hide
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XJAPAN the LASTLIVE | |
基本情報 | |
出生名 | 松本 秀人(まつもと ひでと) |
生誕 | 1964年12月13日 |
出身地 | 日本・神奈川県横須賀市 |
死没 | 1998年5月2日(33歳没) |
学歴 | ハリウッドビューティ専門学校 |
ジャンル | |
職業 | |
担当楽器 | |
活動期間 | 1981年 - 1998年 |
レーベル |
MCAビクター(1993 - 1997) ユニバーサルビクター(1997 - 2000) ユニバーサルJ(2000 - ) |
事務所 |
Excess 24(1993 - 1997) ヘッドワックスオーガナイゼーション(1997 - ) |
共同作業者 |
X JAPAN I.N.A zilch 横須賀サーベルタイガー |
公式サイト |
www |
著名使用楽器 | |
hide(ヒデ、本名:松本 秀人〈まつもと ひでと〉[1]、1964年〈昭和39年〉12月13日[2][3] - 1998年〈平成10年〉5月2日)は、日本のミュージシャン、ギタリスト、歌手、プロデューサー[3]。神奈川県横須賀市出身[2]。1987年から1997年までX JAPAN(旧名:X)のギタリストとしてHIDE名義で活動[2][3]。2007年のX JAPAN活動再開以降も正式メンバーとして在籍。1989年にアルバム『BLUE BLOOD』でXのメンバーとしてメジャーデビュー[2]。 愛称は「ヒデくん」、「ヒデちゃん」。身長170cm。血液型AB型。
1993年より、hide名義でソロ活動も開始し[2]、1996年にはレコードレーベル「LEMONed」(レモネード)を設立[4]。1997年のX JAPAN解散後はhide with Spread Beaver及びzilchでの活動を開始するも、1998年5月2日に急逝[2][3][4]。
人物
少年時代は肥満から来るコンプレックスのため、内気で大人しい子供であった。小学生のころ、太っている生徒は休み時間に校庭を走らされるという罰があり、その中にhideも入っていた。この頃、深夜ラジオでロックに出会い、「ロックミュージシャンは痩せてなくては」と、ダイエットしたという。学習塾や習いごとに忙しく通っていた。祖父の「松本家から医者を出せ」という命令もあり、卒業文集では「医者になって見離された患者さんを助けてあげたい」と綴った。アメリカへの集団でのホームステイも経験している。そこにはホンジャマカの恵俊彰も参加していた。UNITEDの横山明裕とは幼馴染であり、互いにプロになって以降も交流があった。
中学時代、友人がきっかけでロックに興味を持ち、祖母にギブソン製エレキギターを買ってもらいバンドを組むも、活動はしておらず、そのまま県内屈指の進学校の高校へと進学した。高校が「エレキ禁止」であったためにバンドを組めずにいたが、横須賀のどぶ板通りに通うようになり、そこで出会った友人らとX加入以前に活動していた唯一のバンド、「サーベルタイガー」を組んで活動する。
また、「おばあちゃん子」であったhideは美容院を営んでいた祖母からの影響を少なからず受けている。Xデビュー当初は祖母のサリーを借りてステージ衣装として使用したりしていた。若作りでお洒落な人物であったために、後のファッションなどの基盤となった。高校卒業後に、ハリウッドビューティ専門学校へと進み、卒業して実際に美容院で働いてもいた。「サーベルタイガー」を解散した時には、全ての音楽活動からは足を洗って美容師として生きていこうと決心し、いくつかのバンドから誘いがあったのをすべて断っていたが、結局はYOSHIKIの誘いでXに加入することになる。
インディーズバンドの発掘に力を入れ、エクスタシーレコードではバンドリサーチ担当としてLUNA SEAやGLAY、ZI:KILL、DEEPを発掘し、また、自身でもレモネードレーベルを立ち上げZEPPET STORE、VINYL、trees of lifeなどのバンドを発掘した。
テレビやゲームが好きであり好んで視聴したり遊んだりしていた。またコンピュータに強い興味を示しており、90年代前半には、すでにライブでパソコンを使ったギミックを披露していた。1995年には自身で製作したホームページを開設している。テレビ番組の中では特にお笑い番組が好きで、当時人気を誇っていた「ダウンタウンのごっつええ感じ」などがお気に入りであり、ダウンタウン(特に松本人志)のファンでもあった。また、スーパーファミコンソフト『スターフォックス』にはまっていて、デビュー・シングルの『EYES LOVE YOU』のミュージック・ビデオは、そこから得たアイディアを取り入れている。
また、子供好きでも有名で、弟でマネージャーを務めた裕士に子供が生まれたときには、とても喜んでおり、大きなぬいぐるみを買ってあげたりもしていた。また、1994年のソロツアーでは アンコールで観客の子供をステージに連れてきて、一緒に歌ったこともある。しかし、自身に子供が欲しいかを聞かれると「もし自分に子供が生まれたら、ツアーや仕事で何日も留守にするなんて 絶対に無理だと思うし、全ての情熱を子供に注いで 音楽は蔑ろになってしまうかもしれないから要らない。」「裕士に子供が生まれたから、俺は子供は要らないし、結婚もしない」と語っていた。また「世界一の親バカになる自信がある」と語ったこともある。
音楽性と影響
中学生の頃、初めて聴いたキッスのレコードに大きな衝撃を受け、ロックに目覚める。以後は様々なロックを聴き漁るようになり、その中でキッス(特にエース・フレーリー)、ザ・クラッシュ、アイアン・メイデン、ディープ・パープル、ヴァン・ヘイレン、ダムド、レッド・ツェッペリン(ジミー・ペイジ)、ジャパンなどに影響を受けた。BOWWOWの山本恭司ファンではあるが、hideの代名詞となる「モッキンバード」は、同じBOWWOWの斉藤光浩が使用していたのが気になった事がきっかけであると語っている[5]。
Xの「PSYCHEDELIC VIOLENCE CRIME OF VISUAL SHOCK」というフレーズを考案した。これがヴィジュアル系という言葉を生み出したのはhideと言われる所以である。また、hideが音楽界に与えた視覚面や音楽面の影響は多大で、音楽ライターの市川哲史からヴィジュアル系はhideから始まってhideで終わったとも言われている。
のちに有名になるマリリン・マンソンだが、まだ無名時代からhideの大ファンだったという[6]。
略歴
Xに加入しての初仕事は「天才・たけしの元気が出るテレビ!!」の企画で行われた「やしろ食堂」でのライブであった。1989年4月、Xのギタリストとしてアルバム『BLUE BLOOD』でメジャーデビュー。Xではギター以外にもバンドのビジュアル全般を担当し、メンバーの髪のセットなども行っていた[3]。主にYOSHIKIがXの作詞・作曲を行っていたが、HIDEも一部の曲で作詞・作曲を担当[3]。
Xでの活動と並行して1993年1月21日にLUNA SEAのJとINORANと共にMxAxSxS名義でオムニバスアルバム『DANCE 2 NOISE 004』に参加し、同年8月5日に2枚のシングル「EYES LOVE YOU」、「50%&50%」を同時発売しソロデビュー[3]。9月29日にはZI:KILLのTUSKと、映像作品『Seth et Holth』を発表する[注 1]。
1994年2月、初のソロアルバム『HIDE YOUR FACE』を発売。ジャケットの仮面のオブジェは、映画『エイリアン』などで知られるH・R・ギーガーによるデザイン。また、同年3月から4月にかけて初のソロツアーを開催した。
1996年、アマチュアバンドであったZEPPET STOREの楽曲や存在を世間に知らしめたいという動機からレーベル「LEMONed」(レモネード)を立ち上げる。5月22日に同名タイトルのオムニバスアルバムとビデオを発売することでレーベルの存在を公にした。また、6月よりソロアルバム制作を開始し、9月2日に2ndアルバム『PSYENCE』を発売。
1997年9月、TOSHIの脱退によりX JAPANは解散を発表し、同年12月31日の「THE LAST LIVE」をもってXは解散[注 2]。その翌日の1998年1月1日、hide with Spread Beaverとして朝日新聞紙上に全面広告を掲載。同年1月28日にシングル「ROCKET DIVE」を発売。
1998年5月2日の朝7時30分頃、自宅マンションの寝室にてドアノブに掛けたタオルで首を吊って呼吸停止した状態になっているのが同居していた婚約者によって発見され、病院に搬送されたが午前8時52分に死亡が確認された。33歳没。後にファンが後追い自殺をするなどの事態が発生したという。5月5日に関係者のみ300人を集め密葬が執り行われ、5月6日に通夜、5月7日に告別式が催され、両日はファンの献花を受け付け、連日ファンが大挙して押し寄せた。告別式にはTOSHI、TAIJIを含むX JAPANのメンバーをはじめ、親交のあった音楽仲間や業界関係者も参列した。告別式はテレビで生中継された。
hideの死
晩年
