亜洲電視

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亞洲電視
Asia Television
種類 有限会社
略称 ATV、aTV、亞視
本社所在地 香港の旗 香港
大埔工業園大盛街25-37号
設立 1957年5月29日
業種 情報・通信業
事業内容 放送法に基づくテレビジョン放送
代表者 王征、白雲飛(執行董事高級顧問)
主要株主 黄炳均(持ち株数第一の株主)
査懋声(持ち株数第二の株主)
蔡衍明(持ち株数第三の株主)
外部リンク http://www.hkatv.com/
特記事項:設立当初の商号は「麗的映声」。
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亜洲電視亞洲電視有限公司Asia Television Limited)は香港に放送終了した民間テレビ局である。略称は亞視ATV(2007年10月の新コーポレートアイデンティティ導入後はaTVとの表記もされる)。日本語では「アジア・テレビ」と呼ばれることもある[1]

1957年麗的映声 Rediffusion (Hong Kong) Limitedの名で香港・中華圏最初のテレビ局として放送を開始し、麗的電視への改称を経て1982年に現在の名称となった。香港、マカオ広東省北アメリカに1億人近い視聴者がいるとされる。

長年の経営不振による負債の為、しばしば経営危機が伝えられていたが、香港政府は2015年4月1日に、亜洲電視の無料テレビ放送免許の継続を打ち切る決定を行った[2][3]。その結果、亜洲電視の全てのチャンネルは2016年4月2日午前0時に停波し、放送を終了した。

歴史

放送開始から1990年代まで

亜洲電視の前身である麗的映聲 (RTV) は、宗主国イギリスの会社である民間ラジオ局麗的呼聲が、香港初のテレビ放送局として1957年5月29日に開局した。当初のチャンネル数は広東語で放送する1チャンネルのみであった。

放送方式は、有線放送による有料放送方式を採用し、ケーブルによって各家庭に配信していた。視聴料は毎月25香港ドルで、放送開始時の契約者数はわずか640であったが、のち約10万まで増加している。1966年には、自前の俳優養成組織・亞洲電視藝員訓練班を設立した。黄秋生(アンソニー・ウォン)、黎明(レオン・ライ)、張家輝(ニック・チョン)など数多くのスターが巣立っている。

1967年11月19日に無綫電視 (TVB) が開局したことにより大きな転機を迎える。TVBは、その名の通り無線方式による無料放送を採用したが、無料である上に、アンテナ以外に特別な設備なく視聴可能なこと、さらに放送開始時点でカラー放送(一部番組のみ)を行ったことから、放送開始より視聴者の人気を集めることになった。それに対してRTVは、有料放送でしかも白黒方式のままの放送であったため、契約視聴者は激減した。このため大幅な放送内容の見直しを行い、バラエティ番組の増加や、競馬中継を中心とした競馬関係の番組を放送するなどした結果、1969年には視聴契約は10万を超えるに至った。1971年香港電台のテレビ放送製作が開始されたが、自前の放送チャンネルを持たなかった為、麗的映聲からも放送された。

しかし、有線方式の有料放送で、かつ白黒放送ではTVBに対抗できず、また1975年には3局目の民間地上波放送局が開局することも決まった事から、会社側では放送方式を無線方式の無料放送かつカラー放送の開始を決定し、1973年12月に変更することを8月に発表した。また同時に、局名も「麗的電視」(RTV)に変更した。しかし、設備変更を短時間で終えるのは困難なことから、1973年11月に1か月間放送を休止してカラー放送への切り替え等の設備更新を行い、さらに英語専門のチャンネルを新設した。

1975年に第3の放送局である佳藝電視 (CTV) が開局し、視聴率競争が激化。

1978年、佳藝電視が経営不振により倒産し、同局のスタッフや所属俳優の多くは麗的電視に移籍してきた。この結果、番組内容の充実が図られ、高視聴率の番組も出るようになった。TVBもそれまで放送していた番組を打ち切って新たな番組を放送して対抗した。

