ZIGGY

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ZIGGY
基本情報
出身地 日本の旗 日本
ジャンル ロック
ロックンロール
ブルースロック
ハードロック       
活動期間 1984年 - 2008年
2010年 -
レーベル 徳間ジャパン
公式サイト ZIGGY & SNAKE HIP SHAKES OFFICIAL WEB SITE
メンバー
森重樹一
松尾宗仁
宮脇“JOE”知史
旧メンバー
戸城憲夫
大山正篤
津谷正人

ZIGGY(ジギー)は、1984年に森重樹一を中心に結成されたロックバンド

1984年の結成以来、メンバーの脱退・加入・復帰、活動休止を繰り返し2008年2月に無期限の活動休止を発表し、2010年に活動再開するも森重のソロ活動専念にともない再び活動休止。
また、一時期はSNAKE HIP SHAKES(スネイク・ヒップ・シェイクス)と言う名義で活動していたこともある。

主な作品に『GLORIA』『STAY GOLD』『Jealousy〜ジェラシー』『STEP BY STEP』など。

目次

[編集] 外観的な特徴と80年代当時のシーン

ZIGGYのメンバーの初期の外観はバッドボーイズロック、およびLAメタル/グラムロックの系統であり、日本ではオケバン(お化粧バンドの略称)というカテゴリーに分類されるバンドである。 ヴィジュアル系と類似点があり混同されることがあるが、ルーツは全く異なり、ルーツとして挙げられるのは日本のヴィジュアル系バンドでなく海外グラムロック系バンドである。中期には戸城がやや短髪になり、森重は本人が学生時代以来というパンクスのような短髪になった。 また、80年代当時の邦楽ロックシーンはBOOWYが旋風を巻き起こしたとされる 空前のバンドブームとなっており、この時代にメジャーシーンを席巻した日本のバンドの多くはBOOWYルーツと安易に決め付けられる傾向があったが ZIGGYは前述のようなバンドがルーツでありBOOWYルーツのバンドではない。 [1] [2]

[編集] 音楽的特徴

音楽ライターなどからは「日本最高のR&Rバンド」と称されるなど、邦楽ロック界では非常に高い評価を受けている。ZIGGYのメンバーと親交のあるミュージシャンは清春MCUSION中島卓偉らがおり、中島は森重樹一とセッションライヴを行ったこともある。また、BURRN!We Rockといったロック専門誌に不定期的に掲載されている。 音楽性はアルバムによって異なり初期はいずれも洋楽ロックの影響を強く感じさせる、ハードロック系統の歪んだリフを基調としたサウンドにメロディアスでアップテンポな曲調を用い、そこに多用した英詞を載せるスタイルやシンプルなロックンロールが中心であったが、中期には戸城の趣向がアルバムに反映されることが多くビートルズの影響の強いポップスや、グランジハードロックパンクロックなど多彩なサウンドを追究した。後期はストーンズ思考の強い松尾の趣向がアルバムに反映されることが多くブルースロックやアコースティックバラードを中心にした内容になった。曲調も中期以降は様々なパターンの物が用いられるようになり、歌詞も初期は英詞を作中で多用したが、中期以降は日本語歌詞との融合を実現させた作品や、日本語歌詞のみの作品も増えるなど、作詞面でもバリエーションは初期と比べて圧倒的に豊富になった。 ちなみに大山脱退までが初期、戸城脱退までが中期、それ以降が後期と捉えられることが多い。このように、常にやりたい音楽を追求し、変化し続けてきた音楽性が彼らの最大の特徴であると言える。音楽性の著しい変化に伴いメンバーチェンジも繰り返され、その度にファンの間で物議を醸してきた。[2][3][4][5]