1998年5月1日、hideはSpread Beaverのメンバーと共にフジテレビ音楽番組「ロケットパンチ!」の収録を行う(その際に披露した曲は「ROCKET DIVE、ピンクスパイダー、ever free、DOUBT'97」)。これが生前最後に収録した番組となった。その打ち上げ後、日付をまたいで更に飲み、泥酔したhideはマネージャーの弟・裕士が運転する車で自宅マンションまで送られた。
5月2日朝7時30分頃、hideは自宅マンション寝室のドアノブに掛けたタオルで首を吊った状態で発見された。その後、病院に搬送されたが午前8時52分に死亡が確認された。病院に着いた時は既に心肺停止状態だったという[7]。当日午後3時頃から、「元X JAPANのギタリストhideが死亡、警視庁は自殺と断定」と速報で報道された。
「HURRY GO ROUND」の歌詞や、ラジオ番組「オールナイトニッポンR」での発言が意味深長で自殺に関連するのではないかという見方や、はたまた事故ではなく自殺だと断言している人間の存在までもあり、様々な見解がある。警察は雑誌取材などに「『牽引』にしては首の輪が小さく、むしろ死を意図するものであった。また、『バンドや音楽活動で悩み酒量が増えていた』と聞いており、突発的に死に踏み切ったのだと思われる」と答えている。「故意による自殺」か、「不慮の事故」かは不明であり、遺書や「死にたい」と自殺をほのめかす発言がない事や、ドアノブに柔らかいタオルで自殺する方法は珍しいことから、不慮の事故とする説がある。YOSHIKIは「彼は自殺するような人間ではない」と発言している。
1998年10月24日 hide不在の中行われた hide with Spread Beaver TOUR appear!! "1998 TRIBAL Ja,Zoo" 公演前に行われた記者会見で、マネージャーの裕士は「hideは生前、ひどい肩こりと偏頭痛に悩まされており、整骨医が行う首の牽引によるストレッチをしていた。いつものように牽引していたが、帰国直後の時差ボケと、泥酔状態であったために起こった事故であり自殺ではない」ことを改めて発表している[8]。
2014年8月22日、「中居正広の金曜日のスマたちへ」に出演したToshlが、hideの死について、自分が洗脳されていなければと自責の念を述べた[9]。
1998年9月に出版された「hide 真実のストーリー」にはコンサートで行われる予定であった首吊り自殺の演出の練習を酔っぱらったまま行ってしまい死んでしまったと書き記されている。
葬儀までの5日間
hideの遺体は5月3日に東京都中央区築地の築地本願寺に安置された。夕方、YOSHIKIがロサンゼルスから帰国し成田空港から築地本願寺に直行。YOSHIKIは最初これを「悪い冗談じゃないか」とも思っていたが、飛行機の中での正式な報道を見た瞬間に現実であることを受け入れ号泣したという。
翌5月4日、週が明け本格的にワイドショーなどで大々的に取り上げられる。築地本願寺にファンが集まり始め、その数は5万人規模となる。夕方にYOSHIKIが寺の正面に姿を現し、報道陣を前にメッセージを発表した。
5月5日には、遺族・親族・X JAPANのメンバーを始めとする音楽関係者など300人を集め密葬がとり行われた。その間もファンは絶え間無く押し寄せ、その数は数千人にもふくれ上がった。また、疲労と心労が重なったファンが次々と倒れ、救急車で病院に搬送された。さらに、「hideが自殺」と報道されていたためにファンの後追い自殺が築地本願寺境内をはじめ全国で相次いだ。そのため、翌日には警視庁の要請でX JAPANのメンバーが記者会見を開き、自殺を思いとどまるように訴えた。
5月6日の通夜、5月7日の告別式の両日はファンの献花を受け付け、連日ファンが大挙して押し寄せた。中には単なる通行人や野次馬もいたとされるが、通夜、告別式に5万人近くが集まったとされ、隅田川沿いに2 - 3kmのファンの列が出来たことも報道されていた。「ファンは列に並ぶ際、パニックになるようなこともなく、むしろ近隣住民の迷惑にならないようにゴミ拾いまで進んで行う素行の良さであった」と葬儀翌日の朝日新聞・天声人語に掲載されている他、本社が築地にあるという場所柄、「銀座の花屋が空になった」「地下鉄の車内は花の香りでむせかえるほどだった」等の記者の証言が数多く残されている。また、本願寺の外では hideやX JAPANの楽曲が流れていた。
5月7日の告別式はテレビで生中継された。告別式には、脱退したTOSHI、TAIJIを含む元X JAPANメンバーをはじめ、親交のあった音楽仲間や業界関係者が列席した。築地本願寺開山以来初めてのグランドピアノ持ち込みによるYOSHIKIの伴奏で、TOSHIがX JAPANの「Forever Love」を歌った。hideの「GOOD BYE」が流される中、午後3時40分出棺。道路に交通規制が掛けられ一般車両を完全に止めた状態であったが、ファンが大挙して道路に広がり霊柩車を追いかける者まで現れる非常事態となり、築地本願寺周辺がパニック状態になった。
その後、hideは渋谷区の代々幡斎場で荼毘に付された。代々幡斎場周辺も築地本願寺同様ファンが大挙して道路に広がり霊柩車が斎場に到着するシーンも追いかける者まで現れる非常事態となり、これもパニック状態になった。法名秀徳院釋慈音(しゅうとくいん しゃくじおん)。遺骨は四十九日法要をもって、神奈川県三浦市の三浦霊園に納骨され、一部はロサンゼルスの海に当時のzilchのメンバーや弟・裕士によって散骨されている。 2013年3月に、何者かの手によってhideの墓石が刃物のような物で傷を付けられるという事態が発覚した。そのため、器物損壊罪で調査を行うこととなった[10]。
十三回忌にあたる2010年5月2日には、築地本願寺で法要が行われた。法要には約35000人の関係者やファンが参列した[11]。
死後
1998年5月13日にシングル「ピンクスパイダー」、5月27日にシングル「ever free」が生前に予定されていた通りに発売。7月23日、生前にレイ・マクヴェイとポール・レイヴンと共に結成されたプロジェクトzilchの1stアルバム『3・2・1』が発売。10月21日、未発表曲としてシングル「HURRY GO ROUND」が発売。これは生前に録っていた仮歌の音源を使用して、hideと共に最もレコーディング作業に深く関わっていたI.N.Aによって制作された。11月21日、アルバム『Ja,Zoo』が発売。このアルバムは生前には未完成であったが、Spread Beaverのメンバーや、サーベルタイガー時代からの仲間であるkyoや菊地哲などの参加により完成された。
死去から丁度1年後の1999年5月1日、トリビュート・アルバム『hide TRIBUTE SPIRITS』が発売。hideに縁のあるミュージシャンや、hideがBOØWY時代からファンであった布袋寅泰などが参加。
2000年7月20日、故郷である神奈川県横須賀市の海岸沿いにある京浜急行電鉄所有の土地を利用し、記念館「hide MUSEUM」が開館。衣裳や楽器などhideにゆかりのある品々を展示、併設の「Cafe Le PSYENCE」ではライブも行われた。オープン式典にはX JAPANファンを公言し、設立にも協力したという衆議院議員の小泉純一郎も出席。横須賀市内を走る京浜急行バスでも、hide並びにhide MUSEUMをテーマにした路線バスを3台(衣笠営業所所属車2台と湘南京急バス堀内営業所所属車1台)製作・運行させている。七回忌に当たる2004年5月2日には「FILM GIG」などのイベントが開催された。2005年9月25日に記念館は閉館。当初は3年間の期間限定であったが、結果的に5年に延長された。閉館後も、展示品などは時期を見て公開する予定であるとされている。
2007年4月1日、裏原宿に移転しLEMONed shopがオープン。
2007年10月17日、X JAPANが再始動。新曲「I.V.」は、生前のhideの演奏をデジタル加工して使用されており、念願としていた世界デビューへhideも同行する形が取られた。10月22日のミュージックビデオの撮影にはhideの立ち位置に空席のマイクスタンドとhideモデルのエレキギターが設置され、YOSHIKIがhideの人形を持って登場するなど『hideも一緒である』ということが強調されていた。2008年3月28日に東京ドームで開催されたX JAPANの復活ライブでは、特殊映像などを駆使して再現されたhideの立体映像が登場。
2008年5月3日・5月4日、味の素スタジアムにてhideを追悼する為の十周忌追悼ライブ『hide memorial summit』が開催された。多数のバンドやミュージシャンが出演し、5月3日に出演したhide with Spread Beaverと5月4日に出演したX JAPANでは、ステージに設置された巨大モニターに生前のhideの映像を放映する形で共演。
2013年はソロ活動20周年、2014年は生誕50周年のメモリアルイヤーとなり、hide MUSEUMの8年ぶりの復活など、様々なプロジェクトが進められた。
