道新スポーツ
道新スポーツ | |
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道新スポーツ発行元の北海道新聞社札幌本社 | |
種類 | 日刊紙 |
サイズ | ブランケット判 |
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事業者 |
株式会社北海道新聞社 株式会社北海道新聞HotMedia |
本社 | 北海道札幌市中央区大通西3-6 |
創刊 | 1982年9月1日 |
言語 | 日本語 |
価格 |
1部 140円 月極 3,040円 |
ウェブサイト | https://www.hotmedia.jp/business/sports_top.html |
特記事項: サンケイスポーツ(東京本社版)と提携。 記事の大半はサンスポの紙面と共有。 |
道新スポーツ(どうしんスポーツ)は、北海道で発行されているスポーツ新聞。北海道新聞社傘下の北海道新聞HotMedia(ほっかいどうしんぶんホットメディア)が発行する。
概要
北海道新聞社の100%子会社「北海道新聞HotMedia」が刊行、略称は「道スポ」。1982年9月1日に創刊された。既存スポーツ新聞では最も創刊年度が新しい。(秋田県のさきがけスポーツが1996年に創刊していたが、2003年10月31日をもってスポーツ紙としては休刊、2014年1月9日、同紙の発行元である秋田魁新報の別刷りスポーツ特集として復活している)。
- 自社取材による北海道のスポーツイベントの記事はもちろんのこと、全国ニュース(日本ハム以外のプロ野球・スポーツ・芸能・社会)についてはサンケイスポーツとの紙面提携を行い、東京版(東北、関東、甲信越、静岡向け)と紙面を共有している。このため、1面には「提携 サンケイスポーツ」と記載されている。逆にサンスポの東京本社版には「提携 道新スポーツ」と掲載されており、創刊当初は1面題字下に「北海道へ紙面電送」との説明書きがあった。(紙面の字体も道新独自取材のページ・広告以外はサンスポと同じである。)提携先の他社の紙面をファクシミリで受けて行う新聞発行は本紙が史上初となった[1]。
- 2004年から本拠地を北海道に移した北海道日本ハムファイターズ関連の取材・報道に最も力を入れており、現在では一面記事は全てファイターズ関連で占められ(サンケイスポーツの一面記事は中一面で扱われる、ただし日本ハムファイターズ記事が一面の時は中面で北海道新聞社関連の広告に差し替え)、トータルでも毎日3~4ページが割かれている。内容もチーム情報や試合速報は勿論のこと、選手・首脳陣・関係者のコメントや記録面も充実しており、道内スポーツ紙では記事量で群を抜いた存在である。
- また、日本プロサッカーリーグ所属の北海道コンサドーレ札幌やBリーグ所属のプロバスケットボールチーム・レバンガ北海道の取材・報道にも力を入れてはいるが、日本ハム優先の中、こちらの記事量は減る傾向にある。
- テレビ北海道の番組表は親会社・北海道新聞では北見市とその周辺の大半(オホーツク総合振興局)では長らく視聴できなかったため試験放送開始前日の2011年10月27日付けまで掲載されていなかったが、道スポは全道版という位置づけであるため、当初からテレビ北海道の番組表が全道に掲載されている。なお、番組表の掲載レイアウトは北海道新聞の朝刊・夕刊とほぼ同じである。
- テレビ番組欄(地上波、BS) 中面見開きで左側に掲載。
- 第2テレビ番組欄(BS)と解説欄・ラジオ番組欄 中面見開きで右側に掲載。
沿革
- 1982年[1]
- 2月5日 - 北海道新聞社役員会にてスポーツ紙の発行を決定。
- 6月25日 - スポーツ紙発行を担う子会社「道新通信社」を創立。
- 7月1日 - 北海道新聞社告にて道新スポーツ発刊を発表。
- 8月19日 - サンケイスポーツと提携契約
- 8月25日 - 見本誌を1週間毎日25万部発行
- 9月1日 - 道新スポーツ第一号発行、当初1部16ページとした。
- 1983年[1]
- 1984年2月11日 - サラエボオリンピック特集で初のカラー2連版を実施[1]。
- 1985年6月18日 - 創刊1000号達成、道内ニュース面で初のカラー紙面化。
- 1986年9月1日 - 道新通信社が「道新スポーツ」に社名変更[1]。
- 1987年4月11日 - サンケイスポーツから受信の本社版1面がカラー化[1]。
- 1988年[1]
- 4月3日 - 創刊2000号
- 7月5日 - プロ野球速報電話サービス開始
- 11月 - 電子紙面製作「ディッパーシステム」に移行
- 1989年10月上旬 - 支社版1面カラー化を開始[1]。
- 1991年[1]
- 1月上旬 - 原稿執筆にワープロ使用を開始