[編集] メジャーデビューまでの活動

1984年秋、東京で森重樹一を中心に結成される。ZIGGYという名前はデヴィッド・ボウイジギー・スターダストから命名された。その後メンバーチェンジを繰り返したのち、1986年初頭に当時G.D.フリッカーズに所属していた戸城憲夫が加入。この時点でのメンバーで、ソニーレコードのオーディションを受けるものの、最終選考で落選している。当オーディションでは、後に音源化される「LAZY BEAT」「I CAN'T STOP DANCIN'」が演奏された。その後ドラマーが結婚を理由に脱退し、戸城の大学の後輩であった大山正篤が加入、1986年10月には松尾宗仁が加入し、メジャーデビュー時のメンバー構成となった。
1987年7月にVICEレコードから初のLP「それゆけ! R&R BAND」を発売。発売記念ライブを渋谷ラママで行うものの、開始5曲ほどで森重がステージを降りてしまい、数曲をカラオケで演奏して終了、というトラブルがあった。また、この年は初の全国ツアーを行うが、地方では対バンが高校生、ZIGGYが「GIGGY」と表記される、メンバーが最前列の客のシュウマイを演奏中に食べる、など珍事の連続であった。[1]

[編集] メジャーデビュー以降の活動

[編集] 1987年 - 1991年

  • 1987年10月5日、徳間ジャパンよりアルバム「ZIGGY〜IN WITH THE TIMES〜」でメジャーデビューを果たすが、大山はこの時点でもアルバイトを続けていたという。
  • 1988年3月、初のライヴビデオ「ZIGGY 1988 1・16 芝浦冬の陣」を発売するも、収録日は不眠で大阪から移動していたため、メンバーのコンディションは非常に悪く演奏の質も低かったため、フルコーラスで収録されている楽曲は少なく、また大山が映るシーンも皆無である。3月、PERSONZPRESENCEらとともにライヴイベントツアー「東北ロックサーキット」に参加。5月、2ndアルバム「HOT LIPS」を発売、オリコン最高位12位まで上昇する。11月、初のシングル「SING MY SONG(I JUST WANT TO SING MY SONG)」、12月、これまでのバンド史を総括するインタビューと5曲のビデオクリップ等を収めたビデオ「ALL THAT ZIGGY」を発売。また、3rdアルバムレコーディングの為ロサンゼルスに渡る。
  • 1989年2月、2ndシングル「ONE NIGHT STAND」、3月、3rdアルバム「NICE & EASY」を発売。ブラスを導入したアレンジやラップ調ヴォーカルなど新境地を見せる。ジャケットは、戸城のペンによるメンバーのイラストである。なお、本アルバム以降、戸城脱退までは、森重と戸城でアルバム収録曲の作曲を半数ずつ担当した。7月、インディーズ時代のLPを再録音した「それゆけ! R&R BAND〜REVISITED〜」を発売。また、「HOT LIPS」収録曲の「GLORIA」がこの時期フジテレビ系ドラマ「同・級・生」の主題歌となり、シングルカットされる。オリコン最高位3位、推定売上枚数32.9万枚のヒットとなり、ゴールデンタイムのテレビ番組にも数多く出演。8月21日、18日の渋谷ラママでのライヴの追加公演という形で、初の日本武道館単独公演を敢行。アンコールではハノイ・ロックスの「DON'T YOU EVER LEAVE ME」が演奏され、曲中のMCで戸城が現在のメンバーになって3年余りで武道館公演ができたことへの感慨や、出演者用トイレにモトリー・クルーのサインがあった、というエピソードを披露した。このライヴは後にビデオ化され、「BIG MOUTH」というタイトルで発売された。
  • 1990年4月、4thアルバム「KOOL KIZZ」発売。当時のZIGGYが得意としていたハードかつメロディアスなロックンロールに重点を絞った内容であり、オリコン初登場1位を獲得する。しかし松尾は「今、変なバンドブームでしょ。バンドブームじゃない時に一位を取りたかった」と語っている。[6]秋頃、マスコミ各社に異例の「休暇届け」を送付し1年間の活動休止を発表。11月の「ALL or NOTHING」ツアー終了後、活動を一時休止する。
  • 1991年、ZIGGYをモデルとしたアニメ作品「ZIGGY THE MOVIE それゆけ! R&R BAND」が制作される。劇中歌には活動休止前にレコーディングされていた未発表曲が使用され、これらの楽曲をまとめたミニ・アルバム「SOUND TRAX」が6月に発売された。

