藤原順子

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藤原 順子(ふじわら の のぶこ、大同4年(809年) - 貞観13年9月28日871年11月14日)は、第54代仁明天皇女御皇太后藤原冬嗣の長女で母は尚侍藤原美都子。通称:五条后。

伝承[編集]

  • 日本三代実録』によれば、容姿が美しい穏やかな女性だったと伝えられる。(巻二十 清和紀二十「美姿色。雅性和厚」より)
  • 順子が「五条后」と称されたのは、その邸・東五条院(五条宮)に由来する。
  • 伊勢物語』第五段によると在原業平と順子の姪である藤原高子が密かに恋に落ちたのは、高子が入内前、この邸にいた時で、門からは入れない業平は、子どもが踏みあけておいた塀の崩れから忍び込んだらしい(「…門よりもえ入らで、童べの踏みあけたる築地のくづれより通ひけり」)。第四段によると、ほどなく高子は別の場所(藤原良房邸・染殿か)に移されてしまったらしい。
  • 宇治郡に安祥寺を建立した、また藤原乙牟漏が建立した大原野神社を勧請したとも伝えられる。

系譜[編集]

略歴[編集]

恒貞親王が廃太子され、道康親王(文徳天皇)が立太子。

関連項目[編集]