ノーベル文学賞

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ノーベル文学賞
受賞対象文学への顕著な貢献
スウェーデン
主催スウェーデン・アカデミー
初回1901年
最新回2015年
最新受賞者スヴェトラーナ・アレクシエーヴィッチ
公式サイトhttp://nobelprize.org/nobel_prizes/literature/

ノーベル文学賞(ノーベルぶんがくしょう)はノーベル賞6部門のうちの一つ。文学の分野において理念をもって創作し、最も傑出した作品を創作した人物[1]に授与される。原則として定数1名のみ受賞されるが、これまでに1904年フレデリック・ミストラルホセ・エチェガライ・イ・アイサギレ1917年カール・ギェレルプヘンリク・ポントピダン1966年シュムエル・アグノンネリー・ザックス1974年エイヴィンド・ユーンソンハリー・マーティンソンが2人同時受賞となっている。

概要

アルフレッド・ノーベルは少年時代から文学に関心を持っており、特にバイロンシェリーの詩に熱中して自らも詩を書いており、晩年になっても戯曲「ネメシス」を書くなど文学熱は冷めなかった。またスウェーデン語、フランス語、ロシア語、英語、ドイツ語、イタリア語に堪能であり、外国の文学作品の翻訳も趣味にしていた。

このためノーベル賞の構想時にも、科学だけでなく文学も人類にとって重要であると認識し、遺言の中で「理想的な方向性の (in an ideal direction)」文学を表彰の対象に含めた[2][3]

ノーベル文学賞はその作家の作品、活動の全体に対して与えられるものであって、一つの作品に対して与えられるものではないとされているが、場合によっては特に代表的な作品や選考の上で評価された作品などの名前が賞記に記されることもある。原則として選考の時点で生存している作家が対象であり、追贈は行わない。資格を持っている各地のペン・クラブや大学、文学者などから候補が推薦され[4]、これをスウェーデン学士院が選考する[5]

他の科学賞や平和賞の趣旨と歩調を合わせて人類の進歩、発展に寄与する理想主義的、人道主義的な文学者に授与されることが多かったが、第二次世界大戦後は「理想」あるいは「理想主義」と関係が薄れ、既存の社会に対して批判的な作家に対して贈られるケースが増えた。さらに、1947年にアンドレ・ジッドが受賞したように、世界的に著名で高齢の文豪が選ばれる傾向が強くなった。それまでは比較的若く、以後の創作が望まれる作家が選ばれる傾向があった[3][6]。1970年代以降はパトリック・ホワイトをはじめ前衛的な作家が選ばれ得るようになり、広い地域から受賞者が生まれた[7]

過去には歴史家のモムゼン、哲学者(オイケンベルクソンラッセル)など文学者以外の受賞者もいたが政治家のチャーチルの受賞を最後に文学者のみが対象と決められた[3][8]

これまでにボリス・パステルナークサルトルの2人が受賞を辞退している。

選考

第1回の選考の際にはトルストイが存命で、有力候補とされていたがフランスのアカデミーが推薦した詩人シュリ・プリュドムが選ばれた。

この選考結果に対してスウェーデン国内で一部の作家たちが抗議を行うなど世論の批判があったが、トルストイの主張する無政府主義や宗教批判が受け入れられず、翌年以降も選ばれることは無かった[9]。1901年 - 1912年のノーベル文学賞受賞者は「立派な人物像」が大きな要素であり、受賞者は文学作品の価値だけではなく、その賞に値するようなモラルと生活態度、また社会的な地位も大切であると考えられていたが、その後は作家の生活や趣向などは審査の対象外とし、作品自体の文学性を公平に審査基準とするように努められるようになった[10]

1913年には、インドのタゴールがヨーロッパ以外の地域から初めて選ばれた。タゴールはベンガル語で詩を作り、『夕べの歌』の出版以来、高い評価を得ていた。子供の頃から英語を学び、イギリス留学の経験もあるため英語に通じていたタゴールが自分自身で詩を英語に訳したところ、アイルランドの詩人イェイツなどの協力によって英語で出版され、ヨーロッパでも好評を得た[11]