[編集] 1992年 - 1997年

  • 1992年バンドとしての活動を再開、6月、5thアルバム「YELLOW POP」を発売。歌メロを重視したポップス調の作品が増え、特に戸城の作品の作風の変化が話題となる。しかし、アルバムの制作段階でメンバー間の音楽性のずれが表面化していた。新しい音楽に挑戦し、ソングライターとしての更なる成長を志していた森重と戸城は、あくまでトラディショナルなロックンロールにこだわる松尾との活動に限界を感じ始める。当初戸城はファンクメタルを軸にしたアルバムを構想していたが、技術的な問題も含め現在のメンバーでは不可能と判断しポップス志向の曲を多く提示することになる[2]。同時に松尾も「YELLOW POP」の制作で提示された新たなZIGGYの方向性は自らの音楽的嗜好とは相容れないものと感じ、脱退を決意する。また、森重と大山の間にも音楽的姿勢の相違が生じ、結局、「YELLOW POP」発売に伴うツアー「COME ON EVERYBODY」終了後に、松尾と大山の脱退が発表された。[7][2]2人の脱退に関して各雑誌社に送られた森重のメッセージは以下の通りである。

    「(略)約1年半という活動休止期間を経た我々の活動には、残念ながら終始どこかかみ合わない歯車のような、しっくりといかない感じがつきまとっており、各々のメンバーがその不確かな”ずれ”を違った形で捉えていたように思います。(略)バンドという一つの共同体を中心に考えるのであれば、バンドの方向性が最重要視されなければなりません。そのために個人的には納得のいかないこともあるはずです。(略)ただ唯一解って頂きたい点は、音楽は我々にとって最も愛するべきもので、人生そのものと言っても過言ではないということです。その音楽に、より誠実であるために各々が、より自分を生かせる場所で活動するべきだと判断したというところです。(略)親愛なるファンならびに関係者の皆様へ」(森重樹一)[8]

    12月、ライヴビデオ「COME ON EVERYBODY」、ファン投票により選曲されたベストアルバム「ORDER-MADE~15 NUMBERS SELECTION~」が発売され、これがデビュー時の4人での最後の作品となった。森重と戸城はユニットの形態でZIGGYとしての活動を継続していくこととなった。
  • 1993年7月、森重、戸城のユニットになってから初のアルバム「ZOO & RUBY」を発売。前作「YELLOW POP」で提示したビートルズの影響を強く受けたポップス志向のサウンドをアルバム全面で展開する。また、この時期はライヴを想定しない作品制作重視の活動方針も模索しており、ライヴの本数が極端に減少する。
  • 1994年6月、シングル「STAY GOLD」、7月、7thアルバム「BLOND 007」発売。前作とは一転、ロック路線に回帰し、ダウンチューニングや速弾きなど今までにない方法が導入された、ハードロックやヘヴィメタルの影響の強い作品も目立った。8月から9月にかけては結成10周年記念として、ツアー「10th ANNIVERSARY TOUR」を行う。戸城が横関敦等と結成したの別バンドLANCE OF THRILLもこの年初のアルバムを発売。
  • 1995年3月、シングル「Jealousy〜ジェラシー〜」発売。10月、ライヴでのサポートドラマーを務めてきた宮脇”JOE”知史(現44MAGNUM)が正式加入。3人編成となる。この年、森重のソロ活動が開始される。
  • 1996年1月、所属レコード会社をマーキュリー・ミュージックエンタテイメントに移籍。2月、8thシングル「君をのせて」3月、9thシングル「STEP BY STEP」、8thアルバム「WHAT NEWS!?」発売。ポップス路線から初期ZIGGYに通じるシンプルなロックンロール、7分超の大作「暗流」まで収録したバラエティに富んだ内容となった。4月~5月「WHAT NEWS!? TOUR」を行う。12月、10thシングル「Silent Eveを待ちながら」をリリースするも売上枚数がこのシングルから激減する。
  • 1997年2月、11thシングル「Guilty Vanity」発売。長年にわたって多く演奏された、この時期のZIGGYの代表曲となる。3月、9thアルバム「CRAWL」発売。グランジの影響を受けた重いサウンドと内省的で暗い歌詞が、賛否両論を呼ぶ。またアルバム発売に伴うツアー「'97 SPRING TOUR CRAWL」では4人時代の作品を封印し、物議を醸す。また、この頃、森重のソロ及び戸城のLANCE OF THRILLより続くバンドTHE SLUT BANKSも活動が本格化、宮脇はhide with Spread Beaverに参加と個人活動の期間も大幅に増加。ZIGGYとしては、6月、ビデオクリップ集「VIDEO de ZIGGY」12月にベストアルバム「What's Best!? SINGLES 1987-1997」を発売し、マーキュリー・ミュージックエンタテイメントとの契約が終了。

