくり成長の階段を昇らせる」という方針により<ref name="number20121025">{{cite journal|和書|title=あの一戦と僕らのこれから|journal=[[Sports Graphic Number]]|issue=814|publisher=[[文藝春秋]]|pages=79-78|id=雑誌26854-10/25}}</ref>、1年春は「4番・[[右翼手]]」で公式戦に出場。秋から[[投手|エース]]を務め、最速147km/hを記録し、2年春には最速151km/hを記録。[[第93回全国高等学校野球選手権大会]]初戦の[[帝京中学校・高等学校|帝京高校]]戦では骨端線損傷により右翼手として先発出場するが、4回途中から登板し、[[田中将大]]([[駒澤大学附属苫小牧高等学校|駒澤大学附属高校]])に並ぶ甲子園での高校2年生最速タイ記録(当時)となる150km/hを記録。その後は治療に専念し、試合には打者限定で出場した。3年の[[第84回選抜高等学校野球大会]]では初戦の[[大阪桐蔭中学校・高等学校|大阪桐蔭高校]]戦で[[藤浪晋太郎]]から[[本塁打]]を打つも、11四死球で9失点と崩れ敗れた。3年夏の[[全国高等学校野球選手権岩手大会|岩手大会]]の準決勝・[[一関学院高等学校|一関学院高校]]戦では'''アマチュア野球史上初'''となる最速160km/hを記録した<ref>{{cite news|url=http://www.nikkansports.com/baseball/highschool/news/p-bb-tp3-20120720-986333.html|title=花巻東大谷高校生最速160キロ|newspaper=[[日刊スポーツ|nikkansports.com]]|publisher=|date=2012-07-20|accessdate=2012-10-17}}</ref>。しかし決勝の[[盛岡大学附属高等学校|盛岡大学附属高校]]戦では左翼ポール付近を通過した打球が本塁打と判定される不運に見舞われる<ref>{{cite news|url=http://mainichi.jp/sponichi/news/20120727spn00m050010000c.html|title=花巻東:観客はファウル“判定”…160キロ腕・大谷 3ランに泣く|newspaper=毎日jp|publisher=[[毎日新聞]]|date=2012-07-27|accessdate=2012-10-26|archiveurl=http://web.archive.org/20120729224504/mainichi.jp/sponichi/news/20120727spn00m050010000c.html|archivedate=2012-07-29}}</ref>など5失点を喫し、高校最後の全国選手権大会出場はならなかった。甲子園通算成績は14回を投げ[[防御率]]3.77、16[[三振#奪三振|奪三振]]。野手としては2試合で[[打率]].333、1本塁打。 |
[[菊池雄星]]に憧れ、彼の出身校の[[花巻東高等学校|花巻東高校]]へ進学。「日本一になる」「日本人最速となる163km/hを記録する」「ドラフトで菊池雄星を越える8球団から1位指名を受ける選手になる」ことを目標に掲げた<ref name="ay">{{Cite book|和書|author=|year=2012|title=アマチュア野球 vol.33|publisher=日刊スポーツ出版社|pages=12-14頁|id=ISBN 978-4-8172-5526-6}}</ref>。入部後は監督の佐々木洋の「まだ骨が成長段階にある。1年夏までは[[野手]]として起用して、ゆっくり成長の階段を昇らせる」という方針により<ref name="number20121025">{{cite journal|和書|title=あの一戦と僕らのこれから|journal=[[Sports Graphic Number]]|issue=814|publisher=[[文藝春秋]]|pages=79-78|id=雑誌26854-10/25}}</ref>、1年春は「4番・[[右翼手]]」で公式戦に出場。秋から[[投手|エース]]を務め、最速147km/hを記録し、2年春には最速151km/hを記録し、“'''みちのくの[[ダルビッシュ有|ダルビッシュ]]'''”と呼ばれ注目される。[[第93回全国高等学校野球選手権大会]]初戦の[[帝京中学校・高等学校|帝京高校]]戦では骨端線損傷により右翼手として先発出場するが、4回途中から登板し、[[田中将大]]([[駒澤大学附属苫小牧高等学校|駒澤大学附属高校]])に並ぶ甲子園での高校2年生最速タイ記録(当時)となる150km/hを記録。その後は治療に専念し、試合には打者限定で出場した。3年の[[第84回選抜高等学校野球大会]]では初戦の[[大阪桐蔭中学校・高等学校|大阪桐蔭高校]]戦で[[藤浪晋太郎]]から[[本塁打]]を打つも、11四死球で9失点と崩れ敗れた。3年夏の[[全国高等学校野球選手権岩手大会|岩手大会]]の準決勝・[[一関学院高等学校|一関学院高校]]戦では'''アマチュア野球史上初'''となる最速160km/hを記録した<ref>{{cite news|url=http://www.nikkansports.com/baseball/highschool/news/p-bb-tp3-20120720-986333.html|title=花巻東大谷高校生最速160キロ|newspaper=[[日刊スポーツ|nikkansports.com]]|publisher=|date=2012-07-20|accessdate=2012-10-17}}</ref>。しかし決勝の[[盛岡大学附属高等学校|盛岡大学附属高校]]戦では左翼ポール付近を通過した打球が本塁打と判定される不運に見舞われる<ref>{{cite news|url=http://mainichi.jp/sponichi/news/20120727spn00m050010000c.html|title=花巻東:観客はファウル“判定”…160キロ腕・大谷 3ランに泣く|newspaper=毎日jp|publisher=[[毎日新聞]]|date=2012-07-27|accessdate=2012-10-26|archiveurl=http://web.archive.org/20120729224504/mainichi.jp/sponichi/news/20120727spn00m050010000c.html|archivedate=2012-07-29}}</ref>など5失点を喫し、高校最後の全国選手権大会出場はならなかった。甲子園通算成績は14回を投げ[[防御率]]3.77、16[[三振#奪三振|奪三振]]。野手としては2試合で[[打率]].333、1本塁打。 |
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9月には[[第25回AAA世界野球選手権大会]]の[[第25回AAA世界野球選手権大会日本代表|日本代表]]に選出され、主に四番・[[指名打者]]として起用された。5位決定戦の対[[野球韓国代表|韓国代表]]戦に先発し、7回を投げ2失点、12奪三振、最速155km/hも記録するも敗戦投手となった。 |
9月には[[第25回AAA世界野球選手権大会]]の[[第25回AAA世界野球選手権大会日本代表|日本代表]]に選出され、主に四番・[[指名打者]]として起用された。5位決定戦の対[[野球韓国代表|韓国代表]]戦に先発し、7回を投げ2失点、12奪三振、最速155km/hも記録するも敗戦投手となった。 |
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[[2012年度新人選手選択会議 (日本プロ野球)|2012年のプロ野球ドラフト会議]]前には日本プロ野球だけでなく[[メジャーリーグベースボール|メジャーリーグ]]球団からも注目され、本人は当初「([[アメリカ合衆国|アメリカ]]か日本かは)五分五分」と語っていた<ref name="sn0919">{{cite news|url=http://www.sponichi.co.jp/baseball/news/2012/09/19/kiji/K20120919004143370.html|title=大谷 国内12球団&マイナーもOK 日米各球団と面談へ|newspaper=[[スポーツニッポン|Sponichi Annex]]|publisher=|date=2012-09-19|accessdate=2012-10-17}}</ref>が、[[ロサンゼルス・ドジャース]]や[[テキサス・レンジャーズ]]、[[ボストン・レッドソックス]]との面談を経て<ref>{{cite news|url=http://www.nikkansports.com/baseball/professional/draft/2012/news/p-bb-tp0-20121019-1034427.html|title=大谷メジャー!最終的に夢を選んだ|newspaper=[[日刊スポーツ]]|date=2012-10-19|accessdate=2012-10-21}}</ref>、[[10月21日]]に[[日本人選手のメジャーリーグ挑戦|メジャーリーグへの挑戦]]を表明<ref>{{cite news|url=http://www.nikkansports.com/baseball/professional/draft/2012/news/f-bb-tp0-20121021-1035519.html|title=大谷がメジャー挑戦を表明|newspaper=日刊スポーツ|date=2012-10-21|accessdate=2012-10-21}}</ref>。会見では「マイナーからのスタートになると思うけれども、メジャーリーグに挑戦したい気持ちでいる。入学当初からの夢だった。若いうちに行きたい思いがあった。日本のプロにも憧れはあったが、メジャーへの憧れの方が強かった」と語った<ref>{{cite news|url=http://www.nikkansports.com/baseball/professional/draft/2012/news/f-bb-tp0-20121021-1035788.html|title=大谷「憧れが強かった」/一問一答|newspaper=日刊スポーツ|date=2012-10-21|accessdate=2012-10-21}}</ref>。しかし、[[10月23日|23日]]に[[北海道日本ハムファイターズ]][[ゼネラルマネージャー|GM]]の[[山田正雄 (野球)|山田正雄]]が大谷をドラフト会議で1位指名することを公表し<ref>{{cite news|url=http://www.nikkansports.com/baseball/professional/draft/2012/news/p-bb-tp0-20121024-1036749.html|title=ハムが大谷指名!山田GMが明言|newspaper=日刊スポーツ|date=2012-10-24|accessdate=2012-10-25}}</ref>、日本ハム監督の[[栗山英樹]]も「大谷君には本当に申し訳ないけれど、指名をさせていただきます」と公表<ref>{{cite news|url=http://www.nikkansports.com/baseball/professional/draft/2012/news/p-bb-tp0-20121025-1037195.html|title=栗山監督「申し訳ない」、けど大谷指名|newspaper=日刊スポーツ|date=2012-10-25|accessdate=2012-10-25}}</ref>。