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2021年11月26日 (金) 14:55時点における版

李克強
李克强
李克強
Li Keqiang
2019年11月1日
生年月日 (1955-07-01) 1955年7月1日(68歳)
出生地 中華人民共和国の旗 中華人民共和国 安徽省定遠県
出身校 北京大学法学士、経済学博士
現職 中華人民共和国国務院総理
国務院黨組書記
党中央政治局常務委員
党中央国家安全委員会副主席
所属政党 中国共産党
配偶者 程虹(大学教授)[1]
子女 1人

内閣 李克強内閣
在任期間 2013年3月15日 - 現職
国家主席 習近平

在任期間 2007年10月22日 - 現職
党総書記 胡錦濤
習近平

内閣 第2次温家宝内閣
在任期間 2008年3月17日 - 2013年3月15日
国家主席 胡錦濤

在任期間 1993年5月10日 - 1998年6月23日
党総書記 江沢民
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李克強
各種表記
繁体字 李克強
簡体字 李克强
拼音 Lǐ Kèqiáng
和名表記: り こっきょう
発音転記: リー・クーチアン
英語名 Li Keqiang
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李克強(り こっきょう、り こくきょう、簡体字:李克强、繁体字:李克強、英語:Li Keqiangリー・クーチアン1955年7月1日 - )は、中華人民共和国政治家。第7代国務院総理、第17・18・19期党中央政治局常務委員新型コロナウイルス感染症対策領導小組中国語版組長、中央国家安全委員会中国語版中央網絡安全和信息化委員会中国語版中央全面深化改革委員会中国語版中央全面依法治国委員会中国語版中央審計委員会中国語版中央軍民融合発展委員会中国語版の副主席と副主任を兼務している。中国共産党での序列は習近平党総書記に次ぐ第2位。胡錦濤元総書記と同じく共青団の出身である。習近平と共に中国共産党第5世代指導者の1人と目されている[2]

経歴

1955年7月1日に安徽省定遠県に誕生する。胡錦濤とは、戸籍上は同郷人である[注 1]1974年3月から1978年3月にかけて安徽省鳳陽県大廟公社で労働に従事。この間の1976年5月に中国共産党に入党する。同年11月より大廟公社大廟生産大隊党支部書記を務める。文化大革命が終息した1970年代末に全国普通高等学校招生入学考試が復活すると鳳陽県の首席(高考状元)となり、1978年3月に北京大学法律系(法学部)に入学する。在学中は全校学生会責任者を務めた。

1982年2月に大学を卒業し、法学学士号を修得した。同月から翌年12月にかけて北京大学共青団委員会書記・共青団中央常務委員・共青団中央学校部部長兼全国学校連合会秘書長を務めた。1983年12月に共青団中央書記処候補書記となり、1985年3月に外務省の招待を受けた中国青年代表団の副団長として来日した。当時中華全国青年連合会(全青連)主席であった胡錦濤団長と共に副団長として聖教新聞社を訪問し、池田大作と会談している[3]1985年11月に共青団中央書記処書記に就任。李が共青団中央書記処入りしたこの時期、胡錦濤もまた先任の書記として在籍しており、1984年から1985年にかけて共青団中央書記処第一書記の地位にあった。1985年に青年団副団長として団長の胡錦涛に同行して日本を訪問し、安倍晋太郎外務大臣と当時その秘書官であった安倍晋三らと晩餐会をともにした[4]。李は1986年6月に全国青年連合会副主席を兼任した。1988年9月から1994年12月にかけて、在職のまま北京大学経済学院経済学専攻大学院に学び、経済学修士号・博士号を修得する[5]。指導教官は清華大学経営管理学院(初代院長は朱鎔基)と双璧をなすとされる北京大学光華管理学院の初代院長である厲以寧中国語版だった[6]。この間、1991年9月から11月にかけて中国共産党中央党校でも学ぶ。1992年には岩手県小沢一郎の自宅にホームステイした[7]

1993年3月に共青団中央書記処第一書記に昇格し、中国青年政治学院院長を兼ねた。同月には安徽省代表として第8期全国人民代表大会常務委員会委員・全人代常務委員会代表資格審査委員会委員に選出される。その後、第9期(1998年から2003年)・第10期(2003年から2008年)・第11期(2008年から)の全人代代表(議員)に選出される。