1914年の選考ではカール・シュピッテラーが候補になっていたが、第一次世界大戦の勃発により授賞は中止された。1916年の11月に、1915年のロマン・ロランと1916年のヴェルネル・フォン・ヘイデンスタムの2人への授賞が発表された。式典自体は戦争が終結する1918年まで実施されなかった[12]

1925年に選ばれた劇作家バーナード・ショーは当初受賞を拒否していたが、説得により賞を受け、賞金はイギリスにおけるスウェーデン文学のための財団設立に投じられた[13]

第二次世界大戦が始まると4年の間、ノーベル文学賞は中止された。1945年に1944年の受賞者ヨハネス・イェンセンと1945年の受賞者ガブリエラ・ミストラルが同時に発表された。1945年の選考ではフランスのポール・ヴァレリーに決まりつつあったが、正式決定前の7月にヴァレリーが死亡したため、ミストラルの南米初の受賞が決まった[14]

1958年のソ連ボリス・パステルナークは政府からの圧力により、辞退を強要された[15]。パステルナークは1960年に死亡し、1988年に息子がメダルを受け取っている[16]

サルトルは1964年に選ばれたが、辞退した。サルトルは公的な栄誉を否定しており、過去にもフランス政府による勲章等を辞退していた。公式な声明ではノーベル賞の辞退は個人的な理由としているが、この賞が西側中心のものであることへのサルトルの批判として受け止められた[17][18]

日本人の受賞者および候補者

日本人では川端康成(1968年)と大江健三郎(1994年)の2人が受賞している。

このほか、賀川豊彦が1947・1948年の2度候補に挙がっている[19]。ノーベル賞の候補者や選考過程は50年間の守秘義務があり、ノーベル財団のウェブサイトでは1950年までの候補者が公表されている[20]。2009年、朝日新聞がノーベル財団に50年以上経過した過去の情報公開を請求した結果、賀川の後は1958年に谷崎潤一郎西脇順三郎が候補となっていたことが確認された[21]。さらに、谷崎と西脇は1960年 - 1962年にも候補者となっていたことが、公開された日本の外務省公電からの間接的な形で2010年に研究者によって確認され[22]、2013年に読売新聞によるスウェーデン・アカデミーへの情報公開請求の結果としても裏付けられた[23]。また、同じ情報公開請求では1968年に受賞した川端康成が、1961年と1962年に候補者となっていたことも明らかになった[24]。後述する2014年の資料公開で、川端・谷崎・西脇の3人は1963年にも候補者となっていたことが判明している[25]

読売新聞は2012年3月にノーベル委員会のペール・ベストベリー委員長に取材し、「安部公房は急死しなければ、ノーベル文学賞を受けていたでしょう。非常に、非常に近かった」「三島由紀夫は、それ(安部)ほど高い位置まで近づいていなかった。井上靖が、非常に真剣に討論されていた」といったコメントを得たことを報じた[26]。このコメントと上記の守秘義務との関連は不明である。ドナルド・キーンは、ベストベリー委員長が三島由紀夫について、安部ほどは受賞に近づいていなかったと指摘したことについては、「スウェーデン人で国連事務総長を務めたダグ・ハマーショルドが『金閣寺』を高く評価することをスウェーデン・アカデミーに伝えており、その推薦は軽視されないということだった。受賞に大変近かったはずだ」と同記事内で述べている。

2014年1月3日、三島由紀夫が1963年度のノーベル文学賞の有力候補6人の中に入っていたことが公式発表された[27][28]。6人の中には、三島の他にサミュエル・ベケットらがおり、その後3人に絞り込まれた際に三島は外れた[29]。1963年度の選考資料によると、委員会がドナルド・キーンに日本の作家についての評価を求めていたことが分かった[30]。当時キーンは、実績を重視し、年齢順に「谷崎潤一郎(76歳)、川端康成(63歳)、三島由紀夫(38歳)」の順で推薦したが、本心では「三島が現役の作家で最も優れている」と思っていたとし、それでも三島よりも谷崎と川端を高く評価したのは、年功序列を意識する日本社会に配慮したからだと説明して、「日本人の中には三島はまだ若いと考える人もいて、もし谷崎と川端を差し置いて受賞すれば、日本の一般市民は奇妙に感じるのではないかと考えた」と2015年4月に明らかにした[30]