[編集] 1998年 - 2004年

  • セールスの大幅な減少、個人活動の活発化によりZIGGYは解散の危機に瀕する。そこで当時の所属事務所の創始者である月光恵亮は森重に松尾宗仁の復帰を提案。森重はこれに賛成し、松尾も当時TRYBECCAという自身のユニットで活動していたが、掛け持つ形で承諾。1998年3月に正式メンバーとして松尾が復帰。当初は"KING OF GYPSYZ"の変名でライヴを行っていたが、8月からはZIGGY名義でのライヴを通常通り行い、松尾復帰に伴って初期の楽曲も演奏された。
  • 1999年1月、SMEJ Associated Recordsに移籍。2月に12thシングル「マケイヌ」、3月に10thアルバム「Goliath Birdeater」を発売。ハードでありながらメロディアスな初期ZIGGYを彷彿とさせる森重の作品と、ハードコアやスカといった新機軸を提示している戸城の作品が対照的なアルバムとなった。しかし、外部プロデューサーの意見を大きく取り入れるアルバムの制作方法や、発売後のツアーのブッキングに関して不満を持っていた戸城は、取材等で不穏な発言を繰り返してしまう。戸城はその後、次回作の制作時にオーソドックスなロックンロールへ回帰しようとする森重や松尾との音楽性の相違を感じ、メンバーに脱退を示唆。メンバーは慰留に努めるものの、話し合いの末、互いに譲歩が困難であると悟り、10月1日をもって戸城の脱退が決定。また、戸城の脱退がレコード会社との契約違反とみなされ、契約解除だけでなく、ZIGGYの名でのバンド活動及びメンバーの個人活動も制限されることとなった。[2]12月、サポートベーシストに当時PSYCHO CANDIEに所属していた津谷正人を迎える。