2014年12月10日、生誕50周年アルバムとして、3rdアルバム『Ja,zoo』に収録される予定であった未発表曲を含むベストアルバム子ギャルが発売された。収録内容も、新曲の「子ギャル」に加え、2002年7月にリリースされたベストアルバム『hide SINGLES 〜Junk Story〜』に収録された15曲(16曲目に収録されたコメントは除く)を、Junk Storyから順番に歴史を遡るように収録している。なお、この15曲はボーナス・トラック扱いである。また、初回限定版には、「子ギャル」のデモ音源も収録され、怪人カードが初回限定版・通常版にも封入された。これにより、完全に幻の曲は「ZOMBIE'S ROCK」の1曲となった。この曲はタイトルしか判明しておらず、メロディー・歌詞ともに hideの頭の中にしか存在していないため、音源化は不可能である。
2015年5月24日、生誕50周年記念ドキュメンタリー映画「hide 50th anniversary FILM 〜JUNK STORY〜」が全国の映画館で公開され、また世界各国でも公開された。
2016年1月29日、日本人ロックアーティスト初として、約14万字に及ぶ膨大なヒストリー・未公開を含む、約100枚以上の貴重な写真、母子手帳、成績表、名刺、サイン色紙、イラスト、作品発売のポスター、ライブチケット、スケジュール表、日本レコード大賞 特別賞の賞状、hide MUSEUMオープンのポスター、hide MUSEUMのパンフレットなど、お宝アイテム約50点で構成された、豪華な大型本「hide Perfect Treasures」が発売された。
2016年7月18日、1996年に千葉マリンスタジアムで、翌年には都内5カ所のクラブを、インターネット配信で同時中継した伝説のイベント「hide MIX LEMONeD JELLY」が、舞浜アンフィシアターで開催された。
2016年10月14日から16日までの3日間に渡って、幕張メッセで開催されたVISUAL JAPAN SUMMITに、X JAPAN及びhide with Spread Beaverのメンバーとして出演。なお、hide with Spread Beaverは、2008年5月に味の素スタジアムで開催された「hide memorial summit」以来、約8年ぶりの再集結であった。
2016年10月15日、伝説の2nd ソロツアー最終公演を3D映画化した「hide solo tour 1996 -PSYENCE A GO GO-」が全国で公開された。
2017年3月3日、X JAPANのドキュメンタリー映画We Are Xが、全国で公開された。
2017年8月5日、「hide MIX LEMONeD JELLY」が、新木場STUDIO COASTCOASTで開催された。
2018年4月28日・29日、『hide 20th memorial SUPER LIVE「SPIRITS」』がお台場野外特設ステージで開催された。hideと交友関係のあるアーティストが多数出演。hide with Spread BeaverのメンバーはVISUAL JAPAN SUMMIT以来約一年半ぶりに集結。
2018年5月26日ドキュメンタリー映画「HURRY GO ROUND」が全国で公開された。
2019年5月2日CLUB CITTA'KAWASAKIにて『hide Memorial Day 2109~春に会いましょう~』献花式が開催された。
2019年12月8日CLUB CITTA'KAWASAKIにてhide Birthday Partyが開催された。
活動
INAとの関係
レコーディング・エンジニア、マニピュレーターであり、hide with Spread BeaverのメンバーでもあるINAは、元々Xのレコーディングスタッフとして参加していたスタッフであった。1993年よりソロ活動を開始するにあたり、作品の制作に全面的に参加。自宅でのデモテープの制作をする際も常にINAと共同で行い、「hide」というミュージシャンを、松本秀人(≠hide)とINAの2人でプロデュースしているという感覚であったとしていた。デモテープ制作の段階で既に質の高さを追求していたとされ、質の高いデモテープを作ることによってレコーディングに携わる人間に対して曲の意図をより明確に伝える目的があったとされる。なお、アルバム『PSYENCE』の収録曲「LASSIE」は敢えてデモテープの音源をそのまま収録。いわゆる「裏方」であったINAをツアーメンバーとして無理矢理表舞台へ引っ張り出したとされ、後のhide with Spread Beaverのメンバーとしての活動までに至った。
LEMONed
1996年、ZEPPET STOREの音楽に影響された事をきっかけにレコードレーベルLEMONed(レモネード)を設立[4]。英俗語である「LEMON(不良品)」に過去形の「ed」を付けて、「不良品だった」という意味を込めた命名である[4]。また同時に、大量生産されるこの時代で僅かな確率で生産された「不良品」が、似た者同士のアーティストの中で異彩を放ち、「僕たちもかつては不良品だった」と笑えるようにとhide自身語っている[4]。音楽以外には、ファッションやグッズの販売店や美容院、フォーミュラ・ニッポンのチームルマンのスポンサーにもなった。毎年夏には「MIX LEMONed JELLY」を開催。
zilch
zilch(ヂルチ)は、レイ・マクヴェイ (Ray McVeigh) (元プロフェッショナルズ、セックス・ピストルズのサポートなど)、ポール・レイヴン (Paul Raven) (元キリング・ジョーク、元PRONG、ベーシスト)というメンバーと共に結成したバンド(ユニット)である。当初のメンバーはhideを含めた三人とされているが、様々なミュージシャンを加えるなど、敢えてメンバーの固定化をしない柔軟な体制でもあった。
ロックンロール、パンク、ヘヴィメタル、グランジ、オルタナティヴ、インダストリアルといった、それまでのロックを消化した新しい形の非常に前衛的なロックを目指していた。完成されたアルバム『3・2・1』は、「邦楽」と「洋楽」という垣根を超えた、非アメリカ人によるアメリカへ向けての挑戦状であった。
「hide」に求められる音楽と、hide自身がやりたいと望む音楽とのギャップを取り除き、hideがやりたい音楽を、純粋に良いと思う音楽を作るという目的もあった。hideがいなくなった後にリリースされた『3・2・1』のブックレットには、hideへ向けたマクヴェイとレイヴンのメッセージが寄せられた。
アルバムリリース後にツアーなども構想されており、真夏のロック・フェスティバルである「サマーソニック」の前身フェス「beautiful monsters tour」ではマリリン・マンソンとの共演も予定されていた。マリリン・マンソンからは「前座でいいからやらせてくれ」「その代わり、アメリカを周る時は一緒にやろう」と対バンを申し込まれたりもしていたとされる[12]。
残されたメンバーや様々なミュージシャンによって活動は継続されていたが、2007年10月にポール・レイヴンが死去したため、今後zilch名義での楽曲製作が行われるかは不透明である。
逸話
作品
シングル
発売日 | タイトル | 規格 | 規格品番 | JP | 売上枚数 | 収録アルバム | |
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1st | 1993年8月5日 | EYES LOVE YOU | 8cmCD | MVDD-7 | 3 | 24.7万枚 | HIDE YOUR FACE |
2007年12月12日 | マキシシングル | UPCH-5516 | |||||
2nd | 1993年8月5日 | 50%&50% | 8cmCD | MVDD-8 | 6 | 19.5万枚 | |
2007年12月12日 | マキシシングル | UPCH-5517 | |||||
3rd | 1994年1月21日 | DICE | 8cmCD | MVDD-14 | 6 | 25.9万枚 | |
2007年12月12日 | マキシシングル | UPCH-5518 | |||||
4th | 1994年3月24日 | TELL ME | 8cmCD | MVDD-15 | 4 | 22.8万枚 | |
2007年12月12日 | マキシシングル | UPCH-5519 | |||||
5th | 1996年6月24日 | MISERY | 8cmCD | MVDD-38 | 3 | 21.3万枚 | PSYENCE |
2007年5月2日 | マキシシングル | UPCH-5461 | |||||
6th | 1996年8月12日 | Beauty & Stupid | 8cmCD | MVDD-42 | 4 | 20.3万枚 | |
2007年5月2日 | マキシシングル | UPCH-5462 | |||||
7th | 1996年12月18日 | Hi-Ho/GOOD BYE | マキシシングル | MVCD-13002 | 8 | 12.2万枚 | |
8th | 1998年1月28日 | ROCKET DIVE | 8cmCD | MVDH-9002 | 4 | 69.0万枚 | Ja,Zoo |
2007年5月2日 | マキシシングル | UPCH-5463 | |||||