2015年1月、共同通信社の資料公開請求に基づく開示により、1964年度も前年同様に谷崎・川端・西脇・三島の4人がノミネートされ、そのうち谷崎潤一郎は1960年度に続き最終選考6人の中に含まれていたことが明らかになった[31]。2016年1月にはやはり共同通信社の資料公開請求に基づく開示で1965年度についてはこの年7月に亡くなった谷崎を含む前年と同じ4人がノミネート対象となり、スウェーデンアカデミーは「谷崎亡き後、川端が日本人候補者の中で最有力だ」としたものの、日本人4人は最終選考に残っていなかったことが明らかにされた[32]

安部公房や井上靖が候補になっていたかどうかについては、2016年時点では公式な発表はなされていない。

これら以外に古くは1926年に内田魯庵野口米次郎を「日本の文芸家からノーベル賞の候補に挙がる最初の人物」と評した[33]のをはじめ、戦後は芹沢光治良井伏鱒二遠藤周作村上春樹らが「候補者」として報道されたことがあるが、いずれも下馬評や過去の受賞者が獲得していた他の文学賞との関連などに基づく類推の域を出るものではなく、現在公表されているノーベル財団の公式な資料に基づくものではない。

歴代受賞者

1900年代

肖像 受賞者 出身 ジャンル 備考
1901年 シュリ・プリュドム フランスの旗 フランス フランス人初の受賞者
初代受賞者
1902年 テオドール・モムゼン ドイツの旗 ドイツ 歴史 ドイツ人初の受賞者
1903年 ビョルンスティエルネ・ビョルンソン  ノルウェー ノルウェー人初の受賞者
1904年 フレデリック・ミストラル フランスの旗 フランス フランス人として2人目の受賞者
プロヴァンス語での著作
ホセ・エチェガライ・イ・アイサギレと共に受賞
ホセ・エチェガライ・イ・アイサギレ スペインの旗 スペイン 戯曲 スペイン人初の受賞者
フレデリック・ミストラルと共に受賞
1905年 ヘンリク・シェンキェヴィチ ポーランドの旗 ポーランド 小説 ポーランド人初の受賞者
1906年 ジョズエ・カルドゥッチ イタリアの旗 イタリア イタリア人初の受賞者
1907年 ラドヤード・キップリング イギリスの旗 イギリス 小説 イギリス人初の受賞者
ノーベル文学賞最年少受賞(41歳)
1908年 ルドルフ・クリストフ・オイケン ドイツの旗 ドイツ 哲学 ドイツ人として2人目の受賞者
1909年 セルマ・ラーゲルレーヴ  スウェーデン 小説 スウェーデン人初の受賞者
女性初の受賞者

1910年代

肖像 受賞者 出身 ジャンル 備考
1910年 パウル・フォン・ハイゼ ドイツの旗 ドイツ 小説 ドイツ人として3人目の受賞者
1911年 モーリス・メーテルリンク ベルギーの旗 ベルギー 戯曲・詩 ベルギー人初の受賞者
フランス語での著作
1912年 ゲアハルト・ハウプトマン ドイツの旗 ドイツ 戯曲
1913年 ラビンドラナート・タゴール インドの旗 インド インド人初の受賞者
アジア人初の受賞者
ベンガル語での著作
1914年 𘚟/受賞者なし
1915年 ロマン・ロラン フランスの旗 フランス 小説 フランス人として3人目の受賞者
1916年 ヴェルネル・フォン・ヘイデンスタム  スウェーデン スウェーデン人として2人目の受賞者
ノーベル物理学賞など、他の賞が全て受賞者なしだった際の唯一の文学賞受賞者
1917年 カール・ギェレルプ  デンマーク ヘンリク・ポントピダンと共にデンマーク人初の受賞者
ヘンリク・ポントピダン  デンマーク 小説 カール・ギェレルプと共にデンマーク人初の受賞者
1918年 𘚟/受賞者なし
1919年 カール・シュピッテラー スイスの旗 スイス スイス人初の受賞者
ドイツ語での著作

