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=== 年度別監督成績 ===
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2011年8月31日 (水) 16:06時点における版

佐々木 恭介
京都アストドリームス 監督
基本情報
国籍 日本の旗 日本
出身地 兵庫県氷上郡青垣町(現:丹波市
生年月日 (1949-12-28) 1949年12月28日(74歳)
身長
体重
176 cm
78 kg
選手情報
投球・打席 右投右打
ポジション 外野手
プロ入り 1971年 ドラフト1位
初出場 1972年4月8日
最終出場 1981年
経歴(括弧内はプロチーム在籍年度)
選手歴
監督・コーチ歴

佐々木 恭介(ささき きょうすけ、1949年12月28日 - )は、兵庫県氷上郡青垣町(現:丹波市)出身の元プロ野球選手外野手)・監督野球解説者野球評論家

来歴

少年時代は相撲をとったら負け知らずだったため、相撲部屋からスカウトが来たという。

柏原高校から新日鐵広畑を経て、1971年ドラフト1位で近鉄バファローズに入団。1974年外野手に転向しレギュラーとなった。1978年には打率.354の好成績で首位打者を獲得。1979年1980年にも打率3割以上をマークし、リーグ連覇の原動力となった。1979年の日本シリーズの「江夏の21球」では江夏豊と対戦した打者の一人。江夏が自分に投じた第2球目、ど真ん中のシュートを見逃してしまい(判定はストライク)、結局三振に倒れる。佐々木は「人生をやり直せるとしたら、あの打席の2球目の場面をやり直したい」と述べたことがある。

1981年6月3日の対ロッテ戦で、1回表にプロ野球史上最短の試合開始4球で退場処分を受けている。

1982年に肝炎による内臓疾患により、33歳で現役引退。

引退後は、1983年は近鉄スカウト、1984年から1989年まで近鉄打撃コーチ、1990年スポーツニッポン野球評論家、1991年から1992年までは監督の中村勝広の要請により阪神タイガース一軍打撃コーチを務める。阪神時代は新庄剛志亀山努らをブレイクさせ、6年ぶりのAクラス入りに貢献した。

その後、1993年からは毎日放送野球解説者、スポーツニッポン野球評論家。担当していたラジオ番組では話術の巧みさを発揮した。

1996年から1999年まで近鉄監督を務める。就任直後のドラフト会議では(赤いふんどしを着用し当日に臨んだと言われる)抽選でPL学園福留孝介の交渉権を獲得し(入団は拒否)、『ヨッシャー』の掛け声(これが愛称となる)で話題となった。スカウトより事前に「意中球団でないため、近鉄に入団する可能性は極めて低い」という報告を受けていたが、PL学園は藤井寺から10分たらずの距離なのに、何もしないのは惜しいということで強行1位指名に踏み切ったという。福留獲得のため近鉄球団は7億円まで積み、さらに数年間プレーすれば自由契約にするとまで約束したそうだが福留は首を縦には振らなかったと、関西のラジオ番組ゴー傑Pという番組で佐々木は語っている。当時は巨人と出来ていると思っていたがふたを開けてみると中日だったのかと驚いたという。

1996年11月のドラフト会議で、3位で近鉄が指名した礒部公一は当初オリックス・ブルーウェーブ志望であった。しかし、佐々木は交通の便が悪い広島県東広島市の礒部の実家へ、球団が用意したヘリコプターで近鉄の指名選手中一番先に会いに行き、その結果ヘリまで飛ばし挨拶に来てくれた熱意と、その場での説得で礒部は近鉄入団を決意した。

2001年、監督の東尾修に請われライバルチームである西武ライオンズ一軍ヘッド兼打撃コーチに電撃就任。2002年に中日ドラゴンズ一軍ヘッド兼打撃コーチとなり、同チームに入団した福留と再会する。2003年のシーズン終盤で監督の山田久志が解任(名目上は「休養」)されたため、監督代行として20試合指揮を執った。

2004年から2009年まで再び、毎日放送野球解説者、スポーツニッポン野球評論家として活動し2007年には韓国三星ライオンズ春季キャンプ中の特別打撃コーチを務めた。そしてペナントレース終盤(9月 - )同チームの臨時コーチを2008年まで務めた。 2005年愛知県中部日本放送でレギュラー出演していたテレビ番組で、佐々木の公式戦予想が外れた罰ゲームとして、当時首位だった阪神を中日が追いかけるという意味で「トラの尻尾をつかむ」と称して、動物園でトラのオリに入って本物のトラの尻尾をつかまされるというバラエティタレント並みの企画を実行させられた。

2008年8月に行われた日本ハム対オリックス戦(GAORAプロ野球中継)で、「オリックスはどうでもいい」などオリックスを侮辱する発言が目立ったため、ブログに批判的な意見が多く集まってコメント欄が閉鎖になった。その試合はオリックスが勝っている。シーズン終了後、この年オリックスが2位に躍進した理由を「コリンズ効果ですよ。みんなそう言ってます」と語っていたが、司会の辻よしなり磯山さやかは佐々木の発言に困惑していた。その後、スカパーで放送された2009年の順位予想ではオリックスを優勝候補に挙げた。最終的にはスポニチの順位予想では西武優勝、オリックス2位の順位予想に変更している。

2009年に行われたゴルフの関西シニア選手権で「不正」をしていたことが発覚し、毎日放送でのプロ野球解説を含むテレビ、ラジオ出演を自粛。同時期にスポーツニッポン新聞社との評論家契約も終了となったが因果関係は未詳。2010年10月8日から12月末日までの3ヶ月間桃山学院大学硬式野球部の特別コーチを務めた[1]

