マイケル・アンドレッティ
マイケル・マリオ・アンドレッティ | |
---|---|
2007年、ミシガンで | |
基本情報 | |
国籍 | アメリカ合衆国 |
生年月日 | 1962年10月5日(61歳) |
出身地 | ペンシルベニア州ベスレヘム |
親族 |
マリオ・アンドレッティ(父) ジェフ・アンドレッティ(弟) マルコ・アンドレッティ(息子) アルド・アンドレッティ(叔父) ジョン・アンドレッティ(従兄弟) アダム・アンドレッティ(従兄弟) |
デビュー | 1983 |
所属 | アンドレッティ・オートスポーツ |
インディカー・シリーズでの経歴 | |
過去所属 |
クラコ・レーシング ターゲット・チップ・ガナッシ・レーシング ニューマン・ハース・レーシング |
出走回数 | 317 |
優勝回数 | 42 |
ポールポジション | 32 |
シリーズ最高順位 | 1位 (1991) |
過去参加シリーズ | |
1983-1992 1993 1994-2002 |
CARTインディカー・ワールド・シリーズ フォーミュラ1 CARTインディカー・ワールド・シリーズ |
選手権タイトル | |
1991 | 1 |
受賞 | |
1991 | CARTインディカー・ワールド・シリーズチャンピオン |
マイケル・アンドレッティ | |
---|---|
基本情報 | |
フルネーム | マイケル・マリオ・アンドレッティ |
国籍 | アメリカ合衆国 |
出身地 | ペンシルベニア州ベスレヘム |
生年月日 | 1962年10月5日(61歳) |
F1での経歴 | |
活動時期 | 1993 |
過去の所属チーム | '93 マクラーレン |
出走回数 | 13 |
タイトル | 0 |
優勝回数 | 0 |
表彰台(3位以内)回数 | 1 |
通算獲得ポイント | 7 |
ポールポジション | 0 |
ファステストラップ | 0 |
最終戦 | 1993年イタリアGP |
マイケル・マリオ・アンドレッティ(Michael Mario Andretti、1962年10月5日 - )はアメリカ合衆国ペンシルベニア州ベスレヘム出身の元レーシングドライバー。1991年のCARTチャンピオン。
父はF1とインディカー・ワールドシリーズの元チャンピオンで1969年のインディ500優勝者のマリオ・アンドレッティ。息子のマルコと従兄弟のジョンとアダムは現役のレーシングドライバー、叔父のアルドと末弟のジェフも元レーシングドライバーである。
2010年現在はインディカー・シリーズに参戦している、アンドレッティ・オートスポーツオーナー。
経歴
1981年に北アメリカ・フォーミュラ・フォード、1982年に北アメリカ・フォーミュラ・スーパー・veeでチャンピオンを獲得。1983年も北アメリカ・フォーミュラ・アトランティックでチャンピオンを獲得し、また2度目の参戦となったル・マン24時間レースでは、父マリオ、フィリップ・アリオーと組んで総合3位に入っている。順調にキャリアを積み重ね、同年の終盤にはCARTへの参戦を開始。翌1984年より本格参戦となりこの年は最高3位、1985年は最高位2位と順位を上昇させていった。
1986年に、初優勝を含め3勝を挙げランキング2位に食い込むと(PPも3回記録)、1987年にも4勝・2PPでランキング2位に入る等、ほぼ毎年優勝・PPを記録しランキング上位に顔を出すようになる。ただし1988年は未勝利でランキング6位に終わった(PPは1回マークし、非選手権では勝利も記録)。
1989年よりニューマン・ハースに所属。移籍初年度に2勝・2PPでランキング3位、2年目の1990年に5勝・4PPでランキング2位となり、1991年には8勝・8PPで念願のチャンピオンに輝く。1992年も1勝・3PPながらランキング2位となり、アメリカにおいて、最も成功を収めたレーサーとしての地位をほしいままにしていた。
F1参戦
父のF1時代にGPに同行していたマイケルは、元々アメリカ人ながらF1で成功することを夢としていた。1991年・1992年とマクラーレンのテストに参加した後、1993年に本契約を結び、F1参戦が実現した。CARTチャンピオン経験者として参戦することになったマイケルは、契約時に「アラン・プロストやアイルトン・セナにも勝つ自信がある」と強気なコメントを発し、成功への自信を示していた。