同[[10月25日|25日]]のドラフト会議当日には日本ハムが大谷を1位で単独指名し交渉権を獲得。指名後の会見では「びっくりしたし動揺もしました。でも、自分の気持ちは変わりません。評価していただいたのはありがたいですが、アメリカでやりたいという気持ちは変わりません」と語り<ref>{{cite news|url=http://www.nikkansports.com/baseball/professional/draft/2012/news/f-bb-tp0-20121025-1037547.html|title=大谷「気持ちは変わらない」/ドラフト|newspaper=日刊スポーツ|date=2012-10-25|accessdate=2012-10-25}}</ref><ref>{{cite news|url=http://www.nikkansports.com/baseball/professional/draft/2012/news/p-bb-tp0-20121026-1037865.html|title=発表遅れ申し訳ないが…/大谷一問一答|newspaper=日刊スポーツ|date=2012-10-26|accessdate=2012-12-9}}</ref>、指名挨拶のため日本ハムから訪問を受けた際にも面会しなかった<ref>{{cite news|url=http://www.nikkansports.com/baseball/professional/draft/2012/news/p-bb-tp0-20121027-1038274.html|title=ハム大谷訪問空振り「今後は本人と」|newspaper=日刊スポーツ|date=2012-10-27|accessdate=2012-12-9}}</ref>。 |
[[2012年度新人選手選択会議 (日本プロ野球)|2012年のプロ野球ドラフト会議]]前には日本プロ野球だけでなく[[メジャーリーグベースボール|メジャーリーグ]]球団からも注目され、本人は当初「([[アメリカ合衆国|アメリカ]]か日本かは)五分五分」と語っていた<ref name="sn0919">{{cite news|url=http://www.sponichi.co.jp/baseball/news/2012/09/19/kiji/K20120919004143370.html|title=大谷 国内12球団&マイナーもOK 日米各球団と面談へ|newspaper=[[スポーツニッポン|Sponichi Annex]]|publisher=|date=2012-09-19|accessdate=2012-10-17}}</ref>が、[[ロサンゼルス・ドジャース]]や[[テキサス・レンジャーズ]]、[[ボストン・レッドソックス]]との面談を経て<ref>{{cite news|url=http://www.nikkansports.com/baseball/professional/draft/2012/news/p-bb-tp0-20121019-1034427.html|title=大谷メジャー!最終的に夢を選んだ|newspaper=[[日刊スポーツ]]|date=2012-10-19|accessdate=2012-10-21}}</ref>、[[10月21日]]に[[日本人選手のメジャーリーグ挑戦|メジャーリーグへの挑戦]]を表明<ref>{{cite news|url=http://www.nikkansports.com/baseball/professional/draft/2012/news/f-bb-tp0-20121021-1035519.html|title=大谷がメジャー挑戦を表明|newspaper=日刊スポーツ|date=2012-10-21|accessdate=2012-10-21}}</ref>。会見では「マイナーからのスタートになると思うけれども、メジャーリーグに挑戦したい気持ちでいる。入学当初からの夢だった。若いうちに行きたい思いがあった。日本のプロにも憧れはあったが、メジャーへの憧れの方が強かった」と語った<ref>{{cite news|url=http://www.nikkansports.com/baseball/professional/draft/2012/news/f-bb-tp0-20121021-1035788.html|title=大谷「憧れが強かった」/一問一答|newspaper=日刊スポーツ|date=2012-10-21|accessdate=2012-10-21}}</ref>。しかし、[[10月23日|23日]]に[[北海道日本ハムファイターズ]][[ゼネラルマネージャー|GM]]の[[山田正雄 (野球)|山田正雄]]が大谷をドラフト会議で1位指名することを公表し<ref>{{cite news|url=http://www.nikkansports.com/baseball/professional/draft/2012/news/p-bb-tp0-20121024-1036749.html|title=ハムが大谷指名!山田GMが明言|newspaper=日刊スポーツ|date=2012-10-24|accessdate=2012-10-25}}</ref>、日本ハム監督の[[栗山英樹]]も「大谷君には本当に申し訳ないけれど、指名をさせていただきます」と公表<ref>{{cite news|url=http://www.nikkansports.com/baseball/professional/draft/2012/news/p-bb-tp0-20121025-1037195.html|title=栗山監督「申し訳ない」、けど大谷指名|newspaper=日刊スポーツ|date=2012-10-25|accessdate=2012-10-25}}</ref>。同[[10月25日|25日]]のドラフト会議当日には日本ハムが大谷を1位で単独指名し交渉権を獲得。指名後の会見では「びっくりしたし動揺もしました。でも、自分の気持ちは変わりません。評価していただいたのはありがたいですが、アメリカでやりたいという気持ちは変わりません」と語り<ref>{{cite news|url=http://www.nikkansports.com/baseball/professional/draft/2012/news/f-bb-tp0-20121025-1037547.html|title=大谷「気持ちは変わらない」/ドラフト|newspaper=日刊スポーツ|date=2012-10-25|accessdate=2012-10-25}}</ref><ref>{{cite news|url=http://www.nikkansports.com/baseball/professional/draft/2012/news/p-bb-tp0-20121026-1037865.html|title=発表遅れ申し訳ないが…/大谷一問一答|newspaper=日刊スポーツ|date=2012-10-26|accessdate=2012-12-9}}</ref>、指名挨拶のため日本ハムから訪問を受けた際にも面会しなかった<ref>{{cite news|url=http://www.nikkansports.com/baseball/professional/draft/2012/news/p-bb-tp0-20121027-1038274.html|title=ハム大谷訪問空振り「今後は本人と」|newspaper=日刊スポーツ|date=2012-10-27|accessdate=2012-12-9}}</ref>。 |
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しかしその後、2度目の訪問で指名挨拶を受け<ref>{{cite news|url=http://www.nikkansports.com/baseball/professional/draft/2012/news/f-bb-tp0-20121102-1041455.html|title= 大谷同席 自宅であいさつ|newspaper=日刊スポーツ|date=2012-11-2|accessdate=2012-12-9}}</ref>、両親を交えた入団交渉も4度に渡って行い<ref>{{cite news|url=http://www.nikkansports.com/baseball/professional/draft/2012/news/p-bb-tp0-20121111-1045244.html|title=大谷両親驚く ハムがメジャーリスク資料|newspaper=日刊スポーツ|date=2012-11-11|accessdate=2012-12-9}}</ref><ref>{{cite news|url=http://www.nikkansports.com/baseball/professional/draft/2012/news/p-bb-tp0-20121118-1048416.html|title=大谷グラリ…ハム入り「全くNOという感じでもない」|newspaper=日刊スポーツ|date=2012-11-18|accessdate=2012-12-9}}</ref>、3度目の入団交渉からは栗山も同席する<ref>{{cite news|url=http://www.sponichi.co.jp/baseball/news/2012/11/26/kiji/K20121126004647860.html|title=日本ハム、大谷と最後の交渉 結論「近いうちに」と父親|newspaper=Sponichi Annex|date=2012-11-26|accessdate=2012-12-9}}</ref><ref>{{cite news|url=http://www.sponichi.co.jp/baseball/news/2012/12/03/kiji/K20121203004697490.html|title=ダル背番「11」用意!大谷の父「前向きになってきたなと」|newspaper=Sponichi Annex|date=2012-12-3|accessdate=2012-12-9}}</ref>。交渉では『大谷翔平君 夢への道しるべ~日本スポーツにおける若年期海外進出の考察~』と題された30ページに及ぶ資料<ref>{{cite web|url=http://www.fighters.co.jp/news/detail/3251.html|title=大谷選手との入団交渉時に提示した球団資料について|publisher=北海道日本ハムファイターズ|date=2012-12-13|accessdate=2012-12-14}}</ref>が提示され、高校卒業後直接アメリカへ渡った[[大韓民国|韓国]]の野球選手がメジャーリーグで活躍しているケースが少ない点や、過酷なマイナーリーグの現状、母国のプロリーグで実力をつけた選手のほうがメジャーリーグで活躍できる確率が高い点などが説明された。さらに[[ダルビッシュ有]]が使用していた背番号'''11'''、投手と打者の「二刀流」育成プランなどを提示され、[[12月9日]]に日本ハム入団を表明<ref>{{cite news|url=http://mainichi.jp/sports/news/20121210k0000m050008000c.html|title=プロ野球:大谷が日本ハム入団表明|newspaper=毎日新聞|date=2012-12-9|accessdate=2012-12-10}}</ref>。[[12月25日|25日]]に契約金1億円+出来高払い5000万円、年俸1500万円(推定)<ref>{{cite news|url=http://sankei.jp.msn.com/sports/news/121225/bbl12122519240006-n1.htm|title=「投打で一流の選手目指す」 日本ハム・大谷が入団会見|newspaper=産経ニュース|date=2012-12-25|accessdate=2012-12-30}}</ref>で仮契約を結んで入団会見した |
