「シティ・ポップ」の版間の差分

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|stylistic_origins = [[ニューミュージック]]<ref name="rollingstone_2" />、[[AOR]]<ref name="brutus_2016" /><ref name="kimura_2006_55" />、[[ポップ・ミュージック|ポップ]]<ref name="rollingstone_1" />、[[ディスコ (音楽)|ディスコ]]<ref name="rollingstone_1" />、[[ファンク]]<ref name="rollingstone_1" />、[[リズム・アンド・ブルース|R&B]]<ref name="rollingstone_1" />、[[ブギ|ブギー]]<ref name="rollingstone_1" />、[[ジャズ]]<ref name="rollingstone_1" />、[[フュージョン (音楽)|フュージョン]]<ref name="rollingstone_1" />、[[ラテン音楽|ラテン]]<ref name="rollingstone_1" />、[[ソフトロック]]<ref name="anan" />、[[クロスオーバー (音楽)|クロスオーヴァー]]<ref name="kimura_2006_55" />、[[ロック (音楽)|ロック]]<ref name="kimura_2006_56" />、[[ソウルミュージック|ソウル]]<ref name="kimura_2006_56" />、[[ボサノヴァ]]<ref name="kimura_2006_56" />
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[[ニューミュージック]]、[[AOR]]、[[アシッドジャズ]]、[[ヴェイパーウェイヴ|フューチャー・ファンク]]、[[R&B]]、[[ソウルミュージック|ソウル]]、[[ジャズ]]、[[フュージョン (音楽)|フュージョン]]、[[ディスコ (音楽)|ディスコ]]、[[ファンク]]、[[ウォール・オブ・サウンド]]、[[歌謡曲]]
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[[J-POP]]、[[渋谷系]]<br/>[[ヴェイパーウェイヴ]]<br/>[[ヴェイパーウェイヴ|フューチャー・ファンク]]<br/>[[ポスト・ディスコ]]
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}}
'''シティ・ポップ''' (city pop) は、[[1970年代]]後半から[[1980年代]]にかけて[[日本]]でリリースされ流行した<ref name="aera" />、[[ニューミュージック]]の中でも<ref name="gendaiyogo" />特に都会的に洗練され<ref name="sankei_2019" />洋楽志向の<ref name="jcitypop_129" />メロディや歌詞を持った[[ポピュラー音楽]]<ref name="chiezo" />。[[ロック (音楽)|ロック]]と[[フォークソング|フォーク]]の日本版ハイブリッドといえるニューミュージックを母胎とする点で<ref name="rollingstone_2" />、シティ・ポップは洋楽(特にアメリカ音楽<ref name="rollingstone_4" />)の日本独自なアレンジという側面を持つが<ref name="aera" />、決まったスタイルのサウンドは無く<ref name="aera" />、「明確な定義は無い<ref name="sankei_2019" />」「定義は曖昧<ref name="brutus_2019" /><ref name="sundaymainichi" />」「ジャンルよりもムードを指す<ref name="rollingstone_2" />」とされることもある。主要なアーティストの多くが[[シンガーソングライター]]であり<ref name="jcitypop_129" />、専ら[[日本語]]で歌っていた点も特色にあげられる<ref name="rollingstone_2" />。
'''シティ・ポップ''' (City pop) は、日本の[[ポピュラー音楽]]のジャンルのひとつとされていたが、2015年~2020年前後のシティ・ポップブーム再来辺りから、海外のポピュラー音楽にまで概念の幅が広がった{{要出典|date=2020年1月}}。現代では、世界のマニアックな音楽ファン{{誰|date=2020年1月}}から注目を集めているジャンルである。


== 1970-80年代 ==
以前の古い概念では{{いつ|date=2020年1月}}、1970年代後期から[[1980年代]]に流行していた都会的なイメージを前面に出したポップスを指していた{{要出典|date=2020年1月}}。当時{{いつ|date=2020年1月}}はシティ・ポップスと呼ばれていたが、同時期にシティ・ポップも使われているため、'''シティ・ポップ=シティ・ポップス'''である{{要出典|date=2020年1月}}。60年代、70年代を通過したアダルト層へのアピールを意識したイージー・リスニング的、ミドル・オブ・ザ・ロード的(中道的)でソフトな[[ロック_(音楽)|ロック]]、ポップスなどの総称である{{要出典|date=2020年1月}}。
[[1960年代]]後半から現れた自作自演の[[フォークソング|フォーク]]や[[ロック (音楽)|ロック]]のうち<ref name="sundaymainichi" />[[演奏]]や[[編曲|アレンジ]]に凝った楽曲が[[1970年代]]になると「[[ニューミュージック]]」とカテゴライズされ従来の楽曲との差別化が図られたが<ref name="brutus_2016" />、その枠組みは次第に拡散して曖昧となった<ref name="sundaymainichi" />。そのため「洗練された都会的なニューミュージック」を他と一線を画するために作られたのが「シティ・ポップ」というカテゴリであり<ref name="sundaymainichi" />、発案者ははっきりしないが<ref name="brutus_2016" />、ジャンルを提示することで作品を売りやすくするという商業的意図がもとにあった<ref name="brutus_2016" />。従って「city pop」は[[母語話者|ネイティブ]]には通じない[[和製英語]]であり<ref name="aera" />、当初は「'''シティ・ポップス'''」と呼ばれたが後に「シティ・ポップ」が定着し<ref name="brutus_2016" />、1970年代からレコードの[[ライナーノーツ]]でその語が使われ始めている<ref name="brutus_2019" />。