1980年代になり、麗的電視の経営状況は悪化。1981年3月には、麗的電視の親会社である英国の会社の経営も悪化したため、経営から手を引くことを決定し、一旦オーストラリアの企業に売却されたが、翌年(1982年)には地元香港の企業に再売却され、放送局名も現在の「亜洲電視 (ATV) 」に変更された。1983年には中国本土のテレビ局が製作したドラマが香港で初めて放送され、人気を呼んだ。

1987年には局舎が火事に見舞われ、放送機器が損傷して放送に支障を来し、ライバル局TVBの支援を仰ぐという事件も発生した。1989年には親会社が再度変わったが、1990年前半にかけては、香港のテレビ史上に残る番組を少なからず製作、TVBの視聴率を上回る番組も出現した。この時期がATVにとってもっとも好調な時期であった。

1998年には新たな経営陣が参入して、経費削減の為に番組制作方式の改革を行い、社員の整理も行われた。自社製作の番組は減少してゆき、外部製作の番組を購入して放送する場合が多くなった。その間も経営状況が悪化してゆき、経営者も次々と交代して行った。


2000年代以降

2000年代に入ると、ドラマやバラエティ番組の制作が中止されるなど、長期低迷状態が続くこととなる。一方、2008年にはPCCW城市電訊からCEOを招き、経営内容の改善を図ろうとしたが、CEOの1人だった王維基(現香港電視網絡社長)が、それまでのATVの中国本土寄りの報道姿勢から、香港市民の考えに沿った内容の報道を目指すと発言した事が、中国本土資本の経営者の反感を招き、僅か10日程で辞職に追い込まれる事態も発生した。その後、台湾の台湾の旺旺グループの経営者で、中国本土に広く商売を展開し、中国共産党の要人とも関係の深い蔡衍明が株式を獲得し、実質的な経営者となった。

蔡の就任直後の2009年2月には、社員207名の解雇を行った。その一方、同年の春節前日に放送される特別番組は、支出を抑えるために、中国中央電視台が放送している特別番組の放送権を購入の上放送した。

2009年からは、蔡が台湾で経営しているメディアグループの一つである台湾中天電視の番組の放送が始まった。制作費不足が解消したことから、凍結中であった自局番組制作も再スタート。香港の視点で香港で起きている社会問題や時事、ゴシップをブラックジョークで取り上げるトークバラエティ番組「香港亂噏」を放送するなど、中国政府(中国共産党)に対しても中立姿勢を強め[4]、番組内容の変化とともに、ATVの姿勢が注目された。

CMスポンサーに中国企業が多いことなどから、まるで「CCTV10台(中国国営テレビ中国中央電視台第10チャンネル)」だと揶揄されていた一方、2009年六四天安門事件20周年に際して、TVBの地上波ニュースが追悼集会などに関する報道を控え気味に行い、香港住民から批判を受けたのに対し、ATVでは特別番組を組むなど積極的に放送した。

しかし2010年になって、中国本土の企業家である王征が、株式を購入してATVの経営に参加する姿勢を示し、その一方で、台湾人である蔡が、ATVの一定割合の株を所有している事が、香港の法律に違反しているとの訴えを香港高等法院に対して起こした。結局蔡は敗北して資本を引き上げ、中天電視由来の番組も放送終了した。2000年代後半からの、資本参加をめぐる一連の騒動は、以前より中国寄りの放送内容と批判されていたATVにとって大きな痛手となり、次第に視聴者からの支持を失っていった。

2011年、ATVはTVBに対し、発表された番組視聴率は正しい結果では無く、不当な操作を行ったものであるとの記者会見を行い、問題解決を訴えた。これは、同年4月17日にATVで放送された2011年度の香港電影金像奨の番組視聴率が、同時間帯にTVBで放送されたテレビドラマの視聴率に比べて低く、前年にTVBが放送した際の視聴率よりも大幅に低い事から、正しい視聴率調査をしているか疑問があるとしたものである。