1997年9月の第15回党大会党中央委員に選出された李は、1998年6月に共青団中央書記処第一書記兼中国青年政治学院院長を退き、党務に転じて河南省に赴任し、河南省党委員会副書記に就任した。翌月には河南省副省長を兼任。その後、省長代理を経て、1999年2月には正式に河南省省長兼省党委副書記・省政府党組書記に就任した。2002年11月、第16回党大会で中央委員に再選。翌月河南省党委書記に就任。2003年1月、兼任していた河南省省長を退任し、河南省人民代表大会常務委員会主任を新たに兼務する。次いで2004年12月、遼寧省党委書記に転じた。これに伴い、翌年1月に河南省人代常務委員会主任を辞任した。2005年2月27日に遼寧省人民代表大会常務委員会主任を兼務した。

政治局常務委員

2007年10月の第17回党大会で中央委員に再選。10月22日の第17期党中央委員会第1回全体会議(第17期1中全会)で二段飛びの政治局常務委員に選出された。同様に政治局常務委員となった習近平とともに第18期以降を支える第5世代の重要人物とされ、胡錦濤が江沢民元総書記時代に就いていた中央書記処常務書記には習近平が任命され、李は国務院党組副書記・中央財経領導小組成員として温家宝総理の補佐となったため、胡錦濤の後継者は習近平か李と目された。2008年3月17日に第11期全国人民代表大会第1回会議において国務院常務副総理に任命された。しかし、李を中国の次期党総書記(最高指導者)に推す温家宝は党内の保守派や既得権益を重んじる層(上海閥太子党)から批判の矢面に立たされており、同年11月に4兆元の大規模な財政出動内需拡大十項措置英語版)を断行して世界金融危機も乗り越えた国務院副総理で習近平に近い王岐山と比較して李は危機管理が弱いと国務院内で評され[8]、最終的に温家宝は権力闘争に敗れ、軍部や保守派が推したとされる習近平が胡錦濤の後継者に確定したという経緯が報じられた[9]

2012年11月15日に第18期1中全会で政治局常務委員に再選され、党総書記となった習近平に次ぐ党内序列第2位となる[10]。同月21日、李は北京中南海で開催された改革開放に関する座談会を主宰し、「人民がさらに良い生活を送れるようにするためには、改革開放が必要だ」と述べ、多くの改革を進めれば既得権益層の打破などにつながると主張して、習李体制の10年間で改革を進める姿勢を示した[11]

国務院総理

2013年3月15日に李克強は第12期全国人民代表大会第1回会議において第7代国務院総理に選出された[12]。翌日には閣僚の任命が行われて、正式に李克強内閣が発足した[13]

2018年5月8日に日中韓首脳会談への出席のために総理就任後初めて訪日し、9日に東京迎賓館での安倍晋三首相との会談で日中防衛当局間のホットラインである海空連絡メカニズムの運用開始、一帯一路に基づく第三国での共同インフラ整備を具体化させる官民協議体の設置、通貨スワップ協定再開や共同映画製作協定と社会保障協定の締結などで合意し[14][15]天皇とも懇談した[16]。また、北海道への視察には安倍首相も同行し、日中知事省長フォーラムに出席した他[17]、牧場のえこりん村で昼食をともにし、トヨタ自動車の工場も訪れて豊田章男社長に出迎えられた[18]

人物像

部下を決して怒鳴りつけることはせず、公私で他人の悪口を言わず、周囲に常に笑顔を見せているという。共産主義青年団にいた頃は胡錦濤と行動を共にすることが多く、胡錦濤は李克強の人柄を見込んで青年団書記候補に抜擢した。青年団時代の幹部によると「李克強は敵を作らない」という。学校部長であった頃にある部長との意見の相違で対立したことがあり、李克強が中央第一書記になると、その部長は報復を恐れていたが、ある日、李克強は彼を呼び寄せ、人事異動の際に彼の昇格を伝え、新しい官舎の鍵を渡したという[19]

元来あまり身体が丈夫で無く、腎臓肝臓疾患糖尿病を患っていると報じられることがある。[20][21][22][23]

