大分スポーツ公園総合競技場
大分スポーツ公園総合競技場 大分銀行ドーム | |
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施設情報 | |
所在地 | 大分県大分市大字横尾1351番地 |
位置 | 北緯33度12分3.2秒 東経131度39分30.19秒 / 北緯33.200889度 東経131.6583861度座標: 北緯33度12分3.2秒 東経131度39分30.19秒 / 北緯33.200889度 東経131.6583861度 |
起工 | 1998年 |
開場 | 2001年3月15日 |
所有者 | 大分県 |
運用者 | 株式会社大宣 |
グラウンド | 天然芝(107m × 71m) |
ピッチサイズ | 105m × 68m |
照明 | 1,500ルクス |
大型映像装置 | 1基 |
建設費 | 250億円 |
設計者 | 黒川紀章建築都市設計事務所、竹中工務店、他2社JV |
建設者 | 竹中工務店、他2社JV |
旧称 | |
大分スタジアム (大分)ビッグアイ 九州石油ドーム(九石ドーム)※命名権取得によるもの。 | |
使用チーム、大会 | |
大分トリニータ(Jリーグ) 2002 FIFAワールドカップ (2002) チャレンジ!おおいた国体 (2008) | |
収容人員 | |
40,000人 | |
アクセス | |
大分バス「大分スポーツ公園東」バス停 |
大分スポーツ公園総合競技場(おおいたスポーツこうえん そうごうきょうぎじょう 英称:Oita Stadium)は、大分県大分市の大分スポーツ公園にある、陸上競技場及びサッカーやラグビーなどの球技場をはじめとする、多目的な使用を前提に建設された競技場である。施設は大分県が所有し、株式会社大宣が指定管理者として運営管理を行っている。
開場当初は、通称を「大分スタジアム」とし、一般公募によって決まった愛称「ビッグアイ」も付与された。現在は大分市に本店をおく地方銀行の大分銀行が命名権を取得しており、2010年3月から「大分銀行ドーム」(略称「大銀ドーム」)の呼称を用いている(後述)。
日本プロサッカーリーグ(Jリーグ)に加盟する大分トリニータのホームスタジアムとして知られるほか、各種陸上競技大会が開催されている。
施設概要
立地
大分市南部の郊外、松岡・横尾丘陵地に整備された運動公園「大分スポーツ公園」内にある。2002 FIFAワールドカップ開催地に大分県が立候補したのを受け、同大会と2008年のチャレンジ!おおいた国体とチャレンジ!おおいた大会の開催を見据えて2001年5月に開設された。公園のある丘陵地は元々里山として利用されてきた場所であり、できるだけ里山を残す整備方針がとられた[1]。
スタンド
フィールドを楕円形に囲むように半堀込式のスタンドが設けられている。FIFAワールドカップの基準を満たすために、全席椅子席となっている。メインスタンドとバックスタンドは二層式、サイドスタンドは一層式となっている。大規模な試合(サッカー日本代表の国際試合など)では、スタンドの前面に可動式の座席が増設され「地下1階」とされている。収容人員は、開設当初は43,000人(固定席約34,000人、可動式座席約9,000人)だったが、2002 FIFAワールドカップ後、可動席の前半分のブロックを廃止して40,000人収容となっている。
ホーム側サイドスタンド上部に得点表示や簡易的な文字表示が可能な電光掲示板が、アウェー側サイドスタンド上部に大型映像装置が設けられている。
バックスタンド内に屋内練習場が設けられている。また、メインスタンド側ホワイエには、2002 FIFAワールドカップの資料等を納めた展示室『メモリアル・アイ』がある。
スタンド外周は盛り土構造となっており、屋根と一体化した球面状の外観をもつ。このためスタジアム内はすり鉢状となっており、このことが空気の循環を妨げ、高温多湿の環境を作り出し、芝の生育に影響を及ぼしている(後述)。
屋根
球面状の屋根は、中央に楕円形の可動式の開口部を持つ。開場当所の愛称である「ビッグアイ」は上空から見たスタジアムが開口部を含めて目のように見えるのが由来である。屋根外周の固定部は鉄骨構造にチタン板葺、可動部は透光率25%のポリテトラフルオロエチレンコーティングを施したガラス繊維一重膜を使用している。可動部の開閉は、可動屋根の端に取り付けられたワイヤロープを、アーチトラス部分に固定した滑車を介し、地下に設けられたウィンチで巻き取ることにより行っている。開動作及び閉動作に係る時間は各々約20分。
2003年までは状況に応じて屋根を開閉していたが、芝生保護の観点(後述)から、2004年以降は雨天時と屋根を閉める必要があるイベント(コンサートなど)以外、原則として屋根を開けた状態にしてあるという。
