ZIGGY

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ZIGGY
基本情報
出身地 日本の旗 日本東京都[1]
ジャンル ロック[1]
ロックンロール
ブルースロック[1]
ハードロック[1]
グラムロック      
活動期間 1984年 - 2008年
2010年2014年
レーベル 徳間ジャパン
公式サイト ZIGGY OFFICIAL WEB SITE
メンバー
森重樹一
戸城憲夫
旧メンバー
大山正篤
津谷正人
松尾宗仁
宮脇“JOE”知史

ZIGGY(ジギー)は、1984年に森重樹一を中心に結成されたロックバンド

1984年の結成以来、メンバーの脱退・加入・復帰、活動休止を繰り返し2008年2月に無期限の活動休止を発表した後、2010年2014年に期間限定で活動。

また、一時期はSNAKE HIP SHAKES(スネイク・ヒップ・シェイクス)と言う名義で活動していたこともある。

主な作品に『GLORIA』『STAY GOLD』『Jealousy〜ジェラシー』『STEP BY STEP』など。

外観的な特徴[編集]

ZIGGYのメンバーの初期の外観は、濃いメイクに明るい色の長髪、派手で煌びやかな衣装をまとっていたという特徴があるが、これは海外のバッドボーイズロック、およびLAメタル/グラムロックの影響によるものである。そのため、こうした特徴は後のヴィジュアル系と類似点があるため混同されることがあるが、ルーツは全く異なる。また、ZIGGYがメジャーデビューした当時の邦楽ロックシーンでは、まだヴィジュアル系というカテゴリーは明確には確立していなかった。しかしながら、ヴィジュアル系という用語が確立した90年代以降にヴィジュアル系雑誌SHOXXで取り上げられるなど、ヴィジュアル系の一派と捉えられるケースも稀にある。[2][3]。 中期に入ると戸城が比較的短髪になり、森重は本人が学生時代以来というパンクスのような短髪になった。同時にメイクや衣装も徐々に落ち着いた物に変化していった。 後期は津谷と松尾が短髪にすることが多くなり、衣装も黒を基調としたシックなスタイルを用いることが増えた。

80年代半ばにおける海外及び、国内のロックシーン[編集]

海外ではモトリー・クルーガンズ・アンド・ローゼズらの活躍により、バッドボーイズロックやLAメタルが80年代半ばに栄えていたが、彼らの音楽性、ファッション性はZIGGYのメンバーに少なからず影響を与えている。[4]同じころ、国内のロックシーンではBOØWYREBECCAらが相次いでブレイクし、空前のバンドブームとなっており、メジャーデビュー後のZIGGYもバンドブームの隆盛に比例する形でCDセールスやライヴの動員数を伸ばしていった。バンドブーム終焉とともに多くのバンドが解散や活動休止に追い込まれる中、ZIGGYは2008年まで活動を継続。バンドブーム期を経て生き残った数少ないバンドの1つである。[4][5]

音楽的特徴[編集]

音楽的特徴は活動時期やアルバムによって大きく異なる。初期はロックンロールハードロックを基調としたアップテンポな楽曲が多く、ボーカルパートはメロディアスで歌謡曲要素が強かった。また、ギタードラムベースを基調とした、いわゆるバンドサウンドのみの楽曲構成が多かった。ボーカルパートに歌謡曲要素が強かった点について、森重は少年期に沢田研二西城秀樹らの歌謡曲を好んで聴いていたため、その影響が楽曲に反映しているのかもしれないと語っている。[4][6] 森重、戸城のユニット編成となった中期に入るとアルバムリリースのたびに作風が変化するようになり、ビートルズの影響の強いポップスや、グランジパンクロックなど多彩なサウンドを追究した。同時にストリングスや管楽器、キーボードなどバンドサウンド以外のサウンドも盛んに楽曲に反映されるようになる。戸城脱退後、特にSNAKE HIP SHAKES名義での活動期には再度ロックンロール路線に回帰したものの、後期に入ると、ローリング・ストーンズらの影響の強いブルースロックサザンロック、アコースティックバラードを中心にした内容になった。歌詞の面では、初期は英語を作中で多用したが、中期以降は日本語歌詞との融合を図った作品が増え、後期は日本語歌詞のみの作品が増えた。

商業的視点からの考察とメディア露出[編集]

前述した80年代半ば以降のバンドブームの影響もあって、メジャーデビュー~90年代前半までは、シングル「GLORIA」が30万枚を超すなど安定したセールスを記録した。また、メディア露出に関してもUNICORNJUN SKY WALKER(S)ら当時活躍していた他のバンドと同様に積極的であった。バンドブーム衰退後もテレビ番組やCMとのタイアップ作品が多く、90年代半ばまでは各作品とも20万枚程度のセールスを保っていたが、1997年発売のアルバム「CRAWL」からCD売上枚数は大幅に下落した。これ以降はさらにメディア露出が減り、チャートアクションやセールスに拘らない姿勢を貫き現在に至っている。

