中国共産党第十七回全国代表大会

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中国共産党第十七次全国代表大会中国共产党第十七次全国代表大会)は、2007年10月15日から21日までの間、北京で開催された中国共産党全国代表大会(党大会)である。略称は中共十七大十七大)。

概要[編集]

大会のテーマは「中国特色社会主義(zh)の偉大なる旗を高く掲げ、小康社会(zh)の全面建設に向け奮闘努力し、勝利しよう[1]」というものであった。この大会で胡錦濤総書記を党の中心とすることが再確認され、また、科学的発展観を党の「主要方針」とすることが党規約に明記された。中国共産党中央委員会委員として204名(一覧/中国語)、中央委員候補167名(一覧/中国語)、中国共産党中央規律検査委員会127名が選出された。

  • 全国党員数:7336.3万名(2007年6月)[2]
  • 代表:2,213人[3]、特邀代表57人。
  • 開催場所:北京人民大会堂
  • 開催期間:2007年10月15日-21日

大会機構[編集]

次のリストはあくまで十七大の主要メンバーであり、「中共中央」と呼ばれる党中央委員会ではない。党中央委員会は後述する一中全会で選ばれる。

中共総書記の業績報告[編集]

十七大は2007年10月15日午前9時に開会し、まず胡錦涛が登場して演壇に立った。次に3年前に中央軍事委員会主席を引退してからは党の役職から完全に身を引いた江沢民が登場した。次に呉邦国が登場したが、胡錦涛とは5メートルほど離れた位置だった。出席者は過去に死去した元中共幹部の毛沢東鄧小平などに黙祷をささげた。その後胡錦涛に長い間拍手が贈られた後、胡錦涛からの政治報告が行われた。この報告で、胡錦涛は科学発展観(zh)の重要性を強調した。

11時15分、胡錦涛の報告は終了し、胡錦涛は立ち迎える江沢民らと握手を交わしながら席に戻った。その後江沢民は退席し、入れ替わりで李鵬朱鎔基ら中共第3世代の指導者(胡錦涛の前の世代、メンバーは中国版参照)が登場した。朱鎔基はかなり辛い様子で、拍手をすることも少なく、しきりに水を飲んでいた。このほか、中共第2世代の指導者である華国鋒万里宋平も壇上に姿を見せた。

胡錦涛は第16回中央委員会の業績を12に分けて報告した[4]

中共十七大が開かれた北京人民大会堂
  1. 過去5年間(十六大)の業績。
  2. 改革開放路線の進捗。
  3. 科学発展観をますます進捗させたこと。
  4. 小康社会建設の実施。
  5. 国民経済を促進し発展させたこと。
  6. 社会主義民主政発展の堅持。
  7. 社会主義文化の大発展と大繁栄の推進。
  8. 社会建設のため、民政改善を推進したこと。
  9. 国防と軍隊の最新化を実現したこと。
  10. 一国二制度を推進し、全国和平統一を実践したこと。
  11. 道路建設を終始滞りなく推進したこと。
  12. 改革創新精神を以って、中共の建設工程を全面推進したこと。

新旧交代[編集]

十七大最終日の10月21日に党中央委員会委員の選挙が行われ、221人の候補の中から204人が選ばれた。当選率は92%であり、前期に比べて6名増だった。他に党中央委員候補167名、党中央紀律検査委員会委員127名も決められた。

最も重要な中共中央政治局常務委員会のメンバーも決められた。高齢を理由に曽慶紅呉官正羅幹が削られ、一方で、「政治新星」あるいは「第五代準領導(指導者)」とも言われている習近平李克強、胡錦濤の子飼いと言われる胡春華令計劃が入れられた。これらは2008年初頭に引退する前代幹部や2007年に死亡した黄菊に代わって党の権力交替が起こったことを象徴している。なお、得票状況は公開されておらず、当落の結果だけが公開されている[5]

一中全会[編集]

中国共産党第十七屆中央委員会第一次全体会議は2007年10月22日午前から北京で行われた。選挙により、中国共産党指導者として次のものが選ばれた。(得票状況は公開されていない。)

  1. 党総書記胡錦濤
  2. 党中央政治局常務委員会委員:
  3. 中央政治局委員(姓の筆記順):
  4. 中央書記処書記
  5. 党中央軍事委員会
  6. 中央紀律検査委員会

参考文献[編集]

  1. ^ 中青在线:胡锦涛代表第十六届中央委员会向大会作的报告摘登
  2. ^ 中组部:截至2007年6月党员总数达7336.3万名
  3. ^ 中国共産党の発表では選挙で当選した者は2217名だが、1名は党紀違反で取り消し、3名はすでに死去していたため、この人数となる。
  4. ^ “中国共産党第十七次全国代表大会在京開幕”. http://www.cpcnews.cn/GB/100798/6381363.html 2007年10月17日閲覧。 
  5. ^ 中国語版記事によると出典は2007年10月21日,香港のテレビ番組「6時半新聞報道」(zh)

外部リンク[編集]