屋根の開閉機器の一部が故障したため、2010年11月5日より屋根が開いた状態がしばらく続いたが、2011年6月に復旧している[2]。
オープン当初は、屋根の梁を利用したスカイカメラが設置されていたが、2003年に廃止された。
フィールド&トラック
2001年の開設当初は105 x 68 mの天然芝のピッチのみがある状態で、事実上球技場として使用されていた(ピッチの周囲には人工芝を取り付けていた)が、チャレンジ!おおいた国体の開催を見据えて2003年3月に陸上競技用トラック9レーンを増設した。日本陸上競技連盟第1種公認だが、開設当初はサブ競技場未完成のため2種公認だった。色はこのスタジアムを本拠地とするトリニータと同じ青。
2002 FIFAワールドカップ及び2008年の国民体育大会のために建設されたため、2001年の開設当初はFIFAワールドカップの開催基準を満たしたスタジアムであった。FIFAワールドカップの大会終了後、陸上トラック・フィールド設備設置のためフィールド部分の面積減少・一部可動席の廃止等を行ったが、日本サッカー協会が定める「スタジアム標準」においてFIFA・AFC主催大会を含むサッカーの試合が開催可能で5クラスのうち最高の「クラスS」要件を満たしたスタジアムとなっている。
2007年のJリーグ広報ポスターにピッチの写真が用いられた[3]。大分スポーツ公園総合競技場のピッチが全面に大写しにされた上に、Jリーグのロゴマークやスローガンの『Will Be』などが書かれている。
しかし開口部の小さい屋根に覆われ、半地下構造となっていることもあって芝の生育が難しい環境にあり、こけら落としとなった2001年のJリーグ公式戦・トリニータ対京都パープルサンガ戦では、試合中に剥れた芝生がはねてしまい、芝生の管理が問題視された(このため、9 - 10月に大分スポーツ公園総合競技場で開催予定だったトリニータ主催試合の一部が大分市営陸上競技場に振り替えられた。
2009年3月に芝の全面張替えを行った後も、予定よりも根付きが遅れ、ピッチコンディションは劣悪であり、2009年10月14日に開催予定だったキリンチャレンジカップトーゴとの試合がピッチの劣悪な状態から、宮城スタジアムに会場が変更された。しかし、同年秋以降はイベントの開催などを抑えたことから、芝生が順調に生育し、2010年2月2日に開催されたキリンチャレンジカップのベネズエラ戦では、芝生の状態が良好と評された[4][5][6]。
管理
施設管理は、開業当初は県の外郭団体であった「大分スポパーク21」が、その後大分県の機構改革により、同法人と同じく外郭団体だった大分県文化振興財団(OASISひろば21の運営法人)が統合された「大分県文化スポーツ振興財団」が行っていた。
2006年4月1日より、広告代理店の株式会社大宣(ADKパートナー)が指定管理者となり、大分県文化スポーツ振興財団から業務を引き継いだ。
所有者の大分県は大分スポーツ公園総合競技場を本拠とするトリニータの経営再建支援を目的に、2010年度は競技場使用料金を全額減免(無料)とする処置を発表している[7]。大分県は大分トリニータを運営する株式会社大分フットボールクラブの株主でもある。
命名権
ワールドカップ後に、維持費の確保などが問題となったことから、施設の活用策の一環として命名権を売却することになり、2006年2月に、大分市に大分製油所を保有する九州石油(本社:東京都)が年間7,350万円で3年間契約することが合意され、同年3月1日から呼称が「九州石油ドーム」とされた。また、公園内にあるその他の施設にも、同社のブランド名である「ストーク」を冠した名称が付与された。ただし、国際大会など大会・興行のスポンサー以外の企業名称が使用できない場合は、正式名称の「大分スポーツ公園総合競技場」を使用する。
2008年10月に九州石油が新日本石油(当時)に吸収合併され、大分製油所は分割の上で子会社の新日本石油精製に統合された。このため、旧九州石油時代に締結された命名権契約の更新について協議が行われ、契約を2010年2月まで1年延長すること、呼称を(「新日本石油」または同社のブランドである「ENEOS」を用いず)引き続き「九州石油ドーム」とすることで所有者の大分県と新日本石油が合意した。
