播州赤穂駅
播州赤穂駅 | |
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駅舎(2010年1月) | |
ばんしゅうあこう Banshū-Akō | |
◄坂越 (2.7 km) (4.0 km) 天和*► | |
所在地 | 兵庫県赤穂市加里屋328 |
所属事業者 | 西日本旅客鉄道(JR西日本) |
所属路線 | ■赤穂線 |
キロ程 |
10.5km(相生起点) 姫路から31.2 km |
電報略号 | ハア |
駅構造 | 地上駅(橋上駅) |
ホーム | 2面3線 |
乗車人員 -統計年度- |
3,876人/日(降車客含まず) -2010年- |
開業年月日 | 1951年(昭和26年)12月12日 |
備考 |
直営駅 みどりの窓口 有 |
* この間に貨物駅として西浜駅有り(当駅から2.4km先) |
播州赤穂駅(ばんしゅうあこうえき)は、兵庫県赤穂市加里屋にある、西日本旅客鉄道(JR西日本)赤穂線の駅である。
概要
赤穂市の中心駅かつ赤穂線における列車運用の境界駅であり、同線内では当駅以東(相生・姫路方面)でICOCAとその相互利用対象ICカードが利用可能(日生・岡山方面はサービスエリア外で利用不可)。 現在の駅舎は第3回近畿の駅百選に選ばれた。
駅名
駅名は開業当時、長野県の飯田線に赤穂駅(あかほえき、現・駒ヶ根駅)が存在したので頭に「播磨国」(兵庫県西部の令制国名)の別称である「播州」を冠したものであるが国鉄・JRの旧国名を冠した駅の中で、正式な国名ではなく「○州」という呼び方を採用しているのは、当駅のみである。これは「○州」を名乗る事が国鉄において忌避される傾向が強い(飯山鉄道の「信州」を冠する駅を、戦時買収によって飯山線とした際、全て正式国名の「信濃××」に直したりしている)中で例外的なものである[1]。
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駅舎と直結する東横イン
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駅構内
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改札
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駅前広場にある大石内蔵助像
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駅反対側
駅構造
単式・島式の複合型2面3線のホームを持ち、列車交換や折り返しに対応した地上駅になっている。橋上駅舎を有する。改札口は1ヶ所のみ。
かつては駅から東へ東洋紡績の工場(現在はジャスコ赤穂店・フレスポ赤穂がある)へ引込み線が延びていた。
ホーム | 路線 | 方向 | 行先 | 備考 |
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1 | ■山陽本線 | 上り | 相生・姫路方面 | 当駅始発・夕方以降発着なし |
2 | ■赤穂線 | 下り | 日生・岡山方面 | 当駅始発・通常はこのホームから |
■山陽本線 | 上り | 相生・姫路方面 | 夜の岡山方面からの直通1本のみ | |
3 | ■山陽本線 | 上り | 相生・姫路方面 | 当駅始発・新快速は主にこのホーム |
■赤穂線 | 下り | 日生・岡山方面 | 早朝の当駅始発1本のみ |
相生・姫路方面の路線名は、駅掲示時刻表では「赤穂線 相生・姫路方面」の表記となっているが、ホームの発車標では「山陽本線 相生・姫路方面」の表記である。改札口の発車標は路線名の表記がない。
- 2・3番のりばが島式ホームとなっている。1番のりば、2番のりばは12両編成に対応している。3番のりばは8両編成対応であり、12両分までの延長スペースが用意されている。
- 1番のりばは16時台までの使用で、主に岡山方面の列車との接続のない列車が停車する(岡山方面からは1番ホームへの乗り換えがある)。2011年(平成23年)3月11日まではJR神戸線直通の新快速は朝の一部を除き3番のりばからの発着だったが、翌日(3月12日)のダイヤ改正により、昼間時間帯の新快速は主に1番のりば発着となった。また、17時台以降の姫路方面行きはすべて3番のりば停車となる。夜間滞泊設定駅でもある。
ダイヤ
