堤家
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堤家 | |
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本姓 | 藤原北家勧修寺流甘露寺庶流 |
家祖 | 堤貞長 |
種別 |
公家(名家) 華族(子爵) |
出身地 | 山城国 |
主な根拠地 | 山城国 |
凡例 / Category:日本の氏族 |
堤家(つつみけ)は、名家の家格を有する公家。藤原北家勧修寺流。当初は中川家(なかがわけ)と呼ばれた。江戸時代の家禄は蔵米30俵2人扶持。明治維新後、華族令施行により子爵。
江戸時代[編集]
江戸時代の寛永8年(1631年)に正親町三条貞秀の子で甘露寺豊長の養子となっていた(一説には貞秀の子で甘露寺豊長の養子となっていた甘露寺時長あるいは甘露寺嗣長いずれかの子)貞長によって創設された。当初は「中川」と号していたが、2代目にあたる貞長の子・輝長の代の延宝6年(1678年)に家名を「堤」と改称した。堤代長・広長は、正二位権中納言に昇進したが、原則的には参議が極官であった。
明治時代以降[編集]
明治維新後の 1884年(明治17年)7月8日堤功長に子爵の位を授けられた。
歴代当主[編集]
- 堤貞長 (1615 - 1677)
- 堤業長 (1638 - 1642)
- 堤輝長 (1653 - 1691)
- 堤為任 (1685 - 1717)
- 堤為量 (1690 - 1754)
- 堤晴長 (1695 - 1749)
- 堤代長 (1716 - 1783)
- 堤栄長 (1735 - 1795)
- 堤敬長 (1755 - 1800)
- 堤広長 (1773 - 1848)
- 堤維長 (1793 - 1859)
- 堤言長 (1813 - 1827)
- 堤哲長 (1827 - 1869)
系図[編集]
堤家