持明院陳子

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
移動先: 案内検索

持明院 陳子(じみょういん ちんし/のぶこ、藤原 陳子、承安3年(1173年) - 嘉禎4年10月3日1238年11月10日))は、平安時代鎌倉時代の女性。後高倉院の妃で、後堀河天皇の生母。父は正二位権中納言持明院基家、母は平頼盛の女(宰相局、後高倉院乳母)。同母兄に持明院保家がいる。准三宮女院号は北白河院(きたしらかわいん)。法名は如律。

承久3年(1221年)、彼女所生の後堀河天皇が即位しているが、その背景として彼女の従兄弟が源頼朝の妹婿である一条能保であったこと、彼女が平治の乱で頼朝の命を救った池禅尼の曾孫にあたり、鎌倉幕府から好感が持たれたとする見方がある[1]

貞応元年(1222年)4月13日、従三位、准三宮となり、同年7月11日、院号宣下をうけた。同年出家し、如律と号する。嘉禎4年(1238年)10月3日、66歳で薨去した。

嵯峨清凉寺の寺宝の牛皮華鬘は、陳子にまつわる伝承を持つ。陳子所生の安嘉門院が夢で、母が牛に生まれ変わったことを知る。女院はその牛を探し出し、購入して厚遇するが、「慳貪の罪で畜生に生まれ変わった者の苦役をとどめれば、贖罪がかなわない」との釈迦のお告げを得て、泣く泣く元の飼い主に引き渡した。その後まもなく死んだ牛の革で華鬘を作ったという話である。

脚注[編集]

  1. ^ 近藤成一「鎌倉幕府の成立と天皇」(初出:永原慶二 他編『講座前近代の天皇 第1巻 天皇権力の構造と展開その1』(青木書店、1992年)/所収:近藤『鎌倉時代政治構造の研究』(校倉書房、2016年) ISBN 978-4-7517-4650-9

参考文献[編集]