音楽性の面でシティ・ポップの源流と一般に挙げられるのは、軽快なロックサウンドに日本語歌詞を乗せた先駆的バンドの[[はっぴいえんど]](1969年-1972年)であり<ref name="sundaymainichi" />、また[[シュガー・ベイブ]]のアルバム『[[SONGS (シュガー・ベイブのアルバム)|SONGS]]』(1975年)もシティ・ポップの嚆矢と言われることが多い<ref name="cdjournal_2012" />。そのシュガー・ベイブのアルバムを起点とし、その後に活躍した[[大瀧詠一]]、[[山下達郎]]、[[吉田美奈子]]、[[荒井由実]]、[[竹内まりや]]、[[大貫妙子]]、[[南佳孝]]などがシティ・ポップの基盤を作り上げていったとされる<ref>[http://www.billboard-japan.com/special/detail/808 シティ・ポップスNOW & THEN](Billboard Japan)</ref>。なお、シュガー・ベイブに限らず、シティ・ポップの主要アーティストは殆どが[[東京]]出身者もしくは東京を拠点に活動した者たちだった<ref name="jcitypop_129" />。従ってシティ・ポップで歌われる「シティ」とは[[高度経済成長]]を経た「現代の東京」であり<ref name="jcitypop_129" />、それも[[写実主義|リアリズム]]から一歩引いた、広告都市的な消費の街という[[フィクション]]性を多分に含んでいた<ref name="cdjournal_2012" />。そうした「シティ」における、お洒落なライフスタイルや都会の風景、時には都市生活者ならではの孤独感や哀愁を<ref name="showa40s_8" />、良い[[メロディ]]と洒落た[[和音|コード]]に乗せて歌い上げたのがシティ・ポップだった<ref name="kimura_2006_52" />。
元々{{いつ|date=2020年1月}}日本国内でのみ通用するジャンルだったが{{要出典|date=2020年1月}}、後に[[ヴェイパーウェイヴ]]勃興の中で、日本のレトロなアニメやゲームを編集した動画の中で流れてる楽曲の[[サンプリング]]元として取り上げられ始め、動画サイトで元ネタの音源の発掘が進むと共に、世界のマニアックな音楽ファン{{誰|date=2020年1月}}に注目されるジャンルとなった{{要出典|date=2020年1月}}。


シティ・ポップが成立した背景には、[[日本人]]の生活水準の向上と、[[変動相場制]]の導入と円高による海外の文物の流入、いわば東京の国際都市化という社会的変化があり<ref name="kimura_2006_55" />、シティ・ポップの盛衰は[[日本の経済|日本経済]]の盛衰と重なるところが多い<ref name="kimura_2006_54" />。
[[2020年]]前後のシティ・ポップの解釈では、80年代前半の[[フュージョン]]で有名な[[シャカタク]]、[[90年代]]の[[アシッド・ジャズ]]が加えられ[[ジャミロクワイ]]や[[インコグニート]]なども加えられるようになる{{要出典|date=2020年1月}}。


{{Quotation|[[バブル景気|バブル]]前夜、[[日本人]]の生活がどんどん豊かになって、一般市民の中に経済的、精神的余裕が生まれていった。そんな中で、平日は街で夜遊びして、オフには[[伊豆]]とか[[湘南]]で[[サーフィン]]するという若い人たちのライフスタイルが構築されていった。平日と週末、都会の夜の喧騒と[[海水浴場|ビーチ]]の[[リゾート]]感覚がセットで、多くの人の意識にあったんだ。全てにおいて勢いがあって、手探りで新しいものを作ろうという時代の雰囲気。そんななかでシティポップという流れができてきて、聴く人にもウケたんだと思う。<ref name="showa40s_24" />|[[角松敏生]]}}
なお、この記事では、2010年代以降のシティ・ポップについて広く扱う。


[[1970年代|70年代]]において、シティ・ポップ・アーティストの多くは[[演奏会|ライブ]]行脚よりは[[録音スタジオ|スタジオ]]での[[レコード]]制作に重点を置いていたため、[[松任谷由実]]などの例外を除けば、シティ・ポップはまだ東京周辺でのムーブメントに過ぎず、全国区での[[ヒット曲]]はあまり生まれていない<ref name="kimura_2006_56" />。しかし70年代末、[[イエロー・マジック・オーケストラ|YMO]] がシティ・ポップをさらに先鋭化させた[[テクノポップ|テクノ・ポップ]]で世間の耳目を集めたことで、彼らの周辺のシティ・ポップ・アーティスト達にも次第に関心が向けられるようになった<ref name="kimura_2006_102" />。そして1981年には年間アルバムチャートで、[[寺尾聡]]の『[[Reflections]]』と[[大瀧詠一]]の『[[A LONG VACATION]]』というシティ・ポップの名盤が1位と2位につけ、[[1980年代|80年代]]前半にシティ・ポップは全盛期を迎えた<ref name="kimura_2006_102" />。また[[松田聖子]]が「[[風立ちぬ (松田聖子の曲)|風立ちぬ]]」(1981年)や「[[赤いスイートピー]]」(1982年)といったシティ・ポップ・ナンバーを大ヒットさせたように、シティ・ポップは歌謡界にも浸透していった<ref name="sundaymainichi" />。
== 概要 ==
以前{{いつ|date=2019年11月}}のシティ・ポップの概念は、[[1980年代]]のアダルト・コンテンポラリーの日本版<ref>http://rateyourmusic.com/genre/City+Pop/</ref>{{出典無効|date=2020年1月}}とも解釈することも可能。[[1970年代]]に日本で定着した{{要出典|date=2020年1月}}[[シンガーソングライター]]やバンドのミュージシャンのうち、フォーク寄りではなくポップ寄りのミュージシャンがこれにあたる{{要出典|date=2020年1月}}。「[[パイド・パイパー・ハウス|長門芳郎]]が好む[[はっぴいえんど]]、[[大滝詠一]]の[[ナイアガラ・レーベル]]、[[ティン・パン・アレー]]系などが典型であり、彼らは1970年代末から1980年代初頭にかけてアルバムを発売したとする解釈もあるが{{要出典|date=2019年11月}}、これは後年に後付されたものであり、[[1980年代]]では一派に過ぎない。洋楽ではオハイオ・ノックス、ザ・フィフス・アベニュー・バンド、フル・ムーン、ラーセン=フェイトン・バンドなどが、これにあたる{{要出典|date=2020年1月}}。またプロデューサーではデヴィッド・フォスター<ref>[http://davidfoster.com/]</ref>らがいた{{要出典|date=2020年1月}}。日本のシティ・ポップのミュージシャンの場合、ボズ・スキャッグスやスティーリー・ダンのような、多様性や音楽的幅の広さが不足しているのが、難点でもある{{要出典|date=2019年11月}}。