2011年7月6日、ATV香港台のニュース番組である「六點鐘新聞(News at Six)」において、中国の江沢民元総書記が死去したとのニュースを放送し、世界各国のニュースメディアがATVの報道を引用して「江氏死去」のニュースを配信した。しかし、中国政府より直ちに「江氏は健在である」との訂正報道が配信され、翌日にはATVが、未確認情報を引用して報道したとして、報道内容を撤回して謝罪した。その後、香港政府は厳重注意と罰金を科し、ATVでは当時の報道部責任者を解雇した。

2012年9月3日には、ATV本港台で放送している時事評論番組「ATV焦点」において、当時香港で議論になっていた、香港内の各学校で、中国の国歌や共産党による指導の優位性を教える教育への主に中高生による反対活動を、香港政府や香港の秩序を破壊する「破壊派」と評した番組を放送したが、放送直後から香港市民による抗議が殺到し、僅か2日間で4万7千件にも達した。ATVのニュース部門では、前年の江氏死去の誤報を受けて、新たに招いた大公報出身の雷競斌が責任者となっていたが、雷はかねてから中国共産党寄りの発言を行っており、この番組内容も、雷の意向によるものとされた。香港通訊事務管理局では、番組内容が著しく公平性に欠けるとして、ATVに対して異例の警告を行った。

2012年11月12日、ATVの内部団体が主催し、香港政府庁舎前で開催される「關注香港未來」というイベントの生中継を実施した。しかし番組内容は、香港政府が検討している新たな無料放送局への免許発効に反対するという抗議活動であった。 放送開始直後から、番組内容を知った免許発効賛成派の市民が多数集まり、現場は騒然となった上、免許申請に関係する香港の立法議員が、番組内容を団体関係者に問い質そうとした際には、ATV職員との間でもみ合いになった。放送中から香港市民より「電波の私物化」との批判が殺到した為、香港通訊事務管理局ではATVに対して注意を行った。

2013年10月には、新たに有線電視系の奇妙電視PCCW系の香港電視娛樂の2局に無料放送の免許発効方針が示され、正式に放送が開始されるとTVB及びATVに大きな影響が及ぶ可能性が指摘されていたものの、1年以上が過ぎても放送開始になる見込みは立っていない。

2014年になると、2015年末で期限切れとなる放送免許の更新に向けて、香港政府に対して申請を行ったが、免許交付の判断については、莫大な負債を抱えている状態からの脱却に向けての対策や、大手株主間で行われていた株主裁判の推移を見て判断するとされた。2014年11月には、資金不足によって700名ほどの全社員への11月分の給与が未払いとなる問題が発生し、放送局としての存亡の危機が表面化した。この危機に対して、報道部門では、11月分の給与が2014年内に支払われなければ、1月1日から英語ニュース番組の放送中止と、広東語ニュース番組の時間短縮を行う事を表明するとともに、12月31日で200名程度の報道部員のうち、30名程度が退職する事を発表した。

12月29日になって、11月分の給与の半額が支払われたが、残り半分と12月分の給与支払いには未払いのままとなっており、早期の解決が待たれている。先にニュース番組の時間短縮を表明した報道部門は予定通り実施する方針を発表し、朝のニュース番組『亜州早晨』などの番組が、1月1日より放送中止となった。

一方経営陣は、「会社の買収に向けて数社と協議しており、新たに出資してくれるホワイトナイトが現れる事を期待している」と表明。免許更新に向けて、事態打開に向けての姿勢を見せていた。

2015年1月26日、ATVへの出資に4社が入札し、交渉を行ったが、いずれも不調に終わった。一方、香港政府で放送を管理する機関である商務及經濟發展局は、3月末に迫った放送免許更新期限を控え、推移を注意深く見守っていると発表した。

