三条公房

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三条 公房(さんじょう きんふさ、治承3年(1179年) - 建長元年8月16日1249年9月23日))は鎌倉時代公卿左大臣三条実房の長男。官位従一位太政大臣浄土寺相国と呼ばれ、三条家清華家となる基礎を築いた。

経歴[編集]

寿永2年(1183年)正月に叙爵侍従を経て、文治5年(1189年従四位下左近衛中将建久6年(1195年)7月に蔵人頭に叙任され、同年11月従三位に叙せられ公卿に列す。正治2年(1200年)3月に権中納言に任ぜられる。

以後昇進して、建保3年(1215年)12月に内大臣となる。建保6年(1218年順徳天皇のもとで従一位太政大臣に叙任される。承久3年(1221年承久の乱後の12月に上表して致仕。嘉禎元年(1235年)9月に出家し法名を空寂とした。建長元年(1249年)8月16日薨去享年71。

人物[編集]

傍若無人の振る舞いを行い、世間の人々から「おそろしからぬ太政入道」と呼ばれたという。

ある時、申し上げるべき事があり今出川第を訪問したが、牛車に乗ったまま邸宅に入って中門廊に車を寄せると、自分自身の手で裏無(草履の一種)を取り出して履き、そのまま堂上に上がり込んで公卿に対面して帰ったことがあったという。[1]

系譜[編集]

脚注[編集]

  1. ^ 五代帝王物語
  2. ^ 『三宝院伝法血脈』

参考文献[編集]