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== 経歴 ==
== 経歴 ==
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=== メジャーリーグ ===
=== メジャーリーグ ===
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2000年9月27日にはメジャー初昇格を果たし、9月29日の対[[オークランド・アスレチックス]]戦に[[代走]]としてメジャー初出場を果たす。二塁の守備固めに起用され、2打数無安打だった。アリゾナ秋季リーグでは25試合に出場し、打率.268・1本塁打・6打点を記録。
2000年9月27日にはメジャー初昇格を果たし、9月29日の対[[オークランド・アスレチックス]]戦に[[代走]]としてメジャー初出場を果たす。二塁の守備固めに起用され、2打数無安打だった。アリゾナ秋季リーグでは25試合に出場し、打率.268・1本塁打・6打点を記録。


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2012年12月9日 (日) 00:21時点における版

マイケル・ヤング
Michael Young
フィラデルフィア・フィリーズ #10
基本情報
国籍 アメリカ合衆国の旗 アメリカ合衆国
出身地 アメリカ合衆国の旗 カリフォルニア州コビーナ
生年月日 (1976-10-19) 1976年10月19日(47歳)
身長
体重
6' 1" =約185.4 cm
200 lb =約90.7 kg
選手情報
投球・打席 右投右打
ポジション 一塁手三塁手遊撃手二塁手
プロ入り 1997年 MLBドラフト5巡目
初出場 2000年9月29日
年俸 $16,174,975(2012年)[1]
経歴(括弧内はプロチーム在籍年度)
国際大会
代表チーム アメリカ合衆国の旗 アメリカ合衆国
WBC 2006年

マイケル・ブライアン・ヤング(Michael Brian Young, 1976年10月19日 - )は、アメリカ合衆国カリフォルニア州コビーナ出身のメジャーリーグ選手内野手)。MLBフィラデルフィア・フィリーズに所属している。メキシコ人の母を持つ。

経歴

マイナーリーグ

1997年カリフォルニア大学サンタバーバラ校からトロント・ブルージェイズMLBドラフト5巡目(全体の149番目)で指名され契約。マイナーリーグSS-A級セント・キャサリーンズでは、リーグ3位タイの74試合に出場し、44試合で遊撃、28試合で二塁を守った。136塁打(リーグ3位タイ)・85安打(同4位タイ)・48打点(同5位タイ)を記録した。また、8月11日から8月28日にかけて16試合連続安打を記録した。

1998年にはA級ヘイガースタウンで140試合に出場し、147安打・238塁打・86得点を記録。8月には月間打率.324・21打点を記録した。守備では二塁手として128試合、遊撃手として24試合に出場し、守備率.978を記録した。1999年にはAdv-A級ダニーデンで二塁手として74試合、遊撃手として53試合に出場。打率.313・155安打・36二塁打・30盗塁を記録し、リーグのオールスターにも選ばれた。7月16日から7月30日にかけては14試合連続安打を記録。雑誌『ベースボール・アメリカ』では、ブルージェイズで上から4番目のプロスペクト(有望選手)で、リーグで最も守備のいい二塁手と評価された。カリフォルニア秋季リーグでも活躍し、打率.295・8本塁打・18打点を記録した。

2000年、AA級で2球団に跨り計134試合に出場。ブルージェイズ傘下テネシーでは24二塁打・5三塁打・16盗塁を記録。7月12日にはAA級全体のオールスターゲームに出場した。7月19日にエステバン・ロアイザ投手とのトレードで、ダーウィン・クビアン投手と共にレンジャーズに移籍。レンジャーズ傘下タルサでは43試合に出場し、打率.319・5三塁打を記録した。

メジャーリーグ

2000年9月27日にはメジャー初昇格を果たし、9月29日の対オークランド・アスレチックス戦に代走としてメジャー初出場を果たす。二塁の守備固めに起用され、2打数無安打だった。アリゾナ秋季リーグでは25試合に出場し、打率.268・1本塁打・6打点を記録。