9th | 1998年5月13日 | ピンク スパイダー | 8cmCD | MVDH-30001 | 1 | 103.4万枚 | |
2006年11月22日 | マキシシングル | UPCH-5439 | |||||
10th | 1998年5月27日 | ever free | 8cmCD | MVDH-30002 | 1 | 84.2万枚 | |
2007年5月2日 | マキシシングル | UPCH-5464 | |||||
11th | 1998年10月21日 | HURRY GO ROUND | 8cmCD | MVDH-30003 | 2 | 60.7万枚 | |
2007年5月2日 | マキシシングル | UPCH-5465 | |||||
12th | 2000年1月19日 | TELL ME (hide with Spread Beaver) | マキシシングル | MVCH-9035 | 2 | 29.1万枚 | hide SINGLES 〜Junk Story〜 |
13th | 2002年7月10日 | In Motion | マキシシングル | UUCH-5065 | 4 | 9.6万枚 |
スタジオアルバム
発売日 | タイトル | 規格品番 | |
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1st | 1994年2月23日 | HIDE YOUR FACE | MVCZ-1001(初回限定盤) |
MVCD-11(通常盤) | |||
2008年12月3日 | UPCH-1640(SHM-CD再発盤) | ||
2nd | 1996年9月2日 | PSYENCE | MVCD-39 |
2008年12月3日 | UPCH-1641(SHM-CD再発盤) | ||
3rd | 1998年11月21日 | Ja,Zoo | MVCH-29019 |
2008年12月3日 | UPCH-1642(SHM-CD再発盤) |
ベストアルバム
発売日 | タイトル | 規格品番 | 備考 | |
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ベストアルバム | 2000年3月2日 | hide BEST 〜PSYCHOMMUNITY〜 | MVCH-29044 | hideが作った3枚のアルバムの中から選曲したベスト。HDCD対応 |
シングルス | 2002年7月24日 | hide SINGLES 〜Junk Story〜 | UPCH-9036(初回盤) | hideがリリースした全てのシングルに加え、未発表曲「Junk Story」を加えたシングルコレクション。HDCD対応 |
UPCH-1162(通常盤) | ||||
ベストアルバム | 2004年4月28日 | KING OF PSYBORG ROCK STAR | UPCH-1351 | hideの7回忌を記念し、hideが生前にコンセプトとしていた「PSYBORG ROCK」を中心に収録されたベストアルバム。HDCD対応 |
コンプリートボックス | 2005年9月21日 | hide PERFECT SINGLE BOX | UPCH-9180 | シリアルナンバー入り完全受注生産商品。hide歴代のシングル13枚を12cm化、2005年9月25日で閉館したhide MUSEUMメモリアルDVDを一箱におさめた。[注 3] |
配信限定ベスト | 2006年2月8日 | hide SINGLES+PSYBORG ROCK iTunes Special!! | hideのiTunes Store楽曲配信第一弾として製作されたセレクション。全てのシングルA面と死後に発表された「In Motion」「Junk Story」の2曲、「DOUBT(MIXED LEMONed JELLY MIX)」「FLAME(PSYENCE FACTION version)」の2曲のリミックス、入手困難な状態が続いていたX時代のセルフカバー「MISCAST」を追加した全20曲。現在は本作は配信されておらず、公式サイトのディスコグラフィからも存在自体が消されている。[注 4]
全20曲
| |
リクエストベスト | 2009年4月29日 | We Love hide 〜The Best in The World〜 | UPCH-9473(Tシャツ付初回限定盤) | 公式ホームページの投票で選ばれたリクエストベスト。 |
UPCH-9474(通常盤) | ||||
UPCH-1709(通常価格盤) | ||||
コンプリートベスト | 2010年4月28日 | I LOVE hide -Complete Audio Collection- | UPEH-9001 | これまでに発売されたシングル13枚、オリジナルアルバム3枚、ライブアルバム2枚、『hide SINGLES 〜Junk Story〜』に収録されている「Junk Story」「COMMENT(Aug 10th,1995) 」の計120曲をUSBメモリに収録したアルバム。歌詞、ジャケット写真などアートワークを収録した「デジタルブックレット」も収録されている。 |
サウンドトラック | 2011年3月2日 | “Musical Number”〜ROCKミュージカル ピンクスパイダー〜 | UPCH-1830 | 2011年3月8日に行われた、hideの楽曲を使用したロックミュージカル「ピンクスパイダー」内で演奏された楽曲をまとめた2枚組アルバム。[18]
全12+10曲
DISC1
DISC2 |
生誕50周年記念アルバム | 2014年12月10日 | 子 ギャル | UPCH-9962(DVD付初回限定盤) | ボーカロイドにより完成した未発表曲「子 ギャル」が収録されたアルバム。 |
UPCH-2004(通常盤) |
リミックスアルバム
発売日 | タイトル | 規格品番 | 備考 |
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1997年6月21日 | tune-up hide remixes | MVCH-29002 | hideの楽曲を7組のチームがリミックスしたもの。
全10曲
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2002年5月22日 | Psy-clone 〜hide electronic remixes〜 | UUCH-1052 | hideの楽曲をトランスや、テクノ、ハウスなどにリミックス。
全8曲
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ライブアルバム
発売日 | タイトル | 規格品番 | 備考 |
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2008年3月19日 | PSYENCE A GO GO | UPCH-1597 | セカンドツアー『PSYENCE A GO GO』より、代々木第一体育館での公演を収録した3枚組ライブアルバム。全曲リマスタリング。
全8+7+7曲
DISC1
DISC2
DISC3
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2008年4月23日 | HIDE OUR PSYCHOMMUNITY | UPCH-1594 | ファーストツアー『HIDE OUR PSYCHOMMUNITY 〜hideの部屋へようこそ〜』より、横浜アリーナでの公演を完全収録した2枚組ライブアルバム。全曲リマスタリング。完全収録と謳われているが、アンコールで披露されたT・レックスのカバー「20センチュリー・ボーイ」は、著作権の都合により収録されていない。
全10+10曲
DISC1
DISC2
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コンピレーションアルバム
発売日 | タイトル | 規格品番 | 備考 |
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1996年5月22日 | compilation cd LEMONed | MVCD-15003 | 全6曲
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1997年12月17日 | WooFer!! | MVCZ-11001 | 海外のアーティストの未発表音源を中心に集めたコンピレーションアルバムの第一弾。 コンセプトは「2000年のギターサウンド」。 全8曲
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1998年2月21日 | WooFer!!2 | MVCZ-11002 | 海外のアーティストの楽曲を集めたコンピレーションアルバム第二弾。
全10曲
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2002年5月16日 | Cafe Le PSYENCE-hide LEMONed Compilation- | TOCT-24809 | hideのヴォーカルによるXの「MISCAST」を収録。hideが生前録音していたデモ音源を元に作られた。