2015年4月1日午後、ATVは新たな出資者が現れたとの発表を行ったが、商務及經濟發展局は、同日18時30分に、ATVの放送免許の新たな更新を許可しないと発表した。その結果、2016年4月1日をもって、ATVは放送停止に追い込まれる事となった。ATVでは、今回の決定を不服として、裁判に訴える事も排除しないと発表した[5]

ATVでは、新たな出資者獲得の道も断たれた結果、資金的には極めて厳しい状態で、2016年までの放送継続すら危ぶまれている。一部報道によれば、閉局日を前倒しにする案のほか、インターネット放送局として2014年11月に開局した『香港電視網絡』より、同局が撮影したドラマを、ATVより放送枠を買い取って放送する事により、間接的に当面の資金援助を行う申し入れがあったとされる。

経営再建への取り組み

ATVの経営状態は、長年の赤字経営のため、大きな債務があり、経営再建が最重要課題となっていた。

赤字に伴う度重なる人員整理と制作費の削減のため、自社制作のドラマやバラエティ番組の制作を中止し、海外からの番組購入を行ったが、結果的にさらなる視聴率の低下や社内の意識の低下を招くと言う悪循環に陥った。

デジタル放送の開始に伴う設備投資のため、銀行から借り入れた借入金の返済が滞る事態が発生し、新たに別の銀行から借款を受けて急場をしのいだものの、今度はその銀行に対する返済が困難になるという、深刻な事態を招いた。このため、さらなる経費削減が求められたために、所属芸能人部門の解散などの経費削減を行った。遂に新たな番組用ビデオテープの購入代金支払いすら困難となった結果、保管していた使用済みビデオテープを再利用するという厳しい局面に追い込まれた。香港政府は、ATV救済のための施策を検討したが、最終的には、中国国務院直属の団体が株式購入・資本投入をしたことによって、喫緊の危機を回避した。

一方ATV自身も、2008年12月香港の運送会社の経営者を招くなどして経営陣を一新し、外部資本の導入による経営改善を目指したが、数日後には経営陣の一部が辞職声明を発表したことで混乱を生じ、結局新たに就任したCEOが辞任し、一旦辞職声明した経営陣は留任することで決着した。これは、新たに招いた経営陣がATVの中国寄りの報道姿勢を批判し、香港独自の視点での報道を目指すと宣言したことにより、親中派オーナーの反感を買ったためとされている。

2009年1月には、香港や中国にも進出している台湾の製菓会社で、近年台湾のメディアの経営権を次々に獲得している旺旺グループが、株式の購入で資本参加することを表明し、資金不足の解消が図られることになった。番組内容も、同グループ傘下の台湾中天電視の番組が数多く放送され、ドラマのTVBに対し、ATVは知識、教養、文化路線の番組を強めるなどの視聴者層の差別化を図り、YouTubeと連動させた番組作りや、香港独自の視点で社会問題をシニカルに取り上げるトーク番組の制作を始めるなど、斬新なスタイルを取り入れていて、効果も徐々に現れていたが、2010年になって、新たに現れた中国本土の企業グループとの争いに敗れた結果、資本を引き上げた。

2015年1月26日、ATVへの出資に4社が入札。経営再建計画も提出されており、赤字体質脱却への足がかりとなることが期待されたが、いずれも不調に終わり、2016年4月以降の放送を認められず、放送終了が確定した。

放送停止まで

2015年秋になり、中国本土で放送事業を営む資産家が、新たな出資者となる事が発表された。給与支払いの度重なる遅延が発生し、報道部員の退職によって人員不足が生じた結果、2015年9月には、朝・昼のニュース番組放送を中止していた[6]が、給与支払いが行われた事で、放送を再開した。