メジャーデビューまでの活動[編集]

1984年秋、東京で森重樹一を中心に結成される。ZIGGYという名前はデヴィッド・ボウイジギー・スターダストから命名された。その後メンバーチェンジを繰り返したのち、1986年初頭に当時G.D.フリッカーズに所属していた戸城憲夫が加入。この時点でのメンバーで、ソニーレコードのオーディションを受けるものの、最終選考で落選している。当オーディションでは、後に音源化される「LAZY BEAT」「I CAN'T STOP DANCIN'」が演奏された。その後ドラマーが結婚を理由に脱退し、戸城の大学の後輩であった大山正篤が加入、1986年10月には松尾宗仁が加入し、メジャーデビュー時のメンバー構成となった。
1987年7月にVICEレコードから初のLP「それゆけ! R&R BAND」を発売。発売記念ライブを渋谷ラママで行うものの、開始5曲ほどで森重がステージを降りてしまい、数曲をカラオケで演奏して終了、というトラブルがあった。また、この年は初の全国ツアーを行うが、地方では対バンが高校生、ZIGGYが「GIGGY」と表記される、メンバーが最前列の客のシュウマイを演奏中に食べる、など珍事の連続であった。[4]

メジャーデビュー以降の活動[編集]

1987年 - 1991年[編集]

  • 1987年10月5日、徳間ジャパンよりアルバム「ZIGGY〜IN WITH THE TIMES〜」でメジャーデビューを果たすが、大山はこの時点でもアルバイトを続けていたという。
  • 1988年3月、初のライヴビデオ「ZIGGY 1988 1・16 芝浦冬の陣」を発売するも、収録日は不眠で大阪から移動していたため、メンバーのコンディションは非常に悪く演奏の質も低かったため、フルコーラスで収録されている楽曲は少なく、また大山が映るシーンも皆無である。3月、PERSONZPRESENCEらとともにライヴイベントツアー「東北ロックサーキット」に参加。5月、2ndアルバム「HOT LIPS」を発売、オリコン最高位12位まで上昇する。11月、初のシングル「SING MY SONG(I JUST WANT TO SING MY SONG)」、12月、これまでのバンド史を総括するインタビューと5曲のビデオクリップ等を収めたビデオ「ALL THAT ZIGGY」を発売。また、3rdアルバムレコーディングの為ロサンゼルスに渡る。
  • 1989年2月、2ndシングル「ONE NIGHT STAND」、3月、3rdアルバム「NICE & EASY」を発売。ブラスを導入したアレンジやラップ調ヴォーカルなど新境地を見せる。ジャケットは、戸城のペンによるメンバーのイラストである。なお、本アルバム以降、戸城脱退までは、森重と戸城でアルバム収録曲の作曲を半数ずつ担当した。7月、インディーズ時代のLPを再録音した「それゆけ! R&R BAND〜REVISITED〜」を発売。また、「HOT LIPS」収録曲の「GLORIA」がこの時期フジテレビ系ドラマ「同・級・生」の主題歌となり、シングルカットされる。オリコン最高位3位、推定売上枚数32.9万枚のヒットとなり、ゴールデンタイムのテレビ番組にも数多く出演。8月21日、18日の渋谷ラママでのライヴの追加公演という形で、初の日本武道館単独公演を敢行。アンコールではハノイ・ロックスの「DON'T YOU EVER LEAVE ME」が演奏され、曲中のMCで戸城が現在のメンバーになって3年余りで武道館公演ができたことへの感慨や、出演者用トイレにモトリー・クルーのサインがあった、というエピソードを披露した。このライヴは後にビデオ化され、「BIG MOUTH」というタイトルで発売された。
  • 1990年4月、4thアルバム「KOOL KIZZ」発売。当時のZIGGYが得意としていたハードかつメロディアスなロックンロールに重点を絞った内容であり、オリコン初登場1位を獲得する。しかし松尾は「今、変なバンドブームでしょ。バンドブームじゃない時に一位を取りたかった」と語っている。[7]秋頃、マスコミ各社に異例の「休暇届け」を送付し1年間の活動休止を発表。11月の「ALL or NOTHING」ツアー終了後、活動を一時休止する。
  • 1991年、ZIGGYをモデルとした異例の試みとも言えるアニメ作品「ZIGGY THE MOVIE それゆけ! R&R BAND」が制作される。劇中歌には活動休止前にレコーディングされていた未発表曲が使用され、これらの楽曲をまとめたミニ・アルバム「SOUND TRAX」が6月に発売された。

1992年 - 1998年[編集]