  • 2000年1月、ファンクラブ会報にて戸城の脱退と、津谷正人を迎え"SNAKE HIP SHAKES"名義で活動することを発表。6月、レコード会社をメルダックに移籍し、SNAKE HIP SHAKES(以下SHS)1stシングル「永遠のJustice~この道の果てに~」、7月、SHS、1stアルバム「SNAKE HIP SHAKES」、10月、ZIGGYの楽曲のリメイクで構成した2ndアルバム「NO DOUBT~ZIGGY SONGS played by SNAKE HIP SHAKES~」発売。戸城脱退に伴い、松尾も精力的に作曲に参加するようになる。
  • 2001年4月、SHS、2ndシングル「RIVER OF TEARS」、3rdアルバム「VIRAGO」、11月、3rdシングル「RAIN」、12月、4thアルバム「NEVER SAY DIE」発売。
  • 2002年1月20日、渋谷AXでのライヴでZIGGY名義に戻ることが発表される。これを機に、津谷が正式加入。6月、14thシングル「HEAVEN AND HELL」、7月、11thアルバム「HEAVEN AND HELL」発売。パンク色の強い過剰なまでにポジティヴでアグレッシヴな内容はまたしても賛否両論を呼び、オフィシャルサイトの掲示板は誹謗、中傷も書き込まれ、一部メンバーがこれに応じてしまうなど荒廃を極め、閉鎖に追い込まれてしまう。9月8日、日比谷野外音楽堂でデビュー15周年コンサート「DEBUT 15th ANNIVERSARY LIVE"HEAVEN AND HELL"」を行う。10月26日、ヒストリー本と写真集「HEAVEN AND HELL」がソニーマガジンズから発売されるも、ヒストリー本の内容が一部で物議を醸す。12月、12thアルバム「HEAVEN AND HELLⅡ」発売。前作とは対照的に、アコースティック色の強いバラードやブルースロックを中心とした内容になった。
  • 2003年、5月、16thシングル「7th Direction」、8月、17thシングル「My Love」、9月、13thアルバム「ROCK AND ROLL FREEDOM!」発売。また、この年、森重が戸城憲夫との新バンドThe DUST'N'BONEZの活動を開始する。
  • 2004年、結成20周年。9月、4枚組公式ベストアルバム「VICISSITUDES OF FORTUNE」発売。11月、渋谷公会堂2デイズライヴ「20th ANNIVERSARY SPECIAL LIVE-VICISSITUDES OF FORTUNE-SNAKE HIP SHAKES NIGHT」「20th ANNIVERSARY SPECIAL LIVE-VICISSITUDES OF FORTUNE-ZIGGY NIGHT」を行う。この年、松尾のソロ活動開始。
  • 2005年1月、14thアルバム「JUST A ROCKIN' NITE」発売。7月、日比谷野外音楽堂で「ONE NIGHT STAND‐真夏の夜の夢‐」を行う。松尾と森重の新プロジェクトTHE PRODIGAL SONS始動。

[編集] 2006年 - 2011年

  • 2006年4月、津谷が脱退。ZIGGYとしての活動も休止。
  • 2007年10月、15thアルバム「NOW AND FOREVER」を2年9か月ぶりに発売。松尾のブルースロック嗜好やSIONの影響を受けた森重の内省的な作風を前面に押し出した内容が賛否両論を呼ぶ。また、この頃戸城のバンド"Gently Weeps"に大山正篤が参加、Gently Weepsのライヴに森重がゲスト参加した際松尾も会場に訪れ約15年ぶりにデビュー時のメンバー4人が顔を合わせることになった。
  • 2008年2月、ZIGGYの無期限の活動休止がメンバーのコメントとともに発表された。主な理由は、松尾の志向するブルースロック路線ではハードロック出身の宮脇のドラムを活かしきれないなどといったメンバー間の音楽性の相違であった。
  • 2009年、森重がソロ名義でZIGGY結成25周年記念としてZIGGYの楽曲のセルフカヴァーアルバム「KING'S ROAD」を発売。「GLORIA」をバラード風にリメイクするなどし、話題を呼ぶ。
  • 2010年、過去に自身が制作に深くかかわった楽曲を再度演奏したい、という意向を持っていた戸城の呼びかけにより、戸城、森重、宮脇の3人でZIGGY名義で、期間限定の全国ツアーを行うことが発表される。サポートギタリストにはカトウタロウを迎え、ツアーは秋から年末まで行われた。演奏されたのは初期の楽曲を中心に、アルバム「CRAWL」の時期までの楽曲であった。なお、松尾宗仁はツアー決定に際し、THE PRODIGAL SONSの公式ブログの「俺は放蕩息子」というエントリーにおいて、「某バンドのツアースケジュールが発表されたようだが、俺は参加しない。理由は言わなくてもわかるだろ?」と発言した。
  • 2011年1月、森重がTHE PRODIGAL SONS及びThe DUST'N' BONEZを脱退し、ソロ活動に専念することを発表する。3月には戸城も年間を通してTHE SLUT BANKS及びBAD SiX BABiESの活動を行うことをブログで示唆。同時期にZIGGYの公式サイトも閉鎖され、ZIGGY活動再開の目処は立っていない。
  • 森重はインタビューにおいて現在のメンバーは昨年の活動以前から森重 樹一、宮脇“JOE”知史、松尾 宗仁(休職中)と語っている。昨年の戸城は臨時復職(サポート)。