しかしその後、2度目の訪問で指名挨拶を受け<ref>{{cite news|url=http://www.nikkansports.com/baseball/professional/draft/2012/news/f-bb-tp0-20121102-1041455.html|title= 大谷同席 自宅であいさつ|newspaper=日刊スポーツ|date=2012-11-2|accessdate=2012-12-9}}</ref>、両親を交えた入団交渉も4度に渡って行い<ref>{{cite news|url=http://www.nikkansports.com/baseball/professional/draft/2012/news/p-bb-tp0-20121111-1045244.html|title=大谷両親驚く ハムがメジャーリスク資料|newspaper=日刊スポーツ|date=2012-11-11|accessdate=2012-12-9}}</ref><ref>{{cite news|url=http://www.nikkansports.com/baseball/professional/draft/2012/news/p-bb-tp0-20121118-1048416.html|title=大谷グラリ…ハム入り「全くNOという感じでもない」|newspaper=日刊スポーツ|date=2012-11-18|accessdate=2012-12-9}}</ref>、3度目の入団交渉からは栗山も同席する<ref>{{cite news|url=http://www.sponichi.co.jp/baseball/news/2012/11/26/kiji/K20121126004647860.html|title=日本ハム、大谷と最後の交渉 結論「近いうちに」と父親|newspaper=Sponichi Annex|date=2012-11-26|accessdate=2012-12-9}}</ref><ref>{{cite news|url=http://www.sponichi.co.jp/baseball/news/2012/12/03/kiji/K20121203004697490.html|title=ダル背番「11」用意!大谷の父「前向きになってきたなと」|newspaper=Sponichi Annex|date=2012-12-3|accessdate=2012-12-9}}</ref>。交渉では『大谷翔平君 夢への道しるべ~日本スポーツにおける若年期海外進出の考察~』と題された30ページに及ぶ資料<ref>{{cite web|url=http://www.fighters.co.jp/news/detail/3251.html|title=大谷選手との入団交渉時に提示した球団資料について|publisher=北海道日本ハムファイターズ|date=2012-12-13|accessdate=2012-12-14}}</ref>が提示され、高校卒業後直接アメリカへ渡った[[大韓民国|韓国]]の野球選手がメジャーリーグで活躍しているケースが少ない点や、過酷なマイナーリーグの現状、母国のプロリーグで実力をつけた選手のほうがメジャーリーグで活躍できる確率が高い点などが説明された。さらに[[ダルビッシュ有]]が使用していた背番号'''11'''、投手と打者の「二刀流」育成プランなどを提示され、[[12月9日]]に日本ハム入団を表明<ref>{{cite news|url=http://mainichi.jp/sports/news/20121210k0000m050008000c.html|title=プロ野球:大谷が日本ハム入団表明|newspaper=毎日新聞|date=2012-12-9|accessdate=2012-12-10}}</ref>。[[12月25日|25日]]に契約金1億円+出来高払い5000万円、年俸1500万円(推定)<ref>{{cite news|url=http://sankei.jp.msn.com/sports/news/121225/bbl12122519240006-n1.htm|title=「投打で一流の選手目指す」 日本ハム・大谷が入団会見|newspaper=産経ニュース|date=2012-12-25|accessdate=2012-12-30}}</ref>で仮契約を結んで入団会見した<ref>{{cite news|url=http://www.nikkansports.com/baseball/professional/draft/2012/news/f-bb-tp0-20121225-1063981.html|title=大谷入団会見「一流目指す」|newspaper=日刊スポーツ|date=2012-12-25|accessdate=2012-12-25}}</ref><ref>{{cite news|url=http://www.nikkansports.com/baseball/professional/draft/2012/news/f-bb-tp0-20121225-1064100.html|title=大谷「成長して日本一に」/一問一答|newspaper=日刊スポーツ|date=2012-12-25|accessdate=2012-12-25}}</ref>。背番号は「'''11'''」。会見後には[[札幌ドーム]]で監督の栗山英樹と投打で1球勝負するエキシビションも行われた<ref>{{cite news|url=http://www.nikkansports.com/baseball/professional/draft/2012/news/f-bb-tp0-20121225-1064116.html|title=大谷プロ初は160キロ!?|newspaper=日刊スポーツ|date=2012-12-25|accessdate=2012-12-25}}</ref>。 |
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{{by|2012年}}11月に花巻東高校が岩手県内向けに放送した生徒募集の[[コマーシャルメッセージ|CM]]について、同校が大谷を[[日本高等学校野球連盟]](高野連)の承認を得ないで出演させていたことが2013年1月に判明し、[[日本学生野球憲章]]抵触のため高野連が実態調査に乗り出し<ref>[http://www.yomiuri.co.jp/national/news/20130117-OYT1T01084.htm 大谷、花巻東のCMに…学生野球憲章に抵触か] 読売新聞 2013年1月17日</ref>、野球部部長が厳重注意を受けた<ref>[http://www.nikkansports.com/baseball/highschool/news/f-bb-tp3-20130123-1075732.html 高野連「大谷CM問題」部長を厳重注意][[日刊スポーツ]]、2013年1月23日</ref>。 |
{{by|2012年}}11月に花巻東高校が岩手県内向けに放送した生徒募集の[[コマーシャルメッセージ|CM]]について、同校が大谷を[[日本高等学校野球連盟]](高野連)の承認を得ないで出演させていたことが2013年1月に判明し、[[日本学生野球憲章]]抵触のため高野連が実態調査に乗り出し<ref>[http://www.yomiuri.co.jp/national/news/20130117-OYT1T01084.htm 大谷、花巻東のCMに…学生野球憲章に抵触か] 読売新聞 2013年1月17日</ref>、野球部部長が厳重注意を受けた<ref>[http://www.nikkansports.com/baseball/highschool/news/f-bb-tp3-20130123-1075732.html 高野連「大谷CM問題」部長を厳重注意][[日刊スポーツ]]、2013年1月23日</ref>。 |
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: [[10月11日]]の[[2014年のパシフィック・リーグクライマックスシリーズ|クライマックスシリーズ]](CS)ファーストステージ(オリックス戦)の第1戦(京セラドーム)でポストシーズン初登板初先発。2回には二死満塁からの2四死球で2点を取られたが、6イニングを3失点に抑えCS初勝利を挙げた<ref>[http://www.sponichi.co.jp/baseball/news/2014/10/11/kiji/K20141011009084870.html 日本ハム先勝!大谷6回3失点で白星!中島が決勝スクイズ!]スポーツニッポン2014年10月11日配信</ref>。20歳3ヶ月の投手がCSで勝利するのは2009年の[[田中将大]]の20歳11ヶ月を更新する史上最年少記録{{refnest|group="注釈"|CS導入以前のパ・リーグプレーオフを含めると、1982年の[[工藤公康]]、2006年の[[ダルビッシュ有]]に次いで3番目<ref>デイリースポーツ関西版2014年10月12日付5面</ref>}}。 |
: [[10月11日]]の[[2014年のパシフィック・リーグクライマックスシリーズ|クライマックスシリーズ]](CS)ファーストステージ(オリックス戦)の第1戦(京セラドーム)でポストシーズン初登板初先発。2回には二死満塁からの2四死球で2点を取られたが、6イニングを3失点に抑えCS初勝利を挙げた<ref>[http://www.sponichi.co.jp/baseball/news/2014/10/11/kiji/K20141011009084870.html 日本ハム先勝!大谷6回3失点で白星!中島が決勝スクイズ!]スポーツニッポン2014年10月11日配信</ref>。20歳3ヶ月の投手がCSで勝利するのは2009年の[[田中将大]]の20歳11ヶ月を更新する史上最年少記録{{refnest|group="注釈"|CS導入以前のパ・リーグプレーオフを含めると、1982年の[[工藤公康]]、2006年の[[ダルビッシュ有]]に次いで3番目<ref>デイリースポーツ関西版2014年10月12日付5面</ref>}}。 |
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: [[10月9日]]に、[[日米野球2014]]の[[野球日本代表|日本代表]]に選出された事が発表された。背番号は16 |