バブル期の消費礼賛の時代において、[[コマーシャルメッセージ|CM]] との[[タイアップ]]から多くのシティ・ポップのヒット曲が生まれた<ref name="kimura_2006_103" />。都会的で洗練されたシティ・ポップは企業 CM との相性が非常に良く<ref name="kimura_2006_103" />、また TV の[[音楽番組|歌番組]]出演にあまり積極的でなかったシティ・ポップ・アーティストにとっても CM タイアップは貴重な[[宣伝|プロモーション]]の機会となった<ref name="showa40s_48" />。その点でシティ・ポップは、[[フォークソング|フォーク]]や[[ロック (音楽)|ロック]]のように何らかのメッセージ(例えば反戦平和、管理社会への反発など)を主張するというよりは、商業音楽としての性格を多少なりとも持っており<ref name="rollingstone_5" />、換言すればメッセージ性を排した純粋な音楽的追求の産物ということもできた<ref name="rollingstone_5" />。
今日{{いつ|date=2019年11月}}の[[音楽評論家|音楽ジャーナリスト]]は、日本の[[ポップミュージック]]の歴史をやたら[[はっぴいえんど]]に結びつける者が多いが<ref name="citypop">[https://realsound.jp/2015/12/post-5494.html はっぴいえんど、ユーミン、サザン……萩原健太に訊く、70年代に“偉大な才能”が多数登場した背景]、[https://www.hmv.co.jp/news/article/507040069/ シティーポップ勢のベスト盤!|HMV&BOOKS onlineニュース]、[http://www.1242.com/lf/articles/85670/?cat=entertainment&pg=asa 2018年は日本の音楽が世界を席巻! 再評価高まる“80年代シティポップ”とは]、[http://www.billboard-japan.com/special/detail/808 シティ・ポップス NOW & THEN]、[https://www.shinko-music.co.jp/item/pid063618x/ ディスク・コレクションジャパニーズ・シティ・ポップ]、[https://www.bookbang.jp/review/article/536260 サザンを正しく語りたい/スージー鈴木『サザンオールスターズ 1978-1985』]</ref><ref>{{cite journal | 和書 |author = | journal = ROCKS OFF Vol.04 | volume = 2008年3月16日発行 | title = ニューロック基礎講座 証言#2 つのだ☆ひろ | publisher = [[シンコーミュージック・エンタテイメント]] |isbn = 9784401631827 | page = 21 }}{{cite book |和書 |author = 野地秩嘉 |year = 2006 |title = 芸能ビジネスを創った男-渡辺プロとその時代 |publisher = [[新潮社]] |isbn = 9784104141029 |pages = 96 - 99 }}</ref>、このシティ・ポップも1980年代の芸能ジャーナリズムは、そこには結びつけていない{{要出典|date=2020年1月}}。


またシティ・ポップの普及の背景には音楽を聴く環境の変化、すなわちそれまでインドアの高価な趣味だった音楽鑑賞が、テクノロジーの進歩により安価なアウトドアの娯楽へ変化した点も挙げられる<ref name="kimura_2006_102" />。従来ならば音楽とは室内に据え置いた重厚なステレオセットに[[レコード]]をかけて聴くものだったが<ref name="kimura_2006_102" />、80年代には[[レンタルCD|レンタルショップ]]でレコードを安く借りて自宅の[[テープレコーダー|カセットデッキ]]で[[コンパクトカセット|テープ]]に[[ダビング]]し<ref name="rollingstone_6" />、そのテープを[[ウォークマン]]や[[ラジオカセットレコーダー|ラジカセ]]、[[カーオーディオ]]で外へ持ち出して聴くというリスニング・スタイルが若者の間にも普及していった<ref name="kimura_2006_102" />。そうした「外で聴く [[バックグラウンドミュージック|BGM]]」として、耳ざわりのよいシティ・ポップはまさにうってつけであり<ref name="kimura_2006_102" />、特に[[大瀧詠一]]の『[[A LONG VACATION]]』(1981年)と[[山下達郎]]の『[[FOR YOU (山下達郎のアルバム)|FOR YOU]]』(1982年)はカーオーディオ占拠率で双璧を成す名盤となった<ref name="kimura_2006_102" />。
またシティポップを「都会的で洗練された楽曲」などと説明するケースが多いが{{要出典|date=2019年11月}}、これも好イメージでは捉えられてはいない。[[Myojo|月刊明星]]1984年2月号に1983年のフォークとロックを総括した記事があり、シティ・ポップスについて
{{Quotation|「83年は、かなりフォーク&ロック系のアーチストの活躍が目立ったような気がする。ヒット・チャートの上位にズラリなんて数年前みたいな状況もちょっと見られた。だけど言ってみれば、軟弱ポップスの全盛ってことだろう。音楽に対する好みが、すごく多様化してきた。硬派から軟派まで入り乱れてるのが83年のフォーク&ロック界だったと思う。軽い'''シティ・ポップス'''風、言ってみれば[[バックグラウンドミュージック|BGM]]によさそうなのがうけた。山本達彦なんてのがその筆頭だろう。それに稲垣潤一。彼のLP『J.I.』なんか、すごく売れた。[[女子大生]]人気が圧倒的みたいだ、山本と稲垣は。新人群もそのセンを狙ってどんどん出てくる気配だ。[[鈴木雄大]]、[[岩崎雄一]]、[[宇佐元恭一]]、安部恭弘とめじろ押しだ。シティ・ポップス全盛はレコード会社の営業政策。そのおかげでフォーク&ロック界が数年ぶりに活況を呈したわけだ。そんな音楽的状況の根っこはやはり[[オフコース]]が作ったんじゃないか」}}
と書いている<ref name="月刊明星198402">{{Cite journal|和書|title= SPACE{{small|/OF}} FOLK{{small|/&}}ROCK 恒例、'83年フォーク&ロック界大総括『本気の歌はどこへ行ったか!?』|journal=[[Myojo|月刊明星]]|issue=1984年2月号|publisher=[[集英社]]|pages=156–157頁}}</ref>。