2001年、開幕はAAA級オクラホマ・レッドホークスで迎えたが、5月25日にメジャー再昇格し、5月27日にメジャー契約を結ぶ。二塁手として102試合に出場。6月11日にはメジャー初本塁打を放った。9月11日にはMLB屈指の左腕投手バリー・ジト(アスレチックス)の完封を阻む本塁打を放った。年間で11本塁打・49打点・9犠打長打率.402・守備率.984を記録し、チーム新人王に選ばれた。2002年は156試合に出場し、メジャーに定着した。2003年終了後にアレックス・ロドリゲスとのトレードで守備位置の重複するアルフォンソ・ソリアーノが移籍。二塁での守備はゴールドグラブ賞級だったが[2]、「チームにとってベストなこと」とヤングはバック・ショーウォルター監督に遊撃手へのコンバートを直訴した[3]

4年総額1,000万ドルの契約を2004年開幕前に結び[4]、開幕から遊撃手として出場し続けた。MLBオールスターゲームに初出場を果たした。ヤングはショーウォルター監督と良好な関係を築き[5]、守備・打線の要としてチームリーダーへ成長した[3]

2005年には打率.331で首位打者を獲得。2006年は、ワールド・ベースボール・クラシック米国代表で出場した。この年、ソリアーノの後釜に新人のイアン・キンスラーが就くことになり、ヤングはかつてロドリゲスと二遊間を組みながら吸収したように、キンスラーに様々なアドバイスを送った[6]。全162試合に出場し、球団記録となる打数691、二塁打52を記録した。MLBオールスターゲームでは、9回表2死二・三塁の場面で逆転の決勝三塁打を打ち、MVPに選出された。

4年契約を満了していないにもかかわらず球団は2007年3月2日に2008年の500万ドルのオプション契約を行使し、2009年から5年総額8,000万ドルで契約延長。この金額はアレックス・ロドリゲスが2000年に結んだ10年2億5,200万ドルに次ぐ球団史上2位の大型契約となった[4]

有望株のエルビス・アンドラスに遊撃のポジションを空けるため、シーズン終了後の12月に球団はヤングにコンバートを打診。当初、ヤングはこれを拒みトレードを志願していたが、最終的に三塁手への転向に合意した[7]2009年は三塁手として出場。4月19日の対カンザスシティ・ロイヤルズ戦で自身初のサヨナラ本塁打を記録[8]。その後、22日に同点、24日に逆転の本塁打を9回に記録。9月1日の対トロント・ブルージェイズ戦のダブルヘッダー2戦目でハムストリングのケガで11試合欠場[9]。出場試合数はレギュラー定着後最低の135試合にとどまったが、打率.322・22本塁打は2005年以来の好成績となった。

2011年エイドリアン・ベルトレの加入により指名打者に回された。当初はこれを不服とし、トレードによる放出を要求した。しかし、高額の年俸が仇となってトレードは成立せず、そのままレンジャーズでプレーすることになった。開幕後はそのような騒動を忘れさせる活躍で自己最高の打率.338をマーク。2年ぶりのオールスター選出を果たし、依然としてリーグ屈指の巧打者であることを証明した。

人物

小児がんと闘う子供たちを支援するNGO “ワイプ・アウト・キッズ・キャンサー” (Wipe Out Kids' Cancer)の大使を務め、2003年にはダラス・フォートワースBBWAAからハロルド・マッキニー・グッドガイ賞が贈られた[10]

趣味はゴルフビリヤード[10]。少年時代はニューヨーク・メッツのファン[10]で、憧れの選手はドン・マッティングリー[11]。お気に入りの球場はフェンウェイ・パークである[10]

いとこのザック・パディーリャは、1994年 - 1996年のプロボクシングWBO世界ジュニアウェルター(スーパーライト)級チャンピオンだった。もう1人のいとこ、ジョニー・チャベスもプロボクサーでマイナー団体IBCスーパーバンタム級チャンピオンだった。サンフランシスコ・ジャイアンツのマイナーで内野手としてプレーしたジェイソン・ヤングといういとこもいる[10]