日中時間帯は1時間あたり姫路方面は2本、岡山方面は1本である。
相生・姫路方面(最終の1本を除く)、備前片上・岡山方面の列車とも全て当駅始発であり、定期列車は当駅を境に運転系統が分離されているため、坂越以東〜天和以西に乗車する場合は、当駅で乗り換えを要する。
姫路方面の半数は新快速であり、快速(西明石駅まで普通)も少ないながら設定されている。
始発は姫路方面が5時34分発、岡山方面が5時59分発であり、最終は姫路方面からが23時59分着、岡山方面からが22時30分着(32分発・姫路行き(最終))である。 岡山方面の最終列車は21時25分前後であり、早い。
信号機
出発信号機は上下線ともすべての番線に設置されているが、場内信号機は以下のように設置されている。
- 相生方からの場内信号機 本(1番線)、副(3番線)
- 岡山方からの場内信号機 本(2番線)、副(3番線)[要出典]
コンコース
- みどりの窓口(自動券売機・ICOCAチャージ機)
- キヨスク(改札外で利用可能)
- 赤穂市観光案内所
- 南側(海側)・北側(山側)ともエスカレーター(上り)・エレベーターが設置され、徒歩による通り抜けが可能。
利用状況
1日平均の乗車人員は3,876人である(2010年度)。
東側を中心に、平日は主に相生・姫路・神戸・大阪・京都方面へ向かう通勤・通学客が利用しているが、土曜・休日ともなると京都・大阪・神戸方面から観光客の出入りもある。
近年の1日平均乗車人員は以下の通りである。
- 3,885人(2000年度)
- 3,808人(2001年度)
- 3,718人(2002年度)
- 3,590人(2003年度)
- 3,652人(2004年度)
- 3,812人(2005年度)
- 3,961人(2006年度)
- 4,003人(2007年度)
- 4,013人(2008年度)
- 3,962人(2009年度)
- 3,876人(2010年度)
隣接する施設
駅と直結している。
商業棟
プラット赤穂 | |
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募集中 | |
店舗概要 | |
開業日 | 2000年12月12日 |
敷地面積 | 約2,510 m² |
延床面積 | 約6,810 m² |
営業時間 | 午前10時から午後8時(一部除く) |
駐車台数 | 191台台 |
赤穂市が土地と建物を所有し、赤穂駅周辺整備事業がプラット赤穂として運営する。
JR播州赤穂駅周辺整備事業の一環として橋上駅舎化された駅舎とともに、2000年(平成12年)12月12日に開業。プラット赤穂シネマ、うかいや書店赤穂店、ザ・ダイソープラット赤穂店のほか、飲食店、医院、美容院、写真店、携帯販売店など25店舗が入居した。
しかし、プラット赤穂を運営する赤穂駅周辺整備事業は、商業棟とともに計画していたホテル棟の建設中断や通常テナントが負担する費用を一部テナントで肩代わりをしたこと、またテナント側に有利な歩合制賃料を導入したことなどで収入が伸び悩む一方、初期投資に必要な必要の大半を金融機関からの借入金で補ったため当初から赤字経営が続き、2002年度(平成14年度)決算で約1億1,500万円の債務超過に陥った。そのため、2003年(平成15年)10月に赤穂駅周辺整備事業は神戸地裁に民事再生を申し立てた。[2]
その後経営再建の結果、単年度で黒字が出るまで改善した。
ホテル棟
JR播州赤穂駅周辺整備事業の一環として2008年(平成20年)11月11日に開業。東横インが東横イン播州赤穂駅前として管理運営する。
当初、5階建て、102室のホテルが計画され、ワシントンホテルが入居する予定で2001年(平成13年)2月から基礎工事が行われていた。 しかし、3月下旬にワシントンホテルは出店条件を管理運営委託方式に変更したのに対して建物の所有者となる赤穂駅周辺整備事業が同意しなかったため、4月に基礎工事が完了した時点で建設が中断された[3]。
その後、赤穂市は2006年(平成18年)5月にワシントンホテルの建設予定地だった市有地約2410平方メートルを、市内に本店がある事業者へ公募売却することを決定。入札の結果フジタが落札し、11階建て、215室のホテルを建設、東横インが管理・運営することが決まった。[4]
駅周辺
歴史
- 1951年(昭和26年)12月12日 - 日本国有鉄道の駅として開業。当初は当駅が赤穂線の終着駅だった。
