大宮家 (閑院流)
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大宮家 (藤原北家閑院流) | |
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本姓 | 藤原北家閑院流西園寺庶流 |
家祖 | 大宮季衡 |
種別 |
公家(羽林家) 華族(子爵) |
出身地 | 山城国 |
主な根拠地 | 山城国 |
凡例 / Category:日本の氏族 |
大宮家(おおみやけ)は、藤原北家閑院流西園寺庶流にあたる公家・華族。公家としての家格は羽林家、華族としての家格は子爵家[1]。
歴史
[編集]西園寺公衡の子季衡を祖とする。季衡は光厳天皇外叔父(生母は同母妹の西園寺寧子)として従一位・右大臣にまで昇り、異母弟にあたる実衡の官位・官職を越した。しかし、その後氏衡、公名が相次いで出家または早世し、公名の子、実尚は貞治5年(1366年)に23歳で権大納言に昇る(当時従二位。後正二位)も、大臣への昇進は実現しなかった。嗣子を残さないまま薨去したので一時断絶したが、実衡の直系子孫である季光が再興した。江戸時代の家禄は130石[注釈 1]。
明治維新後の明治2年(1869年)6月17日の行政官達で公家と大名家が統合されて華族制度が誕生すると大宮家も公家として華族に列した[2][3]。明治17年(1884年)7月7日の華族令の施行で華族が五爵制になると、同8日に大納言直任の例がない旧堂上家[注釈 2]として以季が子爵を授けられた[5]。
以季は貴族院の子爵議員に4回当選して務めた[6]。
歴代当主
[編集]- 大宮季光
- 大宮季勝
- 大宮実勝 - (姉小路公景の子)
- 大宮公央
- 大宮実堅
- 大宮昌季
- 大宮貞季 - (西園寺致季の子)
- 大宮盛季
- 大宮良季 - (日野資矩の子)
- 大宮政季
- 大宮公典
- 大宮以季 - (小倉輔季の子)
系譜
[編集]- 実線は実子、点線(縦)は養子。
西園寺公衡 | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||
実衡 | 大宮季衡1 | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||
氏衡 | 公名2 | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||
実持 | 実尚3 | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||
(再興) | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||
季光4[7] | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||
季勝5 | 実勝6[8] | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||
公央7 | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||
昌季8 | 実堅 | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||
貞季9[9] | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||
盛季10 | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||
良季11[10] | 篤実 | 俊季 | |||||||||||||||||||||||||||||||||||
篤実 | 政季12[11] | 公良 | |||||||||||||||||||||||||||||||||||
暉季 | 公典13 | 俊季 | |||||||||||||||||||||||||||||||||||
以季14[12] | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||
公孝15[13] | 浩季 | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||
司季16 | 惇季 | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||
秀人17[14] | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||
系譜参考
[編集]脚注
[編集]注釈
[編集]出典
[編集]参考文献
[編集]- 浅見雅男『華族誕生 名誉と体面の明治』リブロポート、1994年(平成6年)。
- 小田部雄次『華族 近代日本貴族の虚像と実像』中央公論新社〈中公新書1836〉、2006年(平成18年)。ISBN 978-4121018366。
- 華族大鑑刊行会『華族大鑑』日本図書センター〈日本人物誌叢書7〉、1990年(平成2年)。ISBN 978-4820540342。