2011年1月20日に日本女子プロ野球機構京都アストドリームスの監督に就任が決まった[2]

指導者としての評価

近鉄監督時代のチーム成績は、3位が最高でそれ以外はすべてBクラス(3位から6位までを一度ずつ経験)だった。ただし、就任時には野茂英雄吉井理人ラルフ・ブライアントなど主力選手が退団・移籍で多数抜けた上に、前監督の鈴木啓示と選手との間に深い溝ができていた。在任中に打者ではタフィ・ローズ中村紀洋、投手では大塚晶文などが新戦力となり、退団後の2001年におけるリーグ優勝への下地は佐々木監督時代に着実に作り上げられた。2003年に中日の代理監督就任時においても、その時点で中日の成績は5位だったが、残り20試合を14勝5敗1分で乗り切り最終的には2位にまでチームを上昇させてシーズンを終了させるなど監督としての能力は決して悪いものではない。

打撃コーチとしても金村義明村上隆行、亀山や新庄、そして後述の福留などを育成した実績もあり、解説での打撃理論も緻密であるので、コーチとしての評価が高い。事実、金村は今でも「僕がプロ野球でやっていけたのは仰木監督と佐々木コーチのおかげ」と言っている。福留の自主トレでも打撃指導をしたり、カブスの取材に訪れた際には非公式ながら臨時コーチとして背番号「53」のカブスのユニフォームが用意され、福留の打撃指導をした[3]

人間関係

現役当時の監督だった西本幸雄を尊敬しており、監督時代の背番号を近鉄監督時代の西本と同じ68番にしたばかりか、自身の公式ブログのアドレスにも「68」を入れたほどである。佐々木の現役時代の背番号も、西本と同じ5番だった。

福留孝介は近鉄の入団は拒否したものの、佐々木をコーチとして慕っていた。福留が2002年に首位打者を獲得できたのは、佐々木の打撃指導によるものとされている。また、プライベートでの親交は今も続いており、時々食事を共にする仲だという。2006年の日本シリーズ開幕戦の試合前、「サンデードラゴンズ」の収録中だった佐々木に本人から直接電話がかかってくるという一幕もあった。

詳細情報

年度別打撃成績

















































O
P
S
1972 近鉄 53 134 122 13 30 7 0 5 52 12 6 2 1 1 9 0 1 36 1 .246 .301 .426 .727
1973 91 233 209 26 47 12 0 8 83 26 5 1 1 1 21 0 1 39 8 .225 .297 .397 .695
1974 118 402 362 40 95 25 0 13 159 39 7 8 5 3 29 0 3 49 5 .262 .320 .439 .759
1975 117 424 364 44 111 7 5 13 167 69 8 9 3 12 39 2 6 32 5 .305 .371 .459 .829
1976 125 479 418 49 112 17 1 10 161 41 15 5 5 5 46 1 5 40 15 .268 .344 .385 .729
1977 109 330 293 30 59 8 0 6 85 30 9 5 5 2 26 0 4 39 3 .201 .274 .290 .564
1978 109 426 376 47 133 19 2 9 183 62 8 7 6 10 30 0 4 23 10 .354 .398 .487 .884
1979 111 415 363 56 116 13 0 18 183 46 14 3 4 3 37 3 8 38 8 .320 .392 .504 .896
1980 112 414 359 68 114 18 0 19 189 66 8 5 4 4 40 0 7 36 12 .318 .393 .526 .919
1981 91 288 253 31 66 7 1 4 87 21 14 3 5 3 21 0 6 17 3 .261 .329 .344 .672
通算:10年 1036 3545 3119 404 883 133 9 105 1349 412 94 48 39 44 298 6 45 349 70 .283 .350 .433 .782
  • 各年度の太字はリーグ最高

年度別監督成績

年度 球団 順位 試合 勝利 敗戦 引分 勝率 ゲーム差 チーム
本塁打
チーム
打率
チーム
防御率
年齢
1996年 近鉄 4位 130 62 67 1 .481 14.5 146 .255 4.01 47歳
1997年 3位 135 68 63 4 .519 7.5 112 .274 3.79 48歳
1998年 5位 135 66 67 2 .496 5.0 126 .267 4.28 49歳
1999年 6位 135 54 77 4 .412 23.5 151 .257 4.54 50歳
通算:4年 535 250 274 11 .477 Aクラス1回、Bクラス3回
※1 1996年は130試合制
※2 1997年から2000年までは135試合制

タイトル

表彰

記録

背番号

  • 5 (1972年 - 1982年)
  • 50 (1984年 - 1985年)
  • 85 (1986年 - 1989年)
  • 83 (1991年 - 1992年)
  • 68 (1996年 - 1999年)
  • 77 (2001年)
  • 75 (2002年 - 2003年)

関連情報

過去の出演番組

著書

  • 遥かなる野球少年(情報センター出版局 1994/11) ISBN 4795816921

脚注

  1. ^ 元プロ野球選手・監督の佐々木恭介氏、 硬式野球部の特別コーチに就任 - 2010年11月18日
  2. ^ 佐々木恭介監督就任について - 2010年1月20日
  3. ^ 元近鉄監督の佐々木氏がカブスの“臨時コーチ”(野球) ― スポニチ Sponichi Annex ニュース

関連項目

外部リンク