  • 1992年バンドとしての活動を再開、6月、5thアルバム「YELLOW POP」を発売。歌メロを重視したポップス調の作品が増え、特に戸城の作品の作風の変化が話題となる。しかし、アルバムの制作段階でメンバー間の音楽性のずれが表面化していた。新しい音楽に挑戦し、ソングライターとしての更なる成長を志していた森重と戸城は、あくまでトラディショナルなロックンロールにこだわる松尾との活動に限界を感じ始める。当初戸城はファンクメタルを軸にしたアルバムを構想していたが、技術的な問題も含め現在のメンバーでは不可能と判断しポップス志向の曲を多く提示することになる[5]。同時に松尾も「YELLOW POP」の制作で提示された新たなZIGGYの方向性は自らの音楽的嗜好とは相容れないものと感じ、脱退を決意する。また、森重と大山の間にも音楽的姿勢の相違が生じ、結局、「YELLOW POP」発売に伴うツアー「COME ON EVERYBODY」終了後に、松尾と大山の脱退が発表された。[8][5]2人の脱退に関して各雑誌社に送られた森重のメッセージは以下の通りである。

    「(略)約1年半という活動休止期間を経た我々の活動には、残念ながら終始どこかかみ合わない歯車のような、しっくりといかない感じがつきまとっており、各々のメンバーがその不確かな”ずれ”を違った形で捉えていたように思います。(略)バンドという一つの共同体を中心に考えるのであれば、バンドの方向性が最重要視されなければなりません。そのために個人的には納得のいかないこともあるはずです。(略)ただ唯一解って頂きたい点は、音楽は我々にとって最も愛するべきもので、人生そのものと言っても過言ではないということです。その音楽に、より誠実であるために各々が、より自分を生かせる場所で活動するべきだと判断したというところです。(略)親愛なるファンならびに関係者の皆様へ」(森重樹一)[9]

    12月、ライヴビデオ「COME ON EVERYBODY」、ファン投票により選曲されたベストアルバム「ORDER-MADE~15 NUMBERS SELECTION~」が発売され、これがデビュー時の4人での最後の作品となった。森重と戸城はユニットの形態でZIGGYとしての活動を継続していくこととなった。
  • 1993年7月、森重、戸城のユニットになってから初のアルバム「ZOO & RUBY」を発売。前作「YELLOW POP」で提示したビートルズの影響を強く受けたポップス志向のサウンドをアルバム全面で展開する。このアルバムはギターリフ主導型作品でも森重の得意とするキャチーなメロディを重視した作品でもなく、従来のZIGGYがあまり用いなかったストリングスや管楽器を大胆に導入にした。(管楽器やストリングスがリフを奏でている曲が複数あるほど)また、この時期はライヴを想定しない作品制作重視の活動方針も模索しており、ライヴの本数が極端に減少する。
  • 1994年6月、シングル「STAY GOLD」、7月、7thアルバム「BLOND 007」発売。前作とは一転、ロック路線に回帰し、ダウンチューニングや速弾きなど今までにない方法が導入された、ハードロックやヘヴィメタルの影響の強い作品も目立った。8月から9月にかけては結成10周年記念として、ツアー「10th ANNIVERSARY TOUR」を行う。戸城が横関敦等と結成したの別バンドLANCE OF THRILLもこの年初のアルバムを発売。
  • 1995年3月、シングル「Jealousy〜ジェラシー〜」発売。10月、ライヴでのサポートドラマーを務めてきた宮脇”JOE”知史(現44MAGNUM)が正式加入。3人編成となる。この年、森重のソロ活動が開始される。
  • 1996年1月、所属レコード会社をマーキュリー・ミュージックエンタテイメントに移籍。2月、8thシングル「君をのせて」3月、9thシングル「STEP BY STEP」、8thアルバム「WHAT NEWS!?」発売。ポップス路線から初期ZIGGYに通じるシンプルなロックンロール、7分超の大作「暗流」まで収録したバラエティに富んだ内容となった。また、次作CRAWLに通じる日本語歌詞メインの作品となった。4月~5月「WHAT NEWS!? TOUR」を行う。12月、10thシングル「Silent Eveを待ちながら」をリリースするも売上枚数がこのシングルから激減する。
  • 1997年2月、11thシングル「Guilty Vanity」発売。長年にわたって多く演奏され、この時期のZIGGYの代表曲となる。3月、9thアルバム「CRAWL」発売。このアルバムよりプロモーション活動を控え、メディア露出が極端に減少するなど活動体制が大きく変化し、以降、セールスは大幅に落ち込む。作品の内容は邦楽ロックではあまり見かけることのないグランジの影響を受けた重いサウンドに加え、内省的で暗く哲学的な要素を含んだ歌詞、商業性を拒絶したかのような作風などこれまでのZIGGYのイメージを覆す転換点的作品となり、賛否両論の声が飛び交った。また、本作ではヴィジュアル面でも大規模なギアチェンジを試みた。作詞面では従来の作品に比べ日本語歌詞が非常に多く、ほぼ日本語歌詞のみの作品が多数存在する。またアルバム発売に伴うツアー「'97 SPRING TOUR CRAWL」では4人時代の作品を封印し、物議を醸す。また、この頃、森重のソロ及び戸城のLANCE OF THRILLより続くバンドTHE SLUT BANKSも活動が本格化、宮脇はhide with Spread Beaverに参加と個人活動の期間も大幅に増加。ZIGGYとしては、6月、ビデオクリップ集「VIDEO de ZIGGY」発売。今後の活動体制や音楽的方向性という点で明らかな過渡期を迎えており、この時点ではZIGGYとしてのオリジナルアルバム制作は困難だと判断、しかし、契約の際に「アルバム3枚」という契約条件が含まれていたため、12月にベストアルバム「What's Best!? SINGLES 1987-1997」を発売し、契約消化、マーキュリー・ミュージックエンタテイメントとの契約が終了。
  • セールスの大幅な減少、個人活動の活発化などによりZIGGYは解散の危機に瀕する。そこで当時の所属事務所の創始者である月光恵亮は森重に松尾宗仁の復帰を提案。森重はこれに賛成し、松尾も当時TRYBECCAという自身のユニットで活動していたが、掛け持つ形で承諾。1998年3月に正式メンバーとして松尾が復帰。当初は"KING OF GYPSYZ"の変名でライヴを行っていたが、8月からはZIGGY名義でのライヴを通常通り行い、松尾復帰に伴って初期の楽曲も演奏された。