全14曲
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zilch
発売日 | タイトル | 規格品番 | 備考 |
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1998年7月23日 | 3・2・1 | CTCR-17044 | アルバム自体は1996年当時にレコーディングされ既に完成していたが、契約上発売までにかなりの歳月を要した。 |
1999年3月3日 | BasTardEYES | CTCR-17050(限定盤) | zilchやhideと交流のあったアーティストらがリミックスしたzilchのアルバム。CDのほか、初回限定には、ビデオが付いていた。
全12+1曲
CD(全タイプ共通)
VHS(限定盤のみ)
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CTCR-17051 | |||
2001年2月28日 | MIMIZUZERO/ ミミズゼロ |
CTCR-40063 | シングル。
全3曲
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2001年6月27日 | CHARLIE'S CHILDREN |
CTCR-40076 | シングル。 |
2001年9月27日 | SKYJIN | CTCR-17071 | 3・2・1を製作した後に、hideを含むメンバー間で練られていた構想を形にしたアルバム。
全12曲
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トリビュート・アルバム
発売日 | タイトル | 規格品番 | 備考 |
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1999年5月1日 | hide TRIBUTE SPIRITS | PCCM-00002 | 後にDope HEADzとなるI.N.A、HEATH、PATAによるXの「CELEBRATION」のカヴァーを収録。hideが生前にレコーディングしてI.N.AがMacに保存していたヴォーカル音源が使用されている。現時点でhideバージョンの「CELEBRATION」はこのアルバムのみに収録。 |
2013年7月3日 | hide TRIBUTE II -Visual SPIRITS- | TKCA-73924 | 世代を超えたヴィジュアル系アーティストによるもの。
全13曲
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hide TRIBUTE III -Visual SPIRITS- | TKCA-73925 | 世代を超えたヴィジュアル系アーティストによるもの。 | |
2013年8月28日 | hide TRIBUTE IV -Classical SPIRITS- | TKCA-73941 | Classicalをテーマにピアノ、アコースティック、電子楽器などによるインスト・トリビュート。
全15曲
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hide TRIBUTE V -PSYBORG ROCK SPIRITS- 〜CLUB PSYENCE MIX〜 | TKCA-73942 | INAによるノンストップ・リミックスアルバム。
全18曲
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2013年12月18日 | hide TRIBUTE VI -Female SPIRITS- | TKCA-74017 | 女性アーティストによるトリビュート。 |
hide TRIBUTE VII -Rock SPIRITS- | TKCA-74018 | hideにインスパイアされたロックバンドによるトリビュート。
全11曲
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2018年6月6日 | hide TRIBUTE IMPULSE | UPCH-2162 | 没後20周年のトリビュート。hideの未発表ボーカル音源「HURRY GO ROUND(hide vocal Take2)」を収録。
全11曲
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VHS
- Seth et Holth (1993年9月29日)
- A Souvenir (1994年3月24日)
- FILM THE PSYCHOMMUNITY REEL.1 (1994年10月21日)
- FILM THE PSYCHOMMUNITY REEL.2 (1994年11月23日)
- X'mas Present! (1994年12月24日)
- UGLY PINK MACHINE file 1 official data file [PSYENCE A GO GO in Tokyo] (1997年2月26日)
- UGLY PINK MACHINE file 2 un official data file [PSYENCE A GO GO 1995] (1997年3月26日)
- seven clips (1997年6月21日)
- hide presents MIX LEMONed JELLY (1997年8月21日)
- マル秘X'masプレゼント'97 (1997年12月24日)
- hIS iNVINCIBLE dELUGE eVIDENCE (1998年7月17日)
- hide A STORY 1998 hide Last Works〜121日の軌跡〜 (1999年12月8日)
- ALIVEST perfect stage<1,000,000 cuts hide!hide!hide!> (2000年12月13日)
- seventeen clips〜perfect clips〜 (2001年5月3日)
DVD
- hide A STORY 1998 hide Last Works〜121日の軌跡〜 (1999年12月8日)
- hIS iNVINCIBLE dELUGE eVIDENCE (2000年7月20日)
- UGLY PINK MACHINE file 1 official data file [PSYENCE A GO GO in Tokyo] (2000年10月18日)
- UGLY PINK MACHINE file 2 unofficial data file [PSYENCE A GO GO 1996] (2000年10月18日)
- seven clips HURRY GO ROUND (2000年10月18日)
- ALIVEST perfect stage <1,000,000 cuts hide!hide!hide!>(2000年12月13日)
- A Souvenir TELL ME (2001年4月4日)
- FILM THE PSYCOMMUNITY REEL.1 (2001年4月4日)
- FILM THE PSYCOMMUNITY REEL.2 (2001年4月4日)
- seventeen clips〜perfect clips〜 (2001年5月3日)
- hide presents MIX LEMONed JELLY 1997.8.26ALL NITE CLUB EVENT (2003年7月20日)
- hide with Spread Beaver appear!!"1998 TRIBAL Ja,Zoo" (2005年9月21日)
- ALIVE! (2008年12月3日)
- We Love hide〜The Clips〜 (2009年12月2日)
- hide 50th anniversary FILM「JUNK STORY」(2015年12月11日)
その他
- 激突 (1988年)
- COLORの1stアルバム。hideはコーラスで参加。
- Shake Hand (1990年)
- L・O・Xのアルバムで、hideはJACK POT HIDE名義でコーラスで参加。
- Overdoing (1992年)
- 東京ヤンキースの2ndアルバム。
- made in HEAVEN (1992年)
- TOSHIの1stシングルで、1曲目の「made in HEAVEN」にギターで参加。
- DANCE 2 NOISE 004 (1993年1月21日)
- LUNA SEAのJとINORANとMxAxSxSを結成し一曲目の「FROZEN BUG」に参加。
- FLOWERS (1994年9月21日)
- ヴィジュアル系の先駆者的存在であるDER ZIBETのISSAY(YOSHIKIに招かれ、エクスタシーサミットにも出演したことがある)の邦楽カヴァーアルバム。hideは二曲目の「いとしのマックス」にギターで参加。プログラミングにはI.N.Aが、編曲&プロデュースはD.I.E.こと乃澤大二郎が参加。
