最御崎寺
最御崎寺 | |
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![]() 境内 | |
所在地 | 高知県室戸市室戸岬町4058-1 |
位置 | 北緯33度14分56.43秒 東経134度10分32.66秒 / 北緯33.2490083度 東経134.1757389度座標: 北緯33度14分56.43秒 東経134度10分32.66秒 / 北緯33.2490083度 東経134.1757389度 |
山号 | 室戸山 |
院号 | 明星院 |
宗旨 | 新義真言宗 |
宗派 | 真言宗豊山派 |
本尊 | 虚空蔵菩薩(秘仏) |
創建年 | (伝)大同2年(807年) |
開基 | (伝)嵯峨天皇(勅願)、空海(弘法大師) |
正式名 | 室戸山 明星院 最御崎寺 |
別称 | 東寺(ひがしでら) |
札所等 | 四国八十八箇所24番 |
文化財 |
石造如意輪観音半跏像 木造薬師如来坐像 木造月光菩薩立像など(国の重要文化財) |
公式サイト | 最御崎寺 |
法人番号 | 1490005005663 |
最御崎寺(ほつみさきじ)は、高知県室戸市室戸岬町にある真言宗豊山派の寺院。室戸山(むろとざん)、明星院(みょうじょういん)と号す。本尊は虚空蔵菩薩。四国八十八箇所霊場の第二十四番札所であり、土佐で最初の札所である。
本尊真言:のうぼう あきゃしゃ きゃらばや おんあり きゃまり ぼり そわか
ご詠歌:明星の出ぬる方(かた)の東寺(ひがしでら) くらき迷いはなどかあらまじ
納経印:当寺本尊、一夜建立の岩屋
歴史[編集]
空海は都での学問に飽き足りず、19歳の延暦11年(792年)頃からの約5年間、山林修行を続けた。空海の『三教指帰』には「土州室戸崎に勤念す」(原文は漢文)とあり、室戸岬にほど近い洞窟(御厨人窟)で虚空蔵求聞持法に励んだとされる。寺伝によれば空海は大同2年(807年)に、嵯峨天皇の勅願を受けて本尊の虚空蔵菩薩を刻み、本寺を開創したとされる。[1]。
嵯峨天皇以降歴代天皇の信仰が篤かった。[2]
暦応4年(1341年)、足利尊氏によって土佐の安国寺とされる。その後火災により焼失したが、元和年間(1615年 - 1624年)には土佐藩主山内忠義の援助を受け僧の最勝が再興する。堂塔を建立、七堂伽藍を有したという。明治に入って神仏分離令によって荒廃するが、大正3年(1914年)には再建された。また、女人禁制の寺で岬からの登山口脇にあった女人堂から拝んでいたが、明治5年に解禁された。阿南室戸歴史文化道の指定を受けている。
境内[編集]
- 山門:楼門式仁王門。表と裏に、仁王像が2対立つ。裏の石造仁王像は1647年(正保4年)のもの。
- 本堂
- 大師堂:大師像を拝顔できる。
- 多宝塔
- 鐘楼堂(袴腰造)
- 鐘楼堂
- 霊宝殿:毎年11月の第一週の灯台まつりに合わせて土日のいずれかに公開され、重要文化財の宝物が拝観できる。同じ日に、室戸岬灯台と室戸岬特別地域気象観測所(旧室戸岬測候所)の公開がある。
- 聖天堂
- 護摩堂
- 若宮八幡宮(祠):本堂の右から奥。
- 観音堂:宿坊最上階で、石像如意輪観音のレプリカを祀る。
- ヤッコソウ:山門から入って右側の丘に群生している。11月下旬が見ごろ。
- ミニ西国三十三所の石仏:霊宝殿の前に並ぶ
- 句碑・歌碑:吉井勇「空海をたのみまゐらすこゝろもて はるばる土佐の國へ来にけり」が土俵辺りの位置で塀の外側に、島田保子「大空に慈悲のお姿あおぎつつ 室戸の山につどう水子ら」が大師堂の裏に、森泰宝「あらし吹く室戸の山に雲かすみ 癒しの海に浮かぶ月影」が聖天堂の右前に、哉哉「燈台も巌も佛も土用波」が通路をはさんである。
室戸岬に近い登山口から岬の高台に登っていき灯台への分岐点を過ぎると仁王門に至る。門を入ると右に袴腰造の鐘楼堂、虚空蔵菩薩石像、多宝塔などがあり、左に土俵、大師堂がある。この先左手に手水場、納経所があり正面に本堂が建っている。本堂裏には霊宝殿、聖天堂、護摩堂などが並び、最奥の宿坊である遍路センターの建物内には遍路休憩所がある。遍路センター前に駐車すると有料ではあるが、階段を登らずに最短で境内に行ける。
また、本堂すぐ横には空海の七不思議[3]のひとつ「くわずいも」の伝説にちなんだクワズイモ畑がある。昔、土地のものが芋を洗っているところに弘法大師(空海)が通りがかり、その芋を乞うたところ「これは食えない芋だ」といって与えなかった。それ以来ほんとうに食べられなくなったと伝えられる。現在は胃腸の薬として利用される。
- 宿坊「最御崎寺遍路センター」:定員120名
- 駐車場:37台。最御崎寺遍路センター前は普通車200円。道路脇駐車場は無料。
文化財[編集]
- 重要文化財(以下すべて宝物館所蔵)