シティ・ポップは当時から「形骸化した浮わついた音楽<ref name="cdjournal_2012" />」「現実感に欠ける<ref name="showa40s_44" />」などと批判的に捉えられることもあった。そして[[1990年代|90年代]]となり[[バブル景気]]が崩壊して社会に停滞感が漂うようになると、シティ・ポップといえる楽曲は激減し<ref name="kimura_2006_55" /><ref name="rollingstone_8" />、代わりに [[KAN]] の「[[愛は勝つ]]」の大ヒットに象徴されるように、地に足の着いた内省的な歌がリスナーから好まれるようになった<ref name="showa40s_36" />。シティ・ポップは「[[J-POP]]」の中へ埋没してゆき<ref name="sundaymainichi" />、「シティ・ポップ」は[[廃語|死語]]<ref name="showa40s_24" />、[[クリシェ]]<ref name="cdjournal_2012" />と化した。
月刊明星はそれから一年後の1985年2月号で、1984年のフォークとロックを総括した記事を載せ、今度は'''シティミュージック'''という表現も用い、ここでの言及は「84年のもう一つの特徴に、シティ・ミュージックの下火という現象がある。
{{Quotation|「リアリティーがまるでない。このテの歌には、なんか、やたら甘ったるい愛だ恋だばっかり。日本全国シティ化しちゃったか、もう[[カフェバー]]での恋は夢じゃなくなったってこともあるよ。ソート―な田舎にだって、今や[[六本木]]風のカフェバーがある時代だもの。もうみんな誤魔化されなくなったんだよ。そんな中では山本達彦とか[[角松敏生]]なんかがソコソコ頑張ったんじゃかな。それにちょっとニュアンスが違うけど、[[オメガトライブ|杉山清貴&オメガトライブ]]ね。彼らもコンスタントに売れるグループになった。でもオフコースなんかシティ・ミュージックの元祖みたいにいわれるけど、彼らの歌の良さって詩がすごく重要な部分を占めているよ。よく読んでみると、かなりきわどいことを歌にしてる感じだ。同じことはシティ・ポップスのクイーン・ユーミンにも言えるね。彼女の今度のアルバム『[[NO SIDE]]』なんかも、はっきりした方向性を示しているから。本当に詩もいいね。やっぱり詩がダメな曲はダメってことだ。今のシティ・ミュージックはカフェバーで女の子を口説いているみたいな詩ばっかりだ。そんな感覚で歌を作っちゃいけない。ユーミンはシティ・ミュージックなんて枠からとうに抜け出してる感じがする」}}と書いていている<ref name="月刊明星198502">{{Cite journal|和書|title= SPACE{{small|/OF}} FOLK{{small|/&}}ROCK 恒例、1984年フォーク&ロック大総括 第一線記者座談会 『ビジュアル派が制したF&R戦国時代』|journal=[[Myojo|月刊明星]]|issue=1985年2月号|publisher=[[集英社]]|pages=144–145頁}}</ref>。


[[2000年代|00年代]]には [[cero (バンド)|cero]] などの[[インディーズ]]・アーティストが「シティポップ・リバイバル」という形で言及されることもあった<ref name="brutus_2015" />。
[[1987年]]に[[松任谷由実]]は、当時の音楽状況について
{{Quotation|「男性のミュージシャンにとって今はつらい時期でしょうね。男が出てってメッセージしなきゃいけないような立場にないもの。女だったらメッセージ色が濃くなくてもロックをやるだけでメッセージのように見える。男はロックの次に、だから何だと要求される。[[HOUND DOG]]や[[浜田省吾]]さんのように、肉体派というか、もくもくとステージをこなすことが今は正解のような気がしますね」}}
と述べ<ref name="週刊明星19871210">{{Cite journal|和書|title=HUMAN THEATER 人間劇場 第132回 松任谷由実 『美人を作る白魔術教えます!』|journal=[[週刊明星]]|issue=1987年12月10日号|publisher=[[集英社]]|pages=60}}</ref>、[[週刊明星]]は「いつのまにかミュージックシーンも女性上位になったのか、それともユーミンが強いのか、"男ユーミン"と呼ばれるような"'''シティー派'''"が女性ファンの人気を集めるようになった」と解説している<ref name="週刊明星19871210"/>。


== 2010年代 ==
「歌謡曲」の職業作家もこのジャンルに乗り出すようになり、都会的で洗練された音楽性に合わせて、歌詞世界も、それまでの「反戦平和」「政治権力批判」などを歌う傾向にあったフォークとは一線を画した。都市生活者の快適な生活や、生活感の薄い無機的な描写、ローカル、田舎の生活感の切り捨て、豊かさを背景にした享楽的傾向、[[しらけ世代]]を象徴する無気力、などが強く表れる歌詞の楽曲が増えていった{{要出典|date=2019年11月}}。
[[イギリス]]では早くから[[山下達郎]]の曲などのシティ・ポップがダンスナンバーとして評価され、「J・[[レアグルーブ]]」「J・ブギー」と称されていた<ref name="aera" />。


2000年代に入って[[インターネット|ネット]]環境が普及し、[[ストリーミング]]や[[動画共有サービス|動画配信サイト]] ([[YouTube]]) で音楽を聴くという新しいリスニング・スタイルが生まれ、誰もがどこからでも手軽に様々な音楽へアクセスできる環境が整った<ref name="sundaymainichi" />。そして日本国内の閉じたムーブメントに過ぎなかった日本のシティ・ポップを、[[AOR]] を再評価していた[[アメリカ合衆国|米国]]の音楽マニアたちがネットで「再発見」するに至った<ref name="sankei_2019" />。彼らにとってシティ・ポップは「AOR の秘境」であり<ref name="sankei_2019" />、それまで存在が波及していなかった分、インパクトも大きかった<ref name="anan" />。2010年代にはシティポップは欧米圏のみならずアジア圏でも再評価が進んで多数のファンを獲得するようになり<ref name="sundaymainichi" />、2017年頃からはネット配信されていないレコードを買い求めようと来日する外国人が多くみられるようになった<ref name="sankei_2019" />。また2018年には YouTube にアップロードされた[[竹内まりや]]の「[[プラスティック・ラブ]]」(1984年)が、そのリコメンデーション・アルゴリズムと相まって、世界中から何百万回もの再生数を記録するほど大きく注目された<ref name="sankei_2019" /><ref name="rollingstone_7" />。シティ・ポップは、[[ヴェイパーウェイヴ]]やフューチャー・ファンクのモチーフとしてメジャーな存在となり<ref name="rollingstone_7" /><ref name="ismedia_1" />、またその [[バックグラウンドミュージック|BGM]] 的性質から、ストリーミングの普及で需要が高まっている[[チルアウト]]の音楽にも影響を与えている<ref name="rollingstone_7" />。
広告会社、テレビ局、レコード会社の営業マンが好むような、「企業のCMのタイアップソング」という現象が増えたのも、この時期である{{要出典|date=2019年11月}}。[[バブル景気]]への移行過程で商業主的、都会的なものが日本中にあふれ、「都会的なこと」自体がセールスポイントになった{{要出典|date=2019年11月}}。フォークの[[たま (バンド)|たま]]、ロックの[[レベッカ (バンド)|レベッカ]]や[[THE BLUE HEARTS]]などが中心となった[[バンドブーム|第二次バンドブーム]]は、シティ・ポップとは異なったブームだったが、すぐに[[ピチカート・ファイヴ]]などの[[渋谷系]]が台頭し、シティ・ポップ、AOR的な音楽は残っていった{{要出典|date=2020年1月}}。