1999年 - 2004年[編集]

  • 1999年1月、SMEJ Associated Recordsに移籍。2月に12thシングル「マケイヌ」、3月に10thアルバム「Goliath Birdeater」を発売。この時期は既に述べたメンバー間における音楽的嗜好の違いが表面化してきており、バンドの過渡期的な状況がアルバムに反映される。ハードでありながらメロディアスな初期ZIGGYに回帰しようとする森重の作品と、スカの要素を取り入れたり、グランジ・ハードコアの影響と思われるファズを多用したハイテンポで轟音のギターリフ多用という新機軸を提示した戸城の作品が対照的なアルバムとなった。そのため、アルバム単位での音楽性の統一感は低く、バンドの過渡期的な状況がそのまま作品に反映された感が否めない。作詞面では若干ではあるが、前作CRAWLに傾倒した内容であった。また、外部プロデューサーの意見を大きく取り入れるアルバムの制作方法や、発売後のツアーのブッキングに関して不満を持っていた戸城は、取材等で不穏な発言を繰り返してしまう。戸城はその後、次回作の制作時にオーソドックスなロックンロールへ回帰しようとする森重や松尾との音楽性の相違を感じ、メンバーに脱退を示唆。メンバーは慰留に努めるものの、話し合いの末、互いに譲歩が困難であると悟り、10月1日をもって戸城の脱退が決定。また、戸城の脱退がレコード会社との契約違反とみなされ、契約解除だけでなく、ZIGGYの名でのバンド活動及びメンバーの個人活動も制限されることとなった。[5]12月、サポートベーシストに当時PSYCHO CANDIEに所属していた津谷正人を迎える。なお余談ではあるが、本作は「森重、戸城、松尾、宮脇」というメンバー編成で作成された唯一のアルバムである。
  • 2000年1月、ファンクラブ会報にて戸城の脱退と、津谷正人を迎え"SNAKE HIP SHAKES"名義で活動することを発表。6月、レコード会社をメルダックに移籍し、SNAKE HIP SHAKES(以下SHS)1stシングル「永遠のJustice~この道の果てに~」、7月、SHS、1stアルバム「SNAKE HIP SHAKES」、10月、ZIGGYの楽曲のリメイクで構成した2ndアルバム「NO DOUBT~ZIGGY SONGS played by SNAKE HIP SHAKES~」発売。戸城脱退に伴い、松尾も精力的に作曲に参加するようになる。前述したように戸城脱退により、SHSの1stアルバムはオーソドックスかつ粗暴な要素を含んだロックンロールに回帰しようとしていた森重と松尾の趣向が確認できる内容の作品であり、SHSは今後もこの路線を進んでいく。
  • 2001年4月、SHS、2ndシングル「RIVER OF TEARS」、3rdアルバム「VIRAGO」、11月、3rdシングル「RAIN」、12月、4thアルバム「NEVER SAY DIE」発売。いずれのアルバムもロックンロール的な要素の強い楽曲が多く、ZIGGYの持っていた音楽的要素の1つである粗暴で過激な側面を色濃く表現した。
  • 2002年1月20日、渋谷AXでのライヴでZIGGY名義に戻ることが発表される。これを機に、津谷が正式加入。6月、14thシングル「HEAVEN AND HELL」、7月、11thアルバム「HEAVEN AND HELL」発売。この作品はZIGGY名義に戻ってからの1作目のアルバムであるが、SHSの流れを汲んだパンク/ロックンロール色の強い粗暴な作風で作詞面は過剰なまでにポジティヴでアグレッシヴな内容であり、こうしたことから、またしても作品について賛否両論を呼び、オフィシャルサイトの掲示板は誹謗中傷なども書き込まれ、一部メンバーがこれに応じてしまうなど荒廃を極め、最終的に閉鎖に追い込まれてしまう。9月8日、日比谷野外音楽堂でデビュー15周年コンサート「DEBUT 15th ANNIVERSARY LIVE"HEAVEN AND HELL"」を行う。10月26日、ヒストリー本と写真集「HEAVEN AND HELL」がソニーマガジンズから発売される。12月、12thアルバム「HEAVEN AND HELL II」発売。前作とは対照的に、アコースティックギターを多用したバラードやブルースロックを中心とした内容になった。ZIGGY名義で本格的にブルースロック路線に踏み込んだのは本作が最初である。なお、収録曲の約半数が過去の作品をブルース調にリメイクし直したものである。
  • 2003年、5月、16thシングル「7th Direction」、8月、17thシングル「My Love」、9月、13thアルバム「ROCK AND ROLL FREEDOM!」発売。80年代のZIGGYを彷彿とさせる原点回帰的作品であったが、このアルバムに収録されているギターの松尾制作の「愚か者のパレード」はブルースロック的な楽曲であった。また、この年、森重が戸城憲夫との新バンドThe DUST'N'BONEZの活動を開始する。
  • 2004年、結成20周年。9月、4枚組公式ベストアルバム「VICISSITUDES OF FORTUNE」発売。過去のシングル全曲とオリジナルアルバム未収録のシングル曲1曲が収録され、さらに各オリジナルアルバムの高品質の楽曲も多数収録された。またミキシング音源を収録する一方で、インディーズ版の音源の収録やデモ音源の多数収録、さらに新曲2曲も収録されるなど独特の構成のベストアルバムとなる。森重は「ありがちなベスト盤にはしたくなかった」と語っている。[10]ちなみにデモ音源に関しては歌詞カードに歌詞は記載されなかった。11月、渋谷公会堂2デイズライヴ「20th ANNIVERSARY SPECIAL LIVE-VICISSITUDES OF FORTUNE-SNAKE HIP SHAKES NIGHT」「20th ANNIVERSARY SPECIAL LIVE-VICISSITUDES OF FORTUNE-ZIGGY NIGHT」を行う。この年、松尾のソロ活動開始。
  • 2005年1月、14thアルバム「JUST A ROCKIN' NITE」発売。松尾の志向するブルースロック的色彩の強いアルバムとなった。7月、日比谷野外音楽堂で「ONE NIGHT STAND‐真夏の夜の夢‐」を行う。松尾と森重の新プロジェクトTHE PRODIGAL SONS始動。