[編集] メンバー

[編集] 第一期(結成 - 1992年9月)

[編集] 第二期(1992年9月 - 1995年12月)

松尾、大山脱退。

  • 森重 樹一
  • 戸城 憲夫

[編集] 第三期(1995年12月 - 1998年1月)

それまでサポートドラマーであった宮脇(ex.44MAGNUM)が加入。

  • 森重 樹一
  • 戸城 憲夫
  • 宮脇“JOE”知史(みやわき“じょー”さとし1964年5月6日 - )ドラム。京都府出身。

[編集] 第四期(1998年1月 - 2000年1月)

松尾が復帰。

  • 森重 樹一
  • 戸城 憲夫
  • 宮脇“JOE”知史
  • 松尾 宗仁

[編集] 第五期(2000年1月 - 2002年3月)

戸城が音楽性の相違により脱退しサポートとして津谷が加入、契約上の問題で半年間ZIGGYの名前が使えなくなったためSNAKE HIP SHAKESとしての活動を開始する[2]。(契約上の問題が切れた後も、2002年4月までこの名前で活動を続ける) また、この頃から松尾が作曲を手がけるようになる。

  • 森重 樹一
  • 松尾 宗仁
  • 宮脇“JOE”知史
  • 津谷 正人(つや まさと、1969年1月13日 - )ベース

[編集] 第六期(2002年4月 - 2006年4月)

バンド名をZIGGYに戻して活動。津谷が正式加入。

  • 森重 樹一
  • 松尾 宗仁
  • 宮脇“JOE”知史
  • 津谷 正人

[編集] 第七期(2006年4月 - 2008年2月)

2008年4月1日に津谷が脱退。無期限の活動休止へ。

  • 森重 樹一
  • 松尾 宗仁
  • 宮脇“JOE”知史

[編集] 第八期(2010年12月 - 2011年1月)

戸城憲夫の呼びかけにより期間限定で活動。 森重のソロ専念により自然消滅。

  • 森重 樹一
  • 宮脇“JOE”知史
  • 戸城 憲夫 ※サポート
  • 松尾 宗仁 ※不参加(休職中という形となった。)[9]

[編集] ディスコグラフィー

[編集] シングル

  1. I'M GETTIN' BLUE c/w CRISIS 1988/5/25
  2. GLORIA c/w HOT LIPS 1988/5/25
  3. SING MY SONG (I JUST WANT TO SING MY SONG) c/w MIDNIGHT TRIPPER 1988/11/25
  4. ONE NIGHT STAND c/w SHOUT IT OUT LOUD 1989/2/27
  5. GLORIA c/w FEELIN' SATISFIED 1989/7/26
  6. I'M GETTIN' BLUE c/w BOOGIE WOOGIE TRAIN 1989/11/1
  7. 午前0時のMERRY-GO-ROUND/LET'S DO IT WITH THE MUSIC(両A面) 1992/7/29
  8. STAY GOLD c/w 真夜中の太陽 1994/6/27
  9. Jealousy 〜ジェラシー〜 c/w 春色の残像 1995/3/29
  10. 君をのせて c/w 月が昇る頃には 1996/2/5
  11. STEP BY STEP c/w HAPPY END 1996/3/4
  12. Silent Eveを待ちながら c/w 無力なViolence 1996/12/2
  13. Guilty Vanity c/w Teenage Dreamに祝福あれ 1997/2/26
  14. マケイヌ c/w ZIG ZAG WALK Boogie 1999/2/20
  15. Without… c/w この空の下のどこかに 1999/5/21
  16. 永遠のjustice〜この道の果てに〜 c/w RAT RACER / FALLEN ANGELS 2000/6/21 ●
  17. RIVER OF TEARS c/w HAPPY GO LUCKY /星屑になっちまう前に 2001/3/23 ●
  18. RAIN c/w So long! /SLIDE 2001/11/21 ●
  19. HEAVEN AND HELL 2002/6/26
  20. 誓い〜放浪者の丘の静けき夜〜 c/w You don't have to worry 2002/10/23
  21. 7th direction 2003/5/7
  22. My Love c/w 7DAYS' HANGOVER 2003/8/27

