藤原苡子

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
ナビゲーションに移動 検索に移動


藤原 苡子
第74代天皇母
皇太后 (追贈)嘉承2年(1108年12月13日

誕生 承保3年(1076年
死去 康和5年1月25日1103年3月5日
陵所 宇治陵
苡子
氏族 藤原氏北家閑院流
父親 藤原実季
母親 藤原睦子藤原経平の娘)
配偶者 堀河天皇
入内 承徳2年(1098年10月29日
子女 鳥羽天皇
女御宣下 承徳2年(1098年12月8日
立后前位階 従四位下 、贈従二位
テンプレートを表示

藤原 苡子(ふじわら の いし/しげこ、承保3年(1076年) - 康和5年1月25日1103年3月5日))は平安時代後期の貴族女性。第73代堀河天皇女御、第74代鳥羽天皇生母。父は大納言藤原実季、母は藤原睦子藤原経平女)。同母兄に藤原公実がいる。

生涯[編集]

承徳2年(1098年)堀河天皇に入内、女御の宣旨を受ける。康和2年(1100年従四位下

康和5年(1103年)第一皇子宗仁親王(鳥羽天皇)を出産するが、難産のため死去。同年従二位を追贈。嘉承2年(1108年)鳥羽天皇の即位で皇太后を追贈。

苡子は白河院従姉妹(院の生母茂子の姪)で、入内に当たっては院自ら世話をしたという。中宮篤子内親王は高齢で子女に恵まれず、皇子出産の期待をかけられた苡子は宗仁親王を産んだが、産後の肥立ちが悪く28歳で死去した。なお、苡子の兄公実は鳥羽天皇の外戚に、また姪の璋子は鳥羽天皇の中宮となるなど、閑院流発展の元となった。

参考文献[編集]

  • 芳賀登 他 監修 『日本女性人名辞典』 日本図書センター、1998年、p. 904