- 96/69(リミックスアルバム) (1996年6月9日)
- 小山田圭吾ことCORNELIUSのアルバム「69/96」のリミックスアルバム。9曲目「HEAVY METAL THUNDER」にて参加。プログラムとミキシングエンジニアでI.N.Aも参加。
- 少年ナイフUltra Mix(リミックスアルバム)(1997年10月22日)
- 世界的に有名な日本のガールズバンドでhideとも親交があった少年ナイフのリミックスをhideが担当(5曲目の「タワー・オブ・ザ・サン」)。プログラムとミキシングエンジニアでI.N.Aも参加。
- FRAGILE (1998年)
- D.I.E.の2ndアルバムで、2曲目の「FRAGILE」にギターで参加。
ライブ・コンサート
年 | 形態 | タイトル | 会場 |
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1994年 | コンサートツアー | hide FIRST SOLO TOUR '94 HIDE OUR PSYCHOMMUNITY ~hideの部屋へようこそ~ | |
1996年 | 単発コンサート | LEMONed presents hide indian summer special | 9月8日 千葉マリンスタジアム |
コンサートツアー | hide solo tour PSYENCE A GO GO | ||
1998年 | コンサートツアー | hide with Spread Beaver appear!! ”1998 Tribal Ja,Zoo” | 11会場全14公演 10月22日 よこすか芸術劇場 |
ライブイベント | hide Seva | 11月27日 横浜アリーナ |
TV出演
ミュージックステーション
出演日 | 回 | 曲名 | 備考 |
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1994年1月21日 | 1 | DICE | |
1994年3月25日 | 2 | TELL ME/DOUBT | |
1996年8月16日 | 3 | Beauty & Stupid | |
1997年1月17日 | 4 | Hi-Ho | |
1998年1月30日 | 5 | ROCKET DIVE | 生前最後の出演 |
タイアップ一覧
楽曲 | タイアップ |
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TELL ME | 「エースコック・スーパーカップ」CF |
MISERY | 「花王サクセス」CF(当時「サクセス」という掛け声もhideの声だった) |
Hi-Ho | テレビ朝日系「サンデージャングル」オープニングテーマ |
GOOD BYE | テレビ朝日系「サンデージャングル」エンディングテーマ |
ROCKET DIVE | 「ミズノ」CF |
「テレビ東京系 アニメ「AWOL」オープニングテーマ | |
ピンク スパイダー | 札幌テレビ・日本テレビ系「号外!!爆笑大問題」エンディングテーマ |
HURRY GO ROUND | 日本テレビ系「スーパーテレビ情報最前線」エンディングテーマ |
In Motion | TBS系「世界・ふしぎ発見!」エンディングテーマ |
ツアーメンバー
※ツアーメンバーの名前、パートなどはほぼすべて当時の表記である。
- hide FIRST SOLO TOUR '94 『HIDE OUR PSYCHOMMUNITY 〜hideの部屋へようこそ〜』
- hide solo tour 1996 『PSYENCE A GO GO』
- hide (VOCAL & GUITAR)
- PATA (GUITAR) (X JAPAN)
- KIYOSHI (GUITAR) (media youth)
- CHIROLYN (BASS) (DEBONAIR)
- JOE (DRUMS) (ZIGGY)
- D.I.E. (KEYBORD)
- I.N.A. (COMPUTER & PERCUSSION)
- hide with Spread Beaver appear!! 『1998 TRIBAL Ja,Zoo』
- hide (GTR & Vo)
- I.N.A. (Computer & Percussion)
- KIYOSHI (GTR) (MEDIA YOUTH)
- CHIROLYN (B) (DEBONAIR)
- JOE (Dr) (ZIGGY)
- D.I.E. (Key)
- KAZ (GTR) (OBLIVION DUST)
- PATA (GTR) (X JAPAN) ※助っ人怪人
使用機材
使用ギター
MG-X
hideはX加入以前のアマチュア時代から長年フェルナンデス(Burny)製のモッキンバードモデルを愛用していた。様々な構造、材、カラーリングの物が存在するが、ここでは歴代のメインギター等、代表的なもののみを紹介する。本人使用モデルはアクリルボディ等一部の例外を除き全てスルーネック構造。ちなみにhideの使用するギターのレプリカモデル(値段にして8万円から45万円のもの)がフェルナンデス社から発売(一部を除き生産終了)されている。アーティストモデルとしては彼の生前、死後を問わず過去に例がないほどの驚異的な売れ行きを見せ、ここからもhideというギタリストの人気の高さと影響力を窺い知る事が出来る。
FERNANDES FMG-175 アーミーパンサー
- 東京の御茶ノ水の楽器店で購入した最初のモッキンバードモデル。
- 購入の動機は、当時10代だったhideがBOWWOWの斉藤光浩がモッキンバードを使用していたのを知り、更にリック・デリンジャーがモッキンバードを持っているポスターを見てこの独特なシェイプのギターに興味を持った事から。
- 御茶ノ水の楽器店をいくつも回り「あっちの店はもっと安かったよ」と値切り交渉をして購入。
- サーベルタイガー~X加入後の88年中頃までメインギターとして使用された。
- Xの1stアルバムVanishing Visionのレコーディングでもメインギターとして使用された。
- ピックアップはフロント・リア共にディマジオのデュアルサウンドが搭載されていたが、リアのみEMG81(9V電池が必要なアクティブピックアップ)に換装、更に2つ直列で搭載されていたブースタースイッチもスイッチだけを残し、中の配線は取り外して使用。ペグもつるしのグローバーインペリアルからシャーラー製へと交換されている。
- ブリッジは後のMG-Xで定番のチューン・O・マチック仕様ではなくB.C. Richと同じバダスブリッジが搭載されており、更に低音弦側のみ裏通しが出来るようにボディに貫通穴が開けられている。
- ボディカラーはナチュラルで、購入後にテープや雑誌の切り抜き、フライヤーやステッカー、布を貼ったり、目まぐるしくそのルックスが変化して行ったが、最終的には迷彩柄とヒョウ柄の布を貼り付けたルックスになり、これがアーミーパンサーの名前の由来となった。
- 上記の通り、ギターにペイントをする以前から使用する楽器のビジュアルにも拘って試行錯誤をしていたが、楽器としてのメンテナンスや手入れは当時それほど入念には行っていなかったようで、Vanishing Visionのレコーディング時にフレットが音痴になってる。いくらチューニングしても音程が合わないという事態に陥り苦労したと言う。
- 既にこの時点でサスティナー登場の94年まで続く、リアにEMGのアクティブピックアップ、フロントにディマジオのパッシブピックアップを搭載するという組み合わせが完成している点はギタリストHIDEを語る上で特筆すべき点であると言える。
- B.C. Rich モッキンバ-ド"アメーバ"
- 89年初頭頃から90年後半頃までのメジャーデビュー期に使用していたギターで、ペイント登場以前のメインギター。
- 当時のローディーから借りた物をペイズリー柄にペイントしてしまい、後にローディーから買い取った物。
- ヘッド部のメーカーロゴが書いてる部分にツタンカーメンのプレートを貼り付けてメーカー名が隠される等、メーカー不明の謎の多いギターであった。
- 当時の雑誌に掲載された際は便宜上「FERNANDES製MG-X」と表記されていたが、HIDE本人曰く「実は唯一持ってるB.C. Rich製」との事。BurnyブランドのB.C. RichコピーシリーズとB.C. Richのギターはヘッド形状が酷似しているが、ヘッドの左右非対称の頂点がB.C. Richの方がセンター寄りになっており、判別が付く。
- オリジナルはナチュラルフィニッシュ。ボディトップとサイドのみ黒く塗装し、その上からペイントされ、更にステージ映えするように蛍光塗料も使われている。
- ボディ裏にはトレモロとそのスプリング用のキャビティを埋めた跡があり、元々はトレモロ(恐らくケーラーのロック式)が搭載されていた物をチューン・O・マチックブリッジに改造し、更に低音弦3本のみ裏通しできるようにボディに穴が開けられている。
