中磯皇女
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中磯皇女(なかしのひめみこ、生没年不詳)は大草香皇子の妃、のち、安康天皇の皇后。中蒂姫命(なかしひめのみこと)、長田大娘皇女(ながたのおおいらつめのひめみこ)。古事記には長田大郞女(ながたのおおいらつめ)とある。父は履中天皇、母は皇后草香幡梭皇女(応神天皇皇女)。
はじめ仁徳天皇皇子である大草香皇子の妃となり眉輪王をもうけた。大草香皇子が根使主の讒言がもとで安康天皇により殺されたのち、安康天皇の妃とされ、安康天皇2年1月17日(455年)皇后となった。日本書紀によれば、安康天皇の寵愛は深かったという。安康天皇3年8月9日(456年)、子の眉輪王は実父大草香皇子が母の夫となった安康天皇に殺されたと知り、中磯皇女の膝枕で寝ていた安康天皇を刺殺した。
古事記では、安康天皇の同母姉、長田大郞女(名形大娘皇女)と同名である。
系譜[編集]
参考文献[編集]
- 『日本書紀(中)』教育社、1992年
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