1908年の相撲
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1908年の相撲(1908ねんのすもう)は、1908年の相撲関係のできごとについて述べる。
できごと
6月5日、23代吉田追風の訓示に基づき、大相撲組合新規約が発表された[1]。
本場所など
- 1月場所(東京相撲)[2]
- 興行場所:東両国元町
- 1月18日より晴天10日間興行
- 1月場所(大阪相撲)[3]
- 興行場所:難波新川土橋西詰
- 晴天10日間興行
- 5月場所(東京相撲)[4]
- 興行場所:東両国元町
- 5月20日より晴天10日間興行
- 6月場所(大阪相撲)[5]
- 興行場所:難波新川土橋西詰
- 晴天10日間興行
- 6月場所(京都相撲)[5]
- 興行場所:新京極錦天神
- 晴天10日間興行
誕生
- 3月11日 - 楯甲新蔵(最高位:前頭筆頭、所属:中村部屋→友綱部屋→中村部屋、+ 1966年【昭和41年】)[6]
- 5月7日 - 高登渉(最高位:関脇、所属:高砂部屋、+ 1962年【昭和37年】)[7]
- 5月20日 - 綾曻竹藏(最高位:関脇、所属:千賀ノ浦部屋→出羽海部屋、+ 1969年【昭和44年】)[8]
- 5月23日 - 磐石熊太郎(最高位:関脇、所属:朝日山部屋、+ 1944年【昭和19年】)[9]
- 7月20日 - 三熊山美夫(最高位:前頭12枚目、所属:中川部屋→武蔵川部屋→鏡山部屋、+ 没年不明)[10]
- 7月25日 - 久能山長五郎(最高位:十両5枚目、所属:宮城野部屋、+ 1956年【昭和31年】)
- 8月18日 - 金湊仁三郎(最高位:前頭5枚目、所属:湊川部屋→振分部屋→湊川部屋、+ 1979年【昭和54年】)[6]
- 9月1日 - 大浪妙博(最高位:前頭3枚目、所属:高嶋部屋、+ 1985年【昭和60年】)[11]
- 9月5日 - 大邱山高祥(最高位:関脇、所属:出羽海部屋、+ 1983年【昭和58年】)[12]
- 9月8日 - 鳴潮茂生(最高位:十両6枚目、所属:高砂部屋、+ 没年不明)
- 10月8日 - 津峯山政雄(最高位:十両4枚目、所属:出羽海部屋、+ 没年不明)
死去
- 1月15日 - 大鳴門灘右エ門(最高位:大関、所属:玉垣部屋→梅ヶ谷部屋→雷部屋、年寄:八角、* 1853年【嘉永6年】)
- 11月30日 - 初代西ノ海嘉治郎(第16代横綱、所属:高砂部屋、年寄:井筒、* 1855年【安政2年】)[13]
脚注
注釈
出典
- ^ 酒井, p. 220.
- ^ 酒井, pp. 214–216.
- ^ 酒井, p. 216.
- ^ 酒井, pp. 217–220.
- ^ a b 酒井, p. 221.
- ^ a b 京須利敏・水野尚文『令和三年版 大相撲力士名鑑』(共同通信社) 84頁
- ^ 京須利敏・水野尚文『令和三年版 大相撲力士名鑑』(共同通信社) 74頁
- ^ 京須利敏・水野尚文『令和三年版 大相撲力士名鑑』(共同通信社) 82頁
- ^ 京須利敏・水野尚文『令和三年版 大相撲力士名鑑』(共同通信社) 83頁
- ^ 京須利敏・水野尚文『令和三年版 大相撲力士名鑑』(共同通信社) 87頁
- ^ 京須利敏・水野尚文『令和三年版 大相撲力士名鑑』(共同通信社) 79頁
- ^ 京須利敏・水野尚文『令和三年版 大相撲力士名鑑』(共同通信社) 78頁
- ^ 京須利敏・水野尚文『令和三年版 大相撲力士名鑑』(共同通信社) 310頁
参考文献
- 酒井忠正『日本相撲史 中巻』ベースボール・マガジン社、1964年6月1日。