: [[10月9日]]に、[[日米野球2014]]の[[野球日本代表|日本代表]]に選出された事が発表された。背番号は16<ref>[http://www.japan-baseball.jp/jp/team/topteam/2014/nichibei/20141009.html 2014年10月9日 侍ジャパン「2014 SUZUKI 日米野球」出場選手発表!] 侍ジャパン公式サイト (2014年10月9日) 2015年3月26日閲覧</ref>。オフに年俸1億円(推定)で契約を更改した<ref>{{cite news|url=http://www.nikkansports.com/baseball/news/p-bb-tp0-20141206-1405366.html|title=大谷、高卒最速1億円「開幕投手目指す」|newspaper=日刊スポーツ|date=2014-12-6|accessdate=2015-4-25}}</ref>。高卒3年目選手の年俸1億円は[[松坂大輔]]以来史上2人目。 |
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; {{by|2015年}} |
; {{by|2015年}} |
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: 3月27日の楽天戦(札幌ドーム)で自身初の開幕投手を務め、5回2/3を被安打3、失点1、6奪三振に抑え勝利投手になった<ref>{{cite news|url=http://www.nikkansports.com/baseball/news/1453036.html|title=大谷開幕1勝、ダル超え20歳8カ月の勲章|newspaper=日刊スポーツ|date=2015-3-28|accessdate=2015-4-25}}</ref>。5月14日 |
: 3月27日の楽天戦(札幌ドーム)で自身初の開幕投手を務め、5回2/3を被安打3、失点1、6奪三振に抑え勝利投手になった<ref>{{cite news|url=http://www.nikkansports.com/baseball/news/1453036.html|title=大谷開幕1勝、ダル超え20歳8カ月の勲章|newspaper=日刊スポーツ|date=2015-3-28|accessdate=2015-4-25}}</ref>。5月14日の西武戦(西武ドーム)では、チームでは{{by|1979年}}の[[高橋直樹 (野球)|高橋直樹]]以来となる完投勝利での開幕6連勝を飾った<ref>{{cite news|url=http://www.nikkansports.com/baseball/news/1476642.html|title=大谷復活6連勝 18日ぶり登板も9回途中1失点|newspaper=日刊スポーツ|date=2015-5-15|accessdate=2015-6-18}}</ref>。 |
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== 選手としての特徴 == |
== 選手としての特徴 == |
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近代[[日本プロ野球|プロ野球]]では非常に珍しい投手と打者の『[[二刀流#野球における二刀流|二刀流]]』選手。投手としてのみ先発登板するケースや、野手としてのみ(主に[[右翼手]]や[[指名打者]]で)先発出場するケースの他に、投手として先発出場し降板後に野手として守備に就くケースや<ref>{{Cite news |url=http://www.nikkansports.com/baseball/news/p-bb-tp0-20130619-1144543.html |title=大谷5番投手でV打点→右翼守って1打席 |newspaper=nikkansports.com |publisher=日刊スポーツ新聞社 |date=2013年6月19日}}</ref>、野手として先発出場し途中の回から救援登板するケースもある<ref name="nks130819"></ref>。 |
近代[[日本プロ野球|プロ野球]]では非常に珍しい投手と打者の『[[二刀流#野球における二刀流|二刀流]]』選手。投手としてのみ先発登板するケースや、野手としてのみ(主に[[右翼手]]や[[指名打者]]で)先発出場するケースの他に、投手として先発出場し降板後に野手として守備に就くケースや<ref>{{Cite news |url=http://www.nikkansports.com/baseball/news/p-bb-tp0-20130619-1144543.html |title=大谷5番投手でV打点→右翼守って1打席 |newspaper=nikkansports.com |publisher=日刊スポーツ新聞社 |date=2013年6月19日}}</ref>、野手として先発出場し途中の回から救援登板するケースもある<ref name="nks130819"></ref>。 |
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また、今後の大谷は投手としてやっていくのか、野手としてやっていくのか、それともこのまま二刀流を続けるのかたびたび討論になることがある。野手派には[[イチロー]]、[[長島茂雄]]など。投手派には[[ダルビッシュ有]]など。二刀流派には[[野村克也]]などがいる。 |
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=== 投手として === |
=== 投手として === |
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身長193cmの恵まれた体の[[スリークォーター]]から平均球速約152km/h<ref>{{cite news|url=http://www.nikkei.com/article/DGXMZO79547890R11C14A1000000/?df=2|title=幸運・不運だった投手は 統計学的にプロ野球分析|newspaper=日本経済新聞|publisher=[[日本経済新聞]]|date=2014-11-12|accessdate=2014-11-12}}</ref>、最速162km/hのストレートと、鋭くブレーキのかかる[[スライダー (球種)|スライダー]]<ref>[http://www.nikkansports.com/baseball/news/p-bb-tp0-20130322-1101066.html 大谷ビビらせた!嶋にのけぞらスライダー] nikkansports.com 2013年3月22日</ref>や100km/h台の[[カーブ (球種)|カーブ]]、稀に[[カット・ファスト・ボール]]や[[チェンジアップ]]を投げ<ref name="ay"></ref>、プロ入り後は平均球速約139km/h<ref>{{Cite book|和書|author=|year=2015|title=2015 プロ野球オール写真選手名鑑|publisher=日本スポーツ企画出版社|pages=44頁|id=ISBN 978-4-905411-26-0}}</ref>を記録する[[フォークボール]]も交じえている<ref name="nks130824"></ref>。高校時代はフォームの安定やスタミナが課題とされていた<ref>{{cite journal|和書|title=2012年の主役候補|journal = 週刊ベースボール|issue = 2012年5月21日号|publisher = [[ベースボールマガジン社]]|page=18|id=雑誌20443-5/21}}</ref>。高校通算奪三振145に対して与四死球61を記録するなど制球力にも難があり<ref name="asahi20121005">{{cite news|url=http://mytown.asahi.com/iwate/news.php?k_id=03000001210050001|title=岩手の逸材 世界級 大谷翔平君解体新書|newspaper=朝日新聞デジタル|publisher=[[朝日新聞]]|date=2012-10-02|accessdate=2012-10-17}}</ref>、プロ入り後も2014年までの通算与四球率<ref group="注釈">9イニングあたりの与四球数。</ref>は3.73に達している。[[捕手]]としてバッテリーを組むことが多い[[近藤健介]]は「リズムが出来てくればしっかりとコースにコントロール出来るが、四球から崩れるという失点パターンに注意している」と語っている<ref>{{cite journal|和書|title=キャッチャーから見た今季の大谷翔平 9つのPoint|journal=週刊ベースボール|issue=2015年5月25日号|publisher=ベースボールマガジン社|page=20-22|id=雑誌20444-5/25}}</ref>。 |
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=== 打者・野手として === |
=== 打者・野手として === |
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高校通算56[[本塁打]]の長打力<ref>{{cite news|url=http://www.sponichi.co.jp/baseball/news/2012/08/28/kiji/K20120828003988730.html|title=野手なら4番!大谷、2戦連続3安打&スカウトうなる好走塁|newspaper=Sponichi Annex|publisher=|date=2012-08-28|accessdate=2012-10-17}}</ref>と一塁到達4.1秒台の俊足<ref name="yt1" /><ref name="sb924">{{cite journal|和書|title=高校BIG5の輝き|journal = 週刊ベースボール|issue = 2012年9月24日号|publisher = ベースボール・マガジン社|pages=6-9|id=雑誌20445-9/24}}</ref>、強肩<ref name="sb924" />を兼ね備える。高校時代にはプロのスカウトから「[[高橋由伸]]タイプで、[[三冠王]]を狙える素材」<ref name="sb1029">{{cite journal|和書|title=「10・25」を待つ精鋭たち|journal = [[週刊ベースボール]]|issue =2012年10月29日号|publisher = [[ベースボール・マガジン社]]|pages=9-11|id=雑誌20445-10/29}}</ref>「[[松井秀喜]]以来の長距離打者」<ref name="yt1">{{cite journal|和書|title=スカウト20人に聞きました!|journal=野球太郎|issue=No.1|publisher=[[廣済堂出版]]|pages=158-159|id=雑誌69411-06}}</ref>と評された。 |
