善子内親王

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善子内親王
よしこないしんのう

身位 内親王
出生 承保4年 9月23日
(1077-10-12) 1077年10月12日
死去 長承元年12月1日
(1133-01-08) 1133年1月8日(55歳没))
父親 白河天皇
母親 藤原道子
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善子内親王(よしこないしんのう、承保4年9月23日1077年10月12日) - 長承元年12月1日1133年1月8日))は白河天皇の第二皇女で、母は内大臣藤原能長の娘・承香殿女御 藤原道子。21年間伊勢斎王の任にあり、六角斎宮と称された。

年表[編集]

かっこ内はユリウス暦

  • 承保4年9月23日(1077年10月12日)誕生。
  • 承暦3年4月28日(1079年5月31日)内親王宣下
  • 永保元年11月28日(1081年12月30日)著袴(ちゃっこ)[1]
  • 寛治元年2月11日(1087年3月18日)斎宮卜定(ぼくじょう)し、同年9月21日(1087年10月20日)初斎院左近衛府に入った。寛治2年9月13日(1088年9月21日)野宮に移り、寛治3年9月15日(1089年10月21日)母の道子に伴われて伊勢に群行した。
  • 永長元年10月11日(1096年10月29日)、病気により朝廷伊勢神宮奉幣した。
  • 康和元年10月20日(1099年12月4日)、異母妹で斎院に卜定された禛子内親王とともに三宮に准じる宣旨を被った。
  • 嘉承2年7月21日(1107年8月11日)、堀河天皇崩御によって退下。12月30日(1108年2月13日)に帰京し、故因幡守藤原隆時の中御門富小路第に入った。
  • 天永2年10月15日(1111年11月17日)仁和寺十種供養に前斎宮善子・前斎院禛子の両内親王臨席。
  • 長承元年12月1日(1133年1月8日)薨去。母に遅れること三か月であった。

脚注[編集]

  1. ^ 幼年から少年に移る切り目として、はじめて袴を着付ける儀式(コトバンク 〔名目鈔(1457頃)〕)

参考資料[編集]

  • 『大日本史料』2編902冊
  • 栄花物語、水左記、為房卿記、長秋記、中右記、兵範記、一代要記、百練抄、本朝世紀、皇代暦、本朝皇胤紹運録