2006年 - 2011年[編集]

  • 2006年4月、津谷が脱退。ZIGGYとしての活動も休止。
  • 2007年10月、15thアルバム「NOW AND FOREVER」を2年9か月ぶりに発売。前作より更に松尾のブルースロック嗜好が前面に押し出されたサウンドにSIONの影響を確認できる森重の内省的な歌詞を載せた作風が賛否両論を呼ぶ。ちなみにこのアルバムにはアンサーソングが2曲収録されており、タイトル曲でもあるNOW AND FOREVERはI'm gettin'blueのアンサーソングであり、レゲエやラップといったロック以外の要素を中心に構築された異色作である。5曲目に収録されているLEWISはBIRDS ON STRINGSのアンサーソングでありカントリーロックを思わせる仕上がりとなった。このアルバムはPV付属版とライブアルバム付属版の2種類のバージョンが存在する。ライブアルバムはZIGGY史上初の試みである。また、この頃戸城のバンド"Gently Weeps"に大山正篤が参加、Gently Weepsのライヴに森重がゲスト参加した際松尾も会場に訪れ約15年ぶりにデビュー時のメンバー4人が顔を合わせることになった。
  • 2008年2月、ZIGGYの無期限の活動休止がメンバーのコメントとともに発表された。主な理由は、松尾の志向するブルースロック路線ではハードロック出身の宮脇のドラムを活かしきれないなどといったメンバー間の音楽性の相違であった。
  • 2009年、森重がソロ名義でZIGGY結成25周年記念としてZIGGYの楽曲のセルフカヴァーアルバム「KING'S ROAD」を発売。「GLORIA」をバラード風にリメイクした。
  • 2010年、過去に自身が制作に深くかかわった楽曲を再度演奏したい、という意向を持っていた戸城の呼びかけにより、戸城、森重、宮脇の3人でZIGGY名義で、期間限定の全国ツアーを行うことが発表される。サポートギタリストにはカトウタロウを迎え、ツアーは秋から年末まで行われた。演奏されたのは初期の楽曲を中心に、アルバム「CRAWL」の時期までの楽曲であった。なお、松尾宗仁はツアー決定に際し、THE PRODIGAL SONSの公式ブログの「俺は放蕩息子」というエントリーにおいて、「某バンドのツアースケジュールが発表されたようだが、俺は参加しない。理由は言わなくてもわかるだろ?」と発言した。
  • 2011年1月、森重がTHE PRODIGAL SONS及びThe DUST'N' BONEZを脱退し、ソロ活動に専念することを発表する。3月には戸城も年間を通してTHE SLUT BANKS及びBAD SiX BABiESの活動を行うことをブログで示唆。同時期にZIGGYの公式サイトも閉鎖され、ZIGGY活動再開の目処は立っていない。また、オリジナルアルバムをはじめ、音源が発表されなかったのは第八期のみである。
  • 森重はインタビューにおいて現在のメンバーは昨年の活動以前から森重 樹一、宮脇“JOE”知史、松尾 宗仁(休職中)と語っている。昨年の戸城は臨時復職(サポート)。