1920年代

肖像 受賞者 出身 ジャンル 備考
1920年 クヌート・ハムスン  ノルウェー 小説 ノルウェー人として2人目の受賞者
1921年 アナトール・フランス フランスの旗 フランス 小説
1922年 ハシント・ベナベンテ スペインの旗 スペイン 戯曲 スペイン人として2人目の受賞者
1923年 ウィリアム・バトラー・イェイツ アイルランドの旗 アイルランド 詩・戯曲 アイルランド人初の受賞者
英語での著作
1924年 ヴワディスワフ・レイモント ポーランドの旗 ポーランド 小説 ポーランド人として2人目の受賞者
1925年 ジョージ・バーナード・ショー アイルランドの旗 アイルランド 戯曲 アイルランド人として2人目の受賞者
英語での著作
1926年 グラツィア・デレッダ イタリアの旗 イタリア 小説 イタリア人として2人目の受賞者
女性として2人目の受賞者
1927年 アンリ・ベルクソン フランスの旗 フランス 哲学
1928年 シグリ・ウンセット  ノルウェー 小説 ノルウェー人として3人目の受賞者
女性として3人目の受賞者
1929年 トーマス・マン ドイツの旗 ドイツ 小説

1930年代

肖像 受賞者 出身 ジャンル 備考
1930年 シンクレア・ルイス アメリカ合衆国の旗 アメリカ合衆国 小説 アメリカ人初の受賞者
1931年 エリク・アクセル・カールフェルト  スウェーデン スウェーデン人として3人目の受賞者
受賞前に死亡していたため死後受賞
1932年 ジョン・ゴールズワージー イギリスの旗 イギリス 小説 イギリス人として2人目の受賞者
1933年 イヴァン・ブーニン ロシアの旗 ロシア 小説 ロシア人初の受賞者
1934年 ルイジ・ピランデルロ イタリアの旗 イタリア 戯曲 イタリア人として2人目の受賞者
1935年 𘚟/受賞者なし
1936年 ユージン・オニール アメリカ合衆国の旗 アメリカ合衆国 戯曲 アメリカ人として2人目の受賞者
1937年 ロジェ・マルタン・デュ・ガール フランスの旗 フランス 小説
1938年 パール・S・バック アメリカ合衆国の旗 アメリカ合衆国 小説 アメリカ人として3人目の受賞者
1939年 フランス・エーミル・シランペー  フィンランド   小説 フィンランド人初の受賞者

1940年代

肖像 受賞者 出身 ジャンル 備考
1940年 𘚟/受賞者なし
1941年 𘚟/受賞者なし
1942年 𘚟/受賞者なし
1943年 𘚟/受賞者なし
1944年 ヨハネス・ヴィルヘルム・イェンセン  デンマーク 小説 デンマーク人として3人目の受賞者
1945年 ガブリエラ・ミストラル  チリ チリ人初の受賞者
ラテンアメリカ圏初の受賞者
1946年 ヘルマン・ヘッセ ドイツの旗 ドイツ 小説 スイスに移住
1947年 アンドレ・ジッド フランスの旗 フランス 小説
1948年 T・S・エリオット イギリスの旗 イギリス 詩・評論 イギリス人として3人目の受賞者
アメリカ出身
1949年 ウィリアム・フォークナー アメリカ合衆国の旗 アメリカ合衆国 小説

1950年代

肖像 受賞者 出身 ジャンル 備考
1950年 バートランド・ラッセル イギリスの旗 イギリス 哲学
1951年 ペール・ラーゲルクヴィスト  スウェーデン 小説
1952年 フランソワ・モーリアック フランスの旗 フランス 小説 アカデミー・フランセーズ賞受賞者としては初の文学賞受賞者
1953年 ウィンストン・チャーチル イギリスの旗 イギリス 伝記 首相初の受賞者
1954年 アーネスト・ヘミングウェイ アメリカ合衆国の旗 アメリカ合衆国 小説
1955年 ハルドル・ラクスネス アイスランドの旗 アイスランド 小説 アイスランド人初の受賞者
1956年 フアン・ラモン・ヒメネス スペインの旗 スペイン スペイン人として3人目の受賞者
1957年 アルベール・カミュ フランスの旗 フランス 小説・戯曲 第2次大戦後の最年少受賞者(44歳)
1958年 ファイル:Boris Pasternak cropped.jpg ボリス・L・パステルナーク ソビエト連邦の旗 ソビエト連邦 ロシア人として2人目の受賞者
受諾後、ソ連政府の意向により辞退させられた[15]が、死去後に遺族が受け取った
1959年 サルヴァトーレ・クァジモド イタリアの旗 イタリア

