草香幡梭皇女
ナビゲーションに移動
検索に移動
草香幡梭皇女(くさかのはたびのひめみこ、生没年不詳)は第17代履中天皇の皇后。古事記には幡日之若郎女(はたびのわかいらつめ)とある。父は応神天皇、母は日向泉長媛。中蒂姫命(大草香皇子の妃・眉輪王の母、後に安康天皇の皇后)の母。
履中天皇元年7月4日(400年8月9日)、葛城黒媛(磐坂市辺押磐皇子・青海皇女を産む)と共に履中天皇の妃となった。同5年9月19日(404年11月7日)の皇妃黒媛の死を受け、翌同6年1月6日(405年2月20日)に履中天皇の皇后に立てられた。
古来、第21代雄略天皇の皇后である草香幡梭姫皇女と同一人物であるとする説もある。
系譜[編集]
| |||||||||||||||||||||||||