九条立子

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九条 立子(くじょう りっし/たつこ、建久3年(1192年) - 宝治元年12月21日1248年1月18日))は鎌倉時代の后妃、女院摂政九条良経の長女(母は権大納言一条能保の女)で、順徳天皇中宮となる。仲恭天皇の母。院号東一条院(ひがしいちじょういん)。法名は清浄観。

承元4年(1210年)に順徳天皇のもとへ入内したが、『愚管抄』によれば、当初は土御門天皇に入内させるべく準備が進められていたところを、後鳥羽院たっての要請により弟で東宮の守成親王、後の順徳天皇への入内が決められたという[1]。同年12月29日に女御宣下され、翌承元5年(1211年)1月22日には中宮に冊立。建保5年(1217年)3月22日諦子内親王(明義門院)を出産。建保6年(1218年)10月10日には懐成親王、後の九条半帝(仲恭天皇))を出産する。

承久3年(1221年)の承久の乱で、夫・順徳上皇が佐渡島に配流となると、その翌年の3月25日に院号宣下あって、東一条院となる。嘉禄2年(1226年)8月7日出家。宝治元年(1247年)崩御。享年57。

補注[編集]

  1. ^ これは後鳥羽院が当初から土御門ではなく順徳の子孫に皇統を継承させる意思を持っていたことの証左のひとつとなっている。栗山圭子「准母立后制にみる中世前期の王家」栗山圭子『中世王家の成立と院政』吉川弘文館、2012年 ISBN 978-4-642-02910-0 (初出:『日本史研究』465号(2001年))

関連項目[編集]

参考文献[編集]

  • 『日本女性人名辞典』日本図書センター、1998年