妍子内親王
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妍子内親王 | |
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続柄 | 鳥羽天皇皇女 |
全名 | 妍子(けんし/きよこ/よしこ) |
称号 | 吉田斎宮 |
身位 | 内親王、准三宮 |
出生 |
不明 |
死去 |
応保元年10月3日(1161年10月23日) |
父親 | 鳥羽天皇 |
母親 | 三条局(藤原家政女) |
役職 | 伊勢斎宮 |
妍子内親王(けんし(きよこ/よしこ)ないしんのう、生年不詳 - 応保元年10月3日(1161年10月23日))は、平安時代後期の皇族。鳥羽天皇皇女。母は三条局(藤原家政の女)。近衛天皇朝の伊勢斎宮。吉田斎宮と号した。
経歴
[編集]永治2年(1142年)2月26日、近衛天皇即位に伴い斎宮に卜定、同日内親王宣下。康治2年(1143年)2月22日、大膳職へ初斎院入り、同年9月27日野宮へ遷る。天養元年(1144年)9月8日、伊勢へ群行(長奉送使は権中納言藤原公能)。久安6年(1150年)4月9日、病により退下、同年7月26日帰京。その後出家、応保元年(1161年)10月3日薨去。
『発心集』に、臨終の際一度蘇生してその後息を引き取ったという話がある。