1960年代

肖像 受賞者 出身 ジャンル 備考
1960年 サン=ジョン・ペルス フランスの旗 フランス
1961年 ファイル:Andric Ivo.jpg イヴォ・アンドリッチ ユーゴスラビア社会主義連邦共和国の旗 ユーゴスラビア 小説 ユーゴスラビア人初の受賞者
セルビア・クロアチア語での著作
1962年 ジョン・スタインベック アメリカ合衆国の旗 アメリカ合衆国 小説
1963年 イオルゴス・セフェリス ギリシャの旗 ギリシャ ギリシャ人初の受賞者
1964年 ジャン=ポール・サルトル フランスの旗 フランス 哲学・小説・戯曲 受賞辞退
1965年 ファイル:Sholokhov-1938.jpg ミハイル・ショーロホフ ソビエト連邦の旗 ソビエト連邦 小説 ロシア人として3人目の受賞者
1966年 シュムエル・アグノン イスラエルの旗 イスラエル 小説 イスラエル人初の受賞者
ネリー・ザックスと共に受賞
ネリー・ザックス ドイツの旗 ドイツ スウェーデンに移住。
シュムエル・アグノンと共に受賞
1967年 ミゲル・アンヘル・アストゥリアス グアテマラの旗 グアテマラ 小説 グアテマラ人初の受賞者
1968年 川端康成 日本の旗 日本 小説 日本人初の受賞者
1969年 サミュエル・ベケット アイルランドの旗 アイルランド 戯曲・小説 アイルランド人として3人目の受賞者
英語とフランス語での著作

1970年代

肖像 受賞者 出身 ジャンル 備考
1970年 アレクサンドル・ソルジェニーツィン ソビエト連邦の旗 ソビエト連邦 小説
1971年 パブロ・ネルーダ  チリ チリ人として2人目の受賞者
1972年 ハインリヒ・ベル ドイツの旗 ドイツ 小説
1973年 パトリック・ホワイト オーストラリアの旗 オーストラリア 小説 オーストラリア人初の受賞者
1974年 エイヴィンド・ユーンソン  スウェーデン 小説 ハリー・マーティンソンと共に受賞
ハリー・マーティンソン  スウェーデン エイヴィンド・ユーンソンと共に受賞
1975年 エウジェーニオ・モンターレ イタリアの旗 イタリア
1976年 ファイル:SaulBellow.jpg ソール・ベロー アメリカ合衆国の旗 アメリカ合衆国 小説
1977年 ビセンテ・アレイクサンドレ スペインの旗 スペイン
1978年 アイザック・バシェヴィス・シンガー アメリカ合衆国の旗 アメリカ合衆国 小説 イディッシュ語での著作
1979年 オデッセアス・エリティス ギリシャの旗 ギリシャ ギリシャ人として2人目の受賞者

1980年代

肖像 受賞者 出身 ジャンル 備考
1980年 チェスワフ・ミウォシュ ポーランドの旗 ポーランド ポーランド人として3人目の受賞者
1981年 エリアス・カネッティ  ブルガリア 小説 ブルガリア人初の受賞者
ドイツ語での著作
1982年 ガブリエル・ガルシア=マルケス  コロンビア 小説 コロンビア人初の受賞者
1983年 ウィリアム・ゴールディング イギリスの旗 イギリス 小説
1984年 ヤロスラフ・サイフェルト チェコスロバキアの旗 チェコスロバキア チェコ人初の受賞者
チェコ語での著作
1985年 クロード・シモン フランスの旗 フランス 小説
1986年 ウォーレ・ショインカ ナイジェリアの旗 ナイジェリア 戯曲 英語での著作。ナイジェリア人初の受賞者
アフリカ人初の受賞者
アメリカに亡命
1987年 ヨシフ・ブロツキー ソビエト連邦の旗 ソビエト連邦
1988年 ナギーブ・マフフーズ  エジプト 小説 エジプト人初の受賞者
アラブ圏初の受賞者
1989年 カミーロ・ホセ・セラ スペインの旗 スペイン 小説