- ナット上部にはロック式トレモロを搭載していた名残なのか、それとも弦のテンションを稼ぐために意図的に取り付けたのかは不明であるが、通常ロック式トレモロ搭載のギター以外には取り付けされないテンションバーが取り付けられている。
- ピックアップはフロントにディマジオのデュアルサウンド(現スーパーディストーションの4芯モデル)、リアにEMG81を搭載、コントロール部も当初はボリュームやトーン、セレクター以外にもブースタースイッチ等、所詮B.C. Rich仕様の多機能で沢山のスイッチが搭載されていたが、これらの回路とスイッチは89年中に全て取り外され、後のペイントと同様の1ボリューム、ピックアップセレクター、ダイレクトスイッチのHIDE定番の3点コントロールに改造された。
- ダイレクトスイッチをONにすると手元のボリュームノブのメモリの位置に関係なくそれらの回路をカットし、アンプ直結でボリューム10で音が出るという回路である。このスイッチは以降全てのHIDEモデルに搭載されるようになった。
- 使用されてきたギターの中で、1番大掛かりな改造や手直しが加えられたギターである。
- 個性的なペイントの他、歴代メインギターの中で唯一指板のインレイが雲型ではなく菱形のダイヤモンドインレイと呼ばれる形状であった。
- 使用期間は2年足らずであったが、当時のXは全曲半音下げチューニングで、レコーディングもライヴもトラブルが起きない限りはこのアメーバ1本で通す事も多く、更にライヴ中にギターを振り回したり、ストラップを片方外して犬のリード代わりに掴みステージ上でギターを引きずり回すなどのパフォーマンスも行うなどかなり酷使していた為、ギター本体がボロボロになってしまい、ペイントへとメインギターの座を引き継ぐ事となった。
- 音はHIDE曰く「鉄板に弦を張ってるみたい」と言う程、中音域が出ない固く冷たいドンシャリ傾向の音で、このギターの音の反動で次期メインのペイントに中音域が強く出るモンキーポッド材を採用する事となった。
- FERNANDES MG-X "ペイント"
- 黒ボディを元にhide自身がポスカでサイケペイントを描いたもの。
- メジャーデビュー初期に使用していた為、HIDEモデルと言えばこのギターを思い浮かべる人が未だに多い。
- ピックアップはフロントにディマジオ DP-101デュアルサウンド(現スーパーディストーション)、リアにEMG81のピックアップを搭載している。
- これにはボディ材にモンキーポッドが使用され(ネックはメイプル)粘りのある中音域をhide自身が気に入っていたようだ。
- 4-6弦のブリッジ箇所には弦のテンション感確保の為の裏通穴が開けられている。
- 本人が使用していた物はボディ裏にも白色でペイントが描かれていたが殆ど消えてしまっている。
- コントロールは改造後のアメーバと同様のボリューム、ピックアップセレクター、ダイレクトスイッチ。
- この頃からレコーディングでMG-Xを使用する際のボリューム操作は「音ヌケが全然違う」という理由で、ボリュームノブは使用せず、ダイレクトスイッチONでフルボリュームで録音するようになった。
- 以前のメインのアメーバ、初代のアーミーパンサー、その他サブ用のMG-Xなど、改造を加えられたり、仕様変更を繰り返してきた初期MG-Xの集大成とも言えるギターで、HIDE手描きのペイントが完成してからは殆ど手を加えられる事は無く、改造と呼べる物はメインとして使用された期間の晩年にフロントピックアップのコイルタップ用のミニスイッチを1個追加しただけで、あとはフロント側のストラップピンの取り付け位置の変更のみに止められている。
- Burny MG-X "チェリー・サンバースト"
- hide所有の1959年製ギブソンレスポールスタンダードのスペックを盛り込んだもの。レスポールのメイプルトップ+マホガニーバックの構造を取り入れながら、他のMG-X同様のスルーネック構造を実現するため、マホガニーネックをマホガニーボディバックで左右からはさんだうえで、トップにメイプル材を貼りつけている。このモデルとレモン・ドロップ以降に製作されたモデルはすべてこのレスポール仕様のラミネート構造を採用している。ピックアップは彼のために開発されたフェルナンデスVH-401にサスティナーを搭載したもの。この仕様は少々の変更はあったが彼がこの世を去るまでMG-Xの最終型となり、それ以降の「イエローハート」、「サイエンス」、「基盤」(全て通称)なども同仕様となっている。
- チェリー・サンバーストはサブを含めて数本が製作されている。初号機はネックグリップはUシェイプ。ボディ厚もそれまでのMGより5mm厚くした42mm。初号機のサブとして製作されたものは45mmのボディ厚であった。後に塗装を白くリフィニッシュされ1994年末のX JAPANライブ「白い夜」で使用された。2号機以降はネックグリップをVシェイプに変更している。
- Burny MG-X "レモン・ドロップ"
- チェリー・サンバーストと同様にギブソン・レスポールのサウンドスペックを目指して製作されたもの。このレモン・ドロップのボディは特に厚い45mmで製作。
- ピックアップはサスティナードライバー+VH-401。
- ボディが厚い分、音も中低音がよく出てHIDE本人も気に入っていたそうだが、他のMG-Xより少し重量が重く、ライヴでの使用頻度はチューニングにより使い分けられ、限定的であった。
- Burny MG-X "イエロー・ハート"
- 後期のメインギター。1996年の東京ドーム公演で初登場。ネック・グリップはVシェイプを採用。hide曰く「ロリロリのギターでゲロゲロのリフを弾く」をテーマに制作された黄色のボディに赤のハート柄というモデルで、主に「紅」、「DAHLIA」などの半音下げチューニングで使用。チェリーサンバーストとは異なり、塗り潰しの分厚い塗装のため、チェリーサンバーストよりも低音が強く出る特性があると言う。
- ピックアップはサスティナードライバー+VH-401。
- Burny MG-X "サイエンス"
- 1996年の東京ドーム公演で初登場。ドロップDチューニングの曲(SCARS)で使用。
- ボディトップにペイントされているロボット(宇宙人?)はアルバム「PSYENCE」のジャケットに描かれていたもの。
- ピックアップはサスティナードライバー+ディマジオ DP-159エヴォリューション。
Burny MG-X "グリーン・ハート"
- イエロー・ハートの色違いとして製作され、X JAPAN THE LAST LIVEで初登場。「RUSTY NAIL」などのレギュラー・チューニングで使用されていた。
- ピックアップはサスティナードライバー+ディマジオ DP-100 スーパーディストーション。
- Burny MG-X "基盤"
- グリーンハートと同時に製作され、当初、LAST LIVEでメインとなる予定だったギター。緑色のボディに文字通り基盤が描かれ、マスターボリュームノブの横に当時のhideのHPのURLがプリントされていた。更に基盤の黄土色の箇所はボディの木目が透けて見えるように塗装されるなど、かなり細部まで拘ったカラーリングであったが、完成したのがライブ本番直前のリハーサルの時で、音を出してみたところ、ボディーの塗装処理の都合で音抜けが良くなかったという理由でメインで使用される事は無く、当日はイエローハートのサブとしてセットアップされていた。6弦にヒップショットDチューナーという、ワンタッチで1音下げられるペグを取り付けていたのも特徴。
- ピックアップはサスティナードライバー+ディマジオ DP-100 スーパーディストーション。
- またピックアップはイエローハート、グリーンハート、基盤のリアにはディマジオのスーパーディストーション、サイエンスのリアにはディマジオのエボリューションをマウント。
- その他にもリアにセイモアダンカンのJBをマウントしたプロトタイプやセンターにシングルコイルを増設したプロトタイプ、ボディ材を変更したプロトタイプ等も存在し、常に理想の音を求めて試行錯誤していた様子が伺える。
その他
- Gibson Les Paul STANDARD
- 主にレコーディングでの使用を目的に1994年に購入。シリアルナンバーは「9 0297」。PATAの所有する59年製レスポールスタンダードとは2番違いで、全くの同一またはそれに近い時期に作られたもの。モトリー・クルーのミック・マーズが所有していた個体。このギターをサウンドの目標に、チェリー・サンバースト以降のMG-Xは製作されている。非常に高価、希少で価値のあるギターであるが、PATA曰く、ギターにペイントをすることやステッカーを貼るのが好きなhideはこのギターにもステッカーを貼ってしまい、PATAに怒られたという。購入以後はほとんどすべてのレコーディングに使用されるレコーディングメインだったが、購入したことが嬉しかったのか一度だけライブで使用されたことがある(1993年12月31日のX JAPAN東京ドーム公演「X JAPAN RETURNS」でPATAの59年製サンバーストと共に「JOKER」の演奏に使用)。
- Martin D-18
- アコースティック・ギター。自宅での曲作りやアコギパートのレコーディングなどで使用。「hideがいつでもギターを弾けるように」と、hideと共に棺に納められている。
