時子内親王

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
時子内親王
時代 平安時代初期 - 前期
生誕 不詳[1]
薨去 承和14年2月12日847年3月2日
父母 父:仁明天皇、母:滋野縄子
兄弟 文徳天皇宗康親王光孝天皇時子内親王人康親王源多本康親王久子内親王高子内親王源冷国康親王常康親王貞登成康親王源光源覚源効
斎院 天長8年12月8日832年1月14日)- 天長10年(833年
テンプレートを表示

時子内親王(ときこないしんのう)は、仁明天皇の第九皇女。母は参議滋野貞主女・女御滋野縄子文徳天皇の異母姉妹で、同母兄弟には本康親王柔子内親王がいる。賀茂斎院無品

概要[編集]

天長8年12月8日(832年)、賀茂斎院有智子内親王の退下をうけ、第2代斎院に卜定される。この当時父はまだ皇太子で、時子の身位は女王だった。皇太子の王女が斎院に卜定されたのはこの時子が唯一の例である。天長10年(833年)、淳和天皇の譲位により斎院を退下したと見られる。その後、承和2年(835年)から同10年(843年)にかけ、4度にわたって讃岐国河内国山城国摂津国の荒廃・空閑の田地を仁明天皇から賜っている。

脚注[編集]

  1. ^ 天長8年(831年)以前