日本では、[[土岐麻子]](山下達郎のバックメンバーだった[[土岐英史]]の娘)が、「シティポップの女王」と呼ばれることがある<ref>{{Cite news|url=https://natalie.mu/music/pp/tokiasako04|title=土岐麻子は現代のシティポップとどう向き合ってきたのか?|newspaper=[[ナタリー (ニュースサイト)|ナタリー]]|date=2019-10-02|accessdate=2020-03-08}}</ref>。
[[1990年代]]以降はシティ・ポップという呼称は、あまり使用されなくなっていた{{要出典|date=2019年11月}}。この頃、[[イギリス]]では、[[アシッド・ジャズ]]界から[[ジャミロクワイ]]がデビューする。しかし、ジャミロクワイの楽曲が、日本でシティ・ポップに認定され、[[ボーカル]]の[[ジェイ・ケイ]]がシティ・ポップの[[アイコン]]の一人となるのは、[[1993年]]のデビューから、25年の歳月がかかる{{要出典|date=2019年11月}}。


== 代表的アーティスト ==
[[2000年代]]後半に入ると、1980年代に青年期を過ごした聴衆が音楽業界や社会の中枢を占めるようになり、シティ・ポップというジャンルの再評価・再発見が[[無秩序]]に行われている。また、現在{{いつ|date=2019年11月}}では[[YouTube]]など[[動画共有サービス]]でシティ・ポップの曲が多数アップロードされているため容易にシティ・ポップに触れることができるようになったことで、新たにシティ・ポップのファンとなった人も多い{{要出典|date=2020年1月}}。ヴェイパーウェイヴから派生したフューチャーファンクで頻繁にサンプリングされた事で、元ネタであるシティ・ポップの人気が海外でも高まっており{{要出典|date=2020年1月}}、海外からの来日客の中には、シティ・ポップのアナログレコードを求めて日本の中古レコード・CD店巡りをする人も見られている<ref>[https://tvtopic.goo.ne.jp/program/tx/33235/1085750/ YOUは何しに日本へ? YOUに大切な物をあげる…ひと夏の経験SP(2017年8月7日放送分)] - goo tv(関東版)</ref>。
<!-- 信頼できる情報源で「(シティ・ポップの)代表的アーティストとして○○や△△が挙げられる」と名指しされている人を出しています。ノートで詳しくコメントしました。 -->
* [[山下達郎]]<ref name="sankei_2019" /><ref name="chiezo" /><ref name="sundaymainichi" /><ref name="nippon" />
* [[竹内まりや]]<ref name="sankei_2019" /><ref name="chiezo" /><ref name="sundaymainichi" />
* [[大貫妙子]]<ref name="sankei_2019" /><ref name="chiezo" /><ref name="nippon" />
* [[松任谷由実]]<ref name="chiezo" /><ref name="sundaymainichi" />
* [[大滝詠一]]<ref name="chiezo" />
* [[吉田美奈子]]<ref name="nippon" />
* [[矢野顕子]]<ref name="nippon" />
* [[南佳孝]]<ref name="nippon" />
* [[小坂忠]]<ref name="nippon" />
<!--* [[川村康一]]
* [[濱田金吾]]-->


== 脚注 ==
2000年以降では[[キンモクセイ (バンド)|キンモクセイ]]がシティ・ポップ・グループを自称し{{要出典|date=2020年1月}}、[[キリンジ]]なども「自分たちの音楽はシティ・ポップだ」という趣旨の発言をしている{{要出典|date=2020年1月}}。他にも[[土岐麻子]]や[[Suchmos]]などが、こうした路線に追随する作品を発表している。また、[[山口美央子]]は1980年代前半にシングル・アルバムを数枚発売したあとは職業作曲家に専念していたが、平成末期に再評価されたことで[[2018年]]に35年ぶりに歌手活動を再開した。
{{Reflist|2|refs=
<ref name="sundaymainichi">{{Cite journal | 和書
| author=山田厚俊
| year=2019
| month=9
| title=人気沸騰! 魅惑の80年代シティ・ポップ大解剖
| journal=サンデー毎日
| issue=2019-09-01
| pages=38-41
| publisher=毎日新聞出版
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<ref name="cdjournal_2012">{{Cite journal | 和書
| author=松永良平、磯部涼
| year=2012
| month=11
| title=特別企画 あたらしいシティポップ
| journal=CDジャーナル
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| pages=19-23
| publisher=音楽出版社
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<ref name="brutus_2015">{{Cite journal | 和書
| author=織部涼
| year=2015
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| title=ブルータス時事用語辞典2015
| journal=BRUTUS
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| publisher=マガジンハウス
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| year=2016
| month=07
| title=夏は音楽に出逢う時 かせきさいだぁさん、いま流行りのシティポップってそもそもどういう音楽なんですか?
| journal=BRUTUS
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| publisher=マガジンハウス
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<ref name="brutus_2019">{{Cite journal | 和書
| author=クリス松村
| year=2019
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| title=いま観る理由 シティポップ 昭和音楽がますます人気だから
| journal=BRUTUS
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| publisher=マガジンハウス
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<ref name="anan">{{Cite journal | 和書
| author=柴那典
| year=2019
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| title=つながる世界でいま、起きていること
| journal=an・an
| issue=2019-07-10
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| publisher=マガジンハウス
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| year=2019
| month=12
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<ref name="sankei_2019">{{Cite news
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| publisher=産業経済新聞社
| page=東京朝刊18頁
| date=2019-12-24
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| title=現代用語の基礎知識
| edition=1984年版
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| title=シティー・ポップ
| work=知恵蔵mini
| publisher=朝日新聞出版
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| author=柴那典
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| title=今なぜ海外で「シティ・ポップ」が大人気なのか? 火付け役に聞く(1/6)
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| author=栗本斉
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| title=シティポップがなぜ世界中でブレイクしているのか? (1/2)
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}}


== 参考文献 ==
== 著名なミュージシャン ==
* {{Cite book | 和書
*参考文献
| author=木村ユタカ(監修)
*『昭和40年男 2014年 02月号』(クレタパブリッシング)
| year=2006
* 『ジャパニーズ・シティ・ポップ』(木村ユタカ監修・シンコーミュージック・2006年)
| title=ジャパニーズ・シティ・ポップ
** 参考文献と文献以外の中から、特に著名な音楽家を掲載する。
=== 海外ミュージシャ ===
| publisher=(株) シンコー・ミュージック・エタテイメント
| isbn=978-4401630691
*[[ジャミロクワイ]]
}}
*:『スペース・カウボーイの逆襲 (The Return of the Space Cowboy)』(1994年)
*:『[[ヴァーチャル・インサニティ]]』(1996年)
*:『[[トラベリング・ウィズアウト・ムービング~ジャミロクワイと旅に出よう~ ]]([[Travelling Without Moving]])』より
*:『[[Time Won’t Wait]]』(2005年)(『[[ダイナマイト]]』より)
*:『[[ファンク・オデッセイ]]』(2001年)
*[[インコグニート]]
*[[シャカタク|Shakatak]] (シャカタク)