- Burny H CUSTOM "くじら"
- PATA所有のコリーナ材で制作されたエクスプローラーモデルを弾いたところ、そのサウンドをいたく気に入ったため、同じ木材を用いてFernandes社のHシリーズのシェイプで製作されたギター。ピックアップにトム・ホームズH-453を搭載。H CUSTOMは通称シャチと呼ばれていたが、hideが勘違いでくじらと呼んだためこの愛称となった(アメリカでの商品名はVERTIGO)。主にJa,Zooのレコーディングで使用されていた。
- Burny HR-195/REBIRTH
- "くじら"をベースにhideオリジナルモデルとして製作が進められていたモデル。このモデルの最終調整の打ち合わせ予定日の前日、hideは突然この世を去ってしまった。その後、hide MUSEUM設立に合わせて製作されている。その後、木材をホンジュラス・マホガニーへ変更して限定300本で発売された。
- FENDER STRATOCASTER JEFF BECK MODEL
- hideが自分で購入し、ボティ両面に写真等を切り貼りしてカスタムした。hide所有の唯一のFender社製ギター。
- FERNANDES JG CUSTOM
- PSYENCE A GO GOのツアー開始前、フェルナンデスに、「ツアー用にMG以外のギターを用意して欲しい。エディ・ヴァン・ヘイレンみたいなギターがいい。ピックアップはリア1発でいい。」と、リクエストして製作されたもの。
- 市販のフェルナンデス・JGシリーズをカスタムして製作され、フロントピックアップを撤去し、リアのハムバッカー(ディマジオのエアーゾーンをマウント)に、コントロールは1ボリュームというシンプルなレイアウトにし、クリアピックガードを取り付けたが、どうしてもフロントピックアップを撤去してがら空きとなったキャビティーが気になるという事で、フェルナンデス側が独自にシールドをプラグインするとイルミネーションが点灯するギミックとダミー配線を仕込み、サイバーなルックスのギターとなった。
- このギターの製作期間は僅か5日間だった。
- hide本人はこのイルミネーションを「トレーニングマシーンみたい」と、いたく気に入っていた。
- Burny H-65 CUSTOM
- 94年のソロツアー時に使用。Fernandesの製品カタログからオーダーし、ピックアップとピックガードのみ変更。
- ピックアップは、フロントがVH-401、リアがVH-4。
- 使用弦とピック
- フェルナンデスHGS-1200(hideシグネチュアモデル・ゲージは009-046)、それ以前はアーニーボール・ハイブリッドスリンキー。
- 初期の頃、『BLUE BLOOD』に代表されるような低音弦の速いオルタネイトのバッキングに重きを置き、そのサウンドにも拘り、一時6弦に052という極太の弦を使用していたこともあった。
- フェルナンデス・スキャナー(hideシグネチュアモデル)、ジムダンロップ・ナイロンスタンダード0.73mm、ジムダンロップ・トーテックススタンダード0.73mm
- ピックはその日の腕のコンディションや気分によって使い分けていたという。
使用アンプ
- X 「Jealousy」
- ENGL 2×50 TUBE POWER AMP(パワーアンプ)
- ENGL 2ch Preamp(プリアンプ)
- T.C.ELECTRONIC TC2290(デジタル・ディレイ)
- Guyatone FLANGER(フランジャー)
- BOSS OD-1(オーバードライブ)
- EX-Pro WIRELESS(ワイヤレス)
- HIWATT 12×4 SP CABINET W(スピーカーキャビネット、中のスピーカーをセレッションのVINTAGE 30に交換)
- DIGITECH WHAMMY(ピッチ・シフター)
- X JAPAN 「THE LAST LIVE」
- VHT Classic(パワー・アンプ)
- SANSAMP(プリアンプ)
- TONEWORKS(アコーステック・シミュレーター)
- DIGITECH GSP-2101(プリアンプ)
- HIWATT CUSTOM HAIWATT 100(ヘッド・アンプ)
- ENGL SAVAGE 100(ヘッド・アンプ)
- HIWATT(キャビネット)
- MARSHALL(キャビネット)
- DIGITECH WHAMMY 2(ピッチ・シフター)
- VOX WAH(ワウ)
関連書籍
- 遠藤 允「hide「がんばんだぞ」 - 優しさと、愛と勇気をありがとう」小学館
- 本郷 陽二 「音楽のヒーローたち hide伝説」
- 「限界破裂本」シンコーミュージック
- 「hideDAYS」宝島社
- 大島暁美「hide BIBLE - OFFICIAL BOOK hideを愛する全ての人へ贈ります」音楽専科社
- 松本裕士「兄弟 追憶のhide」講談社
- 「夢と自由」ニッポン放送プロジェクト
- 荒川正彦「Pink Cloudy Sky - 俺とhideと横須賀ロック・ストーリー」メディア・クライス
- 「HIDE 無言激」音楽専科社
- 菅野秀夫「hide」扶桑社
- 「Pinky Promise hide Official Book」インデックス・コミュニケーションズ
- イエローZ「hide FOREVER FREE 松本秀人の大いなる遺産」衆芸社
- hide哀悼の会「hide ここにあり記」旭書房
- 中条 剛「hide 真実のストーリー」ルー出版
脚注
注釈
- ^ 「ZI:KILLとhide=ジキルとハイド」という洒落にもなっている。
- ^ なお、2000年にXを再結成する事をメンバーと約束していた事をhide死去時にYOSHIKIが公表した。
- ^ 2006、2007年にも8cmシングルが12cm化され再発売されたが、その際にはCDジャケット、レーベルもリニューアルされての再発売だった。ちなみに本作は、ジャケット・レーベル共に、オリジナル盤をそのまま再現したものとなっている。音源も、オリジナル盤のものが使用されており、リマスタリング等はされていない。これについては再発盤も同様である。
- ^ ただし公式サイト内の「INFORMATION」では現在も情報が残されている。
- ^ 表記はされていないが、『HIDE YOUR FACE』に収録の「EYES LOVE YOU(T.T. VERSION)」である。
- ^ アルバム『PSYENCE』収録バージョン。
- ^ 曲終了後にシークレットトラックとして「Virusmaker 7.1」が収録されている。
出典
- ^ “『ピンクスパイダー』、「hideが望んでいた精神的な繋がりが実現できる」”. BARKS. ジャパンミュージックネットワーク (2011年3月6日). 2015年9月9日閲覧。
- ^ a b c d e f “hide(X JAPAN)”. CDJournal. 音楽出版社. 2015年9月9日閲覧。
- ^ a b c d e f g “hideのプロフィール”. ORICON STYLE. オリコン (2011年7月27日). 2015年9月9日閲覧。
- ^ a b c d e “BIOGRAPHY”. hide official web site [hide-city]. ヘッドワックスオーガナイゼーション. 2015年9月9日閲覧。
- ^ ロッキンf97年7月号別冊 Rockin'Talk CAFE(立東社)152p
- ^ 市川哲史、藤谷千明『すべての道はV系へ通ず。』シンコーミュージック・エンタテイメント、2018年8月26日、76頁。ISBN 978-4-401-64639-5。
- ^ 松本, 裕士『兄弟 追憶のhide』講談社。
- ^ スポーツニッポン 1998年10月25日 P27 / サンケイスポーツ 1998年10月25日 P25
- ^ “X JAPAN・Toshl、HIDEさんに自責の念「自分が洗脳されなければ…」”. オリコン (2014年8月19日). 2015年8月14日閲覧。
- ^ “「ご両親のお気持ちに泥を塗らないで!」 X JAPAN「hide」さんの墓荒らされ、ファン激怒”. J-CASTニュース (ジェイ・キャスト). (2013年3月2日) 2013年3月6日閲覧。
- ^ “hideさん十三回忌、参列2キロ超 「X JAPAN」”. 朝日新聞デジタル (2010年5月2日). 2016年1月10日閲覧。
- ^ 宝島社著「hideDAYS」松本裕士インタヴューより
- ^ “故hideさんと交流の貴志真由子さんが死去”. スポーツ報知 (2009年10月2日). 2009年10月4日時点のオリジナルよりアーカイブ。2015年9月7日閲覧。
- ^ レモネードカフェ・ごあいさつより
- ^ “レモネードカフェ | 和歌山市にある約束のお店”. www.lemoned-cafe.com. 2019年8月9日閲覧。
- ^ 小松 成美 (2009/5/25). YOSHIKI/佳樹. 角川グループパブリッシング
- ^ (hide本人のホームページ)
- ^ “hideミュージカル演奏曲をまとめた2枚組アルバム登場”. ナタリー. (2011年1月6日) 2015年7月21日閲覧。