- 1955年(昭和30年)3月1日 - 赤穂線が日生駅まで延長される。
- 1962年(昭和37年)9月1日 - 赤穂線(相生駅 - 東岡山駅間)全通。
- 1969年(昭和44年) - 赤穂駅北地区区画整理事業が完了する。
- 1978年(昭和53年) - 駅の北口設置について赤穂市が国鉄に陳情。
- 1983年(昭和58年) - 赤穂市が駅南東の国鉄用地を取得。
- 1985年(昭和60年) - 横断歩道橋の設置について赤穂市が国鉄に陳情。
- 1986年(昭和61年) - 赤穂市の総合計画に自由通路の新設が位置付けられる。
- 1987年(昭和62年)4月1日 - 国鉄分割民営化により、西日本旅客鉄道の駅となる。
- 1989年(平成元年)2月 - 赤穂駅周辺土地利用計画が策定される。
- 1992年(平成4年)2月 - 赤穂駅周辺整備構想が策定される。
- 1993年(平成5年)3月 - 赤穂駅周辺整備基本計画が策定される。
- 1993年(平成5年) - 赤穂市が駅南西の国鉄清算事業団用地を取得する。
- 1996年(平成8年)2月 - 赤穂駅周辺整備推進計画が策定される。
- 1998年(平成10年)6月 - 「赤穂駅周辺整備事業株式会社」が設立される。
- [998年(平成10年)7月 - 赤穂駅周辺整備計画が策定される。
- 1998年(平成10年)9月 - 赤穂市と赤穂駅周辺整備事業株式会社との間で赤穂駅周辺整備事業実施に関する協定が結ばれる。開発事業者(ディベロッパー)には大和ハウスを選定。
- 1999年(平成11年)2月 - 赤穂駅周辺整備事業・大和ハウス・赤穂市間で赤穂駅周辺整備に関する基本協定書を締結する。
- 1999年(平成11年)5月・6月 - 赤穂市議会赤穂駅周辺整備調査特別委員会に基本計画の提出・説明が行われる。
- 1999年(平成11年)6月 - JRとの間で播州赤穂駅橋上化工事の施行に関する協定が締結される。
- 2000年(平成12年)3月 - プラット赤穂が着工する。
- 2000年(平成12年)12月12日 - 橋上駅舎の運用開始。プラット赤穂が開業。
- 2001年(平成13年)2月 - ホテル棟が着工する。
- 2001年(平成13年)4月 ホテル棟の工事が中断される。
- 2001年(平成13年)9月18日 - 赤穂市が赤穂駅周辺整備事業株式会社の収支改善計画や建設が凍結されたホテルの転用計画、北爪照夫市長の給与カットが発表される。
- 2001年(平成13年)9月 - 赤穂駅周辺整備事業が金融機関から事業資金を借り入れる際、赤穂市が金融機関と損失補償を契約する。
- 2001年(平成13年)9月 - 赤穂駅周辺整備事業がプラット赤穂を取得する。
- 2002年(平成14年)12月 - 赤穂駅周辺整備事業が経営コンサルタントに依頼し、経営再建策の検討を始める。
- 2003年(平成15年)5月 - 経営コンサルタントによる土地・建物等の売却等、経費削減をまとめた報告書がまとまる。
- 2003年(平成15年)4月 - 赤穂駅周辺整備事業が大和ハウスを相手に調停を申し立てる。
- 2003年(平成15年)10月31日 - 赤穂駅周辺整備事業が神戸地方裁判所に民事再生法に基づく申し立てを行う。
- 2003年(平成15年)11月1日 - 相生駅から当駅までICOCAの使用が可能になる。
- 2004年(平成16年)3月19日 - 赤穂駅周辺整備事業が土地・建物を赤穂市に売却した上で再び市から建物を賃借し、発行済株式を10分の1に減資することなどをまとめた再生計画案を神戸地方裁判所に提出する。
- 2004年(平成16年)7月29日 - 再生計画案の認可が決定する。
- 2007年(平成19年)9月20日 - 赤穂市が民事再生手続きが終結されたと発表。
- 2008年(平成20年)11月11日 - ホテル棟が開業。
なお国鉄駅開業前の1921年(大正10年)から、国鉄駅開業前日まで赤穂鉄道の播州赤穂駅がこの駅の南側(現在のウエスト神姫赤穂営業所)にあった。
隣の駅
脚注
- ^ 自動車(国鉄バス)線まで目を広げると、上州草津駅(現草津温泉駅)の例がある。
- ^ 赤穂駅周辺整備株式会社の経営再建について[リンク切れ]
- ^ 「ホテル建設中断」(2001年6月9日付朝日新聞)
- ^ 「JR播州赤穂駅前 ホテル『東横イン』進出」(2006年8月26日付神戸新聞)
- ^ ヤマダ電機HPテックランド赤穂店
関連項目
外部リンク