高校通算56[[本塁打]]の長打力<ref>{{cite news|url=http://www.sponichi.co.jp/baseball/news/2012/08/28/kiji/K20120828003988730.html|title=野手なら4番!大谷、2戦連続3安打&スカウトうなる好走塁|newspaper=Sponichi Annex|publisher=|date=2012-08-28|accessdate=2012-10-17}}</ref>と一塁到達4.1秒台の俊足<ref name="yt1" /><ref name="sb924">{{cite journal|和書|title=高校BIG5の輝き|journal = 週刊ベースボール|issue = 2012年9月24日号|publisher = ベースボール・マガジン社|pages=6-9|id=雑誌20445-9/24}}</ref>、強肩<ref name="sb924" />を兼ね備える。高校時代にはプロのスカウトから「[[高橋由伸]]タイプで、[[三冠王]]を狙える素材」<ref name="sb1029">{{cite journal|和書|title=「10・25」を待つ精鋭たち|journal = [[週刊ベースボール]]|issue =2012年10月29日号|publisher = [[ベースボール・マガジン社]]|pages=9-11|id=雑誌20445-10/29}}</ref>「[[松井秀喜]]以来の長距離打者」<ref name="yt1">{{cite journal|和書|title=スカウト20人に聞きました!|journal=野球太郎|issue=No.1|publisher=[[廣済堂出版]]|pages=158-159|id=雑誌69411-06}}</ref>と評された。 |
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== 二刀流への賛否 == |
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投手と打者の二刀流を続けていくことには賛否があり、将来的に投手と打者のどちらに専念していくべきなのかについても様々な意見がある。 |
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[[ダルビッシュ有]]は投手を勧めており、「ナンバーワンになれる可能性があるとしたら投手なので。ナンバーワンになれる可能性を取ったほうがいい。(二刀流は)プロ野球の人気を考えれば見ていて面白いし興味があることになると思うけど、本人がメジャーに行きたいと思った時は絶対に足を引っ張ることになる」と語っている<ref name="fc141224">{{cite news|url=http://full-count.jp/2014/12/24/post7054/|title=ダルビッシュが大谷の二刀流に持論 「二刀流では絶対メジャーに行けない」|newspaper=Full-count|date=2014-12-24|accessdate=2015-6-18}}</ref>。同じく投手を勧めている[[長嶋茂雄]]は「バッターもいいけどやっぱりオレはピッチャーだな。とにかく彼はこれまでの日本人が持っていないものを持っている。何より体がいい。(身長も)194、5(cm)あるわけでしょう。それでいてあの身のこなしができる。あの動きを見ると、やっぱりメジャーのピッチャーだなと思うよ」と語っている<ref>{{cite news|url=http://number.bunshun.jp/articles/-/822725|title=長嶋茂雄名誉監督の大谷翔平論。「やっぱりオレはピッチャーだな」|newspaper=Number Web|date=2015-2-18|accessdate=2015-6-18}}</ref>。 |
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[[イチロー]]は打者を勧めており、「バッターをやればいいのにと思いました。実際にグラウンドで対戦したわけでもない距離感の中での話ですけど、彼ほどのバッターはなかなかいないと思います。(二刀流は)ピッチャーをやって、その翌日に外野を守れるなら両方やってもいいと思います」と語っている<ref>{{cite journal|和書|author=石田雄太|title=ICHIRO 2015 ロングインタビュー「変化、破壊、成熟」|journal=Sports Graphic Number|issue=876|publisher=文藝春秋|pages=22-23|id=雑誌26851-5/7}}</ref>。 |
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[[野村克也]]は二刀流を続けることを勧めており、「あれだけのバッティングとピッチングができるなら、大賛成。今まで誰もやったことがないことをやるというのも、魅力である。『10年に1人の逸材』と呼ばれる者はよくいるが、プロ野球80年の歴史で、あんな選手は初めてだろう」と語っている<ref>{{cite news|url=http://column.sp.baseball.findfriends.jp/?pid=column_detail&id=051-20140602-01|title=今週の主題「交流戦&DH制&二刀流」|newspaper=週刊ベースボールONLINE|date=2014-6-2|accessdate=2015-6-18}}</ref>。 |
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[[松井秀喜]]や[[田中将大]]は本人の意思を尊重した選択を勧めており、「可能なら両方続けたらいいし、いずれどちらかに決めるならそれもいいと思う」<ref>{{cite news|url=http://www.daily.co.jp/baseball/2013/07/04/0006129031.shtml|title=松井氏が大谷にエール 常識打ち破れ!|newspaper=デイリースポーツ|date=2013-7-4|accessdate=2015-6-18}}</ref>、「なかなかできることではない。納得するまでやればいい」とそれぞれ語っている<ref name="fc141224"></ref>。 |
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[[王貞治]]は将来的に投手と打者のどちらかに専念していくという見解を持ちつつも、「200勝、2000安打のどちらかなんて言わず、両方達成して[[日本プロ野球名球会|名球会]]に来ればいい。二刀流を続けるというなら、それぐらいの意気込みでやってほしいよな」と語っている<ref>{{cite news|url=http://web.archive.org/web/20150618114748/http://www.sanspo.com/baseball/news/20131215/npb13121505010000-n2.html|title=王理事長、二刀流・大谷に200勝&2000安打指令!|newspaper=SANSPO.COM|date=2013-12-15|accessdate=2015-6-18}}</ref>。 |
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メジャーリーグで二刀流を続ける可能性については、実際にメジャーで二刀流を経験した[[ブルックス・キーシュニック]]は「こっちに来たら、両方やらせてくれることはない。両方をやっていたら色んなことが起きるからだ。例えば、自打球を足首や足のつま先に当てて骨折でもしたらどうする。特に年間に500〜2000万ドルも稼ぐ奴ならまず無理だ」と語っている<ref name="ism150521">{{cite news|url=http://web.archive.org/web/20150618105036/http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20150521-00000210-ism-base|title=【MLB】大谷、二刀流は無理? 米サイトが特集|newspaper=ISM|date=2015-5-21|accessdate=2015-6-18}}</ref><ref name="espn150521">{{cite news|url=http://espn.go.com/mlb/story/_/id/12912627/two-way-player-shohei-otani-throws-strikes-smashes-home-runs-japan-next-big-export|title=Will two-way player Shohei Otani be Japan's next MLB export?|newspaper=[[ESPN]]|date=2015-5-21|accessdate=2015-6-18}}</ref>。また、大学時代に二刀流選手として活躍した[[ジョン・オルルド]]は「おそらくプロのチームは、大谷が100マイルを投げられるなら彼を守りたがるだろう。そして、投手としてやらせたいと考えるはずだ。だって、守っていれば無理な体勢から投げなければならない時もある。そんな時に腕でも痛めたらどうするんだい」と語っている<ref name="ism150521"></ref><ref name="espn150521"></ref>。 |
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== 人物 == |
== 人物 == |
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高校時代には野手としても高い評価を受けていたが、本人は投手に対するこだわりが強く<ref name="yt2">{{cite journal|和書|title=大谷翔平 独占インタビュー|journal=野球太郎|issue=No.2|publisher=廣済堂出版|pages=48-53|id=雑誌69411-12}}</ref>『世界一の投手』を目標に掲げており、高いメジャーリーグ志向を持っている<ref name="ay" />。「誰もやったことがないようなことをやりたい。[[野茂英雄]]さんもそうですし、成功すれば高校からメジャーへという道も拓けると思う。160km/hの目標を掲げた時には「無理じゃないか」と言う声もあったが、そう言われると、絶対やってやるという気持ちになる。刺激というか、やる気になる」という考えから<ref name="ay" />、高校3年時には日本のプロ野球を経ずに直接メジャーリーグ球団との契約を目指す意向があることを明かし、「日本を選択した場合でも、肉体的ピークだという25歳でメジャーに挑戦していたい」<ref name="sb1029" />「日本人投手として最初の[[アメリカ野球殿堂]]入りを果たしたい。メジャーで殿堂入りするためにはメジャーで最低15年はやらないといけないという話なので、30歳近くになってからメジャーに挑戦するのは遅いと思う」<ref name="ay" />「マイナーリーグからはい上がってメジャーに行くことも魅力」と話し<ref name="sn0919" />、日本ハム入団を表明した後も「やっぱり最終的にはメジャーリーグに行ってみたいと思いますし、自分の憧れている場所」と話した<ref>{{cite news|url=http://www.nikkansports.com/baseball/professional/draft/2012/news/f-bb-tp0-20121209-1057642.html|title=大谷「最終的にはメジャー」|newspaper=日刊スポーツ|date=2012-12-9|accessdate=2012-12-9}}</ref>。アメリカで生活していく覚悟についても「その気持ちはあります」と話し<ref name="ay" />、日米の文化や言語、野球の違いについては「合うかどうかというより慣れだと思っています。そういう意味も含めて、若いうちに慣れた方がいいと思うんです。だから不安はありません」と話した<ref name="yt2"></ref>。 |