- 石造如意輪観音半跏像:平安時代後期、石造、像高53.2cm総高82.4cm。寺伝では空海請来の像とされ、一夜建立の岩屋の本尊で、観音窟日本では石造の仏像は多数あるが、本像のような大理石造のものは珍しい。右脚を立膝にして座る像で、衣文や瓔珞なども緻密に彫りだされている。大正2年8月20日指定。
- 木造薬師如来坐像:平安時代後期、木造、漆箔、高さ86.3cm、 明治44年8月9日指定。
- 木造月光菩薩立像:平安時代後期、木造、漆箔、高さ101.6cm、木眼。上記仏の脇侍で、日光菩薩は消失。明治44年8月9日指定。
- 漆塗三脚盤 2基: 南北朝時代、盤径が44.5cm高さ22.1cm。盤径43.5cmの方は東京国立博物館で保管。木製、根来塗で、盤の表面は朱漆、裏面と脚、盤の外縁は黒漆。康暦元年(1379年)の寄進銘がある。平成元年6月12日指定。
- 県保護有形文化財
- 虚空蔵菩薩坐像懸仏:直径107.2cm、厚さ2.2cm、平成11年4月27日指定。
- 室戸市指定文化財
- 石像金剛力士立像:江戸時代、阿形95cmと吽形100cm、一夜建立の岩屋に安置されていた。一枚の砂岩にほぼ丸彫りされたもので藩主山内忠義が建立。
- 木造金剛力士立像残片:鎌倉時代、阿形像の面部(残存高42cm)と右足先が残る。伝・湛慶作。
- 四天王立像:平安時代、旧仁王門二階に安置されていたもの。二体ずつ年代作風大きさが異なる。
- 無指定
- 飛天像石扉:江戸時代、一夜建立の岩屋の如意輪観音安置の厨子の門扉左右。
- 木造地蔵菩薩立像:平安時代、檜材、高さ97.8cm。
- 木造香像:年代不詳。
- 木造仏頭:室町時代、檜材。
- 磬台(漆塗り)・磬(鋳造):年代不詳。
- 台灯篭上部:年代不明、菊の御紋入り。
- 柄香炉:江戸時代、銅造。鍛造製で渡金を施す。長さ31.8cm、高さ10.8cm。
交通案内[編集]
- バス
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- 高知東部交通 「室戸岬」下車 (0.9km)
- 道路
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- 一般道:高知県道203号室戸公園線(室戸スカイライン)最御岬寺駐車場 (0.1km)
奥之院と周辺の番外霊場[編集]
<奥之院>
- 一夜建立の岩屋 観音窟
- 国道55号室戸岬登山口の左奥にある洞窟に、空海(弘法大師)が唐から持ち帰ったと伝えられる大理石の如意輪観世音菩薩像が安置されていた(現在は最御崎寺宝物殿に安置されている)。真念の「道指南」では、竜宮より上がった像と云われ、巨石の厨子に蔵められ金剛像2体が脇を固め、両扉には天女が描かれていたとあり、洞の前に庵があり、最御崎寺が女人禁制であったため、ここで札を納めた女人堂の役目をしていたとある[4]。納経及び御影の授与は最御崎寺納経所にて行なっている。
- 四十寺山 四十寺
<周辺の番外霊場>
- ここでは徳島県境から南下したときの登場順に記載する。
- 東洋大師 明徳寺
- 空海が巡錫のおり湧かせた「弘法の滝」がある。地図
- ゴロゴロ浜:道路ができるまで、この石の浜を通過していた。地図
- 法界上人堂
- 土中入定を果たしたと云われる法界上人を祀ったお堂で、東洋町の国道493号分岐の野根大橋から約5km西へ進んだ所でトイレのある遍路休憩所になっていて、近辺に建物は一切無い辺りにあり、海岸沿いを歩く国道55号から約30m山側にある。地図
- 仏海庵
- 仏海僧は1760年(宝暦10年)この地に地蔵菩薩を刻み飛石庵を建て安勝寺を復興し遍路たちの難を助けた。そして、生涯に三千体の仏像作ったといわれ、1769年(明和6年)70歳のときこの地で没した。宝篋印塔が建っている[5]。地図詳しくは仏海庵を参照
- 夫婦岩 :室戸市 鹿岡鼻(かぶかはな)地図
- 室戸世界ジオパークセンター:人のいとなみコーナーに空海のコーナーが有る。地図
- 室戸青年大師(来影寺)地図
- 1984年11月に開眼され、台座を含めた高さ21m、空海19歳の像である。
- 御厨人窟
周辺[編集]
前後の札所[編集]
脚注[編集]
参考文献[編集]
- 四国八十八箇所霊場会 編 『先達教典』 2006年
- 宮崎建樹『四国遍路ひとり歩き同行二人』地図編 へんろみち保存協力会 2007年(第8版)
- 同 解説編 2007年(第8版)
- 『角川日本地名大辞典 高知県』、角川書店
- 『日本歴史地名大系 高知県の地名』、平凡社、1983
- 高知の文化財(高知県教育委員会文化財課)(2012年12月11日閲覧)
外部リンク[編集]
- 最御崎寺 - ウェイバックマシン(2015年1月3日アーカイブ分).2020年1月29日閲覧。
- 第24番札所 室戸山 明星院 最御崎寺(四国八十八ヶ所霊場会公式)