{{音楽}}
=== 日本国内ミュージシャン ===
*[[Suchmos]]
*[[竹内まりや]]
*:『[[プラスティック・ラブ]]」(1984年)
*:『[[セプテンバー]]』
*:『[[不思議なピーチパイ]]』
*[[サカナクション]]
*:『[[忘れられないの/モス|忘れられないの]]』(2019年)
*[[田島貴男]]([[ORIGINAL LOVE]])
*[[相曽晴日]]
*[[安部恭弘]]
*[[安全地帯 (ロックバンド)|安全地帯]]
*[[杏里]]
*[[池田聡]]
*[[池田政典]]
*[[石川優子]]
*[[1986オメガトライブ]]
*[[伊藤銀次]]
*[[稲垣潤一]]
*:『[[246:3AM (アルバム)|246:3AM]]』(1982年)
*:『Personally』(1984年)
*[[井上鑑]](あきら)
*:『PROPHETIC DREAM』(1982年)
*[[EPO]]
*:『[[DOWN TOWN]]』(1980年)
*:『GOODIES』(1981年)
*[[大江千里 (アーティスト)|大江千里]]
*[[大澤誉志幸]]
*[[大滝詠一]]
*:『[[A LONG VACATION]]』(1981年)
*[[大貫妙子]]
*:『[[アヴァンチュール (大貫妙子のアルバム)|アヴァンチュール]]』(1981年)
*[[尾崎亜美]]
*[[オメガトライブ]]
*:『[[AQUA CITY]]』(1983年)
*:『[[Navigator (アルバム)|Navigator]]』(1986年)
*加藤有紀
*[[門あさ美]]
*[[角松敏生]]
*:『[[WEEKEND FLY TO THE SUN]]』(1982年)
*:『[[ON THE CITY SHORE]]』(1983年)
*:『[[REASONS FOR THOUSAND LOVERS]]』(1989年)
*[[金井夕子]]
*[[紙風船]]
*[[カルロストシキ]]
*[[KAN]]
*[[菊池桃子]]
*[[来生たかお]]
*[[楠瀬誠志郎]]
*小林健
*:『Urban Blue』(1986年)
*:『SIZZLE』(1987年)
*[[久保田利伸]]
*:『SHAKE IT PARADISE』(1986年)
*:『GROOVIN'』(1987年)
*[[黒住憲五]]
*[[桑名晴子]]
*[[国分友里恵]]
*[[児島未散]]
*[[小比類巻かほる]]
*[[サーカス (歌手)|サーカス]]
*:『ミスター・サマータイム』(1977年)
*[[斉藤哲夫]]
*[[崎谷健次郎]]
*[[佐藤隆]]
*[[佐藤奈々子]](nanaco)
*[[佐藤博 (ミュージシャン)|佐藤博]](ハックルバック)
*:『[[awakening (佐藤博のアルバム)|awakening]]』(1982年)
*:『[[THIS BOY]]』(1985年)
*サミー
*:『ストンプアンドシューター』シングル
*[[佐野元春]]
*[[しばたはつみ]]
*[[ジャッキー・リン&パラビオン]]
*[[SING LIKE TALKING]]
*[[杉山清貴]]
*:『[[beyond...]]』(1986年)
*:『[[realtime to paradise]]』(1987年)
*[[杉真理]]
*[[鈴木茂 (ギタリスト)|鈴木茂]]
*[[スターダストレビュー]]
*:『[[RENDEZ-VOUS (スターダストレビューのアルバム)|RENDEZ-VOUS]]』(1988年)
*[[スペクトラム]]
*[[センチメンタル・シティ・ロマンス]]
*[[惣領智子]](TINNA)
*[[高木麻早]]
*[[高中正義]]
*:『[[TRAUMATIC 極東探偵団]]』(1985年)
*[[高野寛]]
*:『[[CUE]]』(1990年)
*[[田島貴男]]([[ORIGINAL LOVE]])
*[[寺尾聰]]
*:「[[Reflections]]」(1981年)
*[[当山ひとみ]]:沖縄出身
*[[徳永英明]]
*:『[[夏のラジオ]]』(1986年)
*[[刀根麻理子]]
*[[DREAMS COME TRUE]]
*[[中西保志]]
*[[中原めいこ]]
*:『君たちキウイ、パパイヤ、マンゴーだね』
*:『mint』(1983年)
*:『MOODS』(1986年)
*:『PUZZLE』(1987年)
*:『鏡の中のアクトレス』(1988年)
*:『303 EAST 60TH STREET』(1990年)
*PIPER
*:『I'M NOT IN LOVE』(1981年)
*:『LOVERS LOGIC』(1985年)
*[[ハイ・ファイ・セット]]
*:『White Moon』(1990年)
*[[原田真二]]
*:『[[Save Our Soul]]』(1983年)
*:『[[MODERN VISION (原田真二のアルバム)|MODERN VISION]]』(1984年)
*[[濱田金吾]]
*:『Manhattan in the Rain』(1980年)
*:『Feel the Night』(1981年)
*:『midnight cruisin'』(1982年)
*:『MUGSHOT』(1983年)
*[[平松愛理]]
*[[藤谷美和子]]
*[[ブレッド&バター]]
*:『Late Late Summer』(1979年)
*[[松原みき]]
*:『[[真夜中のドア〜Stay With Me]]』(1979年)
*[[丸山圭子]]
*[[南佳孝]]
*:『SILKSCREEN』(1981年)
*:『SEVENTH AVENUE SOUTH』(1982年)
*[[村田和人]]
*[[八神純子]]
*:『[[FULL MOON]]』(1983年)
*:『[[COMMUNICATION (八神純子のアルバム) |COMMUNICATION]]』(1985年)
*[[泰葉]]
*:『[[フライディ・チャイナタウン]]』(1979年)<!-- Friday(フライデー)ではなくFry-Day(フライディ) -->
*:『TRANSIT』(1981年)
*[[矢野顕子]]
*[[やまがたすみこ]]
*[[山口美央子]]
*[[山下達郎]]
*:『[[SPACY]]』(1977年)
*:『[[RIDE ON TIME (山下達郎のアルバム)|RIDE ON TIME]]』(1980年)
*:『[[FOR YOU (山下達郎のアルバム)|FOR YOU]]』(1982年)
* 『[[MELODIES (山下達郎のアルバム)|MELODIES]]』(1983年)
*[[山下久美子]]
*[[山根麻以|山根麻衣]]
*[[山本達彦]]
*:『MUSIC』(1984年)
*[[吉田美奈子]]
*[[芳野藤丸]](SHOGUN)
*:『YOSHINO FUJIMARU』(1982年)
*:『ROMANTIC GUYS』(1983年)
*[[ラ・ムー]]


