ジム・フレゴシ

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ジム・フレゴシ
Jim Fregosi
Jim Fregosi 1962.png
エンゼルスでの現役時代(1962年)
基本情報
国籍 アメリカ合衆国の旗 アメリカ合衆国
出身地 カリフォルニア州サンフランシスコ
生年月日 (1942-04-04) 1942年4月4日
没年月日 (2014-02-14) 2014年2月14日(71歳没)
身長
体重
6' 1" =約185.4 cm
190 lb =約86.2 kg
選手情報
投球・打席 右投右打
ポジション 遊撃手
プロ入り 1960年 ボストン・レッドソックスと契約
初出場 1961年9月14日
最終出場 1978年5月31日
経歴(括弧内はプロチーム在籍年度)

ジェームズ・ルイス・フレゴシJames Louis Fregosi, 1942年4月4日 - 2014年2月14日)は、アメリカ合衆国カリフォルニア州サンフランシスコ出身の元プロ野球選手遊撃手)、監督。右投右打。

経歴[編集]

現役時代[編集]

1960年ボストン・レッドソックスと契約してプロ入り。オフのエクスパンションドラフトロサンゼルス・エンゼルスから指名され、移籍。翌1961年にメジャーデビュー。1963年より正遊撃手となり、1964年1966年から1970年の5年連続で計6度オールスター選出を果たしている。1964年7月28日と1968年5月20日にはサイクル安打を達成している[1]

1971年12月10日ノーラン・ライアンリロイ・スタントン(後阪神)他2選手とのトレードで、ニューヨーク・メッツへ移籍した。フレゴシはエンゼルス時代のように活躍できず、ライアンは移籍をきっかけに球史に残る大投手となったため、このトレードはメッツにとって史上最悪のものと言われることになる。その後はテキサス・レンジャーズピッツバーグ・パイレーツでプレーし、1978年5月31日に後述の監督就任を依頼されたため、20試合に出場したところで現役引退。

引退後[編集]

1978年6月1日に前任のデーブ・ガルシア英語版が解任されたため、エンゼルスの監督に就任。翌1979年には球団史上初の地区優勝をもたらしている[1]。なお、就任からこの1979年までかつてトレード相手だったライアンとは選手と監督の関係であった。エンゼルスでは1981年途中まで指揮を執り、その後は監督(セントルイス・カージナルス傘下のAAA級ルイビル・レッドバーズシカゴ・ホワイトソックスフィラデルフィア・フィリーズトロント・ブルージェイズ)、サンフランシスコ・ジャイアンツGM補佐、アトランタ・ブレーブスのスカウトを歴任した。

その間、フィリーズの監督だった1993年にはチームをワールドシリーズ進出へ導き、1998年には背番号11がエンゼルスの永久欠番に制定された。

2014年2月14日脳卒中により亡くなった[2]

詳細情報[編集]

表彰[編集]

記録[編集]

背番号[編集]

  • 16 (1961年 - 1962年途中、1986年 - 1988年)
  • 11 (1962年途中 - 1971年、1978年途中 - 1981年、1991年 - 1996年、1999年 - 2000年)
  • 2 (1972年 - 1973年途中)
  • 17 (1973年途中 - 1977年途中)
  • 29 (1977年途中 - 1978年途中)

脚注[編集]

  1. ^ a b 「球団別永久欠番物語 第16回 アナハイム・エンゼルス」『月刊メジャー・リーグ』 2003年1月号 ベースボール・マガジン社 59頁
  2. ^ フレゴシ氏が死去 フィリーズ監督でワールドS優勝”. スポーツニッポン (2014年2月15日). 2016年9月30日閲覧。

関連項目[編集]

外部リンク[編集]