しかし、迎えた開幕戦南アフリカGPではスタートでエンストし、その後デレック・ワーウィックに接触し4周リタイア。第2戦ブラジルGPでは、デビュー2戦目ながら予選5番手を獲得するも、決勝はスタート直後の1コーナーで、ゲルハルト・ベルガーを巻き込んで宙を舞う派手なクラッシュを起こし0周リタイア。そして第3戦ヨーロッパGPでも、オープニング・ラップでカール・ヴェンドリンガーに接触し、0周リタイア。開幕前は注目と期待の大きかったマイケルだが、チームメイトのセナとの予選でのタイム差や、3戦を終了した時点で全て接触リタイア(セナは2勝・2位1回)で全周回合わせても4周足らずという状況に期待の声は急速に薄まっていった。
第4戦サンマリノGPではようやくまともに周回を重ね、一時5位まで上昇したが、結局32周目に単独スピンを喫し4戦連続リタイアに終わった。第5戦スペインGPで5位に入りF1初入賞、その後暫くは完走を続け、第8戦フランスGPでは6位に入り2度目の入賞となった。
しかし第9戦イギリスGPでは、スタート直後にジャン・アレジと接触してスピンを喫し0周リタイア。その後も第10戦ドイツGPでは、5周目の接触事故でリタイア、第11戦ハンガリーGPではスロットルトラブルによりリタイア(マシントラブルによるリタイアはこれのみ)と3戦連続リタイアを喫した。
第12戦ベルギーGPは入賞圏外の8位で完走、続く第13戦イタリアGPでようやく3位表彰台を獲得するが、直後にシーズンの残り3戦を残してマクラーレンとの契約を双方合意の上で解除した。マイケルが翌年からのアメリカ復帰を希望し、アメリカで有力チームとの交渉を優先するために契約の解除を申し入れ、ロン・デニスがこれに応じたものであった。結局1度もトップはおろか、マイケルとセナが共に完走したレースでは、セナとも同一周回でフィニッシュしたことは無かった。
期待と裏腹の成績に終わった理由は、「アメリカのオープンな雰囲気とF1の閉鎖的な雰囲気の違いに馴染めず、また欧州に拠点を置かずレース毎にアメリカからサーキットへ入る生活を続けたことから、なかなか思う通りの成績を収めることができなかった為」「当時のF1マシンはサイドプロテクターが無く、肩まで露出するコックピットに恐怖を覚えていた」とされることが多い。しかし後年、息子であるマルコ・アンドレッティは、「当時、将来有望で手頃なテストドライバーであったミカ・ハッキネンが父の後ろで控えていたため、マクラーレンが故意にアンドレッティを悪く見られるような作業をした。セナさえも不憫に思い、自身のスペアカーをレースカーに提供したいとチームに進言したほどだった」と発言し、マクラーレンチームを糾弾している。真偽のほどは定かではないが、マクラーレンはこの発言に対し、公式な回答はしていない。
アメリカ復帰
1994年にアメリカへ戻ると、以後毎年勝利を記録し、再びCARTのトップドライバーとして活躍。息の長い活躍から、「ミスターCART」と呼ばれるようになっていった。
2003年には、自らのチーム(アンドレッティ・グリーン・レーシング(AGR))をチーム・グリーンとジョイントする形で結成。インディカー・シリーズへ転向したが、シーズン途中でドライバー業を引退し、チームオーナー業に専念するようになった。
しかし、2006年のインディ500には「カーナンバー"1"」を付け(IRLではチャンピオン自身にではなく、チャンピオンを輩出したチームに1をつける権利がある)参戦し、久々のレースながら3位を獲得。息子マルコも参戦し2位となっており、レースでは親子対決も見られた。また同レースにおいては、ビル・ブコビッチと同様、3代に渡っての参戦となった。
その後チームはチップ・ガナッシ・レーシングとチーム・ペンスキーの2強に次ぐ有力チームに成長、2007年にダリオ・フランキッティ、2012年にライアン・ハンター=レイがこのチームでシリーズチャンピオンを獲得した。
補足
F1とインディ(CART)との比較論争
1993年、輝かしいアメリカでのキャリアに比べて、F1で思うような成績を収められなかったことと、同年にナイジェル・マンセルがあっさりとF1とCARTでの「2年連続」のチャンピオンを獲得したこととにより、F1とCARTのドライバーのレベル差が論争の的となった。