獲得タイトル・記録

年度別打撃成績

















































O
P
S
2000 TEX 2 2 2 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 1 0 .000 .000 .000 .000
2001 106 429 386 57 96 18 4 11 155 49 3 1 9 5 26 0 3 91 9 .249 .298 .402 .699
2002 156 633 573 77 150 26 8 9 219 62 6 7 13 6 41 1 0 112 14 .262 .308 .382 .690
2003 160 713 666 106 204 33 9 14 297 72 13 2 3 7 36 1 1 103 14 .306 .339 .446 .785
2004 160 739 690 114 216 33 9 22 333 99 12 3 0 4 44 1 1 89 11 .313 .353 .483 .836
2005 159 732 668 114 221 40 5 24 343 91 5 2 0 3 58 0 3 91 20 .331 .385 .513 .899
2006 162 748 691 93 217 52 3 14 317 103 7 3 0 8 48 0 1 96 27 .314 .356 .459 .814
2007 156 692 639 80 201 37 1 9 267 94 13 3 0 1 47 5 5 107 21 .315 .366 .418 .783
2008 155 708 645 102 183 36 2 12 259 82 10 0 0 6 55 0 2 109 19 .284 .339 .402 .741
2009 135 593 541 76 174 36 2 22 280 68 8 3 0 4 47 2 1 90 16 .322 .374 .518 .892
2010 157 718 656 99 186 36 3 21 291 91 4 2 0 11 50 4 1 115 21 .284 .330 .444 .774
2011 159 689 631 88 213 41 6 11 299 106 6 2 0 9 47 7 2 78 17 .338 .380 .474 .854
2012 156 651 611 79 169 27 3 8 226 67 2 2 0 6 33 3 1 70 26 .277 .312 .370 .682
通算:13年 1823 8047 7399 1085 2230 415 55 177 3286 984 89 30 25 70 532 24 21 1152 215 .301 .347 .444 .791
  • 2012年度シーズン終了時
  • 各年度の太字はリーグ最高

参考資料

  1. ^ "Texas Rangers 2012 Player Salaries and Team Payroll," ESPN.com. 2012年4月25日閲覧。
  2. ^ Michael Young Biography” (英語). JockBio. 2009年1月31日閲覧。
  3. ^ a b 小林信行 「黄金のカルテット レンジャーズ内野陣の魅力」『月刊スラッガー』2005年6月号、日本スポーツ企画出版社、2005年、雑誌 15509-6、50 - 51頁。
  4. ^ a b Associated Press (2007年3月2日). “Young agrees to five-year extension with Texas” (英語). ESPN.com. 2009年1月31日閲覧。
  5. ^ 友成那智、村上雅則『メジャーリーグ・完全データ選手名鑑2005』廣済堂出版、2005年、195頁頁。ISBN 978-4-331-51093-3 
  6. ^ 村上雅則『メジャーリーグ・完全データ選手名鑑2007』廣済堂出版、2007年、218頁頁。ISBN 978-4-331-51213-5 
  7. ^ Sullivan, T.R. (2009年1月15日). “Young will shift to third base Rangers shortstop changes stance, clearing way for rookie Andrus” (英語). MLB.com. 2009年1月31日閲覧。
  8. ^ Sullivan, T.R. (2009年4月19日). “Young's walk-off homer lifts Rangers” (英語). MLB.com. 2010年4月25日閲覧。
  9. ^ Sullivan, T.R. (2009年9月15日). “Young makes abbreviated return” (英語). MLB.com. 2010年4月25日閲覧。
  10. ^ a b c d e http://texas.rangers.mlb.com/team/player_career.jsp?player_id=276545
  11. ^ 三尾圭「安打製造機の素顔 / マイケル・ヤング [レンジャーズ] イチローが認める男」 『月刊スラッガー』102号、日本スポーツ企画出版社、2006年、雑誌15509-10、24-25頁。

外部リンク