ボリス・パステルナーク

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ボリス・パステルナーク
ノーベル賞受賞者 ノーベル賞
受賞年:1958年
受賞部門:ノーベル文学賞
受賞理由:現代風の叙情的な詩、および大ロシアの歴史的伝統に関する分野における、彼の重要な功績に対して
文学
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ボリス・レオニードヴィチ・パステルナークБорис Леонидович Пастернак, Boris Leonidovich Pasternak, 1890年2月10日(当時ロシアで用いられていたユリウス暦では1月29日)-1960年5月30日)は、『ドクトル・ジバゴ』で世界的に知られるロシア詩人小説家

モスクワに生まれる。父はユダヤ系(ただしキリスト教に改宗していた)の有名な画家レオニード・パステルナーク、母はピアニスト。 最初、アレクサンドル・スクリャービンに師事して作曲家を志すも挫折。モスクワ大学マールブルク大学哲学を学ぶ。1914年、最初の詩集『雲の中の双生児』を出版した。その後も次々と詩や散文を発表し、早くから高く評価されていたが、1930年代には政治的非難を受け、沈黙を強いられた。この間にシェークスピアや『ファウスト』、グルジアの詩人などの翻訳を手がける。

1957年、その体制批判を含む内容のためにソビエト連邦での公刊を拒否された『ドクトル・ジバゴ』が、イタリアで出版される。

1958年ノーベル文学賞の受賞者として発表される(選考理由『現代風の叙情的な詩、および大ロシアの歴史的伝統に関する分野における、彼の重要な功績に対して』; "for his important achievement both in contemporary lyrical poetry and in the field of the great Russian epic tradition.")

しかし、ソビエト当局の圧力により受賞の辞退を余儀なくされた(但し、委員会側が一方的に賞を贈り、後に遺族がこれを受取っている)。『ドクトル・ジバゴ』がソビエト連邦で刊行されたのは1987年のことである。

なお2007年1月、英サンデー・タイムズ紙が報じたところによると、ジバゴの西側出版にあたりロシア語原稿の奪取など米中央情報局が積極的に関与したということである。

少年時代に作曲した曲としては、「ピアノソナタ」や「前奏曲」など少数のピアノ曲が残っており、録音もある[1]

[編集] 作品

  • 詩集『雲の中の双生児』(Близнец в тучах, 1914年)
  • 詩集『我が妹 人生』(Сестра моя — жизнь, 1922年)
  • 詩集『1905年』(Девятьсот пятый год, 1926年)
  • 韻文小説『スペクトルスキー』(Спекторский, 1931年)
  • 詩集『早朝の列車にて』(На ранних поездах, 1943年)
  • 翻訳『ファウスト』(1953年)
  • 翻訳『シェークスピア戯曲集』(1953年)
  • 小説『ドクトル・ジバゴ』(Доктор Живаго, 1958年/1987年)

[編集] 外部リンク