新日本石油は2010年4月1日に新日鉱ホールディングスとの経営統合を控えていたこともあり、2010年2月末の契約満了をもって命名権契約を更新しない方針であることを表明。大分県はトリニータのJ2降格に伴って契約料を年5,000万円程度に引き下げた上で、新しいスポンサーを募集したものの[8][9]、2009年12月7日の期限までに応募企業はなかった。大分県は引き続き希望企業を探すとしていたが[7]、2月末までに新スポンサーが見つからなかったため、呼称を元の「大分スポーツ公園総合競技場」に戻す予定であった。しかし、新日本石油との契約満了翌日の2010年3月1日に、大分県は地元の地方銀行である大分銀行と命名権取得の契約を締結したと発表、同日より呼称は「大分銀行ドーム」(おおいたぎんこうドーム)となった。略称には大分銀行の通称である「大銀」(だいぎん)を用い、「大銀ドーム」(だいぎんドーム)としている。契約期間は2010年3月1日から3年間、契約料は年間4,200万円[10][11]。付帯施設についても「だいぎんフィールド」、「だいぎんグラウンド」等の名称となった。
開催された主なイベント・大会
- 2001年7月4日:キリンカップサッカー2001 日本 対 ユーゴスラビア
- 2002年:2002 FIFAワールドカップ
- 2003年4月28日:6月28日:第20回全国都市緑化おおいたフェア(おおいた緑・香り・夢フェスタ'03)
- 2003年11月19日:キリンチャレンジカップ2003 日本 対 カメルーン
- 2005年7月30日:a-nation'05
- 2005年10月9日:2005 JOMOオールスターサッカー J-WEST 対 J-EAST
- 2006年3月30日:キリンチャレンジカップ2006 日本 対 エクアドル
- 2006年9月30日 - 10月1日:第54回全日本実業団対抗陸上競技選手権大会
- 2007年8月22日:キリンチャレンジカップ2007 ALL FOR 2010! 日本 対 カメルーン
- 2008年9月26日 - 10月7日:第63回国民体育大会(チャレンジ!おおいた国体)開・閉会式、陸上競技、サッカー決勝戦
- 2008年10月11日 - 10月13日:第8回全国障害者スポーツ大会(チャレンジ!おおいた大会)開・閉会式、陸上競技
- 2009年8月5日:スルガ銀行チャンピオンシップ2009 OITA ナビスコカップ / コパ・スダメリカーナ 王者決定戦
- 2010年2月2日:キリンチャレンジカップ2010 日本 対 ベネズエラ
フォトギャラリー
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大分スポーツ公園総合競技場(正面)
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大分スポーツ公園総合競技場(模型)
※画像右側の体育館は未整備(現 西駐車場)
交通
- JR大分駅から大分バスの路線バス「大分スポーツ公園東」バス停下車(所要時間約30分)、またはタクシー利用。
- 大分駅前3番乗り場からE30、E31系統、または大分バス本社前6番乗り場からD46、D47、D51系統利用。
- J1公式戦等の大規模イベント時には、大分バス本社前3番乗り場からスタジアム直行の臨時バスが運行される。
- サッカー日本代表の試合開催時には、西鉄天神バスセンター(福岡市)などから直行の臨時バスが運行されることがある。
- 大分自動車道大分米良ICから国道197号大分南バイパス経由。原則として駐車場無料。
脚注
- ^ 里山を生かした整備の具体的な取り組みについて - 大分スポーツ公園公式サイト内
- ^ 大分銀行ドーム・稼動屋根運転再開について2011年6月10日
- ^ 九州石油ドームのピッチ(芝生)がJリーグのポスターに!!(インターネット・アーカイブ)
- ^ 芝青々 念願の代表戦 朝日新聞、2002年2月1日
- ^ 九石ドーム、良芝に関係者はひと安心 サンスポ、2010年2月2日
- ^ 闘莉王も満足!九石ドームのピッチ良好 サンスポ、2010年2月2日
- ^ a b 【トリニータ】使用料を全額免除 県が発表 大分合同新聞、2010年2月13日
- ^ 消える「九石ドーム」 新スポンサー募集 大分合同新聞、2009年11月17日
- ^ J2降格で大幅値下げ! 大分が本拠地の命名権募集(サッカー) スポニチ、2009年11月18日
- ^ 「大分銀行ドーム」誕生 命名権契約 大分合同新聞、2010年3月1日
- ^ 九州石油ドーム等の名称変更について 大分スポーツ公園、2010年3月1日発表
外部リンク
- 大分スポーツ公園 - 公式サイト
- 大分スポーツ公園総合競技場「大分銀行ドーム」 - 大分県庁
- 日本ラグビーフットボール協会によるスタジアム案内
- スタジアム - 大分トリニータ公式
- 株式会社大宣
先代 県立中央公園陸上競技場 (秋田市) |
国民体育大会 主競技場 チャレンジ!おおいた国体 |
次代 東北電力ビッグスワンスタジアム (新潟市) |