その後、ジャック・ヴィルヌーヴがCARTチャンピオン獲得後にF1でもチャンピオンを獲得したが、アレックス・ザナルディはCARTチャンピオン獲得後F1に復帰するものの全く結果を残せなかった。 2008年にはCART後継シリーズのチャンプカーで4年連続チャンピオンの金字塔を樹立したセバスチャン・ボーデがスクーデリア・トロ・ロッソからF1に参戦し注目を集めたが成績不振で2009年の第9戦ドイツGPを最後に解雇されている。
アメリカ人F1ドライバー
アメリカにはCARTやインディカー・シリーズ、NASCARなどの国内カテゴリーが盛んなことや、前者と比べアメリカ国内でのF1の人気が低いこともあり、F1ドライバーが多く輩出されない。父マリオがF1を引退して以降、アメリカ人のF1参戦者はエディ・チーバー、ダニー・サリバン、マイケル、スコット・スピード、アレクサンダー・ロッシの5人しかいない。
私生活
アンドレッティは1985年11月から1996年までサンドラ・スピノッツィと結婚していた。彼らの間にはマルコ(1987年3月13日 - )という息子とマリッサ(1990年10月31日 - )という娘が生まれた。1997年12月24日にレスリー・ウッドと再婚、ルッカ(1999年9月16日 - )という息子が生まれている。2004年9月7日にレスリーとの離婚を申請。約2年後の2006年7月15日、1994年ミス・ティーンUSAオレゴン州代表でモデル・女優、2000年のPLAYBOY誌プレイメイト・オブ・ザ・イヤーでもあるジョディ・アン・パターソンとの婚約を発表。2人は2006年10月7日、カリフォルニア州ナパのアンドレッティ・ワイナリーで結婚[1]。
ファミリー
マイケルの出自であるアンドレッティ家は著名なレース一家である。父親はフォーミュラ1、インディ500、NASCARの伝説的ドライバー、マリオ・アンドレッティ。 弟のジェフ・アンドレッティは、CART、インディ500に参戦。マイケルのおじアルド・アンドレッティ(マリオの双子の兄弟)は事故で引退するまでフォーミュラカーレーサーであった。 アルドの息子ジョン・アンドレッティ(マイケルのいとこ)はNASCARのレギュラーになる以前はインディカーに出場していたが、インディ500に出場するためインディカーに復帰、2007年から2011年にかけて参戦。アルドの他の息子、アダムもレーシングドライバーである。マイケルの息子マルコは2006年にインディカー・シリーズにデビューを果たした。アンドレッティ家は5人の親族(マイケル、マリオ、マルコ、ジェフ、ジョン)が同じシリーズ(CART、チャンプカー、インディカー)に参戦するという名門となった[2]。
記録
ル・マン24時間での成績
年 | クラス | 車番 | タイヤ | 車両 | チーム | コ・ドライバー | ラップ数 | 総合順位 | クラス順位 |
---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
1983 | C | 21 | G | ポルシェ・956 ポルシェ・935 2.6L Turbo Flat-6 |
ポルシェ クレーマー・レーシング | マリオ・アンドレッティ フィリップ・アリオー |
364 | 3位 | 3位 |
1988 | C1 | 19 | D | ポルシェ・962C ポルシェ・935 3.0L Turbo Flat-6 |
ポルシェ AG | マリオ・アンドレッティ ジョン・アンドレッティ |
375 | 6位 | 6位 |
1997 | LMP | 9 | M | クラージュ C36 ポルシェ・935 3.0L Turbo Flat-6 |
クラージュ・コンペティション | マリオ・アンドレッティ オリビエ・グルイヤール |
197 | DNF | DNF |
CART
年 | チーム | 1 | 2 | 3 | 4 | 5 | 6 | 7 | 8 | 9 | 10 | 11 | 12 | 13 | 14 | 15 | 16 | 17 | 18 | 19 | 20 | 21 | 順位 | ポイント |
---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
1983年 | クラコ・レーシング | ATL | INDY | MIL | CLE | MIS1 | ROA | POC | RIV | MDO | MIS2 | LVG Ret |