1990年代

肖像 受賞者 出身 ジャンル 備考
1990年 オクタビオ・パス メキシコの旗 メキシコ 詩・評論 メキシコ人初の受賞者
1991年 ナディン・ゴーディマー 南アフリカ共和国の旗 南アフリカ共和国 小説 南アフリカ人初の受賞者
アフリカ人女性初の受賞者
英語での著作
1992年 デレック・ウォルコット セントルシアの旗 セントルシア セントルシア人初の受賞者
カリブ海諸国初の受賞者
1993年 トニ・モリソン アメリカ合衆国の旗 アメリカ合衆国 小説
1994年 大江健三郎 日本の旗 日本 小説 日本人として2人目の受賞者
1995年 シェイマス・ヒーニー アイルランドの旗 アイルランド 英語での著作
1996年 ヴィスワバ・シンボルスカ ポーランドの旗 ポーランド
1997年 ダリオ・フォ イタリアの旗 イタリア 戯曲
1998年 ジョゼ・サラマーゴ ポルトガルの旗 ポルトガル 小説 ポルトガル人初の受賞者
1999年 ギュンター・グラス ドイツの旗 ドイツ 小説

2000年代

肖像 受賞者 出身 ジャンル 備考
2000年 高行健 中華人民共和国の旗 中国 小説・戯曲 中国人初の受賞者
亡命中国人
2001年 V・S・ナイポール イギリスの旗 イギリス 小説 ブッカー賞受賞者としては初のノーベル文学賞受賞者
2002年 ケルテース・イムレ  ハンガリー 小説 ハンガリー人初の受賞者
2003年 J・M・クッツェー 南アフリカ共和国の旗 南アフリカ共和国 小説 南アフリカ人として2人目の受賞者
英語での著作
2004年 エルフリーデ・イェリネク  オーストリア 小説・戯曲 オーストリア人初の受賞者
2005年 ハロルド・ピンター イギリスの旗 イギリス 戯曲
2006年 オルハン・パムク トルコの旗 トルコ 小説 トルコ人初の受賞者
2007年 ドリス・レッシング イギリスの旗 イギリス 小説
2008年 ジャン=マリ・ギュスターヴ・ル・クレジオ フランスの旗 フランス 小説
2009年 ヘルタ・ミュラー ドイツの旗 ドイツ 小説

2010年代

肖像 受賞者 出身 ジャンル 備考
2010年 マリオ・バルガス・リョサ ペルーの旗 ペルー 小説 ペルー人初の受賞者
2011年 トーマス・トランストロンメル  スウェーデン
2012年 莫言 中華人民共和国の旗 中国 小説 中国人として2人目の受賞者
2013年 アリス・マンロー カナダの旗 カナダ 小説 カナダ人初の受賞者
英語での著作
2014年 パトリック・モディアノ フランスの旗 フランス 小説 ゴンクール賞受賞者としては初のノーベル文学賞受賞者
2015年 スヴェトラーナ・アレクシエーヴィッチ  ベラルーシ ノンフィクション ベラルーシ人初の受賞者
ジャーナリストとして初の受賞者
ロシア語での著作

受賞者の執筆言語

2015年現在。サミュエル・ベケット英語フランス語両方に加えた)