2012年 -[編集]

  • 公式サイト閉鎖後は、しばらく無風状態が続いたが、2014年の3月に結成30周年を記念して森重樹一の呼びかけにより期間限定で活動を再開した。前回の期間限定活動の際はライブのみであったが、今回は会場限定販売の新曲(3曲入りマキシングル)なども作成された。
  • 2014年7月12日、日本テレビの「THE MUSIC DAY 音楽のちから~日本人に力をくれる名曲~」に森重のみがZIGGY名義で出演し「GLORIA」を披露した。バックのメンバーは女性の4人組(ギター、ベース、ドラム、キーボード)によるエアー演奏であった。他メンバーの出演しなかったことに関しては公表されてないが、当日、戸城はTHE SLUT BANKSのLIVEがあった。
  • 2014年8月2日、TBSの「音楽の日」に森重のみがZIGGY名義で出演し「GLORIA」を披露した。バックのメンバーはALvino)、清(INSIDE ME)、CHARGEEEEEE...(OMEGA DRIPP)。
  • 2014年9月3日、徳間ジャパンコミュニケーションズから2枚組のプラチナムベストが発売された。全シングル曲が収録され、その他の収録曲は全て森重の選曲によるものである。

メンバー[編集]

第一期(結成 - 1992年9月)[編集]

第二期(1992年9月 - 1995年12月)[編集]

松尾、大山脱退。

  • 森重 樹一
  • 戸城 憲夫

第三期(1995年12月 - 1998年1月)[編集]

それまでサポートドラマーであった宮脇(ex.44MAGNUM)が加入。

  • 森重 樹一
  • 戸城 憲夫
  • 宮脇“JOE”知史(みやわき“じょー”さとし1964年5月6日 - )ドラム。京都府出身。

第四期(1998年1月 - 2000年1月)[編集]

松尾が復帰。

  • 森重 樹一
  • 戸城 憲夫
  • 宮脇“JOE”知史
  • 松尾 宗仁

第五期(2000年1月 - 2002年3月)[編集]

戸城が音楽性の相違により脱退しサポートとして津谷が加入、契約上の問題で半年間ZIGGYの名前が使えなくなったためSNAKE HIP SHAKESとしての活動を開始する[5]。(契約上の問題が切れた後も、2002年4月までこの名前で活動を続ける) また、この頃から松尾が作曲を手がけるようになる。

  • 森重 樹一
  • 松尾 宗仁
  • 宮脇“JOE”知史
  • 津谷 正人(つや まさと、1969年1月13日 - )ベース、コーラス

第六期(2002年4月 - 2006年4月)[編集]

バンド名をZIGGYに戻して活動。津谷が正式加入。

  • 森重 樹一
  • 松尾 宗仁
  • 宮脇“JOE”知史
  • 津谷 正人

第七期(2006年4月 - 2008年2月)[編集]

2008年4月1日に津谷が脱退。無期限の活動休止へ。

  • 森重 樹一
  • 松尾 宗仁
  • 宮脇“JOE”知史

第八期(2010年11月 - 2010年12月)[編集]

戸城憲夫の呼びかけにより期間限定でライブを行う。

  • 森重 樹一
  • 宮脇“JOE”知史
  • 戸城 憲夫(サポート)

(※松尾宗仁は不参加)

第九期 (2014年3月 -)[編集]

結成30周年を記念して森重樹一の呼びかけにより期間限定で活動再開。 全国ライブツアーの開催とともにZIGGYとしては約7年振りに新曲を制作。

  • 森重 樹一
  • 戸城 憲夫
  • カトウ タロウ ギター(ex.BEAT CRUSADERS)
  • 金川 卓矢 ドラムス

第九期の活動にあたり、当初は第一期メンバーでの活動も計画されていたが、メンバー間の音楽性の相違や、情報伝達の行き違いにより実現しなかったことが、森重、松尾宗仁の公式ブログで明かされている。

ディスコグラフィー[編集]

  • ●印が付いて部分は、SNAKE HIP SHAKES名義での作品。

シングル[編集]