家庭

  • 程虹夫人は首都経済貿易大学の英文科教授。2014年5月に外交デビューを果たした[24]。二人の間に一女がいる。

脚注

注釈

  1. ^ 中国共産党の公式発表では、胡錦濤の出身地は「安徽省績渓県」であるが、本当は上海市の生まれである。

出典

  1. ^ 日本大百科全書(ニッポニカ)
  2. ^ 張丹紅 (2007年10月22日). “十七大閉幕:陳規俗矩下的依稀曙光(中国語)” (中国語). 德国之声. オリジナルの2011年2月3日時点におけるアーカイブ。. https://web.archive.org/web/20110203145943/http://www.dw-world.de/dw/article/0,2144,2834764,00.html 2007年10月22日閲覧。 
  3. ^ “池田大作氏、李克強首相に友誼の漢詩を贈る”. (2018年5月14日) 
  4. ^ “日中韓サミット・日韓首脳会談・日中首脳会談等”. 首相官邸. (2018年5月9日). https://www.kantei.go.jp/jp/98_abe/actions/201805/09jck.html 2018年5月10日閲覧。 
  5. ^ (高橋 & 21世紀中国総研 2009, p. 730)。
  6. ^ “國師厲以寧教李克強李源潮”. 蘋果日報. (2013年3月16日). http://hk.apple.nextmedia.com/international/art/20130316/18197062 2017年4月22日閲覧。 
  7. ^ “李首相、知日派の顔も=若手時代に交流経験-日中韓”. 時事通信. (2018年5月10日). https://www.jiji.com/jc/article?k=2018050800765 2018年5月10日閲覧。 
  8. ^ “中国共産党大会 権力闘争の全内幕”. WEDGE Infinity. (2012年11月12日). https://wedge.ismedia.jp/articles/-/2382 2019年10月23日閲覧。 
  9. ^ “【国際情勢分析】習路線へかじ切る外交”. 産経新聞. (2010年12月5日). http://sankei.jp.msn.com/world/news/110114/chn11011401140001-n1.htm 2011年1月27日閲覧。 
  10. ^ 中国共産党第18期中央委員会第1回全体会議コミュニケ」人民網日本語版、2012年11月15日付配信記事(2012年11月29日閲覧)。
  11. ^ 中国新首相予定の李氏、『改革開放』決意を強調」『読売新聞』2012年11月23日付記事(2012年12月7日閲覧)。
  12. ^ 川越一「李克強氏を首相に選出 習・李体制本格始動」『産経新聞』2013年3月15日付記事(2013年3月17日閲覧)。
  13. ^ 川越一「中国新内閣が発足 新外相に元駐日大使の王毅氏」『産経新聞』2013年3月16日付記事(2013年3月17日閲覧)。
  14. ^ “李克強・中国国務院総理の訪日 日中首脳会談及び晩餐会”. 外務省. (2018年5月9日). http://www.mofa.go.jp/mofaj/a_o/c_m1/cn/page1_000526.html 2018年5月10日閲覧。 
  15. ^ “日中首相会談の要旨”. 日本経済新聞. (2018年5月9日). https://www.nikkei.com/article/DGXMZO3027991009052018PP8000/ 2018年5月9日閲覧。 
  16. ^ “陛下、初訪中時に「温かい歓迎、懐かしく」 中国の李克強首相とご懇談”. 産経ニュース. (2018年5月10日). https://www.sankei.com/life/news/180510/lif1805100011-n1.html 2018年5月10日閲覧。 
  17. ^ “日中知事省長フォーラムに安倍晋三首相と中国の李克強首相出席”. 産経ニュース. (2018年5月11日). https://www.sankei.com/world/news/180511/wor1805110020-n1.html 2018年5月11日閲覧。 
  18. ^ “北海道で安倍晋三首相、李克強首相をおもてなし 帰国見送る”. 産経ニュース. (2018年5月11日). https://www.sankei.com/politics/news/180511/plt1805110018-n1.html 2018年5月11日閲覧。 
  19. ^ (祁 & おうち 2002, p. 247)。
  20. ^ Li Keqiang on the way out? Rumors fly fast and thickejinsight.com
  21. ^ 金子秀敏 風前の灯ともしびリコノミクス 習・李ツートップの危機特集:世界株高の落とし穴 中国 「週刊エコノミスト」、2015年5月5・12日合併号
  22. ^ (謝 2014)
  23. ^ 李克強首相に健康不安説、北京市民はPM2.5よりも高い関心―中国のリスク要因に?レコードチャイナ 2015年4月16日
  24. ^ 中国・李克強首相夫人が外交デビュー 習近平主席に対抗心も|NEWSポストセブン”. NEWSポストセブン (2014年5月17日). 2019年11月19日閲覧。

参考文献

  • 祁英力 著、おうちすえたけ 編訳 編『胡錦涛と現代中国』辻康吾 監修、勉誠出版、2002年11月。ISBN 4-585-05070-1http://bensei.jp/index.php?main_page=product_book_info&cPath=9_26&products_id=5070 
  • 謝凡平(中国語)『總理爭奪戰』財大出版社、2014年12月9日。ISBN 9781940063249https://books.google.com/books?id=7891BwAAQBAJ&&pg=PAPT8 
  • 高橋博、21世紀中国総研 編著『中国重要人物事典』蒼蒼社、2009年10月1日。ISBN 978-4-88360-086-1http://www.mmjp.or.jp/sososha/hon/jinbutujiten.html 

関連項目

外部リンク

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