高校時代には野手としても高い評価を受けていたが、本人は投手に対するこだわりが強く<ref name="yt2">{{cite journal|和書|title=大谷翔平 独占インタビュー|journal=野球太郎|issue=No.2|publisher=廣済堂出版|pages=48-53|id=雑誌69411-12}}</ref>『世界一の投手』を目標に掲げており、高いメジャーリーグ志向を持っている<ref name="ay" />。「誰もやったことがないようなことをやりたい。[[野茂英雄]]さんもそうですし、成功すれば高校からメジャーへという道も拓けると思う。160km/hの目標を掲げた時には「無理じゃないか」と言う声もあったが、そう言われると、絶対やってやるという気持ちになる。刺激というか、やる気になる」という考えから<ref name="ay" />、高校3年時には日本のプロ野球を経ずに直接メジャーリーグ球団との契約を目指す意向があることを明かし、「日本を選択した場合でも、肉体的ピークだという25歳でメジャーに挑戦していたい」<ref name="sb1029" />「日本人投手として最初の[[アメリカ野球殿堂]]入りを果たしたい。メジャーで殿堂入りするためにはメジャーで最低15年はやらないといけないという話なので、30歳近くになってからメジャーに挑戦するのは遅いと思う」<ref name="ay" />「マイナーリーグからはい上がってメジャーに行くことも魅力」と話し<ref name="sn0919" />、日本ハム入団を表明した後も「やっぱり最終的にはメジャーリーグに行ってみたいと思いますし、自分の憧れている場所」と話した<ref>{{cite news|url=http://www.nikkansports.com/baseball/professional/draft/2012/news/f-bb-tp0-20121209-1057642.html|title=大谷「最終的にはメジャー」|newspaper=日刊スポーツ|date=2012-12-9|accessdate=2012-12-9}}</ref>。アメリカで生活していく覚悟についても「その気持ちはあります」と話し<ref name="ay" />、日米の文化や言語、野球の違いについては「合うかどうかというより慣れだと思っています。そういう意味も含めて、若いうちに慣れた方がいいと思うんです。だから不安はありません」と話した<ref name="yt2"></ref>。 |
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チームメイトの[[上沢直之]]は「僕のほうが1学年上なのに平気でいじってくる。[[タメ口]]で話しかけてくる時もある。クソガキみたいな部分もある。でも、普段は礼儀正しい」と語っている<ref name="sb1525">{{cite journal|和書|title=チームメイトが明かす大谷の素顔|journal=週刊ベースボール|issue=2015年5月25日号|publisher=ベースボールマガジン社|page=23|id=雑誌20444-5/25}}</ref>。同じく[[鍵谷陽平]]は「投手と野手をやっているので全員に隔てなく接して話すことができている。誰とでも気さくに話すし、言いたいこともしっかり言える[[性格]]。みんなから親しまれている」と話している<ref name="sb1525"></ref>。 |
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[[週刊ベースボール]]誌上でチームメイトの[[上沢直之]]は「僕のほうが1学年上なのに平気でいじってくる。[[タメ口]]で話しかけてくる時もある。クソガキみたいな部分もある」と話し、「でも、普段は礼儀正しい。」と語っていた。 |
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また、[[鍵谷陽平]]は「投手と野手をやっているので全員に隔てなく接して話すことができている。誰とでも気さくに話すし、言いたいこともしっかり言える[[性格]]。みんなから親しまれている。」と話している。 |
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高校時代の好きな教科は[[歴史]]で、「特に[[幕末]]が好きですね。日本が近代的に変わっていくための新しい取り組みが多くて、歴史的に見ても大きく変わる時代。[[革命]]や[[維新]]というものに惹かれるんです」と語っている<ref name="yt2" />。 |
高校時代の好きな教科は[[歴史]]で、「特に[[幕末]]が好きですね。日本が近代的に変わっていくための新しい取り組みが多くて、歴史的に見ても大きく変わる時代。[[革命]]や[[維新]]というものに惹かれるんです」と語っている<ref name="yt2" />。 |
2015年6月18日 (木) 11:57時点における版
北海道日本ハムファイターズ #11 | |
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2013年 | |
基本情報 | |
国籍 | 日本 |
出身地 | 岩手県奥州市 |
生年月日 | 1994年7月5日(29歳) |
身長 体重 |
193 cm 90 kg |
選手情報 | |
投球・打席 | 右投左打 |
ポジション | 投手、外野手 |
プロ入り | 2012年 ドラフト1位 |
初出場 | 2013年3月29日 |
年俸 | 1億円(2015年) |
経歴(括弧内はプロチーム在籍年度) | |
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この表について
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大谷 翔平(おおたに しょうへい、1994年7月5日 - )は、北海道日本ハムファイターズに所属するプロ野球選手(投手、外野手)。
プロ野球では非常に珍しい投手と打者の「二刀流」選手として注目をされており、NPBタイ記録の球速162km/hを投げる歴代日本人最速投手である。
経歴
プロ入り前
岩手県水沢市(現:奥州市)出身。社会人野球の選手だった父とバドミントン選手の母のスポーツ一家に生まれる。「翔平」という名前は、父が奥州・平泉にゆかりのある源義経にちなんで、義経の戦うと飛ぶイメージから「翔」の字を用い、平泉から「平」を取って名付けられた[1]。
姉体小学校3年時に水沢リトルリーグで野球を始め全国大会に出場し、水沢南中学校時代に一関リトルシニアに所属し、ここでも全国大会に出場した。
菊池雄星に憧れ、彼の出身校の花巻東高校へ進学。「日本一になる」「日本人最速となる163km/hを記録する」「ドラフトで菊池雄星を越える8球団から1位指名を受ける選手になる」ことを目標に掲げた[2]。入部後は監督の佐々木洋の「まだ骨が成長段階にある。1年夏までは野手として起用して、ゆっくり成長の階段を昇らせる」という方針により[3]、1年春は「4番・右翼手」で公式戦に出場。秋からエースを務め、最速147km/hを記録し、2年春には最速151km/hを記録し、“みちのくのダルビッシュ”と呼ばれ注目される。第93回全国高等学校野球選手権大会初戦の帝京高校戦では骨端線損傷により右翼手として先発出場するが、4回途中から登板し、田中将大(駒澤大学附属高校)に並ぶ甲子園での高校2年生最速タイ記録(当時)となる150km/hを記録。その後は治療に専念し、試合には打者限定で出場した。3年の第84回選抜高等学校野球大会では初戦の大阪桐蔭高校戦で藤浪晋太郎から本塁打を打つも、11四死球で9失点と崩れ敗れた。3年夏の岩手大会の準決勝・一関学院高校戦ではアマチュア野球史上初となる最速160km/hを記録した[4]。しかし決勝の盛岡大学附属高校戦では左翼ポール付近を通過した打球が本塁打と判定される不運に見舞われる[5]など5失点を喫し、高校最後の全国選手権大会出場はならなかった。甲子園通算成績は14回を投げ防御率3.77、16奪三振。野手としては2試合で打率.333、1本塁打。
9月には第25回AAA世界野球選手権大会の日本代表に選出され、主に四番・指名打者として起用された。5位決定戦の対韓国代表戦に先発し、7回を投げ2失点、12奪三振、最速155km/hも記録するも敗戦投手となった。
2012年のプロ野球ドラフト会議前には日本プロ野球だけでなくメジャーリーグ球団からも注目され、本人は当初「(アメリカか日本かは)五分五分」と語っていた[6]が、ロサンゼルス・ドジャースやテキサス・レンジャーズ、ボストン・レッドソックスとの面談を経て[7]、10月21日にメジャーリーグへの挑戦を表明[8]。会見では「マイナーからのスタートになると思うけれども、メジャーリーグに挑戦したい気持ちでいる。入学当初からの夢だった。若いうちに行きたい思いがあった。日本のプロにも憧れはあったが、メジャーへの憧れの方が強かった」と語った[9]。しかし、23日に北海道日本ハムファイターズGMの山田正雄が大谷をドラフト会議で1位指名することを公表し[10]、日本ハム監督の栗山英樹も「大谷君には本当に申し訳ないけれど、指名をさせていただきます」と公表[11]。同25日のドラフト会議当日には日本ハムが大谷を1位で単独指名し交渉権を獲得。指名後の会見では「びっくりしたし動揺もしました。でも、自分の気持ちは変わりません。評価していただいたのはありがたいですが、アメリカでやりたいという気持ちは変わりません」と語り[12][13]、指名挨拶のため日本ハムから訪問を受けた際にも面会しなかった[14]。
しかしその後、2度目の訪問で指名挨拶を受け[15]、両親を交えた入団交渉も4度に渡って行い[16][17]、3度目の入団交渉からは栗山も同席する[18][19]。交渉では『大谷翔平君 夢への道しるべ~日本スポーツにおける若年期海外進出の考察~』と題された30ページに及ぶ資料[20]が提示され、高校卒業後直接アメリカへ渡った韓国の野球選手がメジャーリーグで活躍しているケースが少ない点や、過酷なマイナーリーグの現状、母国のプロリーグで実力をつけた選手のほうがメジャーリーグで活躍できる確率が高い点などが説明された。さらにダルビッシュ有が使用していた背番号11、投手と打者の「二刀流」育成プランなどを提示され、12月9日に日本ハム入団を表明[21]。25日に契約金1億円+出来高払い5000万円、年俸1500万円(推定)[22]で仮契約を結んで入団会見した[23][24]。背番号は「11」。会見後には札幌ドームで監督の栗山英樹と投打で1球勝負するエキシビションも行われた[25]。