発売日 タイトル タイアップ
1st 1988年5月25日 I'M GETTIN' BLUE(c/w:「CRISIS」)
2nd 1988年5月25日 GLORIA(c/w:「HOT LIPS」)
3rd 1988年11月25日 SING MY SONG (I JUST WANT TO SING MY SONG)(c/w:「MIDNIGHT TRIPPER」)
4th 1989年2月27日 ONE NIGHT STAND(c/w:「SHOUT IT OUT LOUD」)
5th 1989年7月26日 GLORIA(c/w:「FEELIN' SATISFIED」) フジテレビ系ドラマ『同・級・生』主題歌(#1)
6th 1989年11月1日 I'M GETTIN' BLUE(c/w:「BOOGIE WOOGIE TRAIN」)
7th 1992年7月29日 午前0時のMERRY-GO-ROUND/LET'S DO IT WITH THE MUSIC ANB系ドラマ『本当にあった怖い話』後期エンディングテーマ(#1)
ナショナル蛍光灯「パルック」CMソング(#2)
8th 1994年6月27日 STAY GOLD(c/w:「真夜中の太陽」) 94'劇空間プロ野球』イメージソング(#1)
9th 1995年3月29日 Jealousy 〜ジェラシー〜(c/w:「春色の残像」) カメリアダイアモンド」イメージソング(#1)
10th 1996年2月5日 君をのせて(c/w:「月が昇る頃には」) フジテレビ系『HEY!HEY!HEY!MUSIC CHAMP』1996年1月 - 3月度エンディングテーマ
11th 1996年3月4日 STEP BY STEP(c/w:「HAPPY END」 読売テレビ日本テレビ系アニメ『名探偵コナン』初代エンディングテーマ
読売テレビ・日本テレビ系アニメ『名探偵コナン』挿入歌(#2)
12th 1996年12月2日 Silent Eveを待ちながら(c/w:「無力なViolence」) フジテレビ系『タモリのスーパーボキャブラ天国』エンディングテーマ
13th 1997年2月26日 Guilty Vanity(c/w:「Teenage Dreamに祝福あれ」)
14th 1999年2月20日 マケイヌ(c/w:「ZIG ZAG WALK Boogie」)
15th 1999年5月21日 Without…(c/w:「この空の下のどこかに」) 元気首都高バトル(DC)テーマ曲&CM曲
●16th 2000年6月21日 永遠のjustice〜この道の果てに〜(c/w :「RAT RACER」、「FALLEN ANGELS」) 元気首都高バトル2(DC)テーマ曲&CM曲
●17th 2001年3月23日 RIVER OF TEARS(c/w:「HAPPY GO LUCKY」、「星屑になっちまう前に」)
●18th 2001年11月21日 RAIN(c/w:「So long!」、「SLIDE」
19th 2002年6月26日 HEAVEN AND HELL
20th 2002年10月23日 誓い〜放浪者の丘の静けき夜〜(c/w:「You don't have to worry」)
21st 2003年5月7日 7th direction
22nd 2003年8月27日 My Love(c/w:「7DAYS' HANGOVER」)

その他のシングル[編集]

タイトル 備考
STAND BY ME カバー曲で、「NICE & EASY」発売前後に行われた応募者プレゼントの特典。
SING MY SONG
ONE NIGHT STAND
「ORDER-MADE」の人気投票時の特典。2曲とも1992年8月17日日本武道館公演のライブ音源。
流転 「ROCK AND ROLL FREEDOM!」およびシングル2枚の購入者応募特典。
逆説のファンタジア
逃避行
心模様さえ俺の手には負えない
2014年のツアーにて会場限定リリースされた新曲3曲を収めたマキシシングル。

アルバム[編集]

オリジナル・アルバム[編集]

発売日 タイトル
1st 1987年7月10日 それゆけ! R&R BAND(インディーズ)
2nd 1987年10月5日 ZIGGY IN WITH THE TIMES
3rd 1988年5月25日 HOT LIPS
4th 1989年3月25日 NICE & EASY
5th 1989年7月10日 それゆけ! R&R BAND〜REVISITED
6th 1990年4月25日 KOOL KIZZ
7th 1991年6月25日 SOUND TRAX
8th 1992年6月25日 YELLOW POP
9th 1993年7月21日 ZOO & RUBY
10th 1994年7月27日 BLOND 007
11th 1996年3月25日 WHAT NEWS!?
12th 1997年3月26日 CRAWL
13th 1999年3月20日 Goliath Birdeater
●14th 2000年7月26日 SNAKE HIP SHAKES
●15th 2001年4月25日 VIRAGO
●16th 2001年12月19日 NEVER SAY DIE
17th 2002年7月24日 HEAVEN AND HELL
18th 2002年12月18日 HEAVEN AND HELLII
19th 2003年9月18日 ROCK AND ROLL FREEDOM!
20th 2005年1月26日 JUST A ROCKIN' NITE
21st 2007年10月24日 NOW AND FOREVER

ベスト・アルバム[編集]

