利子内親王

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利子内親王(としこないしんのう、建久8年(1197年) - 建長3年1月2日1251年1月25日))は、鎌倉時代皇族伊勢斎宮。のち四条天皇准母皇后宮、女院院号式乾門院。法名は真性智。父は後高倉院守貞親王、母は持明院陳子(北白河院、持明院基家)。同母弟に後堀河天皇、同母妹に安嘉門院邦子内親王(後堀河天皇准母・皇后宮、女院)がいる。

生涯[編集]

嘉禄2年11月26日(1226年12月16日)、30歳で内親王宣下を受け、同母弟後堀河天皇の斎宮に卜定安貞元年4月29日(1227年6月14日)、左近衛府初斎院入り。同年9月24日(11月4日)、野宮へ移る。同2年9月19日(1228年10月18日)、伊勢群行寛喜元年(1229年)4月、准三后貞永元年10月4日(1232年11月17日)、後堀河天皇退位により退下。天福元年2月5日(1233年3月17日)、帰京。同年6月20日(7月28日)、甥四条天皇の准母として皇后宮に冊立される。延応元年11月13日(1239年12月9日)、病により出家し、同日女院となる。建長3年1月2日(1251年1月25日)、55歳で崩御

関連項目[編集]