関連項目

参考文献

  • 柏倉康夫『ノーベル文学賞 : 作家とその時代』丸善、1992年。ISBN 4-621-05064-8 

脚注

  1. ^ Nobel Media AB. “Full text of Alfred Nobel's Will”. 2011年10月22日閲覧。
  2. ^ 柏倉、2-3頁。
  3. ^ a b c 戎崎俊一監修『ノーベル文学賞と経済学賞 : 暮らしと心を豊かにした人びと』ポプラ社、2003年。ISBN 4-591-07516-8 、2-3頁 16頁。
  4. ^ The Asahi Shimbun Company. “ノーベル文学賞 選考の地を訪ねて〈上〉”. 2011年10月22日閲覧。
  5. ^ 柏倉、4-7頁。
  6. ^ 柏倉、104-105頁。
  7. ^ 柏倉、179-180頁。
  8. ^ 柏倉、79頁。
  9. ^ 柏倉、8-9頁。
  10. ^ 大木ひさよ「川端康成とノーベル文学賞 スウェーデンアカデミー所蔵の選考資料をめぐって」『京都語文』第21号(2014年) 45頁
  11. ^ 柏倉、15-23頁。
  12. ^ 柏倉、42-43頁。
  13. ^ 柏倉、56-59頁。
  14. ^ 柏倉、99-101頁。
  15. ^ a b Nobel Media AB. “Nobel Prize Facts”. 2011年10月29日閲覧。Four Nobel Laureates have been forced by authorities to decline the Nobel Prize!
  16. ^ 柏倉、141-147頁。
  17. ^ Nobel Media AB. “Nobel Prize Facts”. 2011年10月29日閲覧。Two Nobel Laureates have declined the Nobel Prize!
  18. ^ 柏倉、148-151頁。
  19. ^ “賀川豊彦:ノーベル文学賞候補だった 1947、48年連続--日本人初”. mainichi.jp (毎日新聞社). (2009年9月13日). オリジナルの2009年9月23日時点におけるアーカイブ。. http://web.archive.org/20090923174328/http://mainichi.jp/select/wadai/news/20090913ddm041040058000c.html 
  20. ^ Nomination Database The Nomination Database for the Nobel Prize in Literature, 1901-1950(英語)
  21. ^ 「谷崎潤一郎、58年ノーベル賞候補 三島由紀夫が推薦状」朝日新聞2009年9月23日。谷崎はパール・バックドナルド・キーンエドウィン・O・ライシャワー、三島由紀夫ら5人から推薦を受け、最終選考より一段階前の41人に含まれていた。
  22. ^ 吉武信彦「ノーベル賞の国際政治学」『地域政策研究』高崎経済大学地域政策学会、第12巻4号、2010年、p21 - 43[1]
  23. ^ 谷崎潤一郎と西脇順三郎、ノーベル賞候補に4回 読売新聞2013年1月14日
  24. ^ 川端が候補になっていたことについては、この報道以前にも上記吉武信彦の論文や2012年にNHKが行った1961年分の情報公開請求(川端康成 ノーベル賞選考で新資料 NHKニュース 2012年9月4日閲覧)で示されていた。
  25. ^ 三島由紀夫、ノーベル文学賞最終候補だった 63年 日本経済新聞2014年1月3日(共同通信配信)
  26. ^ 安部公房は受賞寸前だった…ノーベル委員長語るYOMIURI ONLINE2012年3月23日
  27. ^ Candidates for the 1963 Nobel Prize in Literature(英語)
  28. ^ [2]「三島、63年ノーベル賞候補 最終6人に残り、あと一歩」(共同通信 2014年1月3日付)[3]
  29. ^ 「三島ノーベル賞目前だった」(読売新聞 2014年1月4日号に掲載)
  30. ^ a b ノーベル文学賞 キーン氏に評価尋ねる(NHKニュース 2015年4月1日付)
  31. ^ 64年ノーベル文学賞:谷崎、60年に続き最終選考対象に - 毎日新聞2015年1月3日
  32. ^ “ノーベル文学賞の65年選考「川端康成、谷崎亡き後の最有力」 三島由紀夫「将来的に検討されるべきだ」とも”. 産経新聞. (2016年1月5日). http://www.sankei.com/life/news/160105/lif1601050010-n1.html 2016年2月2日閲覧。 
  33. ^ 星野文子「近代日本における、ある異邦人の宿命 -ヨネ・ノグチの再評価に向けて-」『ICU比較文化』No.42、ICU比較文化研究会、2010年、p77[4]。なお、上記のノーベル財団ウェブサイトの候補者データには野口の名前はない。

外部リンク