2012年11月に花巻東高校が岩手県内向けに放送した生徒募集のCMについて、同校が大谷を日本高等学校野球連盟(高野連)の承認を得ないで出演させていたことが2013年1月に判明し、日本学生野球憲章抵触のため高野連が実態調査に乗り出し[26]、野球部部長が厳重注意を受けた[27]。
プロ入り後
- 2013年
- 春季キャンプでは投手と野手の練習メニューを並行してこなし、2月途中から一軍に合流。オープン戦や春季教育リーグでも投手、右翼手、指名打者として出場。オープン戦では3月17日の対中日ドラゴンズで山内壮馬から初本塁打を打つ。3月21日の東北楽天ゴールデンイーグルス戦では投手として登板した後、打席に立ち、さらに右翼手の守備に就いた[28]。
- 投手登録のまま打者として開幕一軍入りし[29]、3月29日のシーズン開幕戦(埼玉西武ライオンズ戦、西武ドーム)では八番・右翼手で先発出場。高卒外野手の開幕戦先発出場は2011年の駿太(オリックス・バファローズ)以来で、球団では1959年の張本勲以来54年ぶり。開幕戦では2安打1打点を記録し、試合後にはヒーローインタビューを受けている。高卒新人が開幕戦で複数安打を記録したのは1960年の矢ノ浦国満(近鉄バファローズ)以来53年ぶり2人目[30]。翌3月30日の西武戦にも出場したが、花巻東高校の先輩でもある西武の先発投手・菊池雄星に2三振と抑えられた。その後も下位打線で出場しながら二軍の試合で投手として調整していたが、4月13日のオリックス戦(ほっともっとフィールド神戸)で外野守備中に右足首を捻挫し[31]、出場選手登録を抹消された。5月4日に復帰し、5月6日の西武戦(西武ドーム)ではプロ入り後初めて一番打者として出場。5月23日の東京ヤクルトスワローズ戦で投手として初登板、初先発。5回2失点で勝敗は付かなかったが、新人投手の初登板では史上最速となる157km/hを記録した[32]。この試合では初登板を記念し、球団から観客へ「二刀流クリアファイルセット」と観戦証明書が配布された。5月26日の阪神タイガース戦(阪神甲子園球場)には五番・右翼手として先発出場し、プロ入り後初めてとなるクリーンアップトリオに入り、藤浪晋太郎から2本の二塁打を打った[33]。
- 6月1日の中日戦で先発投手を務め、5回3失点でプロ初勝利を挙げる[34][35]。6月15日の広島東洋カープ戦では、高卒新人としては1993年の読売ジャイアンツ(巨人)・松井秀喜以来20年ぶりとなる三番打者としての先発出場を果たす[36]。6月18日の広島戦(MAZDA Zoom-Zoom スタジアム広島)はセ・リーグ球団の主催試合で指名打者が使えないということもあり、五番・投手で先発出場。先発投手が三~五番を打つのは1963年の梶本隆夫(阪急ブレーブス)以来50年ぶり[37]。投手としては4回3失点で降板したが、降板後に右翼手の守備に就き、打者としては安打1、打点1を記録した。7月10日の楽天戦(クリネックススタジアム宮城)では永井怜からプロ初本塁打を打つ。高卒新人でプロ初勝利とプロ初本塁打を記録したのは1967年の江夏豊(阪神)以来、46年ぶり[38] 。翌11日(楽天戦)の試合前練習中に外野をランニングしていたところ、フリー打撃の打球が右のこめかみ付近に直撃し試合を欠場、「右頬骨不全骨折」と診断された[39]が、その3日後の14日(千葉ロッテマリーンズ戦)で復帰し、大谷智久から自身初の代打本塁打・本拠地初本塁打・2試合連続本塁打となる2号本塁打を打った[40]。
- オールスターゲームにはファン投票で外野手として初選出され、第1戦では5回から投手として登板し1回2安打無失点、最速157km/hを記録する投球を見せ、降板後は左翼の守備に就き、打席では2打数無安打[41][42]。第2戦では高卒新人としてはオールスターゲーム史上初となる一番打者で起用され、第1打席でオールスターゲーム初安打となる二塁打を記録した[43]。第3戦では、高卒新人としては1986年の清原和博以来となるオールスターゲームでの打点を記録し、敢闘選手賞とスカイアクティブテクノロジー賞を受賞し、賞金100万円と賞品のマツダ車1台が贈られる[44]。8月9日のロッテ戦では6回からプロ入り後初の救援登板[45]。8月18日の福岡ソフトバンクホークス戦(帯広の森野球場)では五番・右翼手で先発出場し、8回からは投手を務め1回を1安打無失点に抑える[46]。8月23日のオリックス戦では投手として先発し、プロ入り後初めて投球にフォークボールを交じえ、プロ入り後自己最多の9奪三振を記録する投球で3勝目を挙げる[47]。
- 2014年
- 3月30日のオリックス戦(札幌ドーム)でプロ入り初の猛打賞を記録[48]。4月12日の西武戦(札幌ドーム)でプロ入り初の二桁奪三振とシーズン初勝利を記録[49]。5月13日の西武戦(函館オーシャンスタジアム)では、9回を被安打6・奪三振9の内容でプロ入り初完封勝利[50]。6月4日の広島戦(札幌ドーム)ではパ・リーグ史上最速の160km/hを計測[51]。その後も6月11日の巨人戦(札幌ドーム)[52]、6月18日の阪神戦(甲子園)[53]、6月25日の横浜DeNAベイスターズ戦(横浜スタジアム)[54]で最速160km/hを4試合連続、他球場でも計測した。20歳となった7月5日のロッテ戦では、プロ入り初の1試合2本塁打を記録[55]。7月9日の対楽天戦(楽天Koboスタジアム宮城)では毎回の16奪三振で1失点の完投で8勝目。1試合16奪三振は、1980年の木田勇と並ぶ球団タイ記録[56]。毎回奪三振は自身初で、球団では史上10人目(13度目)。また1968年の江夏豊の20歳2ヶ月を更新する16奪三振以上のNPB最年少記録とした[57]。
- オールスターゲームには前年の外野手に続き、投手として監督推薦で選出。投手と野手の両方で選出されるのは関根潤三[注釈 1]以来2人目[58]。7月19日の第2戦(甲子園)に先発登板し、1回裏に先頭打者の鳥谷敬への2球目でオールスターゲーム史上最速の162km/hを計測、この後、阿部慎之助への初球でも計測。公式戦を入れると、2008年の巨人のマーク・クルーン以来の史上2人目のタイ記録。1イニングを投げ、打者5人に対し3被安打1失点の内容で、全23球のうち12球で160キロ以上を記録した。試合は12対6でパ・リーグが勝利し大谷が勝利投手となる[注釈 2]が、20歳0ヶ月での先発勝利は池永正明の19歳1ヶ月に次ぐオールスターゲーム年少記録となった[59][60]。
- 前半戦終了までに7連勝していたが、後半戦最初の登板となった7月26日の楽天戦(コボスタ宮城)では8イニングを投げ被安打5、奪三振10、失点2の内容で勝敗はつかず[61]、8月3日のソフトバンク戦(札幌ドーム)で日本人最速タイ記録の161km/hを計測したが、7イニングを投げ被安打9、失点2で敗戦投手となり連勝がストップ[62]。8月26日のソフトバンク戦(福岡 ヤフオク!ドーム)で自身初の10勝目を挙げたが、同一シーズンで10勝と6本塁打を記録したのはパ・リーグ史上初[63]。8月29日のロッテ戦(東京ドーム)で初回に自身初の2日連続となる8号本塁打を記録し、二桁勝利を挙げた投手としては1950年の藤本英雄(26勝)の7本塁打のNPB記録を更新した[64]。9月7日のオリックス戦(京セラドーム大阪)で10号本塁打を記録し、NPB史上初となる同一シーズンで二桁勝利と二桁本塁打を達成した[注釈 3][65][66])。10月5日の楽天戦(札幌ドーム)では初回に銀次への投球が球速162km/hを計測し、自己最速とNPBシーズン公式戦記録(2008年6月1日にマーク・クルーンが記録)に並び、由規の日本人NPB最速と自らのパ・リーグ記録を更新した[67]。
- 10月11日のクライマックスシリーズ(CS)ファーストステージ(オリックス戦)の第1戦(京セラドーム)でポストシーズン初登板初先発。2回には二死満塁からの2四死球で2点を取られたが、6イニングを3失点に抑えCS初勝利を挙げた[68]。20歳3ヶ月の投手がCSで勝利するのは2009年の田中将大の20歳11ヶ月を更新する史上最年少記録[注釈 4]。
- 2015年
- 3月27日の楽天戦(札幌ドーム)で自身初の開幕投手を務め、5回2/3を被安打3、失点1、6奪三振に抑え勝利投手になった[72]。5月14日の西武戦(西武ドーム)では、チームでは1979年の高橋直樹以来となる完投勝利での開幕6連勝を飾った[73]。
選手としての特徴
近代プロ野球では非常に珍しい投手と打者の『二刀流』選手。投手としてのみ先発登板するケースや、野手としてのみ(主に右翼手や指名打者で)先発出場するケースの他に、投手として先発出場し降板後に野手として守備に就くケースや[74]、野手として先発出場し途中の回から救援登板するケースもある[46]。
投手として
身長193cmの恵まれた体のスリークォーターから平均球速約152km/h[75]、最速162km/hのストレートと、鋭くブレーキのかかるスライダー[76]や100km/h台のカーブ、稀にカット・ファスト・ボールやチェンジアップを投げ[2]、プロ入り後は平均球速約139km/h[77]を記録するフォークボールも交じえている[47]。高校時代はフォームの安定やスタミナが課題とされていた[78]。高校通算奪三振145に対して与四死球61を記録するなど制球力にも難があり[79]、プロ入り後も2014年までの通算与四球率[注釈 5]は3.73に達している。捕手としてバッテリーを組むことが多い近藤健介は「リズムが出来てくればしっかりとコースにコントロール出来るが、四球から崩れるという失点パターンに注意している」と語っている[80]。
打者・野手として
高校通算56本塁打の長打力[81]と一塁到達4.1秒台の俊足[82][83]、強肩[83]を兼ね備える。高校時代にはプロのスカウトから「高橋由伸タイプで、三冠王を狙える素材」[84]「松井秀喜以来の長距離打者」[82]と評された。
二刀流への賛否
投手と打者の二刀流を続けていくことには賛否があり、将来的に投手と打者のどちらに専念していくべきなのかについても様々な意見がある。
ダルビッシュ有は投手を勧めており、「ナンバーワンになれる可能性があるとしたら投手なので。ナンバーワンになれる可能性を取ったほうがいい。(二刀流は)プロ野球の人気を考えれば見ていて面白いし興味があることになると思うけど、本人がメジャーに行きたいと思った時は絶対に足を引っ張ることになる」と語っている[85]。同じく投手を勧めている長嶋茂雄は「バッターもいいけどやっぱりオレはピッチャーだな。とにかく彼はこれまでの日本人が持っていないものを持っている。何より体がいい。(身長も)194、5(cm)あるわけでしょう。それでいてあの身のこなしができる。あの動きを見ると、やっぱりメジャーのピッチャーだなと思うよ」と語っている[86]。
イチローは打者を勧めており、「バッターをやればいいのにと思いました。実際にグラウンドで対戦したわけでもない距離感の中での話ですけど、彼ほどのバッターはなかなかいないと思います。(二刀流は)ピッチャーをやって、その翌日に外野を守れるなら両方やってもいいと思います」と語っている[87]。
野村克也は二刀流を続けることを勧めており、「あれだけのバッティングとピッチングができるなら、大賛成。今まで誰もやったことがないことをやるというのも、魅力である。『10年に1人の逸材』と呼ばれる者はよくいるが、プロ野球80年の歴史で、あんな選手は初めてだろう」と語っている[88]。
松井秀喜や田中将大は本人の意思を尊重した選択を勧めており、「可能なら両方続けたらいいし、いずれどちらかに決めるならそれもいいと思う」[89]、「なかなかできることではない。納得するまでやればいい」とそれぞれ語っている[85]。