=== スタジオ・ミュージシャン ===
*江藤勲
*[[今剛]]
*岡沢章
*[[佐橋佳幸]]
*[[清水信之]]
*[[惣領泰則]]
*高橋ゲタ夫
*[[林立夫]]
*[[松原正樹]]
*[[村上秀一]]
*[[村松邦男]]
*[[矢島賢]]
*[[芳野藤丸]]

=== 作曲家、編曲家、プロデューサー ===
*[[林哲司]]
*[[松岡直也]]
*[[松任谷正隆]]

== 関連項目 ==
*[[ニュー・ミュージック]]
*[[フュージョン]]
*[[AOR]]
*[[アダルト・コンテンポラリー]]
*[[ディスコ]]
*[[クロスオーバー]]
*[[ヴェイパーウェイヴ]]
*[[レア・グルーヴ]]
*[[音楽のジャンル一覧]]・[[ポピュラー音楽のジャンル一覧]]
**[[ポピュラー音楽の音楽家一覧 (日本・個人)]]
**[[ポピュラー音楽の音楽家一覧 (日本・グループ)]]

== 脚注 ==
{{Reflist}}

{{音楽}}
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[[Category:音楽のジャンル]]
[[Category:音楽のジャンル]]

2020年3月25日 (水) 05:34時点における版

シティ・ポップ
City pop
様式的起源 ニューミュージック[1]AOR[2][3]ポップ[4]ディスコ[4]ファンク[4]R&B[4]ブギー[4]ジャズ[4]フュージョン[4]ラテン[4]ソフトロック[5]クロスオーヴァー[3]ロック[6]ソウル[6]ボサノヴァ[6]
文化的起源 1970年代後期
日本の旗 日本
テンプレートを表示

シティ・ポップ (city pop) は、1970年代後半から1980年代にかけて日本でリリースされ流行した[7]ニューミュージックの中でも[8]特に都会的に洗練され[9]洋楽志向の[10]メロディや歌詞を持ったポピュラー音楽[11]ロックフォークの日本版ハイブリッドといえるニューミュージックを母胎とする点で[1]、シティ・ポップは洋楽(特にアメリカ音楽[12])の日本独自なアレンジという側面を持つが[7]、決まったスタイルのサウンドは無く[7]、「明確な定義は無い[9]」「定義は曖昧[13][14]」「ジャンルよりもムードを指す[1]」とされることもある。主要なアーティストの多くがシンガーソングライターであり[10]、専ら日本語で歌っていた点も特色にあげられる[1]

1970-80年代

1960年代後半から現れた自作自演のフォークロックのうち[14]演奏アレンジに凝った楽曲が1970年代になると「ニューミュージック」とカテゴライズされ従来の楽曲との差別化が図られたが[2]、その枠組みは次第に拡散して曖昧となった[14]。そのため「洗練された都会的なニューミュージック」を他と一線を画するために作られたのが「シティ・ポップ」というカテゴリであり[14]、発案者ははっきりしないが[2]、ジャンルを提示することで作品を売りやすくするという商業的意図がもとにあった[2]。従って「city pop」はネイティブには通じない和製英語であり[7]、当初は「シティ・ポップス」と呼ばれたが後に「シティ・ポップ」が定着し[2]、1970年代からレコードのライナーノーツでその語が使われ始めている[13]

音楽性の面でシティ・ポップの源流と一般に挙げられるのは、軽快なロックサウンドに日本語歌詞を乗せた先駆的バンドのはっぴいえんど(1969年-1972年)であり[14]、またシュガー・ベイブのアルバム『SONGS』(1975年)もシティ・ポップの嚆矢と言われることが多い[15]。そのシュガー・ベイブのアルバムを起点とし、その後に活躍した大瀧詠一山下達郎吉田美奈子荒井由実竹内まりや大貫妙子南佳孝などがシティ・ポップの基盤を作り上げていったとされる[16]。なお、シュガー・ベイブに限らず、シティ・ポップの主要アーティストは殆どが東京出身者もしくは東京を拠点に活動した者たちだった[10]。従ってシティ・ポップで歌われる「シティ」とは高度経済成長を経た「現代の東京」であり[10]、それもリアリズムから一歩引いた、広告都市的な消費の街というフィクション性を多分に含んでいた[15]。そうした「シティ」における、お洒落なライフスタイルや都会の風景、時には都市生活者ならではの孤独感や哀愁を[17]、良いメロディと洒落たコードに乗せて歌い上げたのがシティ・ポップだった[18]

シティ・ポップが成立した背景には、日本人の生活水準の向上と、変動相場制の導入と円高による海外の文物の流入、いわば東京の国際都市化という社会的変化があり[3]、シティ・ポップの盛衰は日本経済の盛衰と重なるところが多い[19]

バブル前夜、日本人の生活がどんどん豊かになって、一般市民の中に経済的、精神的余裕が生まれていった。そんな中で、平日は街で夜遊びして、オフには伊豆とか湘南サーフィンするという若い人たちのライフスタイルが構築されていった。平日と週末、都会の夜の喧騒とビーチリゾート感覚がセットで、多くの人の意識にあったんだ。全てにおいて勢いがあって、手探りで新しいものを作ろうという時代の雰囲気。そんななかでシティポップという流れができてきて、聴く人にもウケたんだと思う。[20] — 角松敏生

70年代において、シティ・ポップ・アーティストの多くはライブ行脚よりはスタジオでのレコード制作に重点を置いていたため、松任谷由実などの例外を除けば、シティ・ポップはまだ東京周辺でのムーブメントに過ぎず、全国区でのヒット曲はあまり生まれていない[6]。しかし70年代末、YMO がシティ・ポップをさらに先鋭化させたテクノ・ポップで世間の耳目を集めたことで、彼らの周辺のシティ・ポップ・アーティスト達にも次第に関心が向けられるようになった[21]。そして1981年には年間アルバムチャートで、寺尾聡の『Reflections』と大瀧詠一の『A LONG VACATION』というシティ・ポップの名盤が1位と2位につけ、80年代前半にシティ・ポップは全盛期を迎えた[21]。また松田聖子が「風立ちぬ」(1981年)や「赤いスイートピー」(1982年)といったシティ・ポップ・ナンバーを大ヒットさせたように、シティ・ポップは歌謡界にも浸透していった[14]

バブル期の消費礼賛の時代において、CM とのタイアップから多くのシティ・ポップのヒット曲が生まれた[22]。都会的で洗練されたシティ・ポップは企業 CM との相性が非常に良く[22]、また TV の歌番組出演にあまり積極的でなかったシティ・ポップ・アーティストにとっても CM タイアップは貴重なプロモーションの機会となった[23]。その点でシティ・ポップは、フォークロックのように何らかのメッセージ(例えば反戦平和、管理社会への反発など)を主張するというよりは、商業音楽としての性格を多少なりとも持っており[24]、換言すればメッセージ性を排した純粋な音楽的追求の産物ということもできた[24]

またシティ・ポップの普及の背景には音楽を聴く環境の変化、すなわちそれまでインドアの高価な趣味だった音楽鑑賞が、テクノロジーの進歩により安価なアウトドアの娯楽へ変化した点も挙げられる[21]。従来ならば音楽とは室内に据え置いた重厚なステレオセットにレコードをかけて聴くものだったが[21]、80年代にはレンタルショップでレコードを安く借りて自宅のカセットデッキテープダビング[25]、そのテープをウォークマンラジカセカーオーディオで外へ持ち出して聴くというリスニング・スタイルが若者の間にも普及していった[21]。そうした「外で聴く BGM」として、耳ざわりのよいシティ・ポップはまさにうってつけであり[21]、特に大瀧詠一の『A LONG VACATION』(1981年)と山下達郎の『FOR YOU』(1982年)はカーオーディオ占拠率で双璧を成す名盤となった[21]

シティ・ポップは当時から「形骸化した浮わついた音楽[15]」「現実感に欠ける[26]」などと批判的に捉えられることもあった。そして90年代となりバブル景気が崩壊して社会に停滞感が漂うようになると、シティ・ポップといえる楽曲は激減し[3][27]、代わりに KAN の「愛は勝つ」の大ヒットに象徴されるように、地に足の着いた内省的な歌がリスナーから好まれるようになった[28]。シティ・ポップは「J-POP」の中へ埋没してゆき[14]、「シティ・ポップ」は死語[20]クリシェ[15]と化した。

00年代には cero などのインディーズ・アーティストが「シティポップ・リバイバル」という形で言及されることもあった[29]

2010年代

イギリスでは早くから山下達郎の曲などのシティ・ポップがダンスナンバーとして評価され、「J・レアグルーブ」「J・ブギー」と称されていた[7]

2000年代に入ってネット環境が普及し、ストリーミング動画配信サイト (YouTube) で音楽を聴くという新しいリスニング・スタイルが生まれ、誰もがどこからでも手軽に様々な音楽へアクセスできる環境が整った[14]。そして日本国内の閉じたムーブメントに過ぎなかった日本のシティ・ポップを、AOR を再評価していた米国の音楽マニアたちがネットで「再発見」するに至った[9]。彼らにとってシティ・ポップは「AOR の秘境」であり[9]、それまで存在が波及していなかった分、インパクトも大きかった[5]。2010年代にはシティポップは欧米圏のみならずアジア圏でも再評価が進んで多数のファンを獲得するようになり[14]、2017年頃からはネット配信されていないレコードを買い求めようと来日する外国人が多くみられるようになった[9]。また2018年には YouTube にアップロードされた竹内まりやの「プラスティック・ラブ」(1984年)が、そのリコメンデーション・アルゴリズムと相まって、世界中から何百万回もの再生数を記録するほど大きく注目された[9][30]。シティ・ポップは、ヴェイパーウェイヴやフューチャー・ファンクのモチーフとしてメジャーな存在となり[30][31]、またその BGM 的性質から、ストリーミングの普及で需要が高まっているチルアウトの音楽にも影響を与えている[30]

日本では、土岐麻子(山下達郎のバックメンバーだった土岐英史の娘)が、「シティポップの女王」と呼ばれることがある[32]

代表的アーティスト

脚注

  1. ^ a b c d Jon Blistein (2019年8月12日). “日本のシティ・ポップは、なぜ世界中のリスナーを虜にしているのか? (2/8)”. Rolling Stone Japan. 2020年2月28日閲覧。
  2. ^ a b c d e かせきさいだぁ「夏は音楽に出逢う時 かせきさいだぁさん、いま流行りのシティポップってそもそもどういう音楽なんですか?」『BRUTUS』第2016-07-01号、マガジンハウス、2016年7月、31頁。 
  3. ^ a b c d 木村 (2006) p.55
  4. ^ a b c d e f g h Jon Blistein (2019年8月12日). “日本のシティ・ポップは、なぜ世界中のリスナーを虜にしているのか? (1/8)”. Rolling Stone Japan. 2020年2月28日閲覧。
  5. ^ a b 柴那典「つながる世界でいま、起きていること」『an・an』第2019-07-10号、マガジンハウス、2019年7月、42頁。 
  6. ^ a b c d 木村 (2006) p.56
  7. ^ a b c d e 松永良平「音楽「気分」に浸るシティ・ポップ 「日本産」音楽とアートが世界で人気」『AERA』第2019-12-23号、朝日新聞出版、2019年12月、44-45頁。 
  8. ^ 『現代用語の基礎知識』(1984年版)自由国民社、1038頁。 
  9. ^ a b c d e f g h i “シティ・ポップ じわり「逆輸入」 伊藤銀次 原点回帰の新作”. 産経新聞 (産業経済新聞社): p. 東京朝刊18頁. (2019年12月24日) 
  10. ^ a b c d 木村ユタカ(監修) 編『ジャパニーズ・シティ・ポップ』シンコー・ミュージック、2002年、129頁。ISBN 978-4401617739 
  11. ^ a b c d e f シティー・ポップ”. 知恵蔵mini. 朝日新聞出版 (2019年5月28日). 2020年1月19日閲覧。
  12. ^ Jon Blistein (2019年8月12日). “日本のシティ・ポップは、なぜ世界中のリスナーを虜にしているのか? (4/8)”. Rolling Stone Japan. 2020年2月28日閲覧。
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参考文献

  • 木村ユタカ(監修)『ジャパニーズ・シティ・ポップ』(株) シンコー・ミュージック・エンタテイメント、2006年。ISBN 978-4401630691