[編集] その他のシングル

  • STAND BY ME
「NICE & EASY」発売前後に行われた応募者プレゼントの特典
カバー曲
  • SING MY SONG/ONE NIGHT STAND
「ORDER-MADE」の人気投票時の特典
2曲とも1992年8月17日の日本武道館公演のLIVE音源
  • 流転
「ROCK AND ROLL FREEDOM!」およびシングル2枚の購入者応募特典

[編集] アルバム

  1. それゆけ! R&R BAND(インディーズ) 1987/7/10
  2. ZIGGY IN WITH THE TIMES 1987/10/5
  3. HOT LIPS 1988/5/25
  4. NICE & EASY 1989/3/25
  5. それゆけ! R&R BAND~REVISITED 1989/7/10
  6. KOOL KIZZ 1990/4/25
  7. SOUND TRAX 1991/6/25
  8. YELLOW POP 1992/6/25
  9. ZOO & RUBY 1993/7/21
  10. BLOND 007 1994/7/27
  11. WHAT NEWS!? 1996/3/25
  12. CRAWL 1997/3/26
  13. Goliath Birdeater 1999/3/20
  14. SNAKE HIP SHAKES 2000/7/26 ●
  15. VIRAGO 2001/4/25 ●
  16. NEVER SAY DIE 2001/12/19 ●
  17. HEAVEN AND HELL 2002/7/24
  18. HEAVEN AND HELLⅡ 2002/12/18
  19. ROCK AND ROLL FREEDOM! 2003/9/18
  20. JUST A ROCKIN' NITE 2005/1/26
  21. NOW AND FOREVER 2007/10/24

[編集] ベストアルバム

  1. ORDER-MADE -15 NUMBER SELECTION- 1992/12/4
  2. What's Best!? -SINGLES 1987~1997-1997/12/5
  3. WORST -VERY BEST OF SNAKE HIP SHAKES- 2003/12/19 ●
  4. VICISSITUDES OF FORTUNE 2004/9/8
  5. ゴールデン☆ベスト 2004/11/25

[編集] その他のアルバム

  • NO DOUBT -ZIGGY SONGS PLAYED BY SNAKE HIP SHAKES- 2000/10/25 ●
  • HEAVEN AND HELL COMPLETE BOX 2004/2/25

[編集] BOOKS

  • 「派手めな普段着」(単行本・ZIGGY (著) 1989/11発売)
  • 「ZIGGY,ZIGGY,ZIGGY」(単行本・ZIGGY (著)1990発売 )
  • 「HEAVEN AND HELL〜天獄のはざまで〜SIDE HEAVEN」(2002年発売)

[編集] 写真集

  • 「HEAVEN AND HELL〜天獄のはざまで〜SIDE HELL」(2002年発売)
  • 「That is my life」(2005年発売)

●印はSNAKE HIP SHAKES名義の作品

[編集] 関連項目

[編集] 参考文献・出典

  1. ^ a b 「派手めな普段着」シンコーミュージック1989年
  2. ^ a b c d e f 増田勇一『HEAVEN AND HELL〜天獄のはざまで〜SIDE HEAVEN』ソニー・マガジンズ、2002年
  3. ^ バンドスコア『ジギー/クールキッズ』パブリックイメージ1990年
  4. ^ 「BURRN」2003年2月号
  5. ^ 「ZIGGY,ZIGGY,ZIGGY」1991年宝島編集部
  6. ^ 「ALL THAT ZIGGYⅡ」
  7. ^ ロッキンf 1992年12月号
  8. ^ ロッキンf 1992年11月号
  9. ^ We Rock2011-vol.22

[編集] 外部リンク

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