三条有子

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三条 有子
第86代天皇后
皇后 貞応2年2月25日(1223年3月28日)
中宮
嘉禄2年7月29日1226年8月23日
皇后
安喜門院
院号宣下 安貞元年2月20日1227年3月9日

誕生 建永2年(1207年
崩御 弘安9年2月6日1286年3月2日
有子(ゆうし/ありこ)
別称 三条后
氏族 藤原氏三条家
父親 三条公房
母親 藤原修子藤原範能の娘)
配偶者 後堀河天皇
女御宣下 貞応元年12月17日1223年1月20日
立后前位階 従三位
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三条 有子(さんじょう ゆうし/ありこ、藤原 有子(ふじわら の-)、1207年建永2年〉- 1286年3月2日弘安9年2月6日〉)は、鎌倉時代後堀河天皇皇后三条后女院号は安喜門院(あんきもんいん)[1]

系譜[編集]

太政大臣三条公房の女。生母は太宰大弐藤原範能の女、藤原修子。異母兄に右大臣三条実親がいる。

来歴[編集]

貞応元年12月(西暦1223年1月)、16歳で5歳年下の後堀河天皇の女御として入内。翌年2月25日には中宮に冊立されるが、嘉禄2年(1226年)7月29日に女御近衛長子が中宮に立后されるのを受け、同日皇后となる。天皇との間に子はなかった。安貞元年(1227年)2月に院号宣下を被り安喜門院と号した。

寛元4年(1246年)9月剃髪。弘安9年(1286年)2月6日、80歳で崩御した。

徒然草』の百七段には「浄土寺前関白殿は、幼くて、安喜門院のよく教へ参らせさせ給ひける故に、御詞などのよきぞ」という一節があるが、この浄土寺前関白とは安喜門院の大甥にあたる九条師教のことである。時に辛い人物評をすることもあった作者の吉田兼好も、安喜門院の教養の高さはこれを手放しで称賛していたことがそこには窺える。

脚注[編集]

  1. ^ 上田正昭、津田秀夫、永原慶二、藤井松一、藤原彰、『コンサイス日本人名辞典 第5版』、株式会社三省堂、2009年 68頁。