LS Ret |
PHX 9 |
26位 | 4 | ||||||||
1984年 | LBH 10 |
PHX1 3 |
INDY 5 |
MIL 4 |
POR 12 |
MEA Ret |
CLE 3 |
MIS1 Ret |
ROA 16 |
POC Ret |
MDO Ret |
SAN 3 |
MIS2 7 |
PHX2 3 |
LS 3 |
LVG Ret |
7位 | 102 | ||||||
1985年 | LBH Ret |
INDY 8 |
MIL Ret |
POR Ret |
MEA 4 |
CLE 7 |
MIS1 Ret |
ROA 2 |
POC Ret |
MDO Ret |
SAN Ret |
MIS2 Ret |
LS 9 |
PHX 5 |
MIA Ret |
9位 | 53 | |||||||
1986年 | PHX1 Ret |
LBH 1 |
INDY 6 |
MIL 1 |
POR 2 |
MEA Ret |
CLE 2 |
TOR Ret |
MIS1 Ret |
POC Ret |
MDO 10 |
SAN 6 |
MIS2 2 |
ROA 2 |
LS 3 |
PHX2 1 |
MIA Ret |
2位 | 171 | |||||
1987年 | LBH 4 |
PHX 4 |
INDY Ret |
MIL 1 |
POR 2 |
MEA 5 |
CLE 6 |
TOR 5 |
MIS 1 |
POC 8 |
ROA Ret |
MDO Ret |
NAZ 1 |
LS Ret |
MIA1 Ret |
MIA 1 |
2位 | 158 | ||||||
1988年 | PHX 3 |
LBH 7 |
INDY 4 |
MIL 7 |
POR 11 |
CLE Ret |
TOR 3 |
MEA 6 |
MIS 3 |
POC Ret |
MDO Ret |
ROA 5 |
NAZ 2 |
LS 2 |
MIA1 1 |
MIA Ret |
6位 | 119 | ||||||
1989年 | ニューマン・ハース・レーシング | PHX 4 |
LBH 2 |
INDY Ret |
MIL 2 |
DET Ret |
POR 6 |
CLE Ret |
MEA Ret |
TOR 1 |
MIS 1 |
POC 3 |
MDO 3 |
ROA Ret |
NAZ 5 |
LS1 7 |
LS 7 |
3位 | 150 | |||||
1990年 | PHX Ret |
LBH 4 |
INDY Ret |
MIL 5 |
DET 1 |
POR 1 |
CLE Ret |
MEA 1 |
TOR 2 |
MIS Ret |
DEN 5 |
VAN Ret |
MDO 1 |
ROA 1 |
NAZ1 6 |
NAZ 5 |
LS 3 |
2位 | 181 | |||||
1991年 | SRF Ret |
LBH Ret |
PHX 4 |
INDY 2 |
MIL 1 |
DET Ret |
POR 1 |
CLE 1 |
MEA Ret |
TOR 1 |
MIS Ret |
DEN 3 |
VAN 1 |
MDO 1 |
ROA 1 |
NAZ 3 |
LS1 1 |
LS 1 |
1位 | 234 | ||||
1992年 | SRF Ret |
PHX 10 |
LBH Ret |
INDY Ret |
DET 4 |
POR 1 |
MIL 1 |
NHM 2 |
TOR 1 |
MIS Ret |
CLE 2 |
ROA 4 |
VAN 1 |
MDO Ret |
NAZ1 2 |
NAZ 2 |
LS 1 |
2位 | 192 | |||||
1994年 | チップ・ガナッシ・レーシング | SRF 1 |
PHX Ret |
LBH 6 |
INDY 6 |
MIL 4 |
DET 5 |
POR Ret |
CLE Ret |
TOR 1 |
MIS Ret |
MDO 5 |
NHM 5 |
VAN 3 |
ROA Ret |
NZR 9 |
LS Ret |
4位 | 118 | |||||
1995年 | ニューマン・ハース・レーシング | MIA Ret |
SRF Ret |
PHX 2 |
LBH 9 |
NZR Ret |
INDY Ret |
MIL 3 |
DET 4 |
POR 4 |