王貞治は将来的に投手と打者のどちらかに専念していくという見解を持ちつつも、「200勝、2000安打のどちらかなんて言わず、両方達成して名球会に来ればいい。二刀流を続けるというなら、それぐらいの意気込みでやってほしいよな」と語っている[90]。
メジャーリーグで二刀流を続ける可能性については、実際にメジャーで二刀流を経験したブルックス・キーシュニックは「こっちに来たら、両方やらせてくれることはない。両方をやっていたら色んなことが起きるからだ。例えば、自打球を足首や足のつま先に当てて骨折でもしたらどうする。特に年間に500〜2000万ドルも稼ぐ奴ならまず無理だ」と語っている[91][92]。また、大学時代に二刀流選手として活躍したジョン・オルルドは「おそらくプロのチームは、大谷が100マイルを投げられるなら彼を守りたがるだろう。そして、投手としてやらせたいと考えるはずだ。だって、守っていれば無理な体勢から投げなければならない時もある。そんな時に腕でも痛めたらどうするんだい」と語っている[91][92]。
人物
父の徹は以前三菱重工横浜でプレーしていた元社会人野球選手。また実兄の龍太は元高知ファイティングドッグス所属で、現在はトヨタ自動車東日本でプレーしている。
好きな選手はダルビッシュ有[2]。
高校時代には野手としても高い評価を受けていたが、本人は投手に対するこだわりが強く[93]『世界一の投手』を目標に掲げており、高いメジャーリーグ志向を持っている[2]。「誰もやったことがないようなことをやりたい。野茂英雄さんもそうですし、成功すれば高校からメジャーへという道も拓けると思う。160km/hの目標を掲げた時には「無理じゃないか」と言う声もあったが、そう言われると、絶対やってやるという気持ちになる。刺激というか、やる気になる」という考えから[2]、高校3年時には日本のプロ野球を経ずに直接メジャーリーグ球団との契約を目指す意向があることを明かし、「日本を選択した場合でも、肉体的ピークだという25歳でメジャーに挑戦していたい」[84]「日本人投手として最初のアメリカ野球殿堂入りを果たしたい。メジャーで殿堂入りするためにはメジャーで最低15年はやらないといけないという話なので、30歳近くになってからメジャーに挑戦するのは遅いと思う」[2]「マイナーリーグからはい上がってメジャーに行くことも魅力」と話し[6]、日本ハム入団を表明した後も「やっぱり最終的にはメジャーリーグに行ってみたいと思いますし、自分の憧れている場所」と話した[94]。アメリカで生活していく覚悟についても「その気持ちはあります」と話し[2]、日米の文化や言語、野球の違いについては「合うかどうかというより慣れだと思っています。そういう意味も含めて、若いうちに慣れた方がいいと思うんです。だから不安はありません」と話した[93]。
チームメイトの上沢直之は「僕のほうが1学年上なのに平気でいじってくる。タメ口で話しかけてくる時もある。クソガキみたいな部分もある。でも、普段は礼儀正しい」と語っている[95]。同じく鍵谷陽平は「投手と野手をやっているので全員に隔てなく接して話すことができている。誰とでも気さくに話すし、言いたいこともしっかり言える性格。みんなから親しまれている」と話している[95]。
高校時代の好きな教科は歴史で、「特に幕末が好きですね。日本が近代的に変わっていくための新しい取り組みが多くて、歴史的に見ても大きく変わる時代。革命や維新というものに惹かれるんです」と語っている[93]。
詳細情報
年度別投手成績
年 度 |
球 団 |
登 板 |
先 発 |
完 投 |
完 封 |
無 四 球 |
勝 利 |
敗 戦 |
セ 丨 ブ |
ホ 丨 ル ド |
勝 率 |
打 者 |
投 球 回 |
被 安 打 |
被 本 塁 打 |
与 四 球 |
敬 遠 |
与 死 球 |
奪 三 振 |
暴 投 |
ボ 丨 ク |
失 点 |
自 責 点 |
防 御 率 |
W H I P |
---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
2013 | 日本ハム | 13 | 11 | 0 | 0 | 0 | 3 | 0 | 0 | 0 | 1.000 | 274 | 61.2 | 57 | 4 | 33 | 0 | 8 | 46 | 2 | 0 | 30 | 29 | 4.23 | 1.46 |
2014 | 24 | 24 | 3 | 2 | 0 | 11 | 4 | 0 | 0 | .733 | 638 | 155.1 | 125 | 7 | 57 | 0 | 4 | 179 | 6 | 1 | 50 | 45 | 2.61 | 1.17 | |
通算:2年 | 37 | 35 | 3 | 2 | 0 | 14 | 4 | 0 | 0 | .778 | 912 | 217.0 | 182 | 11 | 90 | 0 | 12 | 225 | 8 | 1 | 80 | 74 | 3.07 | 1.25 |
- 2014年度シーズン終了時
年度別打撃成績
年 度 |
球 団 |
試 合 |
打 席 |
打 数 |
得 点 |
安 打 |
二 塁 打 |
三 塁 打 |
本 塁 打 |
塁 打 |
打 点 |
盗 塁 |
盗 塁 死 |
犠 打 |
犠 飛 |
四 球 |
敬 遠 |
死 球 |
三 振 |
併 殺 打 |
打 率 |
出 塁 率 |
長 打 率 |
O P S |
---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
2013 | 日本ハム | 77 | 204 | 189 | 14 | 45 | 15 | 1 | 3 | 71 | 20 | 4 | 1 | 0 | 2 | 12 | 0 | 1 | 64 | 3 | .238 | .284 | .376 | .660 |
2014 | 86 | 234 | 212 | 32 | 58 | 17 | 1 | 10 | 107 | 31 | 1 | 0 | 0 | 1 | 21 | 0 | 0 | 48 | 4 | .274 | .338 | .505 | .842 | |
通算:2年 | 163 | 438 | 401 | 46 | 103 | 32 | 2 | 13 | 178 | 51 | 5 | 1 | 0 | 3 | 33 | 0 | 1 | 112 | 7 | .257 | .314 | .444 | .758 |
- 2014年度シーズン終了時
年度別守備成績
年 度 |
投手 | 外野 | ||||||||||
---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
試合 | 刺殺 | 補殺 | 失策 | 併殺 | 守備率 | 試合 | 刺殺 | 補殺 | 失策 | 併殺 | 守備率 | |
2013 | 13 | 2 | 7 | 0 | 1 | 1.000 | 54 | 75 | 7 | 1 | 1 | .988 |
2014 | 24 | 8 | 23 | 1 | 1 | .969 | 8 | 15 | 0 | 0 | 0 | 1.000 |
通算 | 37 | 10 | 30 | 1 | 2 | .975 | 62 | 90 | 7 | 1 | 1 | .989 |
- 2014年度シーズン終了時
日米野球での成績
年 度 |
球 団 |
登 板 |
先 発 |
完 投 |
完 封 |
無 四 球 |
勝 利 |
敗 戦 |
セ 丨 ブ |
ホ 丨 ル ド |
勝 率 |
打 者 |
投 球 回 |
被 安 打 |
被 本 塁 打 |
与 四 球 |
敬 遠 |
与 死 球 |
奪 三 振 |
暴 投 |
ボ 丨 ク |
失 点 |
自 責 点 |
防 御 率 |
W H I P |
---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
2014 | |||||||||||||||||||||||||
NPB | 2 | 1 | 0 | 0 | 0 | 0 | 1 | 0 | 0 | .000 | 23 | 5 | 7 | 0 | 2 | 0 | 1 | 7 | 1 | 0 | 2 | 2 | 3.60 | 1.80 | |
通算:1年 | 2 | 1 | 0 | 0 | 0 | 0 | 1 | 0 | 0 | .000 | 23 | 5 | 7 | 0 | 2 | 0 | 1 | 7 | 1 | 0 | 2 | 2 | 3.60 | 1.80 |
- 2014年度シーズン終了時
表彰
- 月間MVP:1回(2015年4月)
- 「ジョージア魂」賞年間大賞:1回 (2014年)
- 「ジョージア魂」賞:1回 (2014年度第2回)
- 報知プロスポーツ大賞 (2014年)
記録
この選手の記録に関する文献や情報源が必要です。(2014年7月) |
- 投手記録
- 初登板・初先発:2013年5月23日、対東京ヤクルトスワローズ2回戦(札幌ドーム)、5回2失点で勝敗つかず
- 初奪三振:同上、2回表にウラディミール・バレンティンから空振り三振
- 初勝利・初先発勝利:2013年6月1日、対中日ドラゴンズ4回戦(札幌ドーム)、5回3失点
- 初完投勝利・初完封勝利 : 2014年5月13日、対埼玉西武ライオンズ7回戦(函館オーシャンスタジアム)、9回9奪三振
- 1試合16奪三振:2014年7月9日、対対東北楽天ゴールデンイーグルス戦(楽天Koboスタジアム宮城) ※球団タイ記録、20歳0ヶ月での16奪三振以上はNPB最年少記録、球界では2011年田中将大以来18人目(20度目)
- 毎回奪三振:同上、球団史上10人目
- クライマックスシリーズ最年少勝利投手(20歳3ヶ月):2014年クライマックスシリーズファーストステージ第1戦
- 打撃記録
- 初出場・初先発出場:2013年3月29日、対埼玉西武ライオンズ1回戦(西武ドーム)、8番・右翼手で先発出場
- 初打席:同上、3回表に岸孝之から見逃し三振
- 初安打:同上、5回表に岸孝之から右線二塁打
- 初打点:同上、6回表に岸孝之から右前適時打
- 初盗塁:2013年6月29日、対埼玉西武ライオンズ11回戦(札幌ドーム)、6回裏に二盗(投手:十亀剣、捕手:上本達之)
- 初本塁打:2013年7月10日、対東北楽天ゴールデンイーグルス10回戦(クリネックススタジアム宮城)、4回表に永井怜から右越2ラン
- その他の記録
- 球速に関する記録
- 162km/h
- 2014年7月19日、2014年オールスターゲーム第2戦(阪神甲子園球場) ※オールスターゲーム最速
- 2014年10月5日、対東北楽天ゴールデンイーグルス24回戦(札幌ドーム) ※NPBシーズン公式戦最速タイ記録、パ・リーグ最速
- 160km/h:2014年6月4日、対広島東洋カープ2回戦(札幌ドーム) ※パ・リーグ初の160km
背番号
- 11 (2013年 - )
登場曲
- 「ドリームメイカー」TRIPLANE(打席時、2013年)
- 「The Power Of Love」Huey Lewis & The News(登板時、2013年)
- 「キットカナウ」miwa(打席時、2014年 - )
- 「Party Maker」Perfume(登板時、2014年 - )
代表歴
脚注
注釈
出典
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関連項目
外部リンク
- 個人年度別成績 大谷翔平 - NPB.jp 日本野球機構
- 二刀流はどこまで進化するか 日本ハム・大谷翔平の挑戦