出資者は、一旦切れる放送免許を改めて取得して放送再開を目指すとしたが、その後も状況改善には至らず、2015年末になって、再び給与支払い遅延が発生した。その後も状況改善しないまま、春節直前の2016年2月6日からは、日中全てのニュース番組が放送中止になり、放送条例に違反する状態が発生した。また、残っていた社員(所属タレントを含む)の多くがここで退職し、残る社員は400名程度に落ち込み、番組制作が困難になる状態となった。

2月20日になって、夜のニュース番組のみ放送再開したが、このころには、元の出資者より、早期の会社清算を求める訴えが法院に提出され、審議が行われる事となった。また弁護士からは、亞州電視の銀行口座には、現時点で僅か27万香港ドルしか残っておらず、これ以上の放送継続は困難との声明も出されていた。

3月3日に、関係者が出廷の上、審議が行われたが、この時点では放送停止等の勧告は出されなかった。しかし、弁護士からは、「銀行からの新たな借金も困難となり、4月1日の免許期限なでの放送は難しくなった。3月4日付けで、全社員を解雇の上、放送停止し、清算手続きに入る。」と発表。これにより、亞州電視は、免許有効期限前に、放送停止する事が決まった。

3月4日には、予定通り全社員への解雇通知が行われ、18時をもって放送停止するという噂も流れたが、4月1日の免許期限まで放送が続けられる様、出資者が追加出資を行う方針である事を発表した。会社に残留している社員によって放送は継続された。

4月2日午前0時、停波。放送を終了し、59年の歴史に幕を閉じた。

香港における放送局の倒産・放送停止は2局目で、世界的に見ても珍しい事例となる。なお、亞州電視が使用している周波数は、4月より放送を開始する『香港電視娯楽』(ViuTV)と、香港電台が使用する予定である。

そのほか

NHK国際放送との関係

日本語放送

  • ATV、TVBの両放送局では、香港在住の日本人向けに英語字幕付きで日本の番組を放送する時間枠があった。1998年を例に取ると、毎週日曜日、TVB明珠台で『Japanese Hour』が10:00~11:00に、ATV国際台の日本語番組が11:00~12:00に放送されていた。ATVでは、主にドラマ(1998年度は『渡る世間は鬼ばかり』や『ふたりっ子』など)やバラエティ番組、グルメ番組を放送しており、一方TVBでは日本テレビが制作した、日本の1週間のニュースをまとめた番組と、同局制作のバラエティ番組(1998年度は『所さんの目がテン!』であった)が放送されていた。
  • ATV国際台の日本語番組は、1999年に香港公開大学の教育放送が毎週日曜日の08:00~11:00まで放送開始された為に終了し、放送枠はTVB明珠台に移動して10:00より『Japanese Time』として放送され、その後10:30から50分間、『Japanese Hour』が放送される様になった。
  • 2001年秋、香港公開大学の放送がATV国際台からTVB明珠台に移り、午前10時より放送開始した関係で、『Japanese Hour』枠が無くななり、『Japanese Time』のみ15:00から30分間放送される様になった。
  • 2005年10月、当時放送枠を所有していた日系広告代理店が番組趣旨をそのままに番組をATV国際台に移動し、香港の番組制作会社による日本情報番組(広東語・英語の字幕つき)として、同じ番組名で放送されるようになった。この番組は、後に『JP TIME TV(日語大放送)[2]の名前に変更し、主に香港人向けに、日本各地の観光情報を放送する内容となった。現在は週に3回(ただし2回は再放送)放送されており、TVBを含めて、現在の地上波番組では唯一の香港制作日本語番組となっている。亞州電視の放送終了後は、「Go!Japan TV(日本大放送)」と改題の上「ViuTV」で放送継続の予定である。