ROA Ret |
TOR 1 |
CLE 7 |
MIS Ret |
MDO Ret |
NHM 2 |
VAN Ret |
LS 4 |
4位 | 123 | ||||
1996年 | HMS 9 |
RIO Ret |
SRF Ret |
LBH 7 |
NZR 1 |
MIS1 Ret |
MIL 1 |
DET 1 |
POR 11 |
CLE Ret |
TOR Ret |
MIS2 Ret |
MDO 3 |
ROA 1 |
VAN 1 |
LS 9 |
2位 | 132 | ||||||
1997年 | HMS 1 |
SRF 2 |
LBH Ret |
NZR 2 |
RIO Ret |
STL 11 |
MIL 2 |
DET 2 |
POR 8 |
CLE Ret |
TOR 4 |
MIS Ret |
MDO 8 |
ROA Ret |
VAN Ret |
LS Ret |
FON Ret |
8位 | 108 | |||||
1998年 | HMS 1 |
MOT 14 |
LBH Ret |
NZR Ret |
RIO 5 |
STL 2 |
MIL Ret |
DET 10 |
POR 17 |
CLE 2 |
TOR 2 |
MIS 6 |
MDO Ret |
ROA Ret |
VAN 2 |
LS 10 |
HOU Ret |
SRF Ret |
FON Ret |
8位 | 108 | |||
1999年 | HMS 2 |
MOT 5 |
LBH 7 |
NZR 6 |
RIO Ret |
STL 1 |
MIL 15 |
POR 10 |
CLE 3 |
ROA 2 |
TOR Ret |
MIS 4 |
DET 4 |
MDO 8 |
CHI Ret |
VAN 14 |
LS 10 |
HOU 3 |
SRF 5 |
FON Ret |
4位 | 151 | ||
2000年 | HMS Ret |
LBH Ret |
RIO 9 |
MOT 1 |
NZR 6 |
MIL 2 |
DET Ret |
POR 4 |
CLE 4 |
TOR 1 |
MIS 2 |
CHI 2 |
MDO 8 |
ROA Ret |
VAN Ret |
LS 14 |
STL Ret |
HOU 13 |
SRF Ret |
FON Ret |
8位 | 127 | ||
2001年 | チーム・モトローラ | MTY 4 |
LBH Ret |
TXS NH |
NAZ 6 |
MOT Ret |
MIL 2 |
DET 4 |
POR 8 |
CLE 15 |
TOR 1 |
MIS Ret |
CHI Ret |
MDO Ret |
ROA 2 |
VAN 3 |
LAU 4 |
ROC 5 |
HOU Ret |
LS 14 |
SRF 2 |
FON 7 |
3位 | 147 |
2002年 | MTY 12 |
LBH 1* |
MOT 16 |
MIL 7 |
LS 11 |
POR 9 |
CHI 15 |
TOR 11 |
CLE 2 |
VAN 6 |
MDO 3 |
ROA 10 |
MTL 8 |
DEN 13 |
ROC 10 |
MIA 8 |
SRF 9 |
FON 2 |
MEX 17 |
9位 | 110 |
- (Event)1 : ノンタイトル戦。
インディカー・シリーズ
年 | チーム | 1 | 2 | 3 | 4 | 5 | 6 | 7 | 8 | 9 | 10 | 11 | 12 | 13 | 14 | 15 | 16 | 17 | 順位 | ポイント |
---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
2001年 | チーム・モトローラ | PHX | HMS | ATL | INDY 3 |
TXS | PPIR | RIR | KAN | NSH | KTY | STL | CHI | TX2 | 34位 | 35 | ||||
2002年 | HMS | PHX | FON | NZR | INDY 7 |
TXS | PPIR | RIR | KAN | NSH | MIS | KTY | STL | CHI | TX2 | 38位 | 26 | |||
2003年 | アンドレッティ・グリーン・レーシング | HMS 6 |