発売日 タイトル
1st 1992年12月4日 ORDER-MADE -15 NUMBER SELECTION-
2nd 1997年12月5日 What's Best!? -SINGLES 1987〜1997-
●3rd 2003年12月19日 WORST -VERY BEST OF SNAKE HIP SHAKES-
4th 2004年9月8日 VICISSITUDES OF FORTUNE
5th 2004年11月25日 ゴールデン☆ベスト
6th 2014年9月3日 ZIGGY プラチナムベスト

その他のアルバム[編集]

発売日 タイトル
●1st 2000年10月25日 NO DOUBT -ZIGGY SONGS PLAYED BY SNAKE HIP SHAKES-
2nd 2004年2月25日 HEAVEN AND HELL COMPLETE BOX

音源化されなかった楽曲[編集]

  • STEP BY STEP

名探偵コナン初代エンディング・テーマ。同番組のEDとして使用されたヴァージョンはZIGGY名義でリリースされたSTEP BY STEPや同曲が収録されたWHAT NEWS!?のヴァージョンとはアレンジや歌い方が異なるが、音源化されることはなかった。名探偵コナン主題歌集に収録されてる同曲はWHAT NEWS!?の音源と同じもので実際にEDに使用されたヴァージョンは名探偵コナンのDVD、VHSなどの映像作品でのみ視聴できる。 また、同アニメが海外輸出されたことにより、同曲も英語でカバーされた。

映像作品[編集]

  • ZIGGY-1.16.芝浦・冬の陣(1988年、VHS / LD)
  • ALL THAT ZIGGY(1988年、VHS / LD / DVD
  • BIG MOUTH(1989年、VHS / LD / DVD
  • ALL THAT ZIGGY 2(1990年、VHS / LD)
  • ALL OR NOTHING(1991年、VHS / LD)
  • それゆけ! R&R BAND(1991年、VHS / LD)
  • COME ON EVERYBODY(1992年、VHS / LD)
  • VIDEO de ZIGGY VIDEO CLIPS 1994-1997(1997年、VHS)
  • LIVE FILM 2001-TOUR “VIRAGO” 2001 TOKYO SHIBUYA-AX-(2001年、VHS / DVD
  • SNAKE HIP SHAKES FILM 2002-LIVE & 5 CLIPS-(2002年、VHS / DVD
  • DEBUT 15th ANNIVERSARY LIVE“HEAVEN AND HELL”at 日比谷野音 2002.9.8(2002年、VHS / DVD
  • Live-Yだよ ZIGGYさん! 2828ナイトスペシャル (仮)(2003年、VHS / DVD
  • ライブ帝国 ZIGGY(2003年、DVD
  • ライブ帝国 SNAKE HIP SHAKES~ZIGGY(2004年、DVD
  • ZIGGY LIVE DVD TOUR ’03 ROCK AND ROLL FREEDOM!(2004年、DVD
  • SNAKE HIP SHAKES NIGHT 2004.11.6(2005年、DVD
  • ZIGGY NIGHT 2004.11.7(2005年、DVD
  • ALL THAT ZIGGY III-SNAKE HIP SHAKES~ZIGGY-(2005年、DVD
  • ONE NIGHT STAND-真夏の夜の夢-2005.7.2 at日比谷野外音楽堂(2005年、DVD
  • SPEACE SHOWER ARCHIVE ZIGGY LIVE 9002(2006年、DVD
  • “東西夏開き!!” LIVE 2007 at SHIBUYA-AX(2007年、DVD
  • DOCUMENT 2007 -NOW AND FOREVER-(2008年、DVD

BOOKS[編集]

  • 「派手めな普段着」(単行本・ZIGGY (著) 1989/11発売)
  • 「ZIGGY,ZIGGY,ZIGGY」(単行本・ZIGGY (著)1990年発売 )
  • 「HEAVEN AND HELL〜天獄のはざまで〜SIDE HEAVEN」(2002年発売)

写真集[編集]

  • 「HEAVEN AND HELL〜天獄のはざまで〜SIDE HELL」(2002年発売)
  • 「That is my life」(2005年発売)

●印はSNAKE HIP SHAKES名義の作品

関連項目[編集]

参考文献・出典[編集]

  1. ^ a b c d ZIGGY - ジギー - キューブミュージック・2014年3月18日閲覧。
  2. ^ 「SHOXX1991年vol.1」音楽専科社
  3. ^ 「SHOXX1993年9月号』音楽専科社
  4. ^ a b c d 「派手めな普段着」シンコーミュージック1989年
  5. ^ a b c d e 増田勇一『HEAVEN AND HELL〜天獄のはざまで〜SIDE HEAVEN』ソニー・マガジンズ、2002年
  6. ^ 「ZIGGY,ZIGGY,ZIGGY」1991年宝島編集部
  7. ^ 「ALL THAT ZIGGYⅡ」
  8. ^ ロッキンf 1992年12月号
  9. ^ ロッキンf 1992年11月号
  10. ^ 「VICISSITUDES OF FORTUNE」meldac2005年

外部リンク[編集]