春日山田皇女

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
移動先: 案内検索

春日山田皇女(かすがのやまだのひめみこ、生年不詳 - 宣化天皇5年12月5日(539年12月30日)以降)は、安閑天皇皇后。『古事記』には春日山田郎女(かすがのやまだのいらつめ)とある。父は仁賢天皇、母は和珥糠君娘(和珥臣日爪の女)。子女は無し。

概要[編集]

継体天皇7年(513年)9月、勾大兄皇子(後の安閑天皇)の妃となった[1]。安閑天皇元年3月6日(534年4月4日)に、安閑天皇の皇后に立后された[2]。翌4月、伊甚国造稚子後宮に乱入するというハプニングがあり、その贖罪のため伊甚屯倉が献上された[3]

宣化天皇崩御後に即位前の欽明天皇に登極を勧められたが辞退したとあり、これは、初の女性天皇である推古天皇即位前の出来事である。宣化天皇5年12月5日(539年12月30日)、欽明天皇即位と同時に皇太后に立てられた[4]

没年は不明であるが、没後安閑天皇の妹の神前皇女とともに、安閑天皇の御陵旧市高屋丘陵に合葬された[5]

系譜[編集]

脚注[編集]

  1. ^ 日本書紀』継体天皇7年9月条
  2. ^ 『同』安閑天皇元年3月条
  3. ^ 『同』安閑天皇元年4月条
  4. ^ 『同』欽明天皇即位前紀
  5. ^ 『同』安閑天皇2年12月条

参考文献[編集]

  • 小島憲之 他 『日本書紀 2(新編日本古典文学全集 3)』 小学館、1996年、ISBN 4-09-658003-1

関連項目[編集]