PHX Ret |
MOT 4 |
INDY Ret |
TXS |
PPIR |
RIR |
KAN |
NSH |
MIS |
STL |
KTY |
NZR |
CHI |
FON |
TX2 |
24位 | 80 | |
2006年 | HMS | STP | MOT | INDY 3 |
WGL | TXS | RIR | KAN | NSH | MIL | MIS | KTY | SNM | CHI | 24位 | 35 | ||||
2007年 | HMS |
STP |
MOT |
KAN |
INDY 13 |
MIL |
TXS |
IOW |
RIR |
WGL |
NSH |
MDO |
MIS |
KTY |
SNM |
DET |
CHI |
27位 | 17 |
インディ500での成績
年 | シャシー | エンジン | スタート | フィニッシュ | チーム |
---|---|---|---|---|---|
1984 | マーチ | コスワース | 4 | 5 | クラコ |
1985 | ローラ | コスワース | 15 | 8 | クラコ |
1986 | マーチ | コスワース | 3 | 6 | クラコ |
1987 | マーチ | コスワース | 9 | 29 | クラコ |
1988 | マーチ | コスワース | 10 | 4 | クラコ |
1989 | ローラ | シボレー | 21 | 17 | ニューマン・ハース |
1990 | ローラ | シボレー | 5 | 20 | ニューマン・ハース |
1991 | ローラ | シボレー | 5 | 2 | ニューマン・ハース |
1992 | ローラ | フォード-コスワース | 6 | 13 | ニューマン・ハース |
1994 | レイナード | フォード-コスワース | 5 | 6 | ガナッシ |
1995 | ローラ | フォード-コスワース | 4 | 25 | ニューマン・ハース |
2001 | ダラーラ | オールズモビル | 21 | 3 | チーム・グリーン |
2002 | ダラーラ | シボレー | 25 | 7 | チーム・グリーン |
2003 | ダラーラ | ホンダ | 13 | 27 | アンドレッティ・グリーン |
2006 | ダラーラ | ホンダ | 13 | 3 | アンドレッティ・グリーン |
2007 | ダラーラ | ホンダ | 11 | 13 | アンドレッティ・グリーン |
F1での成績
(key)
年 | チーム | シャシー | 1 | 2 | 3 | 4 | 5 | 6 | 7 | 8 | 9 | 10 | 11 | 12 | 13 | 14 | 15 | 16 | WDC | ポイント |
---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
1993年 | マクラーレン | MP4/8 | RSA Ret |
BRA Ret |
EUR Ret |
SMR Ret |
ESP 5 |
MON 8 |
CAN 14 |
FRA 6 |
GBR Ret |
GER Ret |
HUN Ret |
BEL 8 |
ITA 3 |
POR | JPN | AUS | 11位 | 7 |
脚注
- ^ “Jodi Ann Paterson is Michael Andretti’s Wife”. RightFielders Women in Sports (2007年11月15日). 2013年8月4日閲覧。
- ^ Schwartz, Larry. “Mario Andretti synonymous with racing”. en:Motorsports Hall of Fame of America. ESPN. 2013年8月4日閲覧。
外部リンク
タイトル | ||
---|---|---|
先代 デイヴ・マクミラン |
ノースアメリカン・フォーミュラモンディアル チャンピオン 1983 |
次代 ダン・マーヴィン |
先代 テオ・ファビ |
インディ500 ルーキーオブザイヤー 1984 ロベルト・ゲレロと共に |
次代 アリー・ルイエンダイク |
先代 アル・アンサーJr. |
CARTシリーズ チャンピオン 1991 |
次代 ボビー・レイホール |