前神寺

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前神寺
前神寺 本堂
本堂
所在地 愛媛県西条市洲之内甲1426番地
位置 北緯33度53分24.8秒
東経133度09分38.4秒
座標: 北緯33度53分24.8秒 東経133度09分38.4秒
山号 石鈇山
宗派 真言宗石鈇派
寺格 総本山
本尊 阿弥陀如来
創建年 奈良時代の初期
開基 役小角
正式名 石鈇山 金色院 前神寺
札所等 四国八十八箇所64番
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両翼がついた本堂
桜満開の山門付近

前神寺(まえがみじ)は、愛媛県西条市州之内にある真言宗石鈇派総本山の寺院。石鈇山(いしづちさん)、金色院(こんじきいん)と号す。本尊は阿弥陀如来四国八十八箇所霊場の第六十四番札所日本七霊山の1つ、石鎚山 (1981m) の麓に位置する。

ご本尊真言:おん あみりた ていぜい からうん

ご詠歌:前は神 後は仏 極楽の よろずの罪を くだくいしづち

沿革[ソースを編集]

役小角によって開かれた霊峰石鎚山 (1981m) の麓にあり、役小角が石鎚山で修行を積んだ後、蔵王権現を感得し蔵王権現像を彫り、後に病気平癒を祈願成就した桓武天皇782年805年)によって七堂伽藍が建てられ金色院前神寺として開かれたと伝えられる。文徳天皇高倉天皇後鳥羽天皇順徳天皇後醍醐天皇など多くの歴代天皇信仰が厚かったことでも知られる。

後に空海(弘法大師)も巡錫している。このとき空海は2度石鎚山を登ったといわれる。当寺は、横峰寺とともに山頂の弥山に存在する石鉄権現の別当寺にあたり、東側の遥拝所でもあった。

江戸時代には西条藩主である松平家の信仰も集め松平氏は東照宮をまつり、三葉葵の寺紋を許した。本寺は里前神寺と称されることもあるが、これは海抜1500mあたりにある前神寺の出張所を奥前神寺と呼び区分するためでもある。奥前神寺は本来、現在の成就社であったが、本寺の神社部門が、明治神仏分離令により分離独立し、奥前神寺と里前神寺ともに石鎚神社となり、当寺は廃寺となる。その時、本尊と権現像と僅かの寺宝は持ち出し、その後、1878年明治11年)に現在地に里前神寺が再興され、さらに今宮道の最終地点に奥前神寺が再興され、さらにロープウエイ開通翌年に山上駅の上の現在地に奥前神寺が移転され現在に至る。

境内[ソースを編集]

  • 山門
  • 本堂1972年昭和47年)の再建。入母屋造屋根は青い銅板葺き。
  • 大師堂
  • 石鉄権現堂
  • 薬師堂
  • 護摩堂
  • お滝不動:大師堂右の石段を登った場所にあり、滝打修行が行われていた。現在は水量も乏しく、1円玉を投げて滝下の岩肌に張り付くとご利益があるといわれる。
  • 金毘羅堂
  • 修行大師像
  • 十三仏像
  • 穴薬師
  • 水子地蔵菩薩像
  • 稲荷社
  • 弁財天祠

惣門をくぐって参道を進み左に折れて薬師谷川をわたると右手に手水場、鐘楼が左手に庫裏・納経所がある。そして右に折れると左に大師堂、穴薬師が右には金毘羅堂、修行大師像、水子地蔵菩薩像が並び、浄土橋を渡ると右に水が滴り落ちるお滝不動明王像、弁財天祠、稲荷社祠がある。石段を上がるとすぐに護摩堂、薬師堂があって、最も奥に本堂が建つ。本堂右の丘に石鉄権現堂がある。参道の鬱蒼としたの木立や古い灯籠が何基も立ち並ぶ境内には、老樹が生い茂り、深山幽谷の佇まいを見せている。

  • 宿坊:なし
  • 駐車場:30台、大型5台、無料。

文化財[ソースを編集]

西条市指定書跡

  • 石鎚修験道に関する古文書(御室御所ご裁許後道後先達中の披露の節定書:巻物一巻、修験道に関する綴:一冊)昭和51年3月10日指定

行事[ソースを編集]

毎月20日 権現様縁日
石鉄権現堂で、20時00分から開帳される3体の蔵王権現に体の悪い部分をこすりつけて病気平癒を祈願する。
御開帳後は護摩堂にて護摩祈祷で御縁日を締めくくります。
7月1日からの10日間 山開き
6月30日午前7時に前神寺本堂前で柴灯護摩を催行後、開創以来脈々と受け継がれた三体の権現様と一緒に信者達はバスで石鎚山ロープーウエイ下谷駅に向かう。
午前9時ごろ下谷駅の後方広場で柴灯護摩を行い、ロープーウエイで山上駅へ上がり奥前神寺に到着後、権現様の御開帳が行われ午前10時頃には本日の行事は終了。
7月1日から10日は、奥前神寺で朝夕5時より護摩が焚かれ参拝者を向かい入れる。この期間は志料で権現様の開帳を受けることができ、特別護摩も随時催行される。
7月11日午前6時に奥前神寺を出発した権現様と信者達はロープーウエイで下山。一方、前神寺を午前6時にバスで山に向かった信者達と下谷駅で合流後、白衣に身をかためた信者山伏たち一行が法螺貝の音にの名を称えながら3つの唐櫃(からびつ)に入れられた権現像を担ぎ黒瀬峠を越え前神寺へ列をなし約20kmを歩いて帰る。途中、御旅所で待ち構えた一般信徒は拝戴を受ける。

交通案内[ソースを編集]

鉄道
バス
  • せとうちバス 新居浜駅行き・マイントピア行き「石鎚神社」下車 (0.5km)
道路

奥の院[ソースを編集]

奥前神寺

成就から今宮道の終点近くの今宮道に面した所に奥前神は移されていたが、1969年、石鎚山ロープーウエイ開通により、その翌年に、現在の場所にお堂が建設される。その場所には現在、前神寺コテージが建っている。

なお、石の口の上に点を付けた石の古字『䂖』を使う場合があり、これは古いを強調し此方が本家であることを意味する。

隣の札所[ソースを編集]

四国八十八箇所
63 吉祥寺 -- (3.2km)-- 64 前神寺 -- (45.2km)-- 65 三角寺

周辺情報[ソースを編集]

参考文献[ソースを編集]

  • 四国八十八箇所霊場会 編 『先達教典』 2006年
  • 宮崎建樹 著 『四国遍路ひとり歩き同行二人』地図編 へんろみち保存協力会 2007年(第8版)

関連項目[ソースを編集]

外部リンク[ソースを編集]