競馬中継

  • ATVでは、1967年より「香港ジョッキークラブ(HKJC)」が開催している競馬関連番組を放送していた。競馬番組は、実況中継の「賽馬直撃(Track Side)」の他、開催日の数日前からは、出走予定馬の調教や関係者へのインタビュー、各レース毎のレース予想番組を、またレース当日には、レース回顧や払戻金、次回の狙い馬を紹介する番組を放送していた。また香港国際競走などの大レース開催前は、特別番組も放送していた。
  • 製作はHKJC自らが行い、ATVは放送枠を提供していただけであるが、かつては製作も担当しており、その当時に司会者兼解説者として出演していたのが、ジャッキー・チェンの映画など(『プロジェクトA2』の警察署長役など)で出演していた俳優董驃(トン・ピョウであった。
  • 1997年/98年度から2000年/01年度までの4年間、競馬関連番組の放送権がTVBに移っていた時期がある。董驃のHKJCに対する批評に対して、HKJC自身がATVへの放送権更新に難色を示したためという説がある。TVBの競馬番組には董驃は出演しなかった。
  • ATVが2016年以降の放送免許を獲得できなくなった報道を受けて、香港ジョッキークラブは、放送中止後の競馬中継について、「現在の中継協定の有効期間は今年の7月31日までであり、2014/15年度の競馬放送については、ATVが停波しない限り、引き続きATVにて放送を続ける意向であるが、2015/16年度については未定。」と発表した。[7] 香港の日刊新聞である蘋果日報の4月15日の紙面には、2015年度の開催よりTVBが放送を行うとの記事が掲載され、この時点では香港ジョッキークラブからは公式発表を行わなかったが[8]、7月13日に、2015/16年度からはTVBのJ2チャンネルより放送を行う事を発表した[9]。2015年度開催開始より、予定通りTVBより放送中である。
  • HKJCの競馬番組放送権を失った1997年秋から、2002年夏までの5年間、マカオ競馬を中継したこともあった。

中国大陸での放送

チャンネル

年表

主な番組

自局制作ドラマ

海外制作ドラマ

特撮

アニメ

自国独自のアニメ

韓国のアニメ

ニュース

  • 亞洲早晨 (おはようアジア、朝のニュース「晨早新聞」を内包)
  • 十二點半新聞(12時半のニュース)
  • 六點鐘新聞(6時のニュース)
  • 夜間新聞(夜のニュース)
  • ATV焦點(ATVフォーカス)

情報・教養番組

音楽・バラエティ

マスコットキャラクター

  • Abot(エーボット)

関連項目

外部リンク

  • 亞洲電視公式サイト(繁体字中国語) - 右上のメニューから簡体字版と英語版へ切り替えることができる。

脚注

  1. ^ 『岩波現代中国事典』1171ページ
  2. ^ “行政会議、ATVの放送免許更新打ち切り決定”. エヌ・エヌ・エー (日本). http://news.nna.jp/free/news/20150402hkd005A.html 2015年4月2日閲覧。 
  3. ^ “香港廣播史上首次 行會否決續牌亞視玩完”. 蘋果日報 (香港) (香港): pp. A1. http://hk.apple.nextmedia.com/news/first/20150402/19099081 2015年4月2日閲覧。 
  4. ^ ただし、中国共産党にとって都合の悪い内容が含まれた放送 (天安門事件直後の放送や、7月1日に行われたデモ行進を取り上げた回) は、中国側の規制により中国本土向けに放送されていない。
  5. ^ “亞洲電視 聲明”. 亞州電視 (香港): pp. A1. http://www.hkatv.com/zh-hk/atv-event/41030/%E4%BA%9E%E6%B4%B2%E9%9B%BB%E8%A6%96-%E8%81%B2%E6%98%8E 2015年4月2日閲覧。 
  6. ^ 香港の放送条例では、1日に15分間のニュース番組を放送する義務があるとしており、放送条例違反を防ぐため、夜のニュースのみ、放送時間を30分から15分に短縮して放送継続された。
  7. ^ 香港ジョッキークラブの通信
  8. ^ J2播馬 馬會送解碼器
  9. ^ [1] 賽馬及六合彩攪珠8月起改由無綫J2轉播