- 1月16日 - 創刊3000号
- 4月1日 - 紙面を連日20ページ化
- 1993年11月3日 - 創刊4000号[1]
- 1996年[1]
- 4月 - サンケイスポーツとの紙面送信を全面コンピュータ直結式とする
- 8月15日 - 競馬情報誌「馬事通信」創刊
- 8月30日 - 創刊5000号
- 9月9日 - 電子化計画の一環として編集・営業にパソコン導入
- 1997年[1]
- 1998年[1]
- 4月23日 - 釣り情報誌「釣り新聞ほっかいどう」創刊
- 5月12日 - 北海道新聞新電送システム稼働、印画紙写真出稿を廃止
- 6月15日 - 初の休刊日特別紙面として1998 FIFAワールドカップ日本-クロアチア戦の特集紙面を発行。
- 11月18日 記者用ワープロをパソコンに切り替える
- 1999年6月28日 - 創刊6000号[1]
- 2000年[1]
- 4月13日 - 園芸誌「花新聞ほっかいどう」創刊。
- 3月14日 - 「コンサドーレ特報」でオンラインカラー記事を開始。
- 2001年 - iモードにて携帯電話向け釣り情報サイト「iつりしん」登録開始
- 2002年4月25日 - 創刊7000号[1]
- 2011年4月 - 北海道新聞社よりサッカー雑誌「月刊コンサドーレ」を移管。
- 2016年4月14日 - 小中学生を対象としたタブロイド判の二部紙「ジュニア道スポ」を創刊[2]。
- 2019年4月1日 - 道新スポーツ社と「北海道新聞情報サービス」が合併、「北海道新聞HotMedia」となる。
北海道内での高いシェアと速報性の確保に向けた取り組み
- 道内では、従来より一般紙の「北海道新聞」が圧倒的なシェアを誇っており、道新スポーツは道新グループのネットワークや販売網をバックに、創刊以来急速にシェアを拡大していった。しかし、創刊からしばらくの間は札幌と地方都市間の距離が長く、新聞輸送に時間を要することから、新聞輸送の迅速化と速報性の確保が課題となっていた。
- 当初道新スポーツの印刷拠点は札幌近郊にしかなく、例えば札幌で印刷した新聞を300km以上離れた網走で配達する場合には、締め切り時間を通常より大幅に早めざるを得ず、夜行列車を使用して輸送していたことから、前日の夕方頃までに印刷を終えないと翌朝の配達に間に合わなかった。このため、札幌から遠く離れた地方都市に届けられる紙面では、前日に行われたプロ野球ナイターの試合結果が間に合わず途中経過(3~4回まで)しか掲載されないなど、速報性に大きな問題がある状態であった。
- その後、北海道新聞による印刷技術の向上や道内各地で印刷工場を増設したほか、高速道路網の拡充に伴うトラック輸送への転換など輸送体制の強化等に取り組んだ結果、速報性に関しては他の新聞と同等のレベルにまで引き上げられた。現在では「日刊スポーツ」「スポーツニッポン」とともに3強の一角を形成している。
北海道新聞社発行の姉妹紙
- 花新聞ほっかいどう(道新スポーツ)
- 週刊釣り新聞ほっかいどう
- 馬事通信
主な評論家
- その他、提携のサンケイスポーツの評論家が登場する事もある
その他
- かつて、東京スポーツグループにより「北海道スポーツ」が発行されていたことがあるが、現在の道新スポーツとは全く関連はない。
- 先述のとおり、道新スポーツから発行されているが、著作権者は道新スポーツではなく、親会社の北海道新聞社となっている。
- 提携元のサンスポでは風俗面に力を入れているが、道新スポーツでは、「家庭でも読めるスポーツ紙を」という方針で、創刊以来、即売、宅配版ともに風俗面は掲載されていない。ただし、風俗店、精力剤等の広告は希に掲載されることがある。
- CMソングは2種類存在する。初代は1985年に同紙の1000号を記念して作られたもので、主にエフエム北海道(AIR-G')の「道新ヘッドラインニュース」などで流されていた[3]。2代目は2015年に募集されたもので、メロディーラインは初代と同じ。2代目については札幌つながりで初音ミクが歌唱している[3]。
脚注
- ^ a b c d e f g h i j k l m n o p q 道新スポーツ20年史 - 道新スポーツ(2002年)
- ^ 道新スポーツ、別刷「ジュニア道スポ」を創刊 - 文化通信社2016年5月10日
- ^ a b >~初音ミクが歌う~ 道新スポーツPRソングの歌詞を募集します - 北海道新聞社
関連項目
- 北海道日本ハムファイターズ
- コンサドーレ札幌
- レバンガ北海道
- 北海道文化放送(北海道新聞グループのテレビ放送局)
- テレビ北海道(同上)
- 北海道放送(北海道新聞グループのテレビ・ラジオ兼営局)
- エフエム北海道(北海道新聞グループのラジオ放送局)
- 以下